ホムンクルスについて-⑥
チョロチョロ!
懐中時計のならんだ商品棚の足元を、黒い影が横切る。
「ぎゃっ!」
シェリーは小夜子のうしろに回り込んだ。カウンターテーブルから外に押し出す。
「いたっ、いたわ! そっちの箱の陰!――きっと巣があるのよ、壁に穴があいてるもの」
シェリーの指す方を小夜子は見た。
錬金術師のロッドを握りしめ――
黒くて小さな動物が、チチ、と警戒するように立ちあがってあたりを見回すのに、拍子抜けした。
サイズは手を開いた形の大きさほど。全身を濃灰色と白の毛皮でおおわれた、『ネズミ』というよりは『ハムスター』といった造形の、目もクリクリと大きな愛らしい動物。
「あんなにかわいい生き物が苦手なんですか?」
そろりそろりと近付く。スカートのポッケにしのばせた駆除剤を使うのも哀れになり、小夜子は長テーブルにかくれるシェリーに訴える。
シェリーは頬をふくらます。
「そりゃそうよ。いーい? サヨコ。あれは〈アーリマウス〉っていって、全身から肺病の瘴気をバラ撒くし、口から虫を吐いて、しかもそれは人間に寄生するのよ。内臓をちょっとずつ食べられちゃうの。病院に行ったら治るし、このご時世瘴気にあてられることはほぼないけど、気持ち悪いわ」
「すぐ殲滅します」
小夜子は虫がキライだった。
とはいえ全ての虫がキライなのではない。『カブトムシ』や『クワガタ』、『チョウチョウ』、『バッタ』など、見てくれの悪くないムシは問題ないのだが、夏場に出てくるカサカサ動くあの虫(名前を出したくもない)や、ムカデ、クモは、イラストでだって拝みたくない。芋虫の類だってそうだ。いくら「これはカブトムシやチョウチョの赤ちゃんですよ」と説明されたところでダメだ。赤ちゃんなら赤ちゃんらしく、カブトムシやチョウチョが小型になって、おしゃぶりつけてオムツをはいて出てくるのが礼儀だろう。ヨダレ掛けまでつけていたらなお良しだ。
小夜子は迅速に動いた。
〈アーリマウス〉も、店内に満ちた殺気に反応して駆け出す。
小夜子は杖の先で穴のあいた壁を叩いた。
変成の煙と共に格子状の柵が作り出され、突如出現した隔たりに、ネズミは行く手をはばまれる。
『キキュッ!』
窮鼠猫を噛む。とはいったもので、〈アーリマウス〉はキッ! と小夜子に向き直ると、小さな口をいっぱいに開けて何かを吐いた。
「――――!!」
毒虫だ。
形容しがたい悲鳴を、引き結んだ口の中であげて、小夜子は自分でも信じられない集中力を発揮し、錬金術師の杖の先端でダンゴムシ状の虫を打ち返した。
変成の煙が上がる。
虫は火に包まれた。
内部の水分子を摩擦させて熱を発生――『火』は熱の形態のひとつであるからして、上がりすぎた熱が思わず発火現象にまで達してしまったという具合だ。
(焼いて死ぬ虫であることを祈る……!)
涙目で、床でメラメラ燃える寄生虫を睨みつつ切望する。
火は延焼することなく小さくなり、消えた。黒い灰は動く気配を見せない。
血走った少女の眼差しに、ネズミのモンスターも冷や汗をかいていた。反抗はやめて、別の逃げ道を模索する。
ダッ! とネズミは走る。
生きる道を求めて。
「このおっ! 逃がしませんよ!」
小夜子は杖をひっくり返して床をたたいた。
地面から紐が生えのびて、一瞬ひるんで動きを止めたネズミの頭上にカゴを作る。
ドーム状の覆いが、ネズミを完全に閉じ込めた。
『キッ、キュー』
四方八方、逃げ道がないと悟ったネズミが、しおらしく三角形の耳を垂れさせる。うつむいた姿が、耳の形とあいまって、やはり『ネズミ』というより『ハムスター』を連想させた。
小夜子はゆっくりと近づき、しゃがみ込む。網目の小ささから、これならまた虫を吐かれてもこちらまで飛んでくることはない。
ポケットから出した薬を、小夜子は瓶のラベルに書かれた用法、用量を守って使った。
瓶から一粒取り出し、こまかい網目からころがし入れる。
〈アーリマウス〉は、フンフンと与えられた粒を嗅ぎ、「ごはんだ!」と認識した。
飛びついて、カリカリと食べはじめる。
そうして無心に食べている様は、やはり可愛らしい。
『キギュッ!……』
ネズミは泡を吹いて倒れた。
全身から白い煙が立ちのぼる。内部から溶かしているのだ。
即死したネズミの死骸は、あっという間に焼けて粉になった。体内で飼っている――そして敵に吐く――虫も、おそらくはまとめて灰燼に帰した。
「けっこう酷い薬品だったんですねえ」
立ち上がり、薬瓶をながめながら小夜子は間延びした声を出す。
「そう言う割には余裕のありそうな表情よね、サヨコは」
「気のせいですよ。あ、一応、巣のありそうな所にも撒いておきますね」
小夜子は壁につくった柵の方に歩いていき、しゃがんで丸薬を数粒ころがした。
数秒後。
奥でいくつかの悲鳴が聞こえ、白い煙が格子状の柵から幾筋も噴き出し、静かになる。
ラベルには、死んだネズミの粉をまた巣のネズミが食べて、毒がまわって死滅させると書いてあるから、仮に生き残ったネズミがいても、これで仕事は完了したと言っていいだろう。
「これで手順通り。もう大丈夫だと思います」
「おつかれさまー」
テーブルの向こうから出てきたシェリーが、ネズミのシルエットを取る白い粉末を見下ろす。
「あとのことはやっておくわ。安くで退治してもらったんですもの。掃除くらいはね」
「いいんですか?」
「ええ」
シェリーは待機中に用意していた硬貨を一枚、小夜子の手に握らせた。
「ありがとう、サヨコ。今日はあなたが来てくれて良かったわ」
やわらかく笑うシェリーに、なんだか褒められた気持ちになって、小夜子は赤くなった。
が、照れくささはある後悔で一気に吹き飛んだ。
「失礼を働いたのにですか?」
「気にしないでって。錬金術師との付き合いかたくらい、心得てるわ」
消気る小夜子の肩をたたき、シェリーは掃除道具を取りに行く。
階段下に木製の扉があって、そこが収納スペースだった。
「ああ、そうそう。『もし』よ。『もし』あなたのお師匠様に文句を言われたら、『だったら自分で行け』って言い返しなさい。何も言われなければ、それに越したことないんだけど」
忠告めいたシェリーの言葉に、小夜子はただ「はあ」と返した。
「あの人はわたしの師匠じゃありません」と訂正するのもめんどうくさくなり、別れのアイサツをして、居候している雑貨屋に帰る。
◇
シェリーの予言通り、エチカは文句を言ってきた。報酬があんまりにも少なすぎるというのだ。
「なんで金貨じゃなくて銅貨なのよ! しかも一枚!! ナメとんのか!!」と、ケタが四つは違うらしい。
小夜子が「じゃあ次から自分で行ってくださいよ。駆除の相場ってわたし知らないんですからっ」と言い返すと、抗議のダイヤルの手を止めて、彼女はただうなだれただけだった。
この時になって、小夜子はどうしてシェリーが自分に「あなたが来てくれてよかった」と言ったのかを悟った。
言われた瞬間は、ただ嬉しいだけだったが、
(強かな人だなあ……)
ようやく一杯食わされたことに気がついた。
しかしもう手遅れだ。
おわり




