観察について-②
ワンピースの私服に着替えた小夜子は、二階の隣りの部屋にいった。
そ~っとドアを開ける。
ネームプレートが掛かっていないが、ここが雇い主の部屋であることはまちがいない。
「あれー?」
中に人はいなかった。
相変わらず資料やら、水溶液の入った試験管やらでとっ散らかった寝室は、もぬけの殻になっている。
小夜子はグチャグチャのまま放置されているエチカのベッドに駆け寄った。飛び乗って、ヒザ立ちの姿勢で窓を押し上げる。
ふわんと甘い匂いがした。
家兼雑貨屋の庭に、野外用のテーブルが出て、クロスの上にティーカップとお菓子がある。
「あーっ! 今日ももう起きてる!」
庭でイスに座って寄稿用の文章を書いていたエチカが、大声をあげる小夜子をギロリと睨み上げた。
作業用のグローブをつけ、閲覧用のメガネを掛け、錬金術師のロッドをそばに立てかけている。
袖なしの服から剥き出した肩、そしてミニスカートから伸びた長い脚。十八才にしては色々と発育の良い女――エチカは、メガネを取って小夜子に話しかけた。
「何? 殊勝にも私より早起きして茶の一杯でも出してくれるつもりだったのかしら?」
「違いますー!」
憎まれ口を叩き返す勢いで、小夜子は唇を突き出してベーッとベロを出す。
エチカに背を向け、ノートに書き込んだ。
『AM七時
エチカ、既に起床。
クッキーと紅茶を食しつつ、原稿をでっちあげる。
ところで紅茶なんて、毎日のんでて飽きないのかな?』
「よしっと」
『エチカの観察日記』と題したノートをパンと閉じる。肩に乗っている赤い小トカゲ〈サラマンダー〉を落とさないように、一階に階段を下りていく。
商品棚の並ぶ売り場を経由して、小夜子はリビングダイニングキッチンに入り、奥の勝手口から庭に出た。
庭には二つの扉がある。どちらも家屋にしか通じていない。
一つはリビング、もう一つはエチカの研究室につながっている。
「おはよーございます。わたしも貰っていいですか?」
「あんた普段この時間じゃないからねー、飲むなら新しく持ってこないと」
「お手数かけます」
「私が取ってくるの前提なわけね」
「はい♡」
「そのへんの雑草煮たやつでいいかしら」
「フッザけんなって言います」
「人のこと言えんのかしら」
エチカは立ち上がった。
「私と同じのでよければ淹れてきてあげるわ」
「やたーっ。ありがとうございます」
小夜子はレンガの壁に立てかけてある折り畳みスツールを出してきて、エチカの対面に席を定めた。
エチカはリビングと一体化しているキッチンに、ロッドで肩を叩きながら移動する。
数分もすると、飲み物を温め直す音がして、紅茶を淹れたカップを二つ持ってエチカが戻ってくる。
「ったく、こちとら仕事中だってのに」
「うう~……すみませんってー」
「なんてね。私も淹れ直すところだったから、ついでよついで。あんた如きにこのエチカ様の貴重な時間を割いてやるわけないじゃない」
(くっ……)
エチカが小夜子の前に茶を置いて、自分の席に戻る。メガネを掛けて、束になった四〇〇字詰め原稿用紙にペンを走らせる。
書き始めてすぐに垂れてきた長い金髪を、エチカはうざったそうに背中に払った。前髪は細いヘアピンで掻き上げているため、そこまでジャマではなさそうだ。
小夜子はズーッと紅茶を啜る。
温かい。
そして暑い。
フィーロゾーフィア国はもうすぐ夏である。
エチカの杖の先端に輝く赤く丸い石――〈エーテル石〉をながめていると、やることを思い出した。
小夜子はノートを開く。
『エチカの淹れた紅茶は大変美味。
余談だが、ココアは犯罪級なり』
「なにやってんのよ」
「エチカの生態を観察して記録しているんです」
「お風呂やトイレまで覗いてるなら殺すわ」
「そこまではしてませんよ。まだ」
「やるんじゃないわよ。永遠に」
「分かってますよお」
小夜子は日記を閉じて唇を尖らせた。
トカゲがよちよち、肩から下りてくる。
エチカの元へ芝生を這っていく。
エチカは屈んで手の上にトカゲを載せた。軽く握り込むと、火の背ビレを持つ赤いトカゲが静かに弾丸状の結晶に変化する。
腰のベルトに絡めたホルダーにエチカは結晶を収めた。〈サラマンダー〉の赤色の他に、銀と青と黄色の結晶が連なって揺れている。
「他のは出さないんですか?」
「めったにはね」
エチカは紅茶を一口飲んだ。
「ねえ、他の〈精霊〉とかいうのも喋るんですか?」
「喋るわよ。人は選ぶけど」
「そうなんですか……」
サラマンダーの声を聞いたことがあるという話は、ベテランクラスの錬金術師であるアリサ・スピノザとテレサ・スピノザの姉弟、もちろんエチカにも話したことがある。
テレサとアリサは、
『うっそだあ~』
『あなたのようなシロウトに精霊と交信できるわけがないでしょう』
と大笑いしたり呆れ返ったりしていた。
エチカは『相性がいいってこともあるからね』と、信じているのかあしらっているのか不明な返事。
しかし、
「サラマンダー、わたしと初めて会った時以来、話しかけてくれなくなったんですよね」
「そんなもんよ。ペチャクチャうるさいのはウンディーネくらいなものだわ」
「はあ」
ウンディーネは水の精霊だ。
小夜子はまだ会ったことがないが、いつか見てみたいとは思っている。
「はい、執筆おーわりっと。んじゃあ私、部屋に戻ってるからね」
「どっちの? 寝室? それとも研究室?」
「研究室に決まってんでしょ。あと二時間で店開けんのよ」
小夜子は紅茶を飲み干して、
『AM七時半
エチカ、研究室に引き篭もる』
とノートに書きくわえた。




