観察について-①
ちろちろ。
赤い小さなトカゲが床を這っていく。
夏の入口にある、雲の上の錬金術の大国フィーロゾーフィア。その王都にある雑貨屋『エチカ商店』。
赤いトカゲは二階のフローリングを進んでいた。一階からの階段は、手すりを伝ってクリアしてのF二徘徊である。
ドアと床のすき間から、するりと部屋の中に入り込む。ベッドの上で寝息を立ってている少女の元に、寝台の脚に張りつきよじ登って到着する。
シーツを身体にひっかけて眠るパジャマ姿の少女の顔に、ぴたりと飛びつく。
ポウ。
少女の鼻先でトカゲが火を吐くと、彼女の大きな両目がゆっくりと開いた。
「サラマンダー!」
少女――小夜子は、暖かくなった鼻先に小さなトカゲを認めるなり歓声を上げた。
サラマンダーの炎は、彼の調節によって摂氏30度から太陽表面温度近くまでなるらしい。
ベッドに身を起こし、小夜子は両手でちっちゃな精霊を掬いあげる。
「起こしに来てくれたんですね。時間通りですよ~」
頬ずりをする。
時刻は朝の七時で、外は明るかった。
ウキウキと部屋の床に飛び下りて、小夜子は着替えを始める。
サラマンダーは布団にもぐり込んで大人しく待つ。
錬金術において、火の力を司るとされる精霊――サラマンダーは、小夜子の雇い主である天才錬金術師、エチカの所有する生命体である。
とはいえ小夜子がいたくこのトカゲを気に入っているのも事実で、それと言うのもこのフィーロゾーフィア国に日本から落っこちてきた時に、最初に理解できる言葉を交わしたのがこの火トカゲだった。
この世界とは異なる世界から、マンホールに落ちてやって来た小夜子である。
下水道につづくはずの暗い穴を落下して、意識を取りもどしした時には見知らぬ森にいた。
後にそれは、放牧や狩猟を担うフィーロゾーフィア王領地の森林だと分かったが、当時の小夜子にそれは分からない。
目を覚ませば、物々しい鎧帷子に身を包んだ男や女たちが、理解不能な言語で何やら話しかけてくる。それはただでさえ人見知りな小夜子にとって、恐怖でしかなかった。
困惑する小夜子を導いたのが、サラマンダーの声だった。
『こっちへ』
という言葉に従い、兵士たちから逃げるように森を走って、声の主を探すと、見つけた先には赤い小さなトカゲがいた。
小夜子はその小さな生き物が、自分を助けるために呼んでいたのだと思ったが、実際はさにあらず。
主人の家から勝手に散歩に出てきたのだが、迷子になって帰れないから連れていってくれ、という救難信号だった。
あっけに取られた小夜子は、そのまま追いついてきた兵士たちに取り押さえられ、城にひったてられて投獄された。
その後エチカと出会って、サラマンダーは彼女の元に帰還を果たし、小夜子もまたほかに行く宛てがないため、この国の王の提案を呑んで、エチカの元で住み込みのアルバイトをすることとなる。
以上のような経緯から、小夜子がサラマンダーを可愛がるのは解しがたい。のだが。
(絶対エチカには言えない……)
ブラウスのボタンを留めて、ワンピースを頭からすっぽり着込んでスカートを整えながら、小夜子は短絡的な自分の思考回路に落胆する。
「あの時聞いたサラマンダーの声が、お父さんの声にそっくりだったなんて」
バレたらファザコンの烙印を捺される。小夜子はそれがイヤなのだ。
最後に頭にカチューシャをつけて、身支度をおしまいとした。
クツをトントンやって、爪先を合わせる。
ずっとシーツの中に隠れていたサラマンダーが、ヒョコリと出てくる。
ピョイと飛び上がって、小夜子の肩に着地する。
「よーしっ。じゃあ、今日もガンバりますか!」
デスクの上に置いている、毎日欠かさずつけている観察日誌と鉛筆を持って、小夜子はえいえいおーと、天高く拳を突きあげた。




