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〈四〉化野





 すでに季節は青嵐の頃である。


 藤原(ふじわら)家の小次郎君、唯時(ただとき)どのは誰にも行き先を告げずに騎馬にて都を出た。

 親友である火宮怜(ひのみやさとる)から、留守のあいだは妹の美夕姫(みゆき)のことをよろしく頼むと言われていたので、三日にあげず七条の葵屋敷へ通っていたのだが、彼女に会う(たび)小次郎(こじろう)唯時の胸にはわけのわからぬ憂いが募るのだ。

 自分を心配そうに見つめる美夕姫に、いつしかその双子の兄の(たける)の面影を重ねて見ていることがしばしばあって、小次郎は美夕姫に会うのが辛くなった。

 

 二年前にただ一度会っただけの、しかも男子のことに、なぜこんなに心苦しくなるのか。


 日々思い悩んで、それでも小次郎は七条へは通った。だが、やはり美夕姫の姿を視界に入れると、建は明るい色の紐で髪を括っていたとか、まだ子供のような柔らかそうな頬をしていたとかいうことを思い出してしまう。なので、もっぱら簀子縁に座って庭か空を見ている。

 思えば、彼にとってその出会いは、あまりにも印象的だったのだ。

 ともすれば少女と見まごうばかりの美しい少年は、(はかな)き生きざまにより、神童のごとき存在として心に刻まれた。

 ああ、そうだったのか──小次郎は得心した。


 一方、美夕姫は──用らしい用もなく訪ねてくるものの、ろくに話もせず、まるでそこに自分がいないかのように顔をそむけ、室外ばかりぼうっと見ている小次郎の行動がわからなかった。

 兄の不在をなぐさめるために来てくれているのだとは思うのだが、持参の菓子を共に楽しんだり気晴らしになるような話題を提供するでもなく、たまに確認するようにこちらを見てはすぐに視線をそらしてしまう。


「小次郎さまは、まるでわたくしを見てはならぬ何かであるかのように思うておられますのね」


 男の背に向けて自嘲するが、()()とした反応は得られない。そのまま言葉を続ければ、ぐじぐじとした繰言(くりごと)になりそうで、美夕姫は龍笛を唇にあてがい、息を吹き込んだ。

 切なく、ため息のような繊細な調べは少し不安定な美夕姫の心そのままに、さびしげな音色を奏でた。

 その音があまりにも建のものに似ていたので、小次郎は思わず振り返る。

 彼の来訪時には、常に御簾はきれいに巻き上げられており、美夕姫の半ば目を閉じて小首をかしげ、細い指先が器用に動く様子や息継ぎする愛らしい紅唇がつぶさに見えた。


「建どの!」


 そっくりだったのだ。つい、言ってしまった。


「……建?」


 ぽろりと笛が手から落ちた。

 またしても美夕姫に建の姿を重ねてしまった己がなさけなく、小次郎は膝のあたりの衣服を握りしめる。知らぬ間にあふれ出てきた涙が、美夕姫の頬をひとすじ、またひとすじと伝って零れた。


「美夕姫どの……」


 これまでの遠慮はどこへやら、すぐさま傍に寄り、立膝のまま小次郎が美夕姫の手をとると、それを振り払って袖で顔を隠して美夕姫は泣いた。肩が震えている。

 小次郎は狼狽(うろた)えたが、それでもそっと彼女の肩に手をやると、白く小さな手がその上に乗せられた。

 それがあまりにも力なく自分の手に触れているので、思わず彼はもう片方の手でそれを覆った。


「ご……ご、めんなさい小次郎さま、わた、くし……とても、かなしくなって」


 顔を上げて美夕姫は無理に笑った。


「で、も、もう、だいじょ、ぶ、です」


 あふれ出てくる涙をぬぐい、笑ってみせる。

 その頬に手をやり、じっと小次郎は見つめた。まっすぐに見つめ返す美夕姫の澄んた瞳は、このうえもなく、美しい。

 頬に触れる手の、手首あたりに軽く力をいれ、心持ち上を向かせた美夕姫の顔に、小次郎は自分の顔を近づけた。美夕姫が目を閉じる。

 しかし……再びそこに建の顔が重なり、彼ははっと動きを止めた。


「小次郎さま……」


 もうこれ以上、傍に居ることがたまらなくなり、小次郎は座を立った。


「……すでに日も暮れてきました。あまり遅くまでいると、あらぬ噂をたてられるやもしれませんので」


 拒絶に近い辞去に返す言葉もなく、美夕姫は小次郎を見送った。




 小次郎は大股に簀子を進んだ。

 しばらく行くと、とある局に(うやうや)しく武具が飾られているのが目につき、立ち止まる。こんな局があるなど、知らなかった。


「さすがは大臣(おとど)の若君、そちらに目が留まりましたか」


 背後から落ち着いた声がかかる。佐久(さく)が立っていた。

乳母(めのと)どのか」

 小次郎はほっとした。若い女房よりも古参のほうが、どちらかというと話しやすい。

「美しいものでございましょう? 代々にわたり、こちらではまったく同じあつらえをいたしているのでございますよ」

 白絹を掛けた台には曇りなく磨かれた円鏡を上座に据え、細いが黒漆に螺鈿を散らした弓と矢、五色の矢をあまた入れた(えびら)が供えるように並べられていた。


「これは」


 螺鈿の矢に小次郎は目を留めた。これは、あの日、建が箙の上差しにしていた矢では?

 手に取って見ようとすると佐久が鋭く制止した。


「なりませぬ! 殿方はその矢に触れてはならぬのです」


「え? しかし、建どのはこの矢を上差しに」

「建?」


 相手が乳母ゆえ、当然、双子の件は知っているものと小次郎はその名を口にした。しかし、それを聞くなり佐久の様子が硬化した。

「その矢に触ることができるのは、無垢なる乙女だけです」

「乙女だけ?」

「ですから、この屋敷で触れるのは(はした)の十歳の娘と小雪、姫さまのみ。わたくしも、怜さまも例外ではありません」

「では、建どのは?」

「そのようなかたは存じませぬ」

 冷淡な言葉を残し、乳母は立ち去ろうとした。それを引き止め、小次郎は訊く。

「あの矢は、何のための矢なのだ?」

「……火の御矢でございます」

 今度こそ、佐久は去った。

 

 尋ねたいことがたくさんあったが、しかたがないので小次郎は葵屋敷を出た。

 道すがら、名は知られていなくとも、年若く弓と笛の名手を知らないかと訊いてまわれば誰か知っている者がいるのではないかと考え、小次郎は寺を巡る決心をした。

 それが十日ほど前だった。




 うらさびれた山寺をいくつか訪れてみたが、建を知っているという者はいなかった。

 かつて寄ったことのある火宮家の別宅の方へも行ったが、あいにくとそのあたりに寺はなかった。

 そのうちに、小次郎は化野(あだしの)の方に出た。

 ひょっとしたら、建はこのさびしい地に葬られたのでは──不意にそんな考えが頭の中に浮かんできた。そうかもしれないと、ひとり納得する。

 このあたりの寺で訊いてみようとしばらく駒を進めると、ひとりの男が道端に座りこんで頭をかかえているのに出くわした。傍の木に、男の馬が繋がれている。


「もし、そこは気分でも悪いのですか?」


 馬を止めて小次郎が尋ねると、男が顔を上げた。まだ年若く十七、八ほどか。驚くほど建に似ていた。


「あっ!」


 思わず声をあげると、男はにっこり笑った。烏帽子に狩衣姿だが、ほんとうにそっくりだ。


「わたしはちょっと考えごとがあり、ここで休んでいたのですが、ご心配ありがとう」


 声は、意外にも低めの男のものだった。


「あの、あなたはもしや、故大納言の火宮家に縁あるかたではありませんか?」


 男、というより少年は少し不審そうな顔になる。


「ええ、そうですが、あなたは?」

「わたしは藤原唯時と申します。火宮の怜どのとは親しき友としてつきあいをしております」


 それを聞いた少年は再びにっこり笑った。


「わたしは、橘王(たちばなおう)と申します。怜どのとは母方の従兄弟にあたります」


 建と似ているのは従兄弟同士だからなのだとわかり、ますますその類似点を探そうとしていると、橘王が不思議な話を持ち出してきた。

「唯時どの、怜どのの件、お聞きになったのでしょう?」

「何のことです?」

「ご存知ない?」

 彼がうなずくと少年は表情を硬くした。

「実は、怜どのが行方知れずなのです」

「は?」

高階治明(たかしなのはるあき)どのと大和へ向かわれたのだが、その帰りに賊と遭遇してしまい、太刀傷を負って谷へ落ち、そのまま行方がわからなくなっているのです」

「怜が? 妹御は? 美夕姫どのは、どうなさっておいでか?」

 橘王に尋ねつつ、小次郎は前回の面会で美夕姫に心ない仕打ちをしてしまったことを思い出していた。

「美……姫は、治明どのから話を聞くなり奥に引きこもり、誰とも会おうとしません。わたしも様子を見に七条へうかがったのですが」

 少年は大きなため息をついた。

「会えませなんだか」

 小次郎の言葉に橘王はうなずいた。

「どうしてさしあげればよいかわからず、馬の進むまま、このようなさびしい所まで来てしまった次第です」

 さぞ心細く悲しい思いをしているであろう美夕姫をおもい、小次郎の腹は決まった。

「では、わたしは都へ戻り七条へ行ってみます。橘王どのは、いかがなさる?」

「あなたがお行きになるなら、わたしも同行しましょう。ふたりならば、姫も()うてくれるやもしれません」

 かくて両名は駒を並べ、都への道を急いだ。




 葵屋敷に着くと、館のどこからか笛の音が聞こえた。

 佐久の先導で、小次郎と橘王はほの暗くなった簀子を歩いていた。

「良い頃合においでくださりました」

 声をひそめ、佐久が来訪への感謝のまなざしを向ける。

「姫さまは笛で気持ちをなぐさめられるほどには、落ち着きを取り戻しておられます」

 しかし美夕姫の局には御簾が下ろされており、おぼろに浮かぶたおやかな人影に小次郎はそっと声をかけた。


「……美夕姫どの」


 笛の音がぴたりと止む。


「小次郎さま?」


 常になく弱々しい声が返ってきた。が、ゆるりと御簾を出ようとしているのはわかった。しかし、美夕姫はその動きを途中で止めてしまう。

「どうされた?」

「……取り乱してしまって。このような姿をお目にかけるのは、心苦しゅうございます。それに……他にどなたかおいでのようですから」

「橘王ですよ、姫」

「まあ、従兄の君、ようこそおいでくださいました」

 少し、声音に温かみがさす。

 御簾の中で美夕姫は頭を下げた。

 そこへ、小次郎の兄時頼(ときより)が来たと小雪が告げにきた。

「兄上が?」

 小次郎が美夕姫の方を見る。

「かねてより、小次郎さまたちの妹姫のお相手(教育係)をせぬかというお話があり、中将さまが熱心にお勧めくださっているのですが……」

 それを聞き、橘王が賛同する。

「そうなさってはいかがです、姫。鬱々とこの屋敷で過ごされるよりは気が紛れて良いと思われます」

「ですが……」

 まだ美夕姫が迷っているところへ時頼が入ってくる。

「おっ、小次郎? おまえ、ここ十日ほど姿が見えんと思っていたら……」

 まさかずっとここにいたのか、と続けようとした時頼は、見知らぬ男が同席しているのに気づいて口をつぐんだ。

「藤原の……左近中将どの、初めまして。わたしはこちらの姫君の従兄で橘王と申します」

 すかさず橘王が名告ると時頼も応える。 

「これは……藤原時頼と申す。いく久しゅう」

 昔から橘王は何となく人を和ませるところがある、と美夕姫はかすかに笑ったが、時頼が自分の方を向いたのですばやく口元をひきしめた。美夕姫が注目しているのを感じ、中将はとびきりの笑顔で切り出す。

「葵御前、これまでもお話ししていたように、左大臣家の撫子(なでしこ)のお相手をお願いできないだろうか」

 小次郎と橘王がうなずくのを見て、美夕姫は心を決めた。

「はい」

 時頼はいささか拍子抜けした感じがしたが、それでも嬉しくは思った。らしくもなく、声がうわずる。

「でっ、では?」

小雪(女房)を連れて行ってもよろしゅうございますか?」

 時頼が二つ返事で許可すると、美夕姫は佐久を呼んで三条へ行く旨を伝えた。


 美夕姫が撫子姫のお相手(教育係)として三条の大臣の屋敷に伺候したのは、それからしばらくしてからだった。











〈四〉化野──あだしの──

 




打ち込みしながら「あれ?神聖な弓と矢だけど作った人たちって“乙女”じゃねえじゃん」ということに今更、気づきました。鍛治のかたとかは精進潔斎してから鍛治場にこもるんだろうなぁと思いましたが、たぶんDTとかでもなさそうだし……「これは、そう、あれだ。製作された弓矢はいったん神社仏閣に運ばれて、そこで“聖別”的な加工をされて火宮家に納品されてるんだ!それか、火宮家で女の童と小雪と美夕姫がお祓いとかしてるんだ!」ということにしておこうと思います(笑)。どちらさまも、悪しからずご了承いただけますと幸いですm(_ _)m




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