エチカとサヨコ-③
「アリサー、テレサー、いますかー?」
王都の中層にある一軒家。
赤いレンガの屋根と、妙な植物で埋め尽くされた前庭のある二階建てがスピノザきょうだいの住居だ。
ガコッ。
二階の窓のひとつが開く。
押しあげ式の窓から顔を出したのは、赤色をした短髪に人懐っこい顔立ち、家の中でも愛用しているらしい――本人曰く作業帽としても使っているキャスケットをかぶった、十代中程の可愛らしい男の子だった。
「あっ、サヨコちゃんだ!」
少年が手を振るなり、彼の横から気の強そうな顔をしたポニーテールの女の子が外をのぞき込む。
「あら、どうしましたの? サヨコ」
少年――テレサの秒ちがいの姉、アリサだ。
「エチカに《リーマジハの森》まで《香閃草》を採りに行けって言われたんです。でもわたしだけじゃ心細いから、おふたりについて来てもらおうと思って。エチカもそうしろって」
「なーんだ、ボクらエチカさんにけっこー頼りにされてるんじゃん」
「従業員の採用試験に百回も落とされたから、てっきり歯牙にもかけられてないのかと」
(そうだったんだ)
「ちょっと待ってね、すぐ行くから」
硝子窓を下ろして、テレサとアリスが部屋にひっこむ。
ドタドタ。
あわただしい音がする。
一階に下りてくる。
「じゃあ、行こっか」
杖をたずさえたテレサが、見ているこっちが幸せになりそうな笑顔で言う。
こちらも杖を持ったアリサが小さく言った。
「錬金術の腕なら、私たちのほうがぜーったい上ですのに。エチカ様はなにを考えてあなたを採用したのでしょうね」
「そうだよ。杖だってさ、ボクらは黄色で、サヨコちゃんは初級の黒なのに」
「そんなのわたしに言われても」
杖の石の色は、《黒》、《白》、《黄》、《赤》の四種類があり、順に初級、中級、上級、特級と、所有者の力量を位づける。
サヨコは黒なので、まだまだ素人のレベル。
対してアリサとテレサは、黄色の――知識、技量共に、プロとしてさえ申し分のないレベルだった。
おまけにサヨコは採用試験で出された穴埋め問題が、なにひとつ答えられなかった。
べつの回答は出したものの、事前にエチカから聞いた話では、アリサとテレサは同じペーパーテストで百点満点を出していたという。
となると。
(形だけってことだったのかなあ)
悶々と考えるより先に、アリサに肘を小突かれた。
「ご自覚なさってくださいね。あなたがエチカ様のそばにいられるのは、錬金術師垂涎の幸運だってことを」
「はあ……」
「いいよなあ~サヨコちゃん」
「あんなののなにが良いのか分かりませんが」
「顔」
「スタイル」
「頭脳」
「技術。どれを取ってもサイコーですわ」
(性格は入ってないわけね……)
あきれつつも、それもそうかとエチカのガサツな言動を思い返す。
「ちょっとの材料からたくさんの物を作ったり、世界を渡る術を使えるのもエチカさんだけだよね。よかったねサヨコちゃん。記憶さえ取りもどせば、すぐにだって帰れるんだよ」
ぐっと拳を作って興奮気味に祝福するテレサに、小夜子はあいまいに笑う。
「え……いや、はあ……そうですね……あ、あはは……」
「ところで、念の為に森へ行く前に、錬金術のおさらいをしておきましょうか」
「それもそだーね。ねえサヨコちゃん、見ててね。プネウマと精神力、材料を反応させて……こうだよ!」
テレサが近くの花を杖の先端の石でたたく。
――プネウマ。
万物を構成する原初の物質にして、万象の変化を司る神秘の媒体。
毒の雲のうえに存在する、天空の大陸、島――この世界にただよう大気中にふくまれている、魔法性物質である。
酸素や水素と同じように微粒子であるため、肉眼ではとらえられない。
しかし錬金の才を持つ者ならば、《エーテル石》を介して精神の力を加えることで、たちまちにしてイメージ通りの物体や現象を作りあげられる。
この一連の技術を《錬金術》といい、錬金術をあつかう者のことを《錬金術師》といった。
ぼうん!
かくしてテレサの錬金術は、反応にともなう煙を起こして達成された。
赤い花の咲いていた蔓性植物が、きれいな輪飾りになっている。
「やったあ、これでボク学校の宿題おーわりっと」
「あきれた。わたしのお手本じゃなくって、自分のためだったんですね」
「ちっ、ちがうよ。ボクのためでもあり、サヨコちゃんのためでもあったの。一石二鳥だよ!」
「どうだか」
嘆息混じりにテレサの弁明を切り捨てたのはアリサだった。
「それじゃあサヨコ、やってみなさいな」
「はあーい」
テレサのやったことを一度頭の中でおさらいする。
(えーっと、なるべく簡単なもののほうが成功しやすいから……)
花壇のほうにシロツメクサに似た花を見つけて、杖の先端のエーテル石――黒い石で触れる。
(花の冠!)
カッ!
接触した部分から光が弾ける。
ぼうんっ!
反応が起こって煙が出た。
白煙から巨大化した葉や茎が飛び出す。
なにをどう間違ったのか、無かったはずの蔦まで伸びて、アリサやテレサ、果ては術をかけた本人である小夜子までぐるぐる巻きにして空中に吊りあげてしまう。
「……まあ、戦闘力になるという点では合格かと」
「えーんっ、自分達に当ててちゃ意味ないですよお」
「くっ……首……首が……しまっ……」
幸いアリサはプリーツスカートの下にスパッツを穿き、サヨコもワンピースの下にレギンスを着用していたため、下着が見えるという恥はかかずに済んだ。
「テレサ、ぶくぶく泡を吹いてないで、それくらい自分でなんとかなさい」
「た、助けてよお……」
アリサは杖を振って、先端の黄色いエーテル石を空気に当てた。
鋭利な風切り音が通り過ぎ、自分を逆さ吊りにしていた蔦を断つ。
地面におりてから同じ要領でアリサはもう一つ風の刃を起こした。
小夜子を捕まえていた茎を切る。
テレサも青い顔で苦しみもがきながらも自力で蔓を酸化させ、枯らして脱出した。
元より不安定な生成物だった花の怪物は、いくつかの部位を切り落とされたことで生命力を失い、消滅する。
「では、遅くなる前に行って帰ってきてしまいましょ」
アリサが先頭に立って、
「はーい」
と小夜子とテレサがついていく。