お給料について-①
ユックリッド暦二×××年 五月二十五日。
地上が黒い瘴気に覆われ、人々が雲の上に逃れても、給料日はやってくる。
毒の雲の上に浮かぶ、大小の島々で構成された錬金術の王国フィーロゾーフィアもその例に漏れなかった。
午後の五時が来て、フィーロゾーフィアの王都内にある雑貨屋での、朝八時半からの業務(休憩に午後零時から午後二時までの二時間を挟む)を終え、小夜子はう~んと伸びをした。
長い黒髪に黒い眼の、十四才の少女である。
野暮ったいワンピースにアクセサリーと言えばカチューシャといった出で立ちだが、元が良いためか様になっている。
彼女はたった今午睡から目覚めた。つまりは仕事の大半を睡眠で潰したということなのだが。
「ごくろーさま、三年寝タロー」
スイッ。
店内にある研究室から出てきた、店主のエチカが、カウンターテーブル越しに小夜子に封筒を差し出した。金色の長髪に金色の両眼、肩や脚をさらした、シャツにミニスカートといったチャラチャラした若い女である。
小夜子は寝相で出ていた涎をワンピースの薄い袖でぬぐった。ゴシゴシ拭いて、冷静になる。
「三年寝タローって?」
「たっぷり寝ているあいだに蓄えられた力がいつか発揮される日が来るんでしょ。楽しみよね」
(この女はあ~)
皮肉に満ちた微笑を張りつける、十八才の女店主に、小夜子はそこそこ罪悪感を覚えつつも肩を怒らせた。
「それよりホラ、お給料よ。今日が給料日だって、契約書に記載してなかった?」
「いかんせんほとんど盲判をついたもので……」
店に来てその日に採用テストを受けた小夜子である。
回答の出来はよくなかったが、色々あって雇われの身となった。
当時は病み上がりだったため、エチカの方も大事な契約内容をそんな疲れ切った頭に叩き込む気にもならず、書類の確認を数日後に見送った。
小夜子の体調も好調となったところで、雇用契約の詳細について、まだこの世界の文字を読めなかった小夜子に一つ一つ口頭で説明し、小夜子もそれに応じた上で、了解の署名をしたのだ。
その時に生まれて初めて小夜子は万年筆なるものを使った。
「まあ、あんたにとっては慌ただしかったでしょうからね。覚えてなくてもムリないか」
小夜子はここユックリッドとは違う世界からやって来た人間だ。
黒髪黒目、色白だが黄色系の肌を持つ外見に特筆すべきところは無いが、フィーロゾーフィアに来てすぐの頃には、確かに聞き慣れない言葉を喋り、何より〈渡煌石〉という、現代のここ――天上世界〈ユックリッド〉において、他世界にしか存在しないとされる、世界を渡る神秘の宝石を持っていた。
その石もエチカの類稀なる錬金技術により、秘められた能力を解放され、浮島の更に上空に飛翔し、別世界人との言語によるコミュニケーションおよび新しい概念や物資の流入を可能とした。
小夜子を元の世界に帰すこともできる。
しかし肝心の出身地に関する情報を、小夜子自身が「忘れた」と言い張っている。
根っから彼女の言葉を信じているエチカではないが、ウソだとしても相応の理由があるとして、本人の口から明確な記憶が語られるまではムリに帰したりしないと決めている。
小夜子はズレていたカチューシャを付け直した。
鼻先に「んっ」と再度強く封筒を押し出されて、反射的に受け取る。
「ほ、ホントに、ホントにお金? いいんですか? わたし、居眠りばっかだったのに……」
「だったら今後はもう少し起きてて欲しいものね。まあ? 寝てても人避けのカカシ程度の価値はあったみたいだけど」
「どういう意味ですか」
「客足が遠のいて、売り上げが減った」
「……ホントにいいんですか……」
「あたりまえでしょ」
すっかり縮こまってしまった小夜子にエチカは元気づけるようにウインクした。
収入が減ったのは事実だが、それと給金とは別問題なのだ。
「ああ、そうそう、ちゃんと手取り合ってるか確認してね。明細入ってるから」
「ハイ! えっと――」
小夜子は何枚もの一万G紙幣と千G紙幣、百G金貨と十G銀貨、一G銅貨をチャリンチャリンとテーブルに出した。
数えると、給与明細の最後の欄に記載されている額と同じである。
「あのー、他の欄に書いてある数字がよく分からないんですけど」
「雇用保険料や税金をこんだけ差っ引きましたよって書いてるのよ。最終的な金額と現金が合っていればOKだから」
「分かりました。ありがとうございます!」
小夜子は破顔して給与明細を抱きしめた。
いそいそと、散らかしていた紙幣とコインを封筒にしまい直す。
「素直なのは結構なんだけどさ、あんたの働きに対する正当な対価なんだから、礼なんて言わなくていいのよ。もっとふてぶてしくしてなさい、いつもみたいにね」
「えへへ、だって嬉しくて」
いつになく子供っぽい――つまりは年相応に小夜子はニコニコする。そして、
「これムダ遣いしてもいいですか?」
「ムダが前提なわけね」
「はいっ」
キッパリ小夜子は肯んじた。
エチカはコメカミを作業用の白手袋をつけた手で押さえる。
「お好きにどーぞ。自由に使えばいいわよ、あんたが稼いだ金なんだから。ただし、ギャンブルや株はやめときなさい。やるなら大損こいてもいいやって割り切れる年になってからよ」
「じゃあ一生できませんね、する気もないですけど」
「それが賢明ね」
お金を詰め直した封筒を両手で握りしめて、小夜子は初任給の使い道を模索した。
「何を買おうかな~~」
あれもほしい、これもほしい。
小夜子の頭のなかは、買いたいもののことでいっぱいになっていた。




