〈七〉月読 ❐
文末にいとこ関連の家系図を入れてあります。
よろしければ、ご参照ください(*^^*)
(家系図が入っている章タイトルの横に❐マークがついています)
夜半を少しばかり過ぎた頃であろうか。
猿轡に加えて目隠しまでされた美夕姫は、じっとりと包み込まれた衾の暑さに息苦しさを感じていた。不意をつかれたくやしさからか、意識は清明に保たれており屋敷から連れ出された後もひたすら担がれて運ばれたことを覚えている。
幸い賊どもに、すぐに彼女をどうこうするつもりはないらしく、頭とあおぐ者の到着を待っているのか美夕姫は板の間にそのまま投げ出されていた。横倒しにされている右半身に硬い床の感触がある。
隣室で酒でも飲んでいるのか、ざわついていたのが、ふと静まった。
建て付けが悪く、さきほど賊が苦労して閉めた引戸を一気に開け、数人が入ってきたのが足音と振動でわかる。板間に座るような体勢で起こされた美夕姫の耳元で低い声が穏やかに話しかけてきた。
「あなたに危害を加えるつもりはない。なので、どうか落ち着いて聞いてほしい」
女を攫うような賊の頭にしては上品な話し方をする男だ──不思議に思いつつ、美夕姫はうなずく。それ以外の意思疎通手段がない。
すぐに美夕姫を束縛するものはすべて解かれ、美夕姫は深く呼吸した。寝間着の単衣だけでは体裁が悪いため、とりあえず衾を被って露出を隠す。
「灯りを」
男の声で手燭を持った手下が傍へ寄る。遠慮なく、美夕姫の姿が照らし出される、と同時に賊の頭の姿もはっきりと見え、美夕姫は思わず息をのんだ。
声をたてなかったのは上出来といえた。
一瞬、男は異形のものに見えた。だが、それは男がどこかわからぬ国のもののような面をつけていたからであった。よく見れば、面は憂いを秘めた少年のような美しい顔立ちを刻んでいる。
「俺は阿修羅王の中のひとり、羅王だ。おまえは三条の大臣の姫だと聞いたが、真か?」
問われて美夕姫は驚いた。
撫子と間違えられたと知り、彼女は無事なのだと思えば安心なのだが、自分が攫われている状態だというのが、何というか、面白くない。
そして、この賊の頭の羅王と名告る男だが、阿修羅王のひとりとはどういう意味なのかが気になった。
「あなたがたは間違っております。わたくしは、三条の姫君ではありません」
「ほう?」
美夕姫が明らかにすると羅王の声に愉悦めいたものが混ざった。指先を顎にかけ、気持ち顔が上向きにされる。そこへ手燭が近づけられ、凝視された。
と、羅王の横から美夕姫を覗き見た男が針で突かれたようにのけぞり、尻もちをついた。
「こっ、こいつは昼間、おれっちの仕事を邪魔しやがった若者っす!」
「すると、男か?」
羅王の手が美夕姫の襟元をくつろげ、白い膨らみが確認された。
「なっ何をするか、この無礼者!」
美夕姫の平手が空を切る。張られたびんたをさらりと避けた羅王は、ちらりと見ただけで衾を覆いかぶせた。それから、いましがた彼女の胸元から落ちた何かを拾い上げる。
「葵、か」
小次郎が彼女の髪に挿してくれたあの花である。美夕姫はそれを大切に懐に抱いて眠ったのだ。
手下をさがらせ、ふたりきりになると羅王は美夕姫の髪に葵を戻した。
「おまえは、誰だ?」
美夕姫は口元にかすかな笑みを浮かべる。
「言えば身代を取られるとわかっているのに、名を明かす者がおりましょうか?」
すると、羅王は笑いだした。
「はははっ、その口のききよう、昔のままだな建」
「えっ? あなたは……誰?」
羅王はゆっくりと面を外した。灯りに照らされた顔は、怜とよく似ている。
「司王! あなたか。それにしても、賊の頭になぞ……」
「久しぶりだな、建」
「美夕姫です。……我が従兄の君にはお元気そうでなによりでございます」
父方にして母方でもある従兄に美夕姫は少しばかり厳しい声で告げた。
「仰々しい挨拶はよせ。かれこれ……二年ぶりか?」
「その二年のうちに賊ばらの頭になっているとは! 夢にも思わなかった。司王、なぜ?」
「次は説教か」
司王は肩をすくめてみせた。
「真面目に応えぬか、司王っ」
やや荒い声を出してから美夕姫は小さくつけたす。
「どうもあなたと話していると二年前に戻ってしまうようです」
しばらくふたりは押し黙り、やがて司王は言った。
「……立て」
「え?」
「三条へ帰してやる」
司王は美夕姫を馬に乗せ、自分もその後ろに乗ると言葉どおり三条へと向かった。
「司王」
「何だ?」
美夕姫は司王をまっすぐに見つめる。
「約束してくれぬか? 今後はどこの姫も攫わないと。三条の姫はなおさらに」
「約束はできぬと言ったら?」
美夕姫は常になく強硬だった。
「検非違使に密告、という手もある」
「できるものならな」
「約束できぬ、と?」
「攫ってくるのは手下で、俺ではない」
「では、三条の姫君には手出しをせぬようにしてほしい。あなたの手下であろう?」
司王は黙り込む。月を見るように、上の方に視線をそらしている。
空の月は十六夜で、まだ光りあふれんばかりの輝きである。
ややあって、司王は訊いた。
「なぜ、そうも大臣の姫にこだわる?」
「あのかたは、いずれは女御になられるのです。それに」
「それに?」
言いかけてやめた美夕姫を司王が促すが
「いっいえ何でも……十六夜とはいえ、まだ月は美しゅうございますわね」
「ふん、月か」
話をそらされたと気づいていたが、あえて彼は話題にのった。
「そういえば、梓が月読尚侍と呼ばれているのを知っているか?」
「いいえ? そうなの?」
梓は美夕姫や司王には従妹となる姫君で、橘王の妹であり、今上の従妹にもあたる。
「おまえも、宮腹の姫とはいえ内親王も女王も名告れず、入内すれば女御にもなれようものを」
「それよりも、なぜ梓が月読尚侍と?」
軽く咳払いして、司王は詠じた。
「烏羽玉の闇夜に光る星読も 輝き薄る夜半の月読──
意味はわかるな?」
「ええ」
「いまのは主上の御製だが、星読というのは内裏の女御、更衣のことで、それよりも月読、つまり梓のほうがはるかに美しく輝かしい──そういう意味にとった者が多くて、以来、月読尚侍だそうだ」
「主上には橘王と梓は近しい血縁であられるのだから、そのようなお歌を詠まれても不思議はないのに?」
「主上は昔から、兄の橘王以上に梓を可愛がるきらいがあったからな」
「でも」
本心から美夕姫は微笑んだ。
「入内していなくて良かった。梓が月読ならば、わたくしも星読ですもの」
「そうかな」
司王の言葉は美夕姫の耳に入るには小さすぎるつぶやきだった。
「何か?」
「いや、なんでもない。しかし、どうしておまえは三条にいたのだ?」
「兄上が行方知れずになったからですわ」
「怜が?」
初耳らしく、司王が驚く。
「何か聞いてないか? 兄上は大和からの帰り、賊に襲われ争っている途中で谷に落ち、行方がわからなくなったらしいのだ」
「大和からの帰りか」
頭の中で司王は情報を集める伝手を思案する。
「ないなら、ないでいい。しかし、何かわかったら教えてくれまいか?」
司王はうなずくと馬から降りた。すでに三条だ。
そこからは無言のうちにすべてが為され、美夕姫は元どおり西の対の自分の局に入った。
「では」
「司王! これを……」
立ち去ろうとしたのを引き止め、美夕姫は髪の葵の花を取って差し出した。
「せめて……この花が枯れるまでのあいだは、非道は行わないでほしい」
「わかっている」
花を受け取り、司王は帰っていった。
安堵の息をつき、美夕姫は正しく衾に包まったが、彼女と司王のやりとりを見ていた者がいた。
左近中将藤原時頼である。
彼は、美夕姫が色よい返事をしないので、思い切って今夜、夜這いを決行することにしたのだ。
ところが、いざ西の対に忍び込んでみると局はもぬけの殻で茫然としていたら人声がして、とっさに身を隠したが美夕姫は男と一緒だった。
しかし、世の中うまくできているというか何というか、時頼は司王を怜だと認識した。従兄弟なのでよく似ていたし、夜目でもある。
怜(司王)を見送った美夕姫が局に入ったので、時頼はいまこそ! と思ったが、美夕姫が寝つかれずに起きていて騒がれるのも興醒めだと判断し、自分の居室に引きあげた。
月読尚侍こと梓内親王が美夕姫に会いに来るとの使いがきたのは、その翌朝だった。
「これは尚侍の君、ようこそいらせられました」
めずらしく御簾を下ろした自分の局に入ってきた従姉妹に上座を勧め、美夕姫は言った。
「美夕姫、会いたかったわ!」
ところが、臈たけた月に喩えられるほどの美少女は女房よりもすばやく動き、美夕姫に抱きついた。
「なっ……尚侍の君?」
「昔のように梓と呼んで」
「あっ、梓? どうしたの?」
ようやっと美夕姫への抱擁を解くと、改めてその顔をまじまじと検分し、梓はため息をついた。
「もうだめ。わたくし、耐えられないわっ」
「何が?」
美夕姫はとりあえず訊いたが、連れてきた女房たちと同様に少しも慌てた様子のない橘王がにこにこ笑っていた。
「葵の君、梓は常日頃、言い寄ってくる者たちが皆、不細工だとけなすばかりで、そのくせこのようにさも自分を憐れだと嘆いてみせるのですよ」
「はあ」
なにゆえか、梓はうっとりとしたまなざしを美夕姫に向けている。
「ああ、やはりわたくしの理想の殿方は建さまですわ」
「た、建が、梓の理想?」
同じ女性同士のはずなのに、なんとなく落ち着かない気持ちになるのはなぜだろう? 少しだけ、美夕姫は梓との距離を空けようとする。
「そうよ。だから、わたくし主上に無理を申し上げてあなたに会いにきたの。だって、あなたってば建さまとそっくりなんですもの」
あ、然様か、とはいくらなんでも言えないが、美夕姫はつい橘王のほうを見てしまった。
「まったく、梓は情が深いというか執念深いというか……」
「あら、当然、情が深いに決まっておりましてよ」
「他にも良い男君、例えばこの屋敷の時頼の中将どののような公達もおられるのに」
「あのかたは、今源氏の君と噂される名うてのすきものではありませぬか」
「では、小次郎どのはどうかな?」
「それはどなたですの?」
話が変な方へ向かいだしたと美夕姫は思った。
「藤原小次郎唯時どの。無位無官ながら、なかなかに気持ちの良いかただ」
「無位無官?」
あきれたように梓が繰り返したが、橘王は意に介さずに続けた。
「ちょうどあちらを通られるようだ。どうかな、堂々としていて見事な男ぶりでおられるだろう?」
「………………そうですわね」
つぶやく梓の頬が、かすかに紅潮したのを美夕姫は見逃さなかった。
「それでは、こちらへお呼びいたしましょう。撫子さまのお相手がございますので、わたくしはこれで。ごゆっくりと、どうぞ……」
つい、厭味めいたことを言ってしまった。すぐに恥じて赤面したが、淑やかにきびきびと足を運んで撫子の局に向かう途中、簀子ですれ違った小次郎に梓のことを頼んだ。
撫子の局の側まで行って、美夕姫は立ち止まった。中から、男の笑い声が聞こえる。それに重なって、可愛らしく撫子の笑い声。
時頼が来ているのだと思ったが、声が違うと気づいた。
「撫子さま?」
警戒心を気取られぬ程度に声音を抑え、そっと懐剣に手を添え局に踏み込む。室内にいるのは、美夕姫の知らぬ男だ。
「あなたは?」
「ああ、葵の君と申されるのはあなたか? 撫子姫からお話をうかがっていたところだよ」
見知らぬ男のはずだが……そこはかとなく、美夕姫はこの男を見たことがあるような気がしてきた。
年齢は二十二、三ほど……気だるげというよりは眠たげな、のんびりとした雰囲気。少し垂れ目なのがご愛敬で優しく誠実そうな顔立ち……どこで見たのだったか──。
「青駒の君とおっしゃるのよ。混じり毛がひとすじもない真っ黒なお馬でいらしたから、そうお呼びくださいって。面白いかたでしょう?」
そう言って撫子はころころと笑っている。
「葵の君……失礼だが、あなたとはどこかでお会いしたような? 尚侍の君の館でだろうか……?」
青駒などと名告るとは、素性を明かす意志のない男ではないか。怪訝に見据えながら美夕姫は応える。
「そうかもしれませんわね、尚侍さまとは従姉妹ですので幼き頃はよく……あっ!」
美夕姫は思い出した。
確かに、会った。まだ少年だったが、この顔と出会ったのは梓の屋敷だった。
「ああっ!」
青駒の君も思い出したようだ。
二名は互いに相手を指差しあい、撫子はきょとんとした顔でそれを見ていた。
〈七〉月読──つくよみ──
✿登場人物について✿
増えてきましたので美夕姫といとこ達の系図を挙げてみました。色の縦線が兄弟姉妹です。
根性曲がりなのか、マーカー線が歪んでしまいました。どうか、気のせいということにしてやってください。
美夕姫の父と司王の母、美夕姫の母と司王の父が兄妹なので、司王は橘王よりも火宮家の事情に詳しいことになっております。
【後書き】という名の言い訳!?
①月読について
実は“月読尊”は男神さまです。性別は気にせず、美しさ重視の喩えで星よりも月を上位とされた言葉遊びのようなものと解釈いただけると幸いです。
②阿修羅王について
興福寺におわす天部のあのかたをモデルに作られた盗賊の頭たちの面は特に誰がどの顔に当たる、とかは考えておりませず。
(というか、仏教的には(?)アシュラ(アスラ)は“阿・修・羅”ではなく“非・天”なんですよね)
ちなみに興福寺のあのかたのそれぞれのお顔は「反抗心あらわな幼児期」「悩める思春期」「迷いから目覚めた青年期」なのだとか。
あと、司王は世紀末覇者の人とはまったく関係ございませんのでご安心(?)ください(笑)
(身長は六尺ほど。クドくない系さわやかイケメン、のつもりで書いております)
③まだセーフ?
司王で思い出しましたが、彼は美夕姫を確認するのに寝間着をはだけてお胸を見ちゃっていますが(ちらっとです)、触るよりは見るほうが罪は軽いと思ったのですが……。
(どっちもセクハラで問題行動ですが、いきなり触るより見るだけのほうが、今後の恋人や旦那さんが触れることをトラウマに感じるきっかけにはならないと思って……昨今ニュースでたまに聞くスマホとかを使った盗撮は充分、気持ち悪いと思いますが(^.^; )
どこかで尻尾の生えた誰かさんが知りたいなら「ぱんぱんしろよ」と言ってる気がする……それがいちばん確実……?
そして美夕姫さん?青駒の君?
ひとを指差してはいけませんよ?(笑)