気持ちを確かめあう
私は20歳の自分に戻ってきた時、目を開けると、フードコートのいつものソファ席に座っていた。
「おかえりなさいませ、ヴァイオレットお嬢様」
「おかえり、ヴァイオレット」
魔導時ジーニンとヒューに微笑まれて私はほっとした。
「やっぱり怖かったわ。ものすごく緊張した」
私は言葉少なに二人に伝えた。講義の時間まであと1時間は猶予があった。私はテキパキと新しく得た情報を伝えた。
「ひどい」
魔導師ジーニンは、私が火傷をする瞬間の動画を見て顔を歪めて憤っていた。
「わざとに見えるな」
ヒューがそう言うと、魔導師ジーニンも小さく頷いた。ルネ伯爵家の話題になり、マルグリッドの兄の話になり、アルフレッド王子とマルグリッドの兄が仲が良いのはヒューも知っていたが、改めて奇妙な偶然だという話になった。処刑される前、私が馬車で一緒に各地を回っていたのはアルフレッド王子だ。マルグリッドの兄と仲が良いという話はアルフレッド王子から一度も聞いたことがなかった。
大学の講義の時間が終わるとファーストフード店のバイトに行った。バイトのシフトを終えて外に出ると、ヒューが迎えに来てくれていた。私は嬉しかった。
そこからがいつもと違った。私の心は何もかも思い出して、ヒューに会いたくて会いたくてたまらない状態だった。婚約破棄を言い渡されて心をズタボロにされたのに、だ。
私はどうかしているのかもしれない。
純斗が報告を待っているかもしれないと気になって躊躇したが、ヒューを独占したい気持ちに負けた。
過去の自分に戻ってみると、余計に今のヒューに会いたくなり、ヒューに誘われるままにヒューのマンションの部屋に来てしまった。ここにくるのは初めてだ。
一つ分かったことがある。私はヒューがとても好きだということだ。同時に、やり直しても、また失敗するかもしれないという恐怖を感じていた。
ならば、今目の前にいる彼に気持ちを伝えて関係を先にめようと決めた。20歳の富子としても、18歳のヴァイオレットとしても、ヒュー以外に最愛の人はいなかった。
22歳のヒューに再会した後に今のヒューに会うと、余計に愛しさが増した。彼に触れたくて彼に抱きしめてもらいたくてたまらなかった。
これはズタボロにされた自分の記憶を上書きしたいだけかもしれないし、私の死後にマルグリッドがヒューに近づいたと知って、私がそのことで嫉妬にかられているからかもしれない。
「過去のヒュー王子はどうだった?」
ヒューは私に何気なく過去の自分のことを聞いていた。少しナーバスになっているようだ。
「ヒューは過去でも爆イケだった」
私は正直に答えた。
「何だ、それは」
ヒューは戸惑った表情をしたが、少し嬉しそうに頬を赤らめた。
ヒューは私にシャワーを使っていいよと案内してくれた。豪華な作りの浴室だった。タオルの場所を教えてもらった。着替え用にヒューの大きなTシャツを用意してもらった。
私は自分の気持ちを伝える必要がある。心臓はドキドキが止まらず、今にも死んでしまいそうなほど高鳴っている。
本当に良いのかわからない。
シャワーを浴びて出てくると、彼が「何か飲む?」と聞いてくれた。スパーグリングワインか炭酸水かアイスコーヒーがあると言う。
「スパークリングワインでお願い」
ヒューがグラスを持ってきてくれた。
「ありがとう」
私がそう言うと、嬉しそうにヒューは笑った。
私はよく知っているヒューがこんなに嬉しそうに気持ちをあらわにしたことが新鮮で不思議な気持ちになった。
私はバイトの雇い主としてこの2ヶ月つきっきりで私のそばにいたヒューを見つめた。私の記憶を取り戻すために、私を救うために、何も覚えていない私を前に彼はずっとヴァイオレットとその周囲の話を私にし続けていた。
感謝しかなかった。彼にされたことは辛すぎたが、それをほのかにカバーできる温かさを感じた。あんなに酷いことを言われたのに、私の心は彼が必死で私を戻そうとし続けてくれたことに愛しさと感謝の感情を感じていて、その気持ちがこの瞬間だけは全てを上回っていた。
私とヒューの仲を裂こうとした人に一矢報いたいという思いが全く無いとは言えない。どこかにその気持ちがあることは否定できない。でも今は、ただただヒューのそばにいたかった。
ヒューと乾杯して、よく冷えたスパークリングワインを飲んだ。クラっと世界が浮くような感じになった。
ヒューもシャワーを浴びに行き、私は窓の外の夜景を見ながら、馬車でヒューとあちこち回って楽しかった日々に思いを馳せた。
かつて愛し合って結婚まで誓った私たちは、キス以上の関係はない。結婚式までは御法度の時代に生きていた王位継承権第一位の王子とその婚約者の聖女だから。
気づくと、シャワーから上がり、濡れた髪のヒューが私の目の前にいた。スパークリングワインのグラスをそっと私の手からヒューは取り、机の上に置いた。ヒューの唇が私に向かってきて、私は応えた。
何もかもがとろけるような初めての感覚に私は飲み込まれた。
「ヴァイオレット、ずっとこうしたかった」
ヒューは切なそうな瞳で、ちょっと泣きそうな表情で、私を見つめて抱きしめた。
初めての感覚でどうしたら良いのかわからない。
本当は大聖堂で挙式をあげてから、初夜を迎えるはずだった私たちだ。やり直したいのか、ただひたすら結ばれたいのか、よく分からない。
ただただ、彼の胸に飛び込みたかった。
初夜の夜に王子の前にその裸身を初めてあらわす花嫁と同じ状態になった。そのまま優しく抱き抱えられて、ベッドに運ばれた。
彼の瞳はキラキラとして、頬を赤らめて私を見つめていた。この世界にいてもヒューはヒュー王子だった。
優しく髪を撫でられ、彼の唇が降りてきた。
ヴァイオレット、愛している……
私の何かはヴァイオレットのままだ。ヒュー王子に激しく恋をした18歳の公爵令嬢のまま。私の何かはヒューに惹かれた20歳だ。
ヒューの鍛え上げられた上腕二頭筋と胸板に男らしさを感じて、私は耐え難いときめきを感じた。嬉しくて恥ずかしくて胸が弾んで、私は震えてしまいそうだった。
濡れた髪の奥からヒューの瞳が煌めき、私を色っぽく悩ましげに見つめていて、彼の手と体温を直に感じて私はとろけそうだった。
「ヴァイオレット、僕は君が欲しいんだ」
ヒューは私に熱っぽくささやいた。
「君はまだ僕の花嫁になっていない。でも、君は僕の最愛の人なんだ。愛しているんだ、ヴァイオレット」
私たちはキスをした。
私はもっともっとヒューにふれて欲しかった。ヒューに全てを受けとめて欲しかった。私もヒューの全てを受けとめて感じたかった。
信じられないほど何かが満ち足りた気分だ。ヒューの何もかもが愛おしく思えた。
王子と結ばれるということは、何を意味しているのか知っている。これが初夜ならば、国をあげて私たちは一つになることを求められる瞬間だ。ヒューはたまらないと言った表情で見つめていた。
ことが進んだ時、すぐ目の前にヒューの瞳と唇があった。私たちは少し泣いて初めての感覚に喘いだ。
私たちは24歳のヒュー王子とその婚約者の18歳のヴァイオレットだった。全てを受け入れたとき、私の脳裏に浮かんだのは、あのどこまでも続く灰色の空と大地だった。私の幸せの頂点の記憶だ。今、それを塗り替える、超える幸せが私を包んだと思う。
「ヒュー、あなたを信じるわ」
私は何もかもさらけ出し、ヒューの肌をそばに感じて、安堵感と彼の色気に胸の底から幸せが湧き上がるのを抑えきれなかった。
ヒューは私にキスをした。私は彼の腕枕の中で天井を見つめてそのまま眠った。初めての経験だった。それはとても幸せな感動を呼ぶ経験だった。
誰が犯人なのか、少し分かった気がした。少なくとも1人はヒューを取られたくない人だ。
この夜、私はヒューの彼女になった。最高の気分だった。
――神様。前回の人生で出来なかった事にすがる私をお許しください。一人の女性として、どうしてもこの魅力的な男性の胸に飛び込みたかったのです……。
私の初めてをヒューに捧げたのは、あの時の記憶からすると信じがたいことなのかもしれない。




