憂鬱について-③
つぎの日。
「こんにちは」
昨日の青年が店におとずれた。
彼の黒い髪は、今日はしっかり七三分けにセットされている。
以前とは口調を変えて、彼は店番をしていた小夜子に名刺を差し出した。
「わたくし、〇×商会のウィリアムと申します。実は先日ここでヘアリキッドを一点ご購入させていただきまして、これが大変使い心地がよく、先方との取引も怖いくらい順調にいき、社内でも『おうおうオレにもちょっと使わせろや』と上司に言われてそのまま取り上げられ血で血を洗う争いに発展するくらい好評でして」
「だから今日は包帯を巻いているんですね」
「分かって頂けましたか」
青年――ウィリアムは額と左目、右腕に赤いものの滲んだ包帯を巻いていた。
脚もやられているようで、松葉杖をついている。
この状態で名刺を渡したのだから彼はかなり器用だ。
ただ彼の髪だけは、かたくなにキチッと七三にセットされて乱れひとつなかった。
「つきましては、こちらのリキッドを当社で扱わせて頂きたく……ひいては大量入荷等のご説明をとお訪ねしたのですが……店長様はいらっしゃいますか?」
満身創痍のウィリアムだが、口調は明るくていねいだ。
経営や取引については何の知識も経験もない小夜子である。
しかし金の匂いがした。
「呼んできます」
小夜子は売り場から扉ひとつ隔てたところにあるエチカの研究室に移動した。
「エチカ、なんかすごい儲け話が来てるんですけど」
「要約の仕方が守銭奴だわ」
「なんとでも。この前の整髪料が大人気で、販売を担いたいという会社の人が来てるんですが」
「……すぐ行くわ」
エチカは読んでいた本を閉じて、メガネを外して部屋を出た。
(儲け話かー、上手くいったらわたしもお給料爆上がりしてすっごいお金持ちになって一生働かずに暮らしていけるんだろうなあ~)
うへへ。
夢が膨らむ。
と――
「いやあの、決してそちらにも損な話ではなく、むしろこれは大金を手に入れる大きなチャンスと言いますか、せせせせめてもう少しちゃんとこちらの話を――」
「いいからとっとと――」
こっそり開けた扉の隙間から、エチカが杖を振るのが見える。
カッ!
売り場に閃光が迸った。
「消えなさい!!」
まるで魔術のように爆発が炸裂した。
発現した熱塊が、七三分けリクルートスーツの男を吹き飛ばす。
黒い煙の尾を引いて、サラリーマンのウィリアムは爆破された店の屋根から午後の空の彼方へと飛んでいった。
小夜子はあわてて研究室から売り場に出ていく。
「あーっ! 何で断っちゃったんですか!? ボロ儲けのチャンスが、わたしの怠け者ライフがあー!!」
「碌でもない人生設計してんじゃないわよ」
肩をそびやかす小夜子にエチカは半眼を向けた。
「私は自分で管理できる範囲でしか物は売らないの。つーか商売はあくまでついでで、実質は研究の方。そこは分かっといてちょーだい」
(もったいなーい)
不意になった取引に小夜子はそう思った。
その後。
どこかから評判を聞きつけてきた一般人によって、わずかに補填されていた整髪料はあっというまに捌けてしまい、
「あのー、エチカ」
小夜子は店から研究室をのぞいた。
「あん?」
マスクをつけてノートを確認しながら試験管を振っているエチカは不機嫌面である。
「急いでまた作ってほしいんですけど。お客さんを待たせてて……」
「運が悪かったですねっつって追い返しなさい」
「はい……」
完売したのを最後に、二度と店に並ぶことは無かった。
そして閉店の札が掛かった夕方の店内で、
「はあ……自分用のは作ってるくせに。しかも改良までしてさ。これもう余分に作る予定ってないんですか?」
「ええ、誰かさんがどっかに転売しそうなもんなんでね」
(ぎくっ)
実験器具や参考資料の散らばったオレンジ色の研究室の隅っこで、小夜子の秘かな野望が、あっさりと打ち砕かれたのだった。




