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死亡フラグとルネ伯爵家の乗り込み

「バイト代67万円だ」


 ヒューに振り込まれた金額をスマホ上で私は目を皿のようにしてみた。私の銀行アプリには、しっかりと胸踊る67万円の数字が並んでいた。


 素晴らしい輝きを放って67万円と読み取れる。私はゼロの数を心の中で数えた。もう一度声に出してゼロの数を数えた。


 一、十、百、千、一万、十万、六十七万円!


 うわぁっ!素敵だっ!

 最高だ!


 夏のセミの鳴き声が一瞬遠のいた。涼風が私の心に染み渡ったかのようだ。


「ありがとうございます」


 神様、ありがとうございます


 私は涙が出るのを抑えられなかった。これで大学を辞めなくてすむ。ファーストフード店のバイト代で来月の家賃は払えるだろう。まだ食費はギリギリだと思う。しかし、私はなんとか前に進めるようだ。


 私はリュックの中から大学の事務局の入金先口座が記載されたプリントを取り出してすぐさま銀行アプリで振込をした。


 ちなみに、あれから近所の中学生男子が私のことを「聖女さま」と言って暇さえあれば付きまとっている。


 マスコミは落ち着いていたが、スキルを発動してしまう事態は限りなく抑えなければならない。誰が見ているか分からないから。



 今日の大学の講義は朝からだった。私たちは今、大学の構内にいた。純斗がこれから私たちに合流する。魔導師ジーニンはいつものフードコートで待っているはずだ。


 爽やかな青色が特徴のブルーサルビアがあちこちに咲いている中、純斗が私たちに向かって歩いてくるのが目に入った。ちりめん状のピンクや白のサルスベリの花が鮮やかに咲く木陰で私たちは合流した。


 軽く昼食をとって、その後16歳の終わり頃のヴァイオレットに戻るのだ。


 青空を見上げると、入道雲が見えた。夏休みもきっとバイト三昧だろう。でも、私の心はかつてないほど明るかった。お金が手に入って必要な支払いができて、この生活をかろうじて続けることができそうだということが明確になり、最高の気分だった。春の煌めきも夏の煌めきもいっぺんに私に押し寄せてきたかのようで、青春の煌めきもいっぺんに押し寄せてきたかのようだった。


 純斗は私の顔を見つめて、一瞬見惚れたような表情をしたかのように思った。でも、気のせいだ。私の気分が最高だから、私の感覚が変なのだ。


「大学を続けられるの!」


 私は純斗の腕を取り、フードコートまで走った。夏のセミの声が聞こえる中、暗い道に明かりが差し込んだかのように、私は晴れ晴れとした気分だった。


 フードコートで魔導師ジーニンは私たちに異世界転生アルゴリズムを発動した。私のスマホはその瞬間を記憶した。私と純斗が目を瞑っている間、私のスマホの動画はその瞬間を連写で記録し続けた。私が目を瞑りながら、カメラアプリのボタンを推したのだ。




◆◆◆


 目を開けた。とても静かだ。

 ヴァイオレットの部屋だ。また戻ってきた。ベッドから起き上がって、素早く鏡を確認した。やはり16歳の頃のヴァイオレットのようだ。窓から差し込む日差しは朝の日差しだのようだ。間もなく侍女のアデルが私を起こしにやってくるだろう。


 ボルディ商社が陛下の庇護を受けて、交易を盛んにできる状態になったか確認しよう。それからマルグリッドだ。いずれにしてもルネ伯爵家に乗り込む必要がある。ついでにマルグリッドの兄のポールに会い、アルフレッド王子にも会うのだ。


 私は忙しい。


 純斗は一体どこにいるのだろう?一緒にこの世界にやってきたはずだ。私はスマホを手にうろうろと部屋の中を落ち着かない思いで歩き回った。早く合流しなければ。この世界に慣れていない純斗は危険な目にあう可能性がある。


 ひとまず私は顔を洗って、身支度を整えた。蛇口をひねれば水が出るのとは訳が違うので、戸惑うが、私は元々この世界の人間だ。用意されていた桶に水が入れられている。アデルが昨晩用意してくれていたのだろう。


「ヴァイオレットお嬢様、お目覚めですか?」


 部屋がノックされて侍女のアデルの声が聞こえた。私はスマホをサッと後ろに隠した。


「起きているわ、アデル。おはよう!」


 私は勢いよくドアに駆け寄り、ドアを開けた。アデルは白っぽいエプロンをつけている。




「おはようございます、お嬢様。まあ、もう身支度なさったのですね。朝食の準備はできていますわ」


「ありがとう。食堂に行くわ」


 私は急いで純斗を見つける必要があるので、足早に食堂に向かった。歩きながら周囲に気を配る。広大なバリドン侯爵家の屋敷のどこかに純斗がいるはずなのだ。私の位置からそう遠くないところに純斗はいるはずだ。


 若い従者が一人すっと私に近寄ってきた。彼はどことなく見たことがある顔だ。


「ヴァイオレットお嬢様、おはようございます。うまく行きました。純斗だ」


 最後の『純斗だ』は私だけ聞こえるようなささやき声だった。私はハッとして若い従者を見上げた。本当に純斗なのか分からない。


「アパートの名前は何ですか。フランス語で一番厳しい教授の名前は何ですか。」


 私たちにだけしか分からない質問を私は小声で早口でした。心臓がドキドキする。これが、この世界の者ではない者を引き入れてしまった罪の意識なのだろうか。やってはいけないことをやってしまった背徳の感がある。


「アパートはヴィラ・ヒルデガルドで、フラ語は大塚教授だと思う」



 従者は端的に素早く答えた。私はハッとして彼を見つめた。彼は私にうなずいてにっこりと笑った。


「あぁ、ジョセフ!ちょうど良かった。こっちを手伝ってくれ」


 執事のハリーに呼びかけられて「じゃあ、ジョセフは行く」と私にささやき、彼はサッと私から離れた。


「はい、今行きます!」


 ジョセフこと純斗は素早く身を翻して執事のハリーに足早に駆け寄って行った。


 私は食堂の席につきながら、家庭教師のパンティエーヴルさん、継母のルイーズ、アンヌ、祖父、バリドン公爵である父と共に食事を取った。料理番ベスは私のために今日は焼き菓子を焼いてくれるらしい。私が聖女に確定した騒ぎに伴って祖父は完全に父に爵位を譲っていた。私が聖女になったのを見届けられたことで、大満足したようだ。


「ヴァイオレット、陛下から来た結婚の申込だが……」


 私はここで思いっきりむせた。スープが気管に入ってしまったようだ。咳き込みが止まらない。


「大丈夫ですかっ!お嬢様!」


 侍女のアデルがオロオロしている。継母のルイーズも気遣わしそうに私に駆け寄り、背中をさすろうとした。


「だ……だいじょうぶです」


 私はなんとかむせるのがおさまり、深呼吸をした。父のバリドン公爵の言葉が気になる。


 ――いきなり結婚!?私はまだ16歳のはずだ。あぁ、マリーアントワネットは14歳でフランス王妃となるべく花嫁になったのだった……。


 色々終わった気がするのは気のせいだろうか。詰んだ、という表現がよりふさわしい気がする。


「その……夫となるのは……」

「あぁ、ヒュー王子は快諾したそうだ。素晴らしいことだ、ヴァイオレット」


 素晴らしくない。16歳で早速死亡フラグが立ったということではないだろうか?


 私はルネ伯爵家を牽制する必要がある。


「ヒュー王子は条件を出しましたよね?」


 私は何気ない様子でパンを口に放り込みながら、父に確認した。


 ――早く食事を終えてルネ伯爵家に乗り込もう。


「あぁ、この結婚は内密にするという条件だな?もちろん、飲んだ。ヴァイオレットもそのつもりで良いな?」


「もちろんでございます、お父様。決して漏れてはならないことですわ。結婚の約束はしましたが、それも内密にして、結婚式は2年後にしてください。私の18歳の誕生日まではお待ちいただきたいです。いくらなんでも早すぎます。聖女としてもまだまだ鍛錬を積みたいですし」



 私はマルグリッドがこのことで黙っていないだろうと予測できたので、一刻も早くジョセフこと純斗と一緒にルネ伯爵家に乗り込みたかった。早口で話しながら食事を終えようと急いだ。


「ヴァイオレット、振る舞いを正しなさいっ!」


 継母ルイーズが私の食べ方の速さに目くじらを立てた。当然だろう。だが、今は自分の命が惜しいので一刻も急ぐのです、とは言えなかった。腹が空いては戦ができぬ。これは富子側の意見だ。


 そうだ、もう以前のヴァイオレットではない。私は一度死んでいる。たくましさと戦い方を少しは身につけて不死鳥のように舞い戻ったヴァイオレットだ。


「ごめんなさい、お母様。今日は急ぎの用事がございまして」


 私はそれだけ告げると、父と母に謝ってサッと食堂を後にした。


「ジョセフは何をしているかしら?」


 途中で出会った執事のハリーに私は尋ねた。裏で薪割りを手伝っていると言われて、私は急いでバリドン公爵家の裏庭に向かった。


 彼の予想通りに死亡フラグがヴァイオレットに立った件を急いで報告して、御者のサミュエルに頼んでルネ伯爵家に行こう。マルグリッドに正面から対峙しよう。


 今日は忙しい日になりそうだ。空は快晴だった。






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