第6話「酒を飲めばエルフが儲かる」
たしかに寝たと思ったんだが……。
「お前、さては狸寝入りしてたな?」
俺の質問にエレンは観念して、開き直った。
「そうよ。あの程度でエルフが酔い潰れるワケないでしょ。まだ飲み足りないくらいよ」
あの程度って……何杯飲んだと思ってやがる。酒を運んでた姉ちゃんも途中からこいつマジか、って顔してたんだぞ。
俺はテーブルの上に所狭しと置かれた空になったグラスを思い出して、この女がとんでもないウワバミだったことを理解した。
「だてに女一人で旅してないわよ。初対面の男にホイホイ体を許すようなマネするワケないでしょ」
「そりゃそうだ。じゃあどうしてわざわざこんな猿芝居をしたんだ」
「あなたたちが怪しいからに決まってるでしょ」
「あぁー…………」
これにはぐうの音も出ない。
控えめに言って、俺たちは怪しさの塊だ。
見慣れぬ生き物を連れた見慣れぬ装束の通りすがりの男が、いきなり野盗を圧倒するほどの強さを見せれば、そりゃあ誰だって警戒する。
おまけに喋る妖精だなんて、誰が信じるかって話で。
「――そうか。だからお前あの時、メルコのことをクー・シーだなんて言って、わかったような口ぶりをしたのか」
「親しくなるためのいいきっかけになったでしょ。おかげで疑われずにここまで来れたわ。まあ、同じ部屋に泊まることになったのは、さすがに誤算だったけど……」
最後の方はごにょごにょとつぶやいて聞こえなかったが、つまり……どういうことだ。
「結局、お前は何が目的で俺たちに近づいたんだ?」
「もちろんその子よ」
エレンは扉の前で座ったまま事態を傍観していたメルコを指差した。
「……余か?」
「クー・シーはもっとずっと大きな番犬の妖精よ。あなたみたいな小さいクー・シーなんて見たことない。……まさか本当に、あのマルコシアス卿だなんて言うんじゃないでしょうね?」
「如何にも。余が第三十五代目魔王、‟氷炎の黒狼”メル・クゥ・マルコシアスじゃ」
もはやテンプレのような自己紹介は、エレンの神経を逆なでした。
「またそんな嘘を……! 魔王の名を騙るなんて不届きな――」
そこでエレンの言葉は途切れた。
同時に、俺とエレンの視線は部屋の扉へと注がれる。
隠しているつもりだろうが、それでも木造の床にはしっかりと足音が響いた。
「二人……いや、三人か」
「こんな夜遅くに来客……なんて雰囲気じゃないみたいね」
来客はガチャガチャと部屋の鍵を外側から開けようとはしない。
つまりこれは――。
「強盗か」
無理やり開錠された部屋の扉が開け放たれ、三人の男たちがなだれ込んでくる。
ただでさえあまり広くない室内に、むさくるしいことこの上ない。
「動くな! 大人しくその場にひざまずけ!」
覆面を被った軽装の男たちが、それぞれ武器を手に持って現れた。先頭の男は刃こぼれが酷い剣で、後ろの二人はただのナイフ。昼間に本物の野盗に襲われた身としては、なんとも貧相に見えてしまう。
……というか、これで脅せると思われてんのか。なんかムカついてきた。
「何よあんたたち。今何時だと思ってるの。私これから寝るところなんだけど」
「う、うるせえ! さっさと言われたとおりにしやがれ! さもないと……こいつがどうなっても知らねえぞ!」
「メルコ⁉」
いつの間にか、男たちの一人がメルコを捕まえて手にしたナイフの切っ先をメルコに向けていた。
メルコは抵抗もせず、ただ向けられたナイフをじーっと見つめている。
「女が起きてるのは予想外だが、まあいい。手荒なマネをされたくなかったらさっさと金を出しな」
「いや、むしろお前らが早くやめたほうがいいと思うぞ」
「はぁ? 何を言って――」
「…………でない」
「……お前ら、いま何か言ったか?」
「いや、俺は何も」
「俺もだ」
ぽつりとつぶやかれたその声は、俺でもエレンでもなければ、覆面を被った男たちでもない。
地獄の底から沸き上がって来たかのような深く鈍いつぶやきは、目の前の一匹の黒い犬から発せられた声だった。
メルコの毛が逆立つ。怒りに任せて魔力が膨れ上がっているのか、毛先から冷気が漏れ出している。
「余に気安く触れるでないわ、この痴れ者めが――ッ!」
メルコを捕まえていた男は、一瞬にして全身を氷漬けにされてしまった。
「あーあ、だから言ったのに」
半日かけて溜め込んだ魔力でこの威力だ。もっと潤沢な魔力があれば、今頃この部屋に氷河期が訪れていたに違いない。
覆面男たちは戦慄した。でも、それがメルコの仕業だとは理解できなかったらしく、どうやらエルフの魔法だと思い込んだらしい。
同じ目に合う前にと、エレンへ襲い掛かったのだ。
「こ、この野郎よくもやりやがったな――!」
「私じゃないわよ!」
「うるせえ! こうなりゃ力づくで……」
「部屋ん中で騒ぐんじゃねえよクソ野郎」
俺は床を蹴って右側の覆面男へ間合いを詰めると、右手で男の顔面を鷲掴みにする。覆面男の頭蓋がみしみしと軋む。
「や、やめっ……」
「そらよっとお――!」
そのまま体を持ち上げて、部屋の奥にある窓から外へ放り投げた。同時に、俺は窓枠を蹴って空中で男の頭を再びキャッチ。
覆面男の頭をバスケットボールに見立て、二階から地面へのダンクシュートを決めた。
首から上だけが地面に埋まったまま、覆面男は動かなくなった。
「イイ子はもう寝る時間だぜ」
両手をパンパンと払って、二階の部屋へと戻る。
しかし、普通に宿屋の出入り口から階段を上がって部屋まで戻るのも面倒だ。
「試してみるか……よっ」
垂直飛びの要領で地面を蹴って、元居た部屋の窓枠に手を掛けることに成功した。
ぐっと体を持ち上げて部屋の中へ舞い戻る。
そこではすでにエレンが残った最後の一人を制圧し、嬉々として脅している真っ最中だった。
「わ、悪かった……俺が悪かった! だからもう勘弁してくれぇ……!」
「ダメ。乙女の寝込みを襲った罰よ。首が飛ばないだけありがたいと思いなさい。ほら、いいからさっさと有り金全部置いて行きなさい」
「ひぃいいいい――!」
覆面を取られた男は身ぐるみまで剥がされて、泣きながら革袋を差し出した。
ジャラリと音が鳴る。思ったより金が入っていたのか、エレンは袋の中を確認するとにんまりと微笑んだ。
「うふふふ、いい音。お小遣いゲット~♪」
これじゃあどっちが強盗なんだかわかったもんじゃねえな。
それで覆面男たちがどうなったかといえば、手持ちの金を置いて退散していった。凍ったままの仲間を大の大人がパンツ一枚で運び出す様はさすがに笑えた。
――だが、こっから先は笑えねえ。
「さてと、そんじゃあ本題に入るとするか。なぁ、エレン」
「……何のこと?」
「とぼけんじゃねえよ。お前、あいつ等がここに来るってわかってただろ」
エレンの肩がピクリと動き、視線が逸れた。わかりやすくて助かる。
「何を言い出すかと思えば……私たちは同じ被害者よ。それに見たでしょ、あの男の反応。私があいつらとグルなはずないじゃない」
「誰もグルだとは思っちゃいない。あいつらが俺たちを襲うように、お前がそう仕向けたんだろ。あの酒場で」
「…………」
ここに来てようやくエレンが黙った。
メルコは何のことかわからず首を傾げた。
「一体何事じゃカズヤ。余にもエレンが何かしたようには思えんのじゃが」
「そりゃあそうだろうな。実際エレンはあの場では酒を飲んでただけだし」
「ならば……」
「でもそれが狙いだったのさ。メルコは気付いてなかったみたいだが、さっきの覆面男たちは、俺たちが酒場で飯を食ってた時すぐ近くのテーブルに座ってた連中だ」
「何じゃと?」
「着てる服も酒場で見た時と同じだった。きっとあの場で俺たちをカモれると思って付けてたんだろうな。俺でも気づいたくらいだ。お前が気付かないワケないよなぁ、エレン?」
「評価してもらえるのは嬉しいけど、私、あの時は酔ってたから。きっと浮かれて気づかなかったのよ」
「そりゃあ無理がある。ついさっきお前が言ったじゃねえか。あの程度じゃ酔わないって」
「……チッ。余計なことを言ったもんだわ……」
エレンが舌打ちをするのを見て、俺は自分の考えが間違っていないことを確信した。
「じゃあなんでわざわざ酔ってる振りをしたのかって話になるが、そりゃあもちろん油断させるためだ」
「誰をじゃ?」
「俺とさっきの男たちさ。酒場でこれ見よがしに金を出して見せ、あげくそのまま酔いつぶれた様子を見せれば、周りからすれば格好のカモだ。しかも一緒にいるのは若い男一人。襲ってくださいって言ってるようなもんだ」
「じゃが、それで本当に宿屋にまで付いてくるとは限らんじゃろ」
「どっちでもよかったんだろ。失敗したところで失うもの何もないしな。連中が来なけりゃあのまま狸寝入りを決めて、夜中に起きて俺らを襲ってたかもしれねえ」
実際、俺はエレンの狸寝入りに気づけなかったしな。
「目的は……まあどうせ金だろうな。狙いは俺かメルコ、あるいはその両方ってところか」
「なんと……お主、もしや意外と頭のキレるタイプなのか?」
「俺は自分のことをバカだとは一度も言ってないぜ。勉強は嫌いだが、記憶力だけはそこそこ自信があるんでな。――で、何か言うことはあるかエレン」
「ふんっ、騙される方が悪いのよ。実際に私は被害者なんだし、返り討ちにしたってだけで何も問題ないじゃない」
メルコの問いに、エレンは悪びれることなく言った。
たしかにそうだが、メルコの正体もバレてしまった以上、はいそうですかとはいかない。
事と次第によっては、ここで始末する必要もあるかもしれない。
俺は指の関節を鳴らしながらエレンに近寄った。
何をされると思ったのか、エレンは酷く動揺しながら言う。
「ひ、一つだけ訂正するけど、私の一番の目的はお金じゃなくてその子だから!」
「メルコが?」
「さっきも言ったけど、この子がクー・シーなはずがない。でも、こんなに小さくて可愛い生き物は見たことなかったから、その……」
「欲しくなって、俺が眠ってる隙にメルコを奪うつもりだった、と」
「……そのとおりよ。悪かったとは思ってるわ」
ごめんなさい、とエレンが謝罪した。
ここまで追求しておいてなんだが、メルコに関しては未遂に終わっている。これ以上文句を言うワケにもいかないし、それにもっと大きな問題がある。
「私の話はこれで終わりでいいわよね。はい、次はそっち。さっきの話、本当なの?」
「さっきの話って? ……あぁ、俺が部屋に戻った時にわざわざ窓を開けたのが不自然だって話か。あれはこの宿に誰かが近づいてきたらすぐにわかるようにするためで――」
「そんな話はしてなかったでしょうが! そうじゃなくて、その子があの魔王マルコシアスだってことよ」
これ以上はさすがに誤魔化せないか。
俺はちらりとメルコを見る。小さい黒き魔王様は、覚悟を決めたようで数度頷いた。
メルコはベッドを飛び降りてエレンの側まで行くと、前足を持ち上げて宣誓するように名乗りを上げる。
「あらためて――余が第三十五代目魔王、‟氷炎の黒狼”メル・クゥ・マルコシアスじゃ。故あって今はこのような姿をしておるのじゃが、余の言葉に偽りはないと誓うのじゃ」
数十分前にも見たな、この光景。
古風な喋り方をするポメラニアンを前にして、エレンは膝を付いて恭しく挨拶をする。
「今までの無礼をお許しください、マルコシアス卿。お会いできて光栄です」
「何じゃ急に畏まりおってからに。今の余はもう魔王ではない。もっと気楽にするとよいのじゃ」
「ありがとうございます。では、お言葉に甘えて失礼します……!」
「はえ?」
言うや否や、エレンはメルコを抱き上げてもふり始めた。昼間とは違う優しい手付きでメルコを可愛がる。メルコの尻尾がパタパタと左右に振れた。あごの下を撫でてもらえて喜んでいる。
「あぁ、ほんっとにかわいい……! カズヤ、やっぱりメルちゃん私に頂戴ッ!」
「だれがあげるか! メルコはものじゃねえんだよ。つーかお前、さっきまでの態度はどこ行った。相手は一応元魔王様だぞ。畏れ敬うとかねえのかよ」
「だからさっき挨拶したじゃない。それでメルちゃんが許してくれたから問題なし! ――あぁ、このふっかふかの毛並みにこの慎ましくも愛らしい手足、なんて尊いのかしら! この可愛さ、まさに魔王級だわ……!」
「気楽にせよとは言ったが、メルちゃん呼びを許した覚えはないのじゃが⁉」
「可愛いからセーフ」
「なんでお主が判定する側なんじゃ! ……それよりも、他にするべき話があるじゃろカズヤ」
「おっと、そうだった――」
完全に話の腰が折れてしまった。
ひとまずエレンにメルコのことを魔王だと認めてもらえたところで、釘を刺しておかなければならない。
「エレン、わかってるとは思うが、メルコの正体に関しては――」
「絶対に秘密でしょ。わかってるわよそのくらい。マルコシアス卿が実は生きていた、なーんて世間に知られたら大騒ぎになっちゃうわよ。私、厄介事に首を突っ込むのは嫌いじゃないけど、タダ働きは嫌いなの」
「ではエルフの娘よ。お主に一つ聞きたいことがあるのじゃが」
「それはいいけど、私のことはちゃんと名前で呼んで。種族で一括りにされるの嫌いなの」
「……失敬した。エレンよ、単刀直入に聞くのじゃが……余の本体がどこに封印されているか知らぬか?」
「封印? 何それ、どういうこと? メルちゃんの本体って、マルコシアス卿の体がどこかに封印されてるってこと?」
エレンの反応は予想外のものだった。
封印されている場所がわからないのではなく、そもそも封印の話そのものを知らないようなのだ。
「勇者がメルコの体をバラバラに分割して、どっかに封印してるって話だよ。知らないのか?」
「だから知らないってば。」
嘘をついてるようには見えない。
勇者が魔王を討ったこと自体は知っているようだ。なのに封印の話を知らないとなれば、誰かが意図的に隠している可能性が出てくる。
単にエレンがそういう話に疎いだけという可能性もなくはないが、世界中を旅しているような奴が情報に疎いとは思えない。
もしやと思い、俺は試しにこんな質問をしてみる。
「エレン……お前、今の魔王が誰かは知ってるのか?」
「もちろん。あのいけ好かないイケメンナルシスト野郎のフェネキスよ。ホント、どうしてあんな奴が魔王になっちゃったのかしらね」
メルコが顔をしかめる。
愛らしい尻尾は、くるんと下を向いて残念そうに垂れていた。




