6ページ目:急性結膜炎
連日の暑さで体調を崩す人が増えていますね。
皆さん、水分補給忘れずに。
年代が判明してしまうけれど、僕が小さかった頃は花粉症やアレルギー等の診断、そして一般的な周知は現在ほどではなかった。
そんな知識も浸透していない時代に僕は小学生であった。
小学2年生の春先、目を覚ました僕は目を開けているはずなのに世界が暗い!なんじゃこりゃ!という不思議体験をした。
なんと、僕の左右のお目目が起きても目を開けることができないくらい目やにでガシッと固まってしまっていたのだ。
驚いた母親に眼医者さんに担ぎ込まれるという行事が発生してしまったのである。
忘れもしない月曜日の朝、給食にミルメークが出るぞ!ヒャッホウ♪と学校へ行く気満々だった月曜日の朝に、、、である。
あまりの目やにっぷりにおののく母親。
顔を洗って目やにを落とし学校へ行こうとするバカ息子。
小学生のミルメークと言えば、万難を排し臨むに等しい価値のあるものである。
目やにごときでは到底諦めることはできないのである。
しかしながら、母親という権力者を前にしては物理的にも精神的にも小学生2年の僕では彼女を出し抜くことができず、半ば引きずられるように眼医者さんに連行されたのである。
当時は「眼科:がんか」というよりは、「眼医者:めいしゃ」という呼び名が一般的であったように思う。(たむたむ。のお年頃が知れてしまうエピソードである。照)
母:
「○○眼医者さんの『大』先生は『皆』診てもらってるからとりあえずそこへ行こう」
ということで、地元では有名な眼医者さんへと向かったのである。
敏い皆さんはお気づきであろう、この年代においての『大』先生、そして、その時代における『皆』論である。。。
僕が現在に至るまで抱えることになる眼医者さん怖い怖い病はここの『大』先生により植え付けられたトラウマである。
そう、僕は歯医者さんより眼医者さんがとてもとても数倍どころではなく数十倍苦手である。
それというのも、着物に白い割烹着姿のおばあちゃん大先生が急性結膜炎だねーと呑気に母親と話しながら、僕の目玉に何の予告も告げずにびゅーーーーっとホウ酸水をかけながら夏のスイカ、もしくはナマコのコノワタのようにむしゃくしゃに目玉を洗ったからなのである。
あの時代にお医者さんであるという時点でかなりの女性であることは間違いないのであるが、思い切りが良すぎる大胆な大先生の処置は、今でも思い出しただけでゾワッとし目をギュッと瞑ってしまう(泣)
『皆』が大先生のところを何だかんだ頼りにしていたのにはしっかり理由があって、あんなに高齢でありながら新しい知識と治療法をどんどん取り入れて進化している様が皆の尊敬の念と信頼を集めていたのだろうと思う。
そんな「大」先生が、母に当時の先端情報である花粉症やアレルギー等の情報を伝授し、現在で言うところのアイ○ンのようなもののお手製版の作り方の指南を受け、言われた通りに洗浄と点眼をし、お見立て通り1週間程度で元通りのお目目へと復活したのである。素晴らしい。大感謝。
その後、春先になり目薬のみを貰いに数年通ったが、中学生になる頃には天国なのか極楽なのか大先生は居住をそちらへと移された。
女性の社会進出の先駆けとも言える大先生の記憶をここに残します。
余談
その後人生で数度眼医者さんに行ったのだけれど、なぜかおばあちゃん先生に遭遇する僕。おそらく大先生の呪いが目玉にかかっているのだと思われる。←失礼。
最近もおばあちゃん先生(その先生も大先生と呼ばれていた)に目玉をぐりぐり洗われて悶絶した件はまた後日別に記したいと思う。