さようなら、マルグリッド(2)
「侍女もあなたも、大の大人が殺人を目の前にしたら止めなさい!高みの見物を決め込んでいたなんて信じられないわ。私は容赦しませんわよ」
私は侍女も男も3人まとめて泥だらけの沼に落とすと決めた。
マルグリッドのドレスの背中の襟口をガシッとつかんだ。
「そこの二人も死にたくなければ歩きなさいっ!」
私の腹の座った言葉に「ひぇっ!」と奇妙な声をあげた侍女と男はそろそろと歩き始めた。マルグリッドは暴れそうになったので、足を蹴って差し上げた。
伯爵令嬢は人に蹴られたことが無いのだろう。私はヴァイオレットそのままの渾身の力で、マルグリッドの綺麗に整えられた髪の毛を引っ張った。
痛いっ!よしてっ!ごめんなさいってばっ!
マルグリッドは泣き出した。
「まっすぐ歩きなさいっ!」
3人は私の剣幕に恐怖の表情を浮かべて歩き始めた。造園中の泥だらけの沼の前まで来た時、3人はキョトンとした表情を浮かべていた。
お仕置きでここで何をされるのかさっぱり理解できないようだ。あいにく、私は一度殺されている。殺人は嫌いだ。
「あら、こんなところに埃がついていらっしゃいますわっ!」
私はそう言って、ドンっ!とマルグリッドの背中を押した。侍女と男の背中も。
ギャッ!
3人は悲鳴をあげて泥だらけのぬかるみに顔面から落ちた。バタバタして起き上がり、顔や髪の毛について泥を落とそうとあがいている。本当の沼では無いから余裕で歩けはする。3人はゾンビのようにこちらに歩いてきた。
マルグリッドは反省の色も無く、池のように縁取りされた固い部分に足をかけて泥だらけの顔を出して、あられもない姿で上がってこようとしてまだ悪態をついた。
「このやろうっ!この不細工なバリドンめ!」
私はその顔をじっくりと眺めた。
――彼女には反省の色も無いようだわ。私を殺そうと矢をあれほど射るように命じたことが本人にバレたのに。
私は腕組みをして泥だらけで顔を出したマルグリッドを見据えた。
「ね、マルグリッド伯爵令嬢、あなたは猿を知ってらっしゃる?」
「へ?あの堕ちた人間のシンボルのあの猿?」
マルグリッドは意表をつかれたらしく、キョトンとした表情をした。
「そうなの。あれでございますわ」
――私が育った国では誰でも知っていますわ。良くない行いをしたら頭にハマった輪っかが締め付ける罰を受けた猿のお話でございますわ。
私は自分がしていた豪華な腕輪を外してマルグリッドに歩み寄った。
「手を出してくださる?泥のお詫びにこちらを差し上げますわ」
マルグリッドに逆に腕をつかまれて私が泥に落とされるのを用心しながら、私は慎重に近づいた。ドッキリ番組の見過ぎかもしれないが、彼女ならしかねない。
私はマルグリッドが差し出した右手にそっと腕輪をはめた。少し私の手にも泥がついたがそんなことはどうでもよかった。
「Lvl擬態512の擬態とLvl1561の拘束力とLvl14328の思考解析力を使いますか?」
「全て使います」
私は頭の中で言った。
そこにルネ伯爵と伯爵夫人が転がるように走ってやってきた。2人とも真っ青で心臓発作でも起こしそうだ。
「うちの使用人が告白しました。大変申し訳ございませんっ!」
2人の後ろから若い男性が走ってきた。20代くらいで、どことなくマルグリッドに似ている。私は兄のポールだと推測した。
――ちょうどよかった。みんなまとめて震え上がらせてあげましょう。私は聖女なんかじゃない。あいにくやられっぱなしで黙って放置できるような人間じゃないわ。
皆の後ろからジョセフが腕を捻りあげるようにして、弓を放った男を引きずってくる。男が逃げようとすると、鉄製フライパンで頭を軽くこずいていた。
何があっても私たちは殺人はしない。
「マルグリッド嬢は私の妹であるバリドン公爵令嬢アンヌの2歳の誕生日で、私に火傷を負わせようとして侍女を使いました。今日は、私を弓で射る殺人を行い、私が不慮の事故で死んだことにすることを企みました。その使用人から聞くとよいですわ。私は彼女が16歳であろうと、これは立派な殺人未遂だと思います。私が気をつけなければ、殺人が成立してしまっていました。私はこれを決して許しません。今後、二度と彼女がこのようなことができないようしたいと思います。ルネ伯爵と伯爵夫人、よろしいですね?」
私は真っ青で震えている伯爵と伯爵夫人に聞いた。二人ともほんの数時間で一気に歳を取ってしまったようだ。げっそりやつれている。
「はい、二度とそのようなことが無いようにします。しっかりと娘を監督して、罰して……」
私は遮って最後まで言わせなかった。少々、気が短くなっていて大変申し訳ない。
「そうですわ。罰を与えませんと。彼女が今後二度と悪いことを考えられないようにしましたわ」
私は身を翻して颯爽と歩いて帰ろうとした。
泥だらけの顔で池の淵に足をかけていたマルグリッドは「不細工め!覚えていろよっ!」と捨て台詞を小さな声で吐いた。
私が振り返ると、途端に子ブタが現れていた。私があげた腕輪をはめた泥だらけの子ブタだ。可愛いと言えなくもない丸々と太った子ブタだった。
「その腕輪は取れませんわ。殺人を犯そうとするほど彼女が殺意を抱くと腕輪が教えてくれるのです」
私はにっこりと微笑み、子ブタになったマルグリッドに皆が悲鳴をあげている中、ジョセフに合図をして歩いて帰ろうとした。ジョセフが腕をつかんでいた使用人は力無く腰が抜けたようにへたへたと地面に座り込んだ。
「マルグリッドなの!?」
「お前はマルグリッドか!」
「マルグリッド、悪い考えは今すぐにやめなさいっ!」
伯爵と伯爵夫人と兄のポールが子ブタに必死で話しかけていた。素直に反省すれば元の姿に戻るが、彼女が犯罪を伴う強烈なあくどい悪巧みをした瞬間に再び子ブタになるだろう。
さあ、サミュエルの待つ馬車まで戻りましょう。慌てて水の入った桶を抱えて出てきた侍女から私は水を少しわけてもらった。その水で手についた泥を綺麗に落とした。
数日経って彼女が十分に反省したら、今後強烈な悪巧みをしたら子ブタではなく可愛いウサギになるはずだ。武士の情けだ。
気分は爽やかだ。これで、私の死亡フラグのうち一つはクリアしたのではないか。
純斗ことジョセフと私はハイタッチした。
余談だが、ジョセフが持ち帰った鉄製フライパンにはベスが大喜びしてくれた。料理の改善にも貢献できたようで何よりだ。




