二話 寅年・寅月・寅刻
史実と大幅話が変わりますが、気にしないでください。
京にて。
九条道家は我が子の誕生を今か、今かと待ち望んでいた。
道家はこのとき右大臣の位置にあり、位の順位は従二位についていた。それなりに権力は上であり、祖父の道兼の後ろ盾があり、何とかこの地位につくことができた摂関家の貴族である。
痺れを切らした道家は、子供が誕生したかどうか確認するため、襖を開けた。
そこには白い着物着た女性と、灰色の着物を着て、布で顔を覆う助産師がいた。
女性は目がまだ開かない赤ん坊を抱き抱えていた。
助産師は道家に気づくと、「今、生まれましたよ…」と声をかけた。
道家は「そうか」と答え、赤ん坊を抱き抱えていた。
さらに道家は助産師に尋ねた。
「この子はいつ誕生したのであるか?」
助産師は言う。
「この子は珍しく、寅年・寅月・寅刻に生まれて参りました」
なるほど、と道家は言うと、少し唸った。
この世にも珍しい時に生まれた子を何と名付けるのか考えた。
寅が三つであるからトラミか?
いやいや、トラミは違うか? どうもしっくりこない……。
それかー。
「この子は三寅でどうか?」
道家が言うと、女も助産師も頷いて、納得しているようだった。
こうして三寅が誕生したのである。
それからしばらくして、道家は自らの邸宅で茶を嗜んで過ごしていた。
「道家様。客人でございます」
従者がそう言うと、道家はニンマリと嬉しそうに、
「通せ。ワシが呼んだ」
と答えた。
客人の正体は琵琶を担いだお坊さんである。
巷ではこの坊を、琵琶法師と呼ぶらしい。
「お久しゅうございます。左大臣道家様」
琵琶法師は礼儀正しく正座し、頭を深く下げた。
道家はふんと鼻を鳴らし、
「表を上げるが良い。平殿」
琵琶法師は顔を上げると、ニヤリと笑顔を見せた。その目は傷が付けられていた。
「左大臣道家様。私めにそのような呼び方どうかやめていただけますでしょうか? どこに源氏がいるかわかりませぬから」
「源氏? ここにはそんな従者はおらぬわい。お主、それにしてはとても嬉しそうではないか?平知盛よ」
「ハハハ! 懐かしい名でございます! しかし琵琶法師となった今では必要ない名でございます。今は、坂梨と名乗っております」
「坂梨? さかなし…、坂無し。フハハハ! 面白い名ではあるではないか! 坂が無いのは、お主が平らだからであるからな! その名を思いついた者には褒美を授けたいものじゃ」
「坂梨と名付けたのは、九州の村人でございます」
「九州か。何とも遠い場所からよう来なさった」
平氏は1185年の壇ノ浦の戦いに敗れて、その後九州に逃れるも残党狩りに会い、今でも逃げ回っているそうだ。
平氏が生き残るためには、名前を変えるか、出家するしか方法がなかった。
こうして目の前にいる平知盛も本来はあの戦いで死んでいるはずだった。
だが、つい先月の道家宛の手紙には、確かに平知盛と名前が書かれていた。
今、道家の目の前にいる男が琵琶法師であることを知った今、男が本当に平知盛であるといったことに信憑性が増してくるのだ。
なぜなら琵琶法師の前職の大半は平氏の武士であるといった噂があるからだ。
あくまで噂の域になるが、それでも壇ノ浦の戦いの生き残りに会えるとはなんとも喜ばしいことやら。
「早速じゃが、琵琶を演奏していただけるか?」
琵琶法師は一回頷くと、琵琶を取り出して、演奏始めた。
べん、べん、べん……
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……」
琵琶法師は最近、巷で流行りだした平家物語を歌った。
歌い終わると、琵琶法師は、「私の歌はどうでございましょう」と言ってきた。
道家は拍手を送り、「素晴らしいではないか! 坂梨殿」と言った。
琵琶法師は、「そうですかい」と言い、琵琶を布に入れ片付け始めた。
「左大臣道家様。近頃、お子様が誕生されたと耳にしまして」
「お、そうじゃ。名前は三寅じゃ。寅年・寅月・寅刻に生まれたから、そう名付けた」
「それはさぞかし、珍しい子にございますね」
「ああ。そうじゃ」
道家は自慢気に腕を組んだ。
「坂梨殿はこれからどちらへ向かわれるのであるか?」
「そうですね、関東辺りです」
「関東か…。やはり三代将軍実朝に会いに行くのであるか?」
「ええ。実朝様の御所に招待されまして、ぜひとも琵琶を聞きたいとのことで」
「そうであるか。ならば大変であろうな。元宿敵が源氏の本拠地に向うとは」
琵琶法師は、「そう、ご心配なく」と言うと、道家の邸宅を後にした。