一話 琵琶法師と寅の子
べん、べん、べん……
鎌倉の御所に招かれた盲目の法師は琵琶を取り出し、将軍実朝へ披露していた。
実朝は静かに演奏を聞いていた。
演奏が終わると、実朝は拍手を送った。
「素晴らしいではないか。そなた目は見えておらぬのに、どうして琵琶を弾くことができるのじゃ?」
法師は少し唸って、考えた。
それから答えた。
「長年の勘とでも言いましょうか。私は生まれた時から目が見えぬというわけではございません」
「長年の勘ですか。それは素晴らしい。しかし、そなたはいつから目が見えぬようになっておられたのじゃ?」
「そうですね。時は源平合戦の終焉でしょうか。私は、この世界の物を見たくなくて、自ら目をくりぬいたのじゃ」
「そ、それは……痛くはないのか……」
実朝は少し辟易するように呟いていた。
それに対して法師は笑顔のまま答えた。
「全くです。私もこのように琵琶法師になる前は、金もあり、人望もあり、土地もあり。それは裕福な暮らしであった。じゃが、源平合戦の終焉が私の人生を変えた。そうじゃ。私はあの合戦によって何もかも失って。ああ……、こんな世界見たくない……。だから、私は今、こうして盲目となり、琵琶を担いで、法師として旅をしておるのじゃ」
「そうでございましたか。それはさぞかしお辛かったことでしょう。つかぬ事お聞きしますが、最近、平家の残党が、身分を変えて琵琶法師になる、という噂を聞いたのですが、ご存じないのでしょうか?」
「ほう、そのような噂、私は耳にしたことはありませぬな。もし、目の前に平家の残党でもおられたら、その時は、将軍様、どうするおつもりで?」
「わ、私は、別になにもせん。私は平家を知らぬのじゃ。私が生まれたのはちょうど父、頼朝がこの幕府を開いた時期でな。私は、生まれながらにして将軍なのだ。だからこそ、私は何も知らぬし、そなたに対して何もせぬ」
「そうでございましたか。これは何ともお優しいお方じゃ」
法師は琵琶を布袋に片付け、御所を出る準備をし始めた。
「それでは将軍様、お元気で」
「ああ。達者でな」
法師はそのまま帰ろうとしたとき、ふと立ち止まって考え事をし始めた。
「最近、摂関家の九条道家に子供が生まれて、それは世にも珍しい男児であった」
「京ではそのようなこと。その珍しい男児は、一体どのように珍しいのであるか?」
「寅年・寅月・寅刻に生まれた男児じゃ。それはさぞかし珍しくて。名を、三寅と呼ぶらしい」
「へえ、それは確かに珍しい男児であるな。私もいつか会ってみたいものじゃな」
「そうであるか。果たして将軍様はお会いできるでしょうか?」
「何、おかしなことを言っておるのじゃ?」
「いえ。ただの法師の戯言にござる」
法師はニヤリと笑い、踵を返した。
そのまま鎌倉を出ていった。
何やら不思議そうに法師の後ろ姿を眺める実朝であった。
1185年、壇ノ浦の戦いにて平氏に勝利した源氏は鎌倉幕府を開いた。
それからしばらく時が流れ、1218年頃。3代鎌倉将軍実朝の時代にあり。
実朝という男は正妻以外に、側室をつけようとせず、さらには跡取りともいえる男児が生まれることもなかった。
そのため幕府の政治を担っていた2代目執権北条義時と姉政子は早いうちに後継者として後鳥羽上皇の皇子を親王将軍にしようと、朝廷に上奏文を送るため、京へと向かうのだった。
1218年、この年を境に、将軍争いが始まるのであった。