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〈八〉火神矢の巫女 ❐

今回も文末に家系図があります。

(家系図が入っている章タイトルの横に❐マークがついています)








 にわかに催された宴で、左大臣家は奥向きまでもがざわめき立っていた。

 仕えている姫が未だ裳着を迎えておらず(成人式前であり)宴には出ないため、いつもより豪勢な夕餉の後は早々に局に下がることになった美夕姫(みゆき)は、寝支度を整えたものの、文机に寄りかかるように座っていた。

 寝殿より聴こえてくる見事な調べに、つい自分も笛なり琵琶なりを鳴らしてみたくなるが、いらぬ好奇心を呼び寄せてしまう愚は慎むべきと我慢した。

 それでも、つい指先が文机の上で拍子を取ってしまう。仕方のないことだと、笑みがこぼれた。


「ほぅ」


 女房を休ませひとりになったはずなのに吐息を聞きつけ、美夕姫は誰何の声すらあげず、その方を見た。


時頼(ときより)さま! 何のご用でしょう」


 今日の宴の主役のはずである。女を夜這っている場合ではないだろう。

 すげなく言うと、この館の嫡男どのは甘えたような声を出した。

「相変わらず冷たいな、(あおい)の君は」

「普通でございます。それよりも()()()()さま、今宵はあなたさまのお祝いのための宴と聞いております。座を外されるなどよろしくないのではありませぬか?」

 前任者が急な病をえて辞職し、除目を前に臨時の任官となったと聞く。それだけに期待されているのに、その祝いの席を中座するなど!

 あまつさえ、部屋で休むわけでもなく妹姫の教育係の局に忍び入るとは何事か!


 この時代、その意図は明白である。


 いかにしてこの男を自分の部屋から()便()()追い払うか──いきなりの難題に、美夕姫はそっとため息をつく。


「ああ、蔵人頭(くろうどのとう)を拝命したことはご存知なのか」

「? そのための宴でございましょう?」

「ならばぜひとも、あなたの口から祝いの言葉をいただきたいな」

「おめでとうございます」

「言葉だけではなく、身をもってねぎらってくれてもいいのだが」

 流れるような動作で時頼が美夕姫の傍に膝をつくが、更なる素早さで美夕姫は文机の向こうへと移動している。


「葵の君」


 時頼が文机の上に身を乗り出すと、美夕姫は懐から取り出した小刀を抜き放った。小さな刀身が灯火を反射する。


「中将さま」


「そのようなもの、俺は少しも怖くないぞ」


 立ち上がろうとする男の気配を察し、美夕姫は後ろにさがりながら自らの長い髪を掴んで前に出した。


「懐剣は誰かを傷つける以外に、このようにも使えますのよ」

「あお、い……」

「わたくしの意を無視して身体を求められるならば、いますぐにこの髪を切って尼となります。そうして、出家した者に不埒な行いをしたと、あなたさまも非難されるといいでしょう。それでも足りなければ、この刃、こうして喉に突き立てれば、わたくしは自分を守り通して往ぬることができますわね」


 断固たる拒否に時頼は震えた。


 左大臣家の嫡男であり殿上人なのだ。加えて美丈夫(イケメン)──言い寄った女性たちは皆、あっさりと陥落した。まさか、己の生命をかけてまで男を拒むとは!


「中将さま、どうかおわかりください。わたくしは、あなたさまのお心を受け入れられるような女ではありません。世の中には、そのようなものも存在するのだということを」


 だからこそほしいのだ──それを伝えるすべを、いま、彼は持っていなかった。退くしかない。


「あなたの……気持ちが、いまは俺にないというのはわかりました。だが、葵の君、俺は……」


 言わぬが花と、時頼は美夕姫の局を出ていった。


「なかなかの手際だな」


 ほっと息をついた途端に几帳の陰から声がした。


「誰です!」


 改めて懐剣を握りしめ、美夕姫は振り向く。 

「その気になれば、おまえはあの男を叩きのめすこともできただろうに」

司王(つかさおう)

 とりあえず懐剣を鞘に収め居ずまいを正す。

伊津良(いづら)の少将に頭の中将か、案外、おまえはもてるのだな」

 従兄の失礼な発言に美夕姫はむっとした。

「それで? いったい何のご用でいらしたの?」

「自分で頼んでおいて、その言いぐさはあるまい?」

 司王も不快になったらしく、腕組みをして目を瞑る。

「わたくしが頼んだこと?」

 美夕姫がつぶやくと、司王は目を開けて彼女を見たが、またすぐに目を閉じた。

「どのことでしょう。わたくしの非礼はお詫びしますわ。司王、教えてくださりませ」

「ずいぶんと、素直なことだ」

 感心したように司王は言った。

「そうでしょうか?」

 思いがけぬ褒め言葉に美夕姫は笑みを綻ばせた。

「その素直さに免じて教えてやろう。今朝、これを受け取った」

 直衣から取り出した一通の消息を、司王は美夕姫に差し出す。

「お文?」

「あまり人には見せられんものだが……阿修羅王のひとり、修王(すおう)から届いた」

「前々から思っておりましたが、その阿修羅王、というのは何ですの?」

 こうも面と向かって訊かれて突っぱねることもできず、司王は説明する。

「俺もそう詳しくはないが、阿修羅王とは修羅道の王の名だ。南都(なんと)にその像がある。三面六臂の異形で仏法を守護する神のようなものらしい。ある仏師がその像をもとにそれぞれの顔を面として彫った。俺の持っているのが羅王(らおう)の面で阿王(あおう)の面は坂東の、修王は瀬戸内の賊の頭が持っている」

「では阿修羅王というのは」

「この国に巣食う賊の頭の名ということになるな。三つの賊の衆をあわせて阿修羅王の一族と称している」


 知りたくもない反国家組織規模の賊の情報なのに

「では、この消息は瀬戸内から来たのですね?」

 美夕姫が反応したのはそこだった。


 なんというか、大規模な賊らの存在を恐れるでも、犯罪組織に加担していることへの侮蔑、落胆でもない従妹の反応に身の置き所がない思いを感じる司王に、目顔で同意を取り付け、美夕姫は勢いよく文を開いて読み始める。

 余計な情報はいらない。だが、司王がわざわざ表に出せぬ文書を自分に見せてくれるということはつまり、兄に関連する何がしかが書かれているのだ!

 焦るあまり、行き戻りする視線を抑えて順当に文を読み、美夕姫はついに求める記述を見つけた。


「司王!」


 声が弾む。


「ここに、手下が(みやこ)からの帰りに忘れ病の男と出会い瀬戸内に連れ帰った、とあります! なかなかに腕もたち、羅王どの(あなた)に、よく似ていて……」

「俺は、(さとる)ではないかと思った」

「やっぱり!」

 文を胸に掻き抱き、美夕姫はぎゅっと目を閉じる。


「どうするつもり、いや、おまえはどうしたい?」


「そ、うですわね……さしあたっては、武光(たけみつ)にでも行ってもらって、本当に兄上なのかを確かめなければ」

武光(あれ)は武ばった働きには向かぬだろう。行かせるのは本人も望むかもしれんが、帰ってくるあてがしっかりしない。それに屋敷の男手が減る」

「ですが、(じい)はもう高齢(とし)ですし鈴丸(すずまる)はまだ幼いのです。ならばいっそ、わたくしが……」

「おまえが?」

「いえ、だめですわ。撫子(なでしこ)さまのお傍を離れる理由を明かせば大事(おおごと)になるのは間違いありません。あなたの伝手を小次郎(こじろう)さまや()大臣(おとど)さまに知られるわけにはいかないでしょう? 姫のお勉強もまだ始めたばかりですし」

 美夕姫がためらうと、司王は思いもよらぬことを口にした。

「その撫子という姫のことだが、近く入内するそうだぞ」

「えっ? そのようなお話、わたくしは存じませんが。裳着のお式もまだですのに?」

「俺も今日、(あずさ)から聞いたばかりだ」

「梓から?」

 賊の頭目がなぜ内裏にいる梓から? 美夕姫の疑問を察し、司王は苦笑する。

「俺だって一応は五位だ、殿上することもある」


 てっきり無位無官(完全ニート)で、ぐれて盗賊団入りし(非行に走っ)たのだと思っていました──目は口ほどにものを云う。


 少し気まずげに美夕姫が視線を外すと、不機嫌そうに司王は続けた。

「先日、梓がおまえに会いにきたそうだが、その折、主上(おかみ)もお忍びで同行されたらしいな」

「ええ」

「主上は姫の愛らしさに惹かれ、(さか)しく余計な(こび)を知る前に迎え入れたいと思し召したらしい」

「ええっ、だって、まだ早すぎです」

 せめてあと二年、いや三年。そうすれば、いまの愛くるしいだけではなく、思慮深く純真で、国いちばんの美姫へと成長した撫子を入内させられるのに。


 意外とあやしい嗜好の持ち主(ロリ○ン)なのか、あの垂れ目男は──!


 いきおい、肩に力が入る。

 殺気のような気配を感じ、それとなく司王は話題をそらす。


「そういえば、その兄の藤原唯時(ふじわらのただとき)という男も、五位の侍従として出仕することになったそうだ」

「小次郎さまが?」

「小次郎? 知っているのか」

「兄上のご親友です」

「そうか。あ? 先刻、おまえを口説きにきた男、あれがそうか?」

「あれは頭の中将です、おふたりの兄君の。ご存知でしょう?」

「いや、顔を合わせたことはない」

 どこで身ばれして正体が暴露されるかわからないのだ。司王は衛府や検非違使の者とのつきあいは避けている。


「今夜はこれで帰ることにする。そのうち、(はやぶさ)という者をよこす。怜のことは俺が手配する、先走るな」


 そうして立ち去ろうとして、司王はもう一つ、伝えることがあったのを思い出した。懐紙に包まれたものを文机の上に置く。

「羅城門のあたりに落ちていたと陰陽頭(おんみょうのかみ)から相談があった。なんとも穢らわしい腐肉と化した腕のようなものもあったらしいが、そちらは霧散したそうだ」

 司王の母は美夕姫の父の妹であり、当然、火宮家の事情に通じている。当主が不在であるため、陰陽寮は司王に話を持ち込んだのだ。

 美夕姫が包みを開いているあいだに司王は夜の闇にまぎれて出ていった。




 いかにも司王らしく、懐紙は角を合わせきっちりと折られていた。話から予想したとおり、そこにはべったりと汚らしげなどす黒いものをまとわせた矢尻が包まれている。あの日、美夕姫が異形のものに射掛けた一の矢だ。


「美夕姫さま?」


 ぼんやりと眺めていると、小雪(こゆき)が様子を見にきてしまった。

「お休みになりませんの? もう夜もとうに更けておりますよ」

「ええ」

 生返事するだけの主に、小雪がじれる。


「んもう! 姫さま? 美夕姫さま…………(たける)さま!」


 びくりと顔を上げ、美夕姫は左右を確認する。局には小雪とふたりだけである。


「わたくしは」


 言いさして口をつぐむ。小雪がうなずく。


「ええ、存じておりますとも。姫さまは美夕姫さまです。でも、そうやって()()のように武具を見つめておられるご様子は、建さまです」


「状況を確認するのは火宮家の者の義務よ、小雪。これはわたくしが射た矢に間違いないわ。穢れに触れてしまったので、もう火の御矢ではありませんが」

「で、では?」


 小雪の声が恐怖に震えた。


「安心して、小雪。あれらの狙いはわたくしではありません」

「ああ、良かったと言ってよいものか」

「そうね。あれらが執着するのは変わらないのだから」

 狙われる対象となる人物は替わろうとも、狙われる事実は続くのだ。

「裳着のお式前の姫君ばかり攫う鬼なぞ、早う調伏されてほしいですわ」

 小雪の願いは火宮家代々の悲願だ。

「姫さまだって、十五年もお姿を偽られて」

「仕方ないわ。火の御矢を射るには姫君(たおやめ)ではいられないもの。征矢だろうと蟇目だろうと、引ききるのが巫女のお役目よ」


 火の御矢──火神矢(ひのみや)は火の神より火宮家に授けられた破魔の矢である。異形を討ち祓う射手として人知れず受け継がれてきた。火宮家の(むすめ)は代々その役目を果たし、それゆえに鬼に狙われるのだ。


「屋敷は結界してあるし、わたくしは裳着を済ませた(成人した)。陰陽寮も動いているようだし、しばらくは油断なく守りをかためておけば大丈夫よ」

 女房を安心させるように美夕姫は笑む。

「もう休みましょう」

 横になると、灯りを消して小雪は下がった。




 翌朝、美夕姫のもとに文と衣服が届けられた。梓からである。

 文には、実家に戻っているので届けた衣を着て訪ねてくれとだけ書かれていた。


「どういうことでしょう?」

「さあ?」


 届けられたのは若々しい色合いの水干だった。


 梓のことだ、また何か粋狂な遊びを思いつき、つきあわせたいのかも。

 小雪と顔を見合わせたものの、気楽に考えて美夕姫はそれを着た。髪を纏めて縛れば凛々しい若者の完成だ。

 支度ができたので、迎えの牛車が来ていないか小雪は様子を見にいった。

 ひとりになって、美夕姫は飾り棚から愛用の笛を取り上げた。梓が望んだら、吹いてやるためだ。

 しばらくして足音がした。小雪だと思ったがそうではなかった。


「美夕姫どの」


 声をかけ、入ってきたのは小次郎だった。


「小次郎さま……」


 つい、応えてしまった美夕姫だが、自分が男装中なのに気づいてそれ以上は何も言わなかった。


「あ……」


 小次郎も驚いた。しかし、美夕姫がとっさに浮かべた微笑みをどう解釈したのか、そのままの勢いで抱きしめた。

 懲りない男は、今回も建と思っている。

 だが、それは美夕姫──十七歳の少女の身体である。肩も腰も華奢でとても大男の突進を受け留められる造りではない。ほぼ、鯖折りだ。

 一度は強く搔き抱いたものの、何か勝手が違うようなので、とりあえず小次郎は力を緩める。


「小次郎さま」


 苦しげに息をつく美夕姫の声を聞いても、小次郎の誤解は訂正されなかった。


 驚く美夕姫の瞳の内に何を見出したのか、ぐいと引き寄せ、小次郎は唇を重ねる。

 技巧(テクニック)などありはしない。ただ、重ねてむさぼった。ぐったりと脱力した身体から抵抗の気配が消失する。


 ようやっと顔が離れ、男は相手の名を呼んだ。


「建どの……」


 ものすごい音が炸裂した!


 言うなり小次郎は平手をくらっていた。渾身の力で押しとばされる。


「な……? 建どの、受け入れてくれたのではないのか? なぜこんな……?」


 頬をおさえて小次郎は訊いた。


「勘違いなさらないで」


 低いひくい声が絶望を告知する。


「わたくしは美夕姫です」


「──っ!」


 男は声も出ない。


 が、身を翻す美夕姫の手を、小次郎は何とか掴み取った。即座に払われる!


「わたくしに触らないでっ! 軽蔑いたしますわ、小次郎さま」


 部屋から飛び出した美夕姫は、ちょうど車の到着を知らせにきた小雪とぶつかりそうになった。


「どうなさったんですか?」

「何でもないわ。早く行きましょう」


 訝る小雪を急き立て、牛車に乗り込む。梓の屋敷は五条にある。車は快調に大路を進む。


 一方、取り残された小次郎は………………張られた頬の痛みに、ひしひしと己が言動を悔いるのであった。










〈八〉火神矢の巫女──ひのみやのみこ──




✿登場人物について✿

今回は小次郎がらみの家系図になります。

まだ出てきてない人もいるのですが……そのうち登場しますので。


挿絵(By みてみん)





この章のタイトルは『火神矢ヒシンヤ』でしたが、今回『火神矢の巫女ヒノミヤノミコ』と改めました。


改める、で思い出したのですが、初稿では司王は

「隼という男をよこす」

と言っていました。とある誤解を生んだため、「隼という者」に変更しました。

隼というと21世紀に生きる皆様は惑星探査機を思い出されるかもしれませんが、それに関するニュースをカーラジオで聞いていた私は毎回のように「小惑星イトカワ」を「小学生イトカワ」と聞いてしまい、何か有名な子供がいるのかと思っていました。インフルが流行る時期になると繰り返される標語「手洗い・うがい・咳エチケット」も「手洗い・うがい・石油チケット」と聞いて、冬に申請すると配付されるんだろうかと思ってました…………人間とは、自分の聞きたいように話を聞いてしまう生きものなのです(笑)


それはそうと、このたび、やっと火宮家の牛飼い童に名前がつきました。鈴丸と申します。妹は小鈴ちゃんです。

じい?じいの名前は…………あれ?


あと、美夕姫が時頼を叩きのめさなかった理由は……おわかりですよね?好きなひとの(一応)兄だから、でした(笑)



2024/3/3 追記

司王の官位ですが四位ではなく五位であることに気づき、本文を修正いたしましたm(_ _)m






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