憂鬱について-①
「お買いあげ、ありがとうございました」
「いやいや、こちらこそ助かったよ」
ほくほく顔の青年が小夜子に手を振り店を出る。
黒い髪を手櫛でグシャグシャに分けた若い男だ。スーツ姿であることから、会社勤めのサラリーマンかと小夜子は思っていた。
小夜子――十四才の女の子である。
長い黒髪に黒い目、頭にはカチューシャ、小柄な身体にはワンピースをつけている。
こことは別の世界にある『日本』という国からやってきたのだが、既にフィーロゾーフィアの空気になじんでいた。
バイト先兼下宿先である雑貨屋――『エチカ商店』の業務にも慣れてきている。
ヒヤリとする事態はえてしてそんな時に起こるものだ。
先の男――店を開けてしばらくして飛び込んできた客の青年がそうだった。
息せき切って入って来た彼が、「あのっ、整髪料ってありますか――髪をこう、固めるクリームというかジェルみたいなのなんだけど」とレジに座っているのが子供と見るなり態度を変えて説明した。
この時は髪がひどくボサボサだったので、よほど急いで来たのだろうと小夜子は思った。
気圧されるままに「こちらの棚です」と案内したのだが、背伸びをした小夜子と、まっすぐに前を見やる青年の視界には『品切れ』と手書きで記された札と他の商品との間にぽかりと空いた虚しい空隙があるだけだった。
「こっ、ここにも無いのかあ~」
と青年が落胆し、腕時計を確かめてそわそわするのを見兼ねて、小夜子は「すぐに調合できないか、店の主人に訊いてきます!」と店主であるエチカの引き篭もっている小さな研究部屋に飛び込んだ。
エチカは小夜子が事情を話すより先に「結論を」とだけ言った。
小夜子もあらゆる経緯をとばして「整髪料を一つください!」とだけ答えた。
聞くなりエチカは杖を振って、魔法みたいに一つの薬液を作りだした。
何もない空中からポンッと物を生みだすこの行為は〈錬金術〉――必要な素材に大気中に存在する〈プネウマ〉という仲介物質を作用させることで、あらゆる物や現象を作りだす技術――から逸脱しているが、そんなことに疑問を抱く余裕もない小夜子である。
小さな容器を受け取ってすぐに店に戻ると、客の青年に値段を訊かれ、さっき棚に書かれていた通りの金額を告げた。
すると「安いんだね~」と破顔して、彼はグロリス銀貨と銅貨で支払いを済ませた。
そしてあのホクホク顔である。
お客さんが店を出て、彼が乗ってきたホバービークル――空飛ぶ自動車みたいな乗り物だ――に乗ってよその島へ行ってしまうのを店の窓から見送ると、
「はあ~」
小夜子は長い息をついた。
他人の緊張は時に周囲に伝播する。
なんとなく文句を言ってやりたい気持ちになって、隣接するエチカの研究室に、小夜子はわざと足音高く押し入った。




