吸血鬼について-①
朝の八時頃である。
フィーロゾーフィア市の六番街に、人集りができていた。
ザワザワと、散歩や登校、通勤中だった人々が足を止め、たまたま居合わせた者と対応を話し合っている。
朝食のために六番街へくり出していた女もまた、人集りに向かっていった。
いちばん外側にいた、ジャージ姿のふくよかな男に声をかける。
「どうしたんですか? 有名人でも来ています?」
「いやあ、どーにも人が倒れているみたいで」
「じゃあ、早く助けてあげたらいいじゃないですか。なにをグズグズと」
女は男を押しのけ、人垣の中心に向かっていった。
あっちこっちから「あんた、どうするつもりだい」とか「まだ兵士に通報するか話し合ってるところだよ」と注意を受けるが、かまわずに進んでいく。
石畳の地面には、年のころ十ほどの子供――骨格の細さと髪型、なにより服装から少女だと彼女は判断した――だった。
「まあ、子供じゃないの。だいの大人がこんなにいて情けない。どうして助けないのよ」
非難の声をあびせながら、女は少女のもとにかがみ込んだ。マフラーを自分の首からといて、冷えきった小さな背中にかけてやる。
「もしもし、聞こえる? おじょうさん、聞こえますか」
うつぶせに倒れ込んでいる少女の、うすい肩に手をかける。意識があるかを確かめる。
「コラあんた、やめとけっ」
近くにいたサラリーマン風の男が、いてもたってもいられずに女を止めた。
お守りのように手に握りしめていた携帯端末――ホログラフの画面を操作して、出したページを女に見せる。
「ネットの記事を見てないのか? あまり軽率な行動は――」
「あっ、目をさましたわ」
神経質にコケた頬の男の忠告などどこ吹く風で、女は少女の反応をとらえた。
「うう……貧血だ……。ハラが減りすぎだ……」
弱々しいうめきを漏らしつつ、存外機敏な動きで少女は身を起こす。
かぶりを振り、視界を整えるように目をこすり、座った姿勢であたりを見回す。
ザッ!
二人のまわりに集まっていた野次馬たちが、一斉に身を引く。そそくさと逃げ出す者もちらほらいる。
「ふん。ずいぶんな歓迎だな。しかしこうも空腹では、感動してやることもできん」
少女はツ、とすぐ近くの女に目を留めた。自分の背中にかけられていたマフラーを払い落とす。
「ひとまず食事だ。そこの娘、このプラム・D・ストーカ様の牙にかかれること、光栄に思うがいい!」
少女は女に飛びかかった。
ガブリ!
むき出しの首ったまにかぶりつく。
さながら肉食獣が狙った獲物の頸動脈を噛み切るごとく、敏速かつ的確に急所を突く早業に、周囲の人々が総毛立つ。
「うっ、う、うわああ!!」
「出たあああ!」
「逃げろっ、早く逃げろって!」
集まっていた人々は悲鳴をあげて、押し合い圧し合い、血をすする少女のもとから散っていった。
◇
「吸血鬼?」
小夜子はエチカに訊き返した。
六番街でひと騒動起こる三十分ほど前である。
さきほど掛かってきた電話のために、エチカは慌ただしく準備をしていた。
といっても、裏庭のエア・バイク(空飛ぶバイク)を出すだけなのだが。
「ネット上に国内での目撃情報があがってたんだけどね。デマばっかだったから、ずっと放置されてたのよ。けど、どーも確かなものも混じってたらしくって」
経営している雑貨屋の売り場から、生活スペースのある奥の間に移動し、研究室を経由して庭に出る。
バタバタと小走りになる金色の長髪の若い女店主に、小夜子も駆け足になってついていく。
「あのー、それで呼び出しが掛かったんですか? 王様に?」
「そう」
エチカは塀のそばに停めてあるバイクにキーを挿し、回した。
エチカは雑貨屋の店主だが、十八歳と若いながら、最高位の錬金術師でもある。
フィーロゾーフィア国王からの信頼も厚く、王直々に様々な依頼を下されることも多い。
「つっても、『討伐せよ』なんて話じゃないと思うわ。せいぜいが警戒しろってとこでしょうよ。ほらサヨコ、とっとと行くわよ。乗りなさい」
「ええーっ!」
小夜子はポイッと渡されたヘルメットをキャッチしたものの、抗議した。
「いやですよっ。今日は臨時休業なんでしょう? わたし、お昼寝してたいです」
「このヤロー、ヒトが急いでる時にゴネやがって……」
実際言い合っているヒマも惜しいらしく、
「じゃあ、これだけは守りなさい。私が帰ってくるまで、今日は絶対に誰もこの建物に入れてはダメ。吸血鬼は招かれないと家には入れないから。いいわねサヨコ、分かった?」
小夜子の相手をしながらエチカはフルフェイスのヘルメットをつけ、機体にまたがってアクセルを入れる。
「はいっ。まかせて下さい」
小夜子は大きくうなずいて、敬礼までしてみせた。
エチカは半信半疑だったが、だからといってグズグズしているわけにもいかない。
小夜子の長い黒髪――カチューシャをつけたその頭のてっぺんに乗っている、赤いトカゲ〈サラマンダー〉を一瞥して、バイクを空高くに浮上させる。
ふだんは静かなエンジンを、ブオン! 大きく吹かせて、一直線に城へ飛ばす。
雑貨屋の屋根のあたりを、彼女がいなくなってからも数秒見上げつづけて、小夜子は小さく息をついた。
「吸血鬼かあ……。会ってみたいけど、エチカがあそこまで釘を刺すってことは、本気でダメなんでしょうね」
もともと別の世界――地球の『日本』で生まれ育った小夜子には、『吸血鬼』なんてものは文芸作品かアニメ、マンガ、ゲームなどの登場人物で、危険性をどれほど説かれても『警戒』からは程遠い。親しみやすさすら感じるマスコット的な『キャラクター』でしかない。
のんきともいえる小夜子の独白に、頭の上にいるサラマンダーが、あきれたように首を振った。
つづく




