報酬について-①
ああめんどくさいめんどくさい、とグチりながら包丁を使っていたのがいけなかった。
フィーロゾーフィア王国、王都内にある一軒の雑貨屋である。
店主とその従業員である小夜子が住む、住居も兼ねた二階建て家屋で、その不幸は起こった。
ザク。
朝のさわやかな日射しが、一階のキッチンの窓からキラキラ注ぐ景色の中、そんな物音が鳴る。
タマネギを切っていた時だった。
少女――小夜子は、「まさかまさか」と半分信じられない思いで、まな板に添えていた自分の左手を見る。
年端もいかない子供でもあるまいし――小夜子は十四才の少女だ――ましてや今日初めて厨房に立ったわけでもない。
実家にいた頃は、中学校が休みの日には、母に代わってなるべく昼食を作るようにしていたし、料理の腕前はそこまで悪く品評されたことは無い。手際も含めて。
まあ中の上くらいだ。
小夜子自身、多少は「腕に自信がある」と自負できるていどの評判。
ダラー。
切断の音色から数秒経って、左の親指から爪にかけて出来た、およそ五ミリメートルの切れ目から、惚れ惚れする程にキレイな赤色の鮮血が、何のためらいもなく指のつけ根に向かって流れる。
ここまでザックリ切ったのは、小夜子にとって初めての経験だった。
(三時のおやつの用意はエチカに代わってもらおう)
呆然と、胸中でおやつの心配をするていどには冷静だったが、それは同時に自分のマヌケさに対して、深く失望しているという徴でもある。
「ただいまー」
と事情を知らないエチカが帰ってきた。
「サヨコー、喉かわいたから飲み物くれない? 何でもいいからさー」
朝の内に「あ、薬の材料切らしてた」とどこかの浮島に飛ぶバイクで採取へ行ったのから帰ってきたのだ。
――そう言えば彼女は素材は〈ギルド〉を介入して手に入れるのではなく、自分たちで調達する派だったな。薬草にはシロウトの〈冒険者〉の収穫では良質なものが手に入りにくい種類もあるとかで。
と半ば現実逃避気味に反芻している間、エチカへの返事はしていない。
小夜子の無言をどう受け取ったのか。エチカはキッチンと一体化しているリビングにくつろごうとして、やめて、少女の元にやって来た。
気楽に、書架から出した本をシャツから剥き出しの自分の肩にやりながら、金髪金眼の若い女錬金術師――エチカは、雇っている黒髪ワンピース姿の少女、小夜子に、やはり気楽な調子で声を掛けた。背後から。
「どうしたの?」
〈錬金術師〉――この世界の空気中に存在する、魔法性の媒体を杖で操作してあらゆる物質と反応させ、べつの物を生み出す技術を使う専門家――であるエチカは、遊び好きそうな風采に反して、一流の名に恥じない錬金技術と知識を持っている。
小夜子もそれは心得ていて、エチカの日頃のたゆまぬ努力と存外マジメな性格から、彼女の持つ実力は培われて然るべき『報い』だとしている。
特筆すべきは薬の調合だ。
錬金術の基本生成物の一つに、小さな傷を完治させる〈術師の軟膏〉という回復薬がある。
エチカの店でも扱っている人気商品で、彼女の作った物は他より効きが早く、多少重いキズさえキレイに治せてしまえると評判だった。
「わあーお、痛そー」
小夜子の親指からピューピュー血が出ているのを覗き込んで、エチカは急いで物置棚へ行き、やはり急いで戻って来て、少女の傷口にスポイトの先端を軽く当てて、血液を採取した。
「よしっ」
「なにが『よし』ですかっ!」
小夜子はようやく、自分より四つだけ年上の店主を振り返った。
採りたての薬草を詰めた袋を腕に引っかけ、微量な血を吸ったスポイトを慎重に隣りの研究室に運ぼうとする長い金髪の女のうしろ姿にわめく。
「そんなバカなことやってないで、一刻も早くわたしの為に傷薬を作ってくださああい!!」
出血の時点でジワジワ来ていた痛みに「死ぬっ! 死んじゃううううう!!」と恥も外聞もなく大騒ぎし、「それくらいガマンしなさいよ」と、とりあえず救急箱を出してくれた(研究室に材料を保管した後で)エチカに更に泣きわめいてワガママ言って、軟膏の調合とおやつの代打を取りつけた。
ついでに、
「朝のお店の掃除もできない……店番も出来ない……だから今日はずっと会計台に無意味に座りつづけてお昼寝してます」
「あんたいっつも寝てるじゃない」
救急箱から取り出した、効きの悪い化学合成薬の化膿止めを小夜子の親指に塗布し、バンソーコーで傷口を塞いで、応急処置とした。
「まあ、掃除くらい代わってやるけどさ」
「うう……ありがとう。あとキズがパッと一瞬で治るタイプの塗り薬は?」
「今から作るわよ。できるのは夕方頃になるわ。それまでは辛抱しなさい」
「パパッと作って下さいよ。できるでしょう? いつもみたいに、プネウマってゆーのと反応させて……」
「効き目が期待できなくなっていいならね。〈錬金術〉って、あんまり連続して使うと、生成物の質が落ちちゃうのよね。……指数関数的に」
「ええ~っ、じゃあ、品質を保つためには……」
エチカが「そっ」と小夜子の言葉を継ぐ。
「定期的にちゃんとした手順を踏んで、作り方を確認しなきゃならないってこと。で、今日がまさに、その手順を確かめようと思ってた日よ。あんたにとっては運の悪いことにね」
「そんなあ~」
ポン。
なぐさめるように小夜子の肩を叩いて、エチカはキッチンから店の方に出て行った。
小夜子は相も変わらず情けない涙声をあげて、不平不満を訴えつづけた。




