囚われの身 脱出 ヴァイオレットSide(2)
「メロ伯爵夫人、このようなところで何を?」
男の険悪な鋭い声が響き、しばしの沈黙が漂った。
私は必死で念じたが、頭の中はしんと静まり返っている。ヴァイオレットは剣術を習得していない。富子が習った護身術は中学と高校の授業で習った柔道ぐらいだ。
――中世に柔道?
私は体育の時間のジャージを頭にイメージした。野武士でもいい。イメージは突然襲いかかるあやつらだ。ドレスの下に高校の時のジャージを履いて、リラックスしているイメージを脳内でした。
――できる!できる!できる!
私は無言でジゼルの前に飛び出した。男の手に掲げていたランプを一撃で払い落とした。その衝撃でジゼルとカトリーヌが「きゃっ」と叫んで後ろに下がってできたスペースを有効利用して、男をブン!と背負い投げした。
――体育の野村先生、ありがとう!上手くできました!
私は高校時代の筋骨隆々で逞しい体育担当の野村先生の面影に心の底から感謝した。
しかも、ヴァイオレットは、私が日記に記した通りに体の鍛錬もこの一年間怠らなかったようだ。
――褒めてつかわす、17歳のヴァイオレット!
私は心の中で自画自賛した。
「すごいわ。今のはスキルじゃないわよね?」
「違うわ。素手よ」
聖女カトリーヌ素朴な疑問に私は答えながら、地下牢の廊下に伸びた男の人相をじっくりと見ようとした。男はうめいている。男が起き上がろうとした瞬間に、男がやってきた方から突然黒い影が現れて、男の頭をランプで一気に叩いた。男はうめいて横たわった。
「あら、ソフィー妃かしら?」
「あらあら。これはこれはジゼル、夫の麗しい愛人がなぜこんな小汚い地下牢の廊下をうろついているのかしら?」
「お美しい限りのソフィー妃こそ、ヴァイオレット聖女を亡き者にしに来たわけじゃないですよね?」
「失礼ですわね。いくら妃の座を奪われるからと言って、そんな陰険なことはしないわ。わたくしをなめないでくださるかしら。私は王位を追われて辛酸を舐めた元国王の家族という、悲しき貧しさに十数年耐えた身よ。妃の座にしがみつくためだけに、心に恥じるようなことはしないわ」
どうやら、やってきたのは今度はカール大帝の妻のソフィー妃のようだ。ジゼルはカール大帝の公妾のようだ。
――妃と愛人が二人して私たちを助けにやってきた?
――どうなっているの?
「それにしても、この男はあなた達が倒したの?この男は夫の乳母シャーリーンの手下よ」
ソフィー妃の問いかけに、愛人のジゼルがツンとすまして答えた。
「聖女は素手でクマをも投げ飛ばせるようよ。スキルは使えないのに、自力でこのクマのような男を投げ飛ばしたわ」
「ま!その術は是非わたくしも今後のために習得したいですわ」
二人は仲が良さそうに話している。
「あの、お言葉ですが、そろそろ逃げないと」
たまりかねた聖女カトリーヌが妃と愛人を制すように割り込んだ。褐色の肌に血の気が戻ってきている。
「そうね。ここで油を売っているわけにはいかないわね。さあ、急いで逃げるわよ。みなさん、こっちよ」
ソフィー王妃が張り切って足早に地下牢脱出のために歩き始めた。男に投げつけたランプを拾い上げ、何事もなかったのように歩いている。
そう言えば、前の人生でも噂で大層美しい伯爵夫人がカール大帝の公妾だという話を聞いたことがあった。それがジゼルということになる。妃のことは聞いたことが無かったが、なかなかの豪傑のようだ。
息を張り詰めていた私はフーッと息を吐いた。後ろにいるカトリーヌも安堵のため息をついている。
「さっき夫の乳母のシャーリーンのところの術師にお酒を飲ませたのよ。とっても高くて貴重なお酒を仕方ないから振る舞ったのよ。聖女2人を拉致するなんて許せませんから。今はぐっすり寝ているわ」
「あら、私はカール大帝にも飲ませたわ」
「愛人よ、よくやりましたわね。あなた、素晴らしい働きよ」
「お妃様も頑張りましたね」
「当然よ」
「さっき仰っていたことですが、私も貧しい村に住むお針子の私生児として育ったので、私も愛人の座にしがみつきはしませんわよ」
「あら、あなた気が合うわ」
「今更ですわ。お妃様」
二人はヒソヒソとそんな事を話しながら、曲がりくねった地下牢のような場所を歩いて抜けた。
聖女カトリーヌを始め、ソフィー妃、愛人ジゼル、私と貧しさに耐えぬいた女性4人で脱出しているさまは、心強いものだった。
そのまま私たちは地下室を抜け出した。外はとっくに日が暮れていた。
どうしても私は聖女の力を取り戻さずに、ニホンに帰るわけには行かない。17歳のヴァイオレットをこの状態でここに残すわけには行かない。私はヒューの死でショックを受けた自分を立て直す必要がある。
17歳のヴァイオレットには無理だろう。
でも、私は父の死にも、その後の貧乏生活にも一応たくましく耐えて生き抜いてきた自負が支えだ。どんなにヒュー王子の死がショックでも、私なら立ち向かえるはずだ。あらゆる苦難を乗り越えてここまで来たのは私なのだから。
――初恋の人の死。私の初めてを捧げた人の死。
私の心がまた震え始めた。
――いけない。
ソフィー妃に厩まで案内されて、彼女に言われて大急ぎで馬車が準備され、ソフィー妃と愛人ジゼルも一緒に乗り込んで、すぐに宮殿を出た。
「あなたの継母ルイーズはヴェジューランダ伯爵領地から採れた食糧しか使わないように料理人に命じていたでしょう?」
「ええ、なぜそれを?」
「悪い奴は食糧に仕込むのよ。今朝、やっとあなたの口にヴェジューランダ伯爵領地以外で取れた野菜が入ったのよ。昨日から継母ルイーズは寝込んでいなかったかしら?」
「そうだわっ!今朝、ルイーズは寝込んでいたわ。だから料理人ベスは、他の地のもの試しに使ったと言っていたわ」
「それが、あいつらの狙いよ。あなたの屋敷はずっと見張られているの。バリドン公爵邸は、一定時間を経つと力を失うように仕掛けられた食糧を売りつけられていて、今日たまたま継母のルイーズが寝込んでいたから料理人はいつもと違う食材を使ってみたのよ。他の人は何も感じないわ。スキルがある者にしか影響は出ないものらしいわ」
私は絶句した。継母ルイーズの奇妙なこだわりと我儘によって、私はずっと守られていたことになる。
「私がヒューを救えないようにあらかじめ仕組まれていたということなのね」
私の喉の奥から奇妙な音が漏れ出た。多分、嗚咽だ。
「まあ、そうね。あなたがヒュー王子と結婚すると困るのよ。あなたが力を持ったままだと、ヒュー王子を楽々と救えるわね。あなたがダメだった時の保険で聖女カトリーヌ、あなたも連れてこられたのよ。カトリーヌ聖女も最近、力が出なかったんじゃないのかしら?」
ソフィー妃の言葉にカトリーヌは驚いたようにうなずいた。
「食べ物に仕込まれていたのですね!私の母は誰か親切な人が食糧を安く分けてくれたと言っていましたが、そういうカラクリだったのね」
「そうなのよ。カール大帝は、つまり私の夫は、私と離婚して聖女と結婚するつもりよ。ヴァイオレットか、カトリーヌ。あなたたちのうちのどちらかとよ」
カトリーヌとソフィー妃のやり取りが、遠くに聞こえる。
――そんなことでヒューは死んだのか。
「許せないわ」
私の声は震えた。
「ね、それよりあなたの包みは何かしら?」
私は尋ねられて、ハッと自分の手をみた。料理人のベスがくれたチョコレートの包みを手にしばりつけていたのだ。コーヒーはカトリーヌ聖女が持っていてくれた。ワインを入れる革製の水筒に、ベスがコーヒーを入れてくれていた。コーヒーは水とコーヒー豆だから、妙な食材は使われていないだろう。コーヒー豆は海を渡ってきて貿易で入手したものだし、カカオも砂糖もそうだ。
私は包みをあげて、チョコレートを皆に少しずつ分けた。
「あら、これがバリドン公爵家のチョコレートというものね?」
「まあ、食べたかったのよ」
私たちはソフィー妃と一緒にコーヒーの水筒を回し飲みして、チョコレートと一緒に食べた。コーヒーは冷えていたが、興奮させる媚薬のような刺激を私に与えた。
口の中でとろけるチョコレートに、しばし皆呆然としていた。美味しすぎた。頭の中がショートしたような感覚に陥り、どういうわけか、私はショッピングモールのフードコートで目の前に魔導師ジーニンとヒューがいるような錯覚に陥った。
「ステータスオープン」
私は魔導師ジーニンにバイトのタスクとして催促されたような感覚に陥り、無意識に言葉を発していた。
「出たわ!」
私の頭上には数百ものスキルがずらずらと出現した。私はカトリーヌの方を見た。
『Lvl721の解毒術を使いますか?』
「使います」
頭の中で声がして、私は思わず即答していた。
『解毒しました』
「カトリーヌ、あなたの解毒が完了したわ」
私はカトリーヌに静かに告げて、カトリーヌは私に思わず抱きついてきた。
「ヴァイオレット!あなた凄いわ!ステータスオープン!」
カトリーヌの頭上にスキルが燦然と出現するのを私たちは見つめた。私たちは抱き合った。
「助けてくれたお礼に、あなた方二人に今すぐに身を守るバリアを授けます」
私はレキュール辺境伯エリオットにしたように、ソフィー妃と愛人ジゼルにバリアをはった。私はまもなくニホンに戻る。残るのは17歳のヴァイオレットだ。スキルさえ取り戻せば、ヴァイオレットは敵と戦えるはずだ。
ここが、カール大帝の宮殿だということは分かった。犯人は突き止めた、と思う。
「あなたの身近に本当の敵がいる……」
『擬魂追跡術の結果が出ました。レキュール辺境伯を狙ったのは……』
ソフィー妃の言葉と私の頭の中で、レキュール辺境伯を刺した時のジョセフに入っていた魂の追跡結果を伝える言葉が重なって聞こえた。
しかし、最後まで私には聞こえなかった。
◆◆◆
私はゆっくりと目を開けた。目の前に魔導師ジーニンが立っている。アパートのひまわりの花の前に彼は立っていて、横にサミュエルがいた。純斗も憔悴した表情で立っている。
「ヒューは?」
私は掠れ声で聞いた。周りを見渡すと、ヒューの姿は見えない。
「消えました。お嬢様。これはどういうことでしょう?」
魔導師ジーニンは人生1回目の延長上に生きていて、私が人生2回目で変えた結果をまだ知らないようだ。
「ヒュー王子が死んだ。私のせいよ」
私は肩を震わせて泣いた。私が救うべきところで救えなかったのだ。ダメな聖女だ。
「ヴァイオレット、お待たせ」
突然、爽やかな声がして、私は涙にかすんだ目で声の方を見つめた。いつも私を盗撮している中学生がスマホを掲げて立っている。
――嘘でしょう!?この子がヒューなの?
「違う違う、こっちだよ」
その盗撮小僧の中学生の隣に、爽やかなイケメンがスーツを着て立っていた。見たこともない人だ。後に停めてあるのはポルシェの車だ。ヒューのポルシェとは少し違うがとても似ていた。
一陣の風が私たちの間を吹き抜けた。
大家さんが育てているブルーリバーとピンクリバーのスーパートレニア カタリーナの涼やかで爽やかな花が風に吹かれて可憐に揺れた。




