三話 母の怒り
琵琶法師が次の場所へ旅立ち、実朝は御所で1人和歌を読んでいた。
最近、自分の和歌が『金槐和歌集』に選ばれたということもあり、実朝は和歌に自信があった。
しばらく和歌を嗜んでいる間に、先月、京へ向かった北条義時、政子姉弟が帰ってきた。
政子は実朝にとって実の母である。
夜に帰宅した政子はすぐに実朝の部屋にやってきた。
「京は大層、ええところでした。しかし親王将軍はどうも認めないようですわね」
「母上。よくぞ戻られました」
実朝は頭を下げた。
「実朝。頭を上げなさい。私がいない間の鎌倉には変わりないか?」
「そうですね。先程、琵琶を担いだ坊が私の元へ訪れてきました」
「琵琶を担いだ坊と? 実朝。今、そう、おっしゃりましたか?」
政子は眉をピクリと動かし、訝しく聞いてきた。
「ええ、琵琶を担いだ坊です。母上、最近、京では有名であるみたいです。源平合戦から生きていると坊から聞きました」
実朝の返答を聞くと、見る見る内に政子は顔を赤くして怒った表情を見せた。
それから実朝の頬を叩く。
いきなりのことで実朝は、
「な、何をするのです? 母上…」
と呟く。
政子は怒った表情のまま、
「この莫迦者! 坊を逃すとは何事か!」
「えっと、どういうことですか?」
実朝は理由がわからず聞き返した。
「そなた先ほど琵琶を担いだ坊と言ったであろう。それは平氏の生き残りである! 琵琶法師は合戦で敗北した平氏の落武者だ!」
「そ、そんな…!」
「だから私はそなたを莫迦者と罵ったんだ!」
「ですが、私には…」
実朝は何も言い返せず、口噤んだ。
*
政子は不機嫌な様子のまま、実朝の部屋を出ていった。
実朝は夕食を済ませると、御所を出て、北条義時の邸宅へと足を運ぶ。
実朝が家へと入ると、義時は縁側で一人、庭を眺めながら酒を嗜んでいた。
義時は実朝が来たことに気づくとにこやかに手招きをしてきた。
実朝は義時と距離を置きながら座るが、それでも義時は手招きをするので、仕方なく隣に座ることにした。
義時はお猪口に酒を注ぎ、口に運んだ。
「んー。やはり、京の酒は美味い。実朝よ、お前も飲むか?」
「いえ、結構です」
「そうか、それは残念」
義時は酒を飲みながら少ししょんぼりした。
「実朝。お前、また姉上に怒られたようだな」
「ええ、まあ……」
「京から帰ってきた姉上は、まあ、機嫌が悪かったな。そりゃあ、怒りの沸点も低くなるわい」
「叔父上。京では何かあったのですか? 確か、帝に会うために、京まで向かったのですよね」
「そうなんだが。帝に、次期将軍に皇子を据えよう上奏文を書いて直接お願いしたのだが、返事を先延ばしにされてな」
「もう、次期将軍をお決めになられるのですか。将軍は、私じゃ、不甲斐ないですか。父や兄のように、武術にも、政治にも疎いから。私はもう、不必要なのですか?」
実朝は声を震えながら言った。
義時は首を横に振った。
「そうじゃない。お前は立派に将軍を務めているではないか。すぐに将軍を他の者に譲らせることはないから安心するんだ。お前は来る右大臣参賀式で立派に務めを果たすことを考えるんだ」
「はい。叔父上」
「ああ、もう、辛気臭いな。やっぱりお前も酒を飲め。今は堅苦しい話はやめようじゃないか」
「ですが、私はあまり酒は嫌いで……」
「良いじゃないか! さあ」
実朝は義時に酒を勧められ、しぶしぶ飲むことにした。
今宵はよく晴れ、月明かりが差し込む日。
実朝と義時は二人仲良く、談笑しながら、酒を嗜んでいた。
*
鶴岡八幡宮上宮では一人の男が参籠を終え、久しぶりに外へ出た。
男の名は公暁。鶴岡八幡宮の別当に補任された若い男である。坊でありながら髪を剃らず、上宮では謎の呪文を唱えていたので、少々不気味な男であると噂されている。
外に出てから、石段に雪が積もるのを、男はじっと眺めていた。
「父上。もうじきです。もうじき私はあの男達に復讐が出来そうです。どうか空から眺めて置いてください」
公暁は月を見ながら、呟いた。
鶴岡八幡宮ではもう時機、雪は、赤く染まる。
次回から話がさらに動き出します。