第十五話「憧憬」④
しばしの暗転。
ピンポロパンと言った調子の電子音で目を覚ます。
「ハルカさん。お休みのところ申し訳ないんですが、どうやら、食事のデリバリーのようです。ドアのロック解除要請が来てるんですが、いかが致しましょう?」
寝ぼけ眼で、タブレットを見ると、イロハを象ったドット絵妖精のアバターがメッセージボードみたいなのを抱えてる。
用向きは「食事の用意ができたから、届けに来た。ロックを開けてもらえないかな」とのこと。
うん? 私は捕虜の身上だぞ。
独房……と言うには、少々贅を尽くしているが、独房の扉を開けるのに収監者自身にロック解除の許可申請をするってのは、流石に良くわからない。
別に問答無用でいきなり入ってこられても、こっちは文句も言えない立場だってのに……律儀と言うべきか、紳士的と言うべきか。
「ロックも何も……ねぇ。こちとら、捕虜の身だって弁えてるから、ご自由にどうぞって言ってくれ」
「はい、そう来ると思って、先方には許可を送信済みなんですが。どうも、この部屋のロックは、キーコードの所持者であるハルカさん以外は解除できないようになっているみたいなので、ロック解除の認証処理をお願いします」
そう言って、タブレットの画面のイロハが見慣れた「Yes」「No」の立て札を見せる。
だが、私以外に解除が出来ないって、なんだそれは?
要は、部屋の鍵を預けられたようなものだった。
そこまで信用していいのか? と思わなくもないんだが。
宇宙漂流からの生還で、シャワーが使えるならシャワーでもとか、思わなくもなかったし、誰得ラッキースケベみたいにならない為にとか、そう言う事?
案外、女性の部屋に入る時はノックすると言う……いわば紳士としての常識ってところかな。
いずれにせよ、こっちとしては、否応ない。
タブレット上のイロハの持つメッセージボードの「Yes」のところを軽くタップ。
まぁ、こんなのって、AI家電とかでも良くあるヤツなんだけど。
日々の諸々、デイリーワークの実行処理なんかでも、こう言う認証処理は必ず要求される。
初回の認証操作だけにして、以降の操作は許可みなしで全自動お任せでいいんじゃないかって、意見もあるんだけど……。
AI達も、この認証処理は大事な儀式ってことで、絶対に省略はさせてくれないし、むしろTireクラスが上位になるほど、こう言うのには厳格になっていく。
「ロック解除ありがとう。では、遠慮なくお邪魔させてもらうよっ!」
そんな言葉とともに、扉が開くと、運搬用のワゴンロボと共に白いコック服を着て、エプロンを付けた神父さんのような雰囲気の男が入ってきた。
……まさかのカール・ミラー総帥だった。
ヤン少佐は……と言うと、その後ろで頭抱えながら、片手を上げてスマンって感じのジェスチャーをしてる。
正直、この時の私はどんな顔してたか覚えていないのだけど。
鏡でもあったら、さぞ間抜け面で空いた口が塞がらない……そんな顔をしてたと思う。
「総帥、総帥ッ! 案の定、アマカゼ少佐も呆気にとられてるじゃないですか。なにも総帥がわざわざ料理を作って、持って行く必要なんてないでしょうに……。ああ、アマカゼ少佐、申し訳ない……君への食事を用意しようとしていたんだが……。総帥が私の手料理をご馳走しようと言って聞いてくれなくて……」
「はっはっは! 良いじゃないかッ! 私は自分の作った料理を食べている所を眺めるのが趣味なのだからね。それこそ、人任せになんてしたくない! 悪いね、ハルカ君! そう言うことなんで、是非とも腹いっぱいご賞味あれっ!」
えっと……な、なんなんだ? この総帥閣下。
さっきもだったけど、気安いにもほどがあるだろ。
「いや、ご賞味あれじゃなくて……なんでまた、総帥自らパンとか焼いてるんですか? その上、捕虜に自分で届けに行くって……」
なんかもう、訳が解らなくって、もはや自問自答みたいになってるけど、その程度には、理解が追いついてない。
「君も知っての通り、私は元々はパン屋のせがれだったのだよ。悪いけど、パン焼きならマイスター級って自信はあるんだ。せっかく、無重力パン釜を作ったんだから、使わないと勿体ないだろ」
知っての通りって、知らないよ! そんなの!
そもそも、無重力パン釜って……なに?
「それは、総帥が道楽で作らせたんでしょうが……。まったく! いいですか? 総帥! 閣下にはいつも言ってますが……」
ヤン少佐のお怒りなんて、どこ吹く風とばかりに総帥閣下は、香ばしい香りのするバケットパンや、こんがりきつね色にやけたクロワッサンやらを次々とお皿に盛り付けていく。
どれも、立派で丁寧に焼き上げていて、素晴らしく出来が良かった。
最後に、コーンスープと思わしきスープを深皿になみなみと注ぐと、コップと水差しを置いて、嬉しそうに向かいのソファに腰掛ける。
ヤン少佐は、色々ガミガミ言ってたみたいだけど、総帥が完璧にスルーしてるのに気づいたのか、溜息を吐いてガックリと項垂れていた……。
「さぁ、遠慮なくどうぞ。安心したまえ、毒なんて入ってないからね! おおっと! そう言えば、味見がまだだったよ……失敬、失敬っ!」
そう言って、ガーリックバターの塗られたバゲットパンをひとつつまみ上げると、美味そうに一口。
「うーんっ! デリィシャースッ! いやぁ、今日のは良く出来たっ! ようやっと、この0.5G環境での無重力パン釜の調整パラメーターが馴染んできたみたいよ。ああ、ヤン少佐もどうだね? これはちょっとばかり会心の出来だよ」
「……まぁ、総帥の焼くパンは美味いですからね。私も食事はまだだったので、せっかくなんで、ご相伴に預かるとしますよ」
そう言って、ヤン少佐も椅子を引いてテーブルに付くと、美味そうにクロワッサンに齧り付くと、君もどうぞ遠慮なくと言わんばかりにジェスチャーされる。
ここで、固辞してもかえって申し訳ないので、こちらもクロワッサンをひとついただく。
そして、一口齧るなり、思わず固まってしまう。
「う、うっまぁっ! え、宇宙でここまで美味いパンが作れるなんて……! これ、地上の街パン屋のよりも、美味しいかも……」
思わず、あっという間に一つ平らげてしまって、喉に詰まりそうになったので、慌てて水を飲む。
うん、水も普通に美味い。
宇宙環境じゃ、飲水ですら循環再生水だったりするので、透明ではなくうっすら黄色かったり、うっすら塩っ辛かったり、鉄の味がしたりするものなのだけど、これは……地上のコンビニとかに売ってる高級ミネラルウォーターと変わりなかった。
「はっはっは! 素晴らしいリアクションありがとう。どうだいヤン少佐……これが美味いパンを食べた人間のリアクションと言うものなのだよ。君らはいつも文句ばかり言いながら、食べてるけど、元々味には自信あるんだ。もっとベタ褒めしたっていいんだよ?」
「いや、美味いのは認めますけどね……。総帥はまがりなりにも人類統合体の代表なんですから、そんな調理室でパン焼くのが日課とか、さすがに……」
「やれやれ、いつの時代だろうが、宇宙の果てだろうが、人は食の追求を止めてはいかんのだよ。あのヤクーツク元帥も補給物資として、ロシア名物の黒パンととっておきのウォッカを送ってやったら、嬉しそうにしてたからね。私は人類統合体の代表であるからこそ、常に食の追求を忘れないようにしているんだよ」
うん、断言していいけど、この総帥閣下……たぶん、変人だ。
このカール・ミラー総帥については、地球側には今のところ名前くらいしか情報が無くて、そのプロフィールについても、かつてLucifer禍で壊滅したユーラシア大陸各地の難民キャンプを巡って、炊き出しとかしてたらしいって話しか解ってない。
それ以外……どこの国の出身だとか、幼少期の様子など細かいプロフィールデータは、現存するデータベース上には一切残されておらず、謎の多い人物ではあるのだが……。
ズラリと並んだパンの種類からすると、フランス系のパンがやけに多い様子なので、元々フランス人で、本人が言うように本当にパン職人を目指していたのかもしれない。
ちなみに、クロワッサンもフランスパンの一種だし、バゲットパンと言えば、フランスパンの代名詞でもある。
それに、地球側のプロファイル分析でも、むしろ話の分かる穏健派だと分析されており、表立って表明はしていないもののアマテラスも交渉パイプを構築できないかと考えているようではあったんだ。
もっともさすがに、カール・ミラー総帥が根城としている木星軌道基地は距離的な問題もあるし、人類統合体の宇宙艦隊が行っている電波ジャミングで直接対話することは叶わず、ヤクーツク元帥に総帥と話し合いをしたいというアマテラスの要望を送ったりもしているのだが。
総帥は貴様らと話し合う価値などないと言っているだのなんだの、塩対応しかしてくれなかった。
そのクセ、ヤクーツク元帥達も火星の軌道防衛艦隊の撃破後は、積極的に攻め込んでくる様子もなく、飽きずに威勢の良いことを言っては、地球側の同じく威勢の良い連中と不毛な口喧嘩をしている。
まぁ、そんな心温まる関係がこれまでの人類統合体と私達、地球……アマテラス条約機構の関係だったのだ。
ちょっと前の私だったら、人類統合体と馴れ合うなんて論外……そんな風に思っていたのだけど。
アステロイドベルトでの不毛な戦いと極限の生活で、心身ともに擦り切れかけていたのかもしれない。
実際、こんな焼き立てパン食わしてもらった程度なのに、妙な親しみと共に肩の荷が下りたような思いがしていた。
たかが、一片のパンで……と言うなかれ。
この時代のこんな宇宙の果てで、こんな一片のパンにありつけたなんて、私にとっては奇跡以外の何物でもなかったんだ。
多分……この総帥はこんな風に会うヤツ会うヤツに美味い飯を食わせてやって、心を開かせて、同志にしていったのかもしれない。
実際、私もこの激ウマフランスパンのおかげで、すっかりガードがゆるくなってしまっている……実を言うと涙腺まで緩くなりかけてたんだけど、そこは気合で我慢っ!
「ははっ、総帥閣下はなかなかの曲者のようで……。確かにこんな風に美味いものを好きなだけ、食べさせられるとなると、少しくらい話を聞いてみようとくらいは思いますよ」
「うーん、私にはそんなつもりはないのだけどね。まぁ、何事も腹が減ってちゃどうにもなるまい。だからこそ、私はこうやって初めて会う人には、自ら食事を振る舞うようにしているのだよ。はっはっは!」
唐突に、タブレットにメッセージ着信。
『あのぉ、預言者……カール・ミラー総帥ってホントにこんな人だったんですか? 預言者って言うよりも、気の良いおじさんって感じじゃないですか。でも、なんとなくなんですが……言ってることが永友提督に通じる所がありますね』
現状、この再現VRを第三者の観客として体験しているアキちゃんからのメッセージだった。




