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〈三〉玉葛




  玉葛(たまかづら) 長き年月 待ちぬれば

        今宵は闇に 君が戸を問ふ



 兄、火宮怜(ひのみやさとる)が大和へ向かった翌日、美夕姫(みゆき)は簀子にこの歌があるのを見つけた。矢音がしたので顔を向けると、飛来した矢が板目に突き立ったのだ。

 文使いが運んだものであれば、美しき箱に入れ花など添えて届けられたのだろうが、あいにくと、それは斑羽(まだらば)尖矢(とがりや)に結ばれて撃ち込まれた。

 唐土(もろこし)の故事をたまたま知っていた美夕姫が


「……果たし状?」とつぶやくと


「殿がお留守なのにいったい誰が誰に決闘を申し込むというんですか、まったくもう、傷がついちゃったじゃないですか」


 物音を聞いて駆けつけた武光(たけみつ)がぶつぶつとこぼしながら、矢を引き抜いた。一応は両手で捧げ持つようにして美夕姫に手渡そうとする。


「え?」


 それって、わたくし宛なの? 嫌なんだけど?

 言外の問いに武光はうなずく。


「はい」


 引き気味の姫に、家司(けいし)はずいっ、と矢を差し出す。指先で摘むように文を外して一瞥をくれると、美夕姫は衝動的にそれを丸めて庭に投げ捨てたくなった。なんとか堪えて床に落とすに留める。


「姫さま?」


 武光が知るかぎり、このところ美夕姫に言い寄ってきている男は()()である。ものすごく色彩感覚の悪い、右近少将。武官というのは脳筋なのか? 意中の姫に矢文を送ってどうする?

 もちろん、彼の仕える家の姫君はその()()に頬を染めて、きゃっ素敵〜なんていう反応はしなかった。ぺっと文を捨て、握りこぶしを固めている。


「……武光、佐久(さく)にすぐ来てくれるように伝えておくれ」


 心なしか口調に冷たさを感じ、武光はあわてて佐久を呼びに行った。

 佐久は武光と小雪兄妹の母であり、怜と美夕姫にとっては乳母にあたる古株の女房だ。

 到着するのを待ちつつ、美夕姫はいまいましげにつぶやく。


「しつこい奴……」


 姫君の一大事、と乳母は足音高く美夕姫の局に駆けつけてきた。小雪も一緒だ。

「姫さま、いかがなされました? お顔の色がすぐれないご様子ですが」

「佐久ぅ……」

 不機嫌なのを隠そうともせず、指先の反しで美夕姫は文を乳母の方へと進める。

「わたくし、もう()めてもいい?」

 佐久が寄せられた文を手に取って見れば、そこには玉葛の歌がしたためてある。

「姫さま、これは」

 母の顔色が変わったのを見て小雪が文を覗き込み、これまた顔色を変える。

「姫さま、お生まれになってからこれまで、十七年、わたくしはあなたさまのお世話をいたしてまいりましたが、いったいどちらの公達(きんだち)が姫さまをお見初めになられましたのか。乳母やは、うれしゅうございます」

 そのままよ、よ、よ、と泣き出す乳母に美夕姫は一層不快になった。よせばいいのに、うれし泣きしつつ佐久は続ける。

「おめでたいことでごさいます。姫さま、そんな、お顔をしかめるのはお()めなさいまし。殿はお留守ですがこの乳母やがすべて良いように取り計らってみせましょうとも。ご安心くださいまし」


「お黙り」


 美夕姫は怒っていた。超絶に不快だった。


「姫さまっ」


 驚いた小雪が止めなければ、激怒した美夕姫は乳母の襟をひっつかんでげしげし揺さぶったことだろう。常になく声を荒らげる。


「なにがうれしい? めでたくなんかないっ。佐久、相手が誰だかわかっていて?」

「お相手?」

 はた、と佐久は文に視線を落とした。


『あ・な・た・の・()()()・よ・り』


 気色悪くくねらせた書体からまことに嫌ぁな気配が立ち上っているように見える。


「なっなんです、これはっ! 武光、そなたはまた何だってこのような(おぞ)ましきものを受け取って姫さまにお見せしたりするのかっ」


 佐久でさえ、指二本で摘むのがやっとだった。


「いや、これまで何とか理由をつけて突っ返しておりましたよ。そしたら、今日は強制的に矢文を射込んでまいりまして」

 その緊急性を(おもんぱか)り、別件かと確認した結果がこれなのだ。


「あの成り上がり者の、醜男めが、評判の悪い乱暴者の分際でうちの姫さまに……っ」


 せめて怜が仕官し、それなりの位を得ていたならば言い寄る隙など与えなかっただろう。美夕姫の父は大納言、生きてこの世にあれば今頃は大臣になっていたかもしれない家格だ。


 強制排除できたらば──!


 なろうことなら、是非とも使いたい手段だった。だが、仮にも公卿の家、この貴族社会で合戦(いくさ)でもないのに武力行使は大顰蹙(ひんしゅく)なのだ。正当防衛を主張するにも、先ずは一旦、攻撃を受けなければ道理が示せない。


 どうしてそれを知ったか、怜が京を発った翌日に動き出す性急さ(堪え性のなさ)が本当に気味が悪い。


 美夕姫は理不尽すぎる求婚を、悔し涙が出るほどに嫌悪し言った。


「絶っ対に、嫌! 兄上がいない隙を狙う卑怯さも一方的な押しつけも、まったく許容できない、許せない!」


 いま館にいる男手は家司の武光に雑色の老人と牛飼い童のみ、戦力外なうえに身分をかさに強く言われたら引かねばならぬ立場の者ばかりだ。

 警護の(さぶらい)を雇うに充分な費用はあれども、人数を掻き集める時間がない。聞けば大陸の南方に棲むという虎やらは雌であっても(つよ)く、自分よりもさらに強い雄としか(つが)わないという。虎狼のような娘との(そし)りを受けようとも家人を守るは主人(あるじ)の努め、もはや姫としての面目に頓着せず、自分がそれなりの抵抗をするしかあるまい。


「美夕姫さま」


 心に極めて顔を上げると、佐久がその耳に囁いた。

「ご出立の折に殿が申されたように、ここは左大臣家の、唯時(ただとき)さまにご相談されては?」

小次郎(こじろう)さまに?」

 かすかに笑おうとした美夕姫だが、すぐにまた泣きそうな顔になる。

「そうなされませ、姫さま」

 小雪も勧めたが、美夕姫は首を横に振った。

「だめ、あのかたには……小次郎さまには言えないわ。いずれ出仕なされば、どこでどんな縁が生ずるかわからないもの。いまから良くない縁を築く愚はさせられない。それに、小次郎さまがお知恵を貸してくだされてもそれは今宵だけのこと」


 害虫は、根本から駆除しなければまた発生するのだ。

 

 だが、話しているうちに一計を案じ、美夕姫は少しだけ表情が明るくなった。

「小雪、おしろいはある?」

「え? あ、はい、ございます」

(べに)は?」

「それもございますが、それがどうかなさったのですか?」

「まあね、少し、思いついたことがあるの。後で持ってきてくれる? あれば念のため鉄扇も」

 残念ながら火宮家に鉄扇はなかった。




 宵の口──。

 小雪、紅葉(くれは)百合(ゆり)といった若い女房たちに髪を梳かせたり、(うちぎ)を着せかけさせて、美夕姫は身じまいした。乳姉妹の気安さで、小雪があきれたように言う。

「あんなに嫌がっておられたのに、伊津良の少将を出迎えるためにおしゃれされるなんて、姫さま、どうかしてます」

 美夕姫が鼻に皺を寄せた。

「不快になるからその名を口にしないで! それより、障子(そうじ)の用意はどうしたの? 佐久と日向(ひゅうが)では大変だとかわいそうだから、小雪、ちょっと手伝ってらっしゃい」

「はい……」

 小雪が局を出ていくのを見送り、美夕姫は化粧にとりかかる。

「百合、おしろいを」

 女房から容器を受け取り、大きく息を吸い込む。

「「姫さま?」」

 ふたりが首をかしげると、美夕姫は目をつぶって刷毛を顔中になすりつける。

「あっ、あ、あ、姫さま、程々に……」

 見かねて紅葉が注意するが、知らぬ顔で美夕姫は塗ったくっている。もはや、塗り込めるというよりはこびりつけているというのが正しい状況だ。

「そっそれでは紙のように白いというよりも……もう、お化けですわ、姫さま!」

 百合も言ったが美夕姫は澄まし顔だ。狙ってそうしたのだから、当然の結果だ。おしろいの器を置いて、今度は紅を手に取る。そして、紅を、いや、紅()、塗ったくった!

 口角はくっきりと、鬼女さながらに頬まで描き、しかも頬っぺたの真ん中を大きく丸く塗る。

 夜道の暗がりで遭遇すれば間違いなく検非違使(けびいし)陰陽寮(おんみょうりょう)に通報されるのは確実な怖ろしさ、まさに鬼気迫る風貌である。

「ひっ姫さま……」

 正体を知っているからこそ女房たちは茫然と見つめているが、初対面であれば見たとたんにばたばたと気を失うものと思われた。

 何気なく美夕姫が笑いかけるが、見ているほうは、もはや恐ろしくて声も出ない。

 そうこうするうちに、伊津良の少将が来たと小雪が知らせにきた。

「ヒッ! そっそのお顔は……」

 変身過程を見ていなかった小雪は何とか悲鳴をこらえたが、目の前の鬼女が美夕姫の袿を着ていなかったらきっと気絶していただろう。うまくいきそうだと美夕姫はほくそえんだ。


 障子を置いて用意した局に、すでに少将は入っている。無言のまま美夕姫が障子越しの座にすわると、衣ずれを聞きつけて少将が話しかけてきた。

「ひ、姫か?」

 野太い声ならまだしも、少将の声はかなりの濁声(ダミごえ)だった。思わず、美夕姫は檜扇を開いて障壁にした。


 応えないでいると少将は

「いくそたび 君がしじまに負けぬらん 物な言いそと 言わぬたのみに」源氏物語のうけうりをした。


 これは光源氏が末摘花の姫君に送った歌だが、当然のごとく、美夕姫の癇にものすごく障った。彼女が末摘花だと言ったも同然だったからである。

 この世の女人は不美人と言われて喜びはしない。たとえどんな美女に対しても、それは禁句だ。

 事実、美夕姫もたいへん不愉快な気分になったが、末摘花で鼻に紅を塗って赤くするのを忘れていたことに気づいた。後ろを振り返り、几帳の陰にいる小雪に自分の鼻を指差してそこにも紅を塗ろうと伝えたが、小雪は笑いをこらえるのに必死で理解が及ばない。

 なおも姫君が沈黙しているので、少将は再びうけうりを披露した。


「言わぬをも 言うにまさると知りながら 押し込めたるは 苦しかりけり」


 またしても自分を末摘花の姫君に仕立てやがる少将に、美夕姫は()()()()に光源氏のほうの歌で応えた。


「なつかしき色ともなしに何にこの 末摘花を袖に触れけむ」


 すると少将は皮肉に気づかず

「やっと口をきいてくださいましたね」と。


 もうここまでくると、この男の図々しさに美夕姫は何も言う気にならない。


「またお黙りになる。もはや成すすべはこれしかないようですな!」


 いきなり少将は障子を脇へ押しやって、実力行使に出てきた。

 あわてて顔を隠したふりをする美夕姫の手を、無理やり除けたため、真っ向から間近に鬼女(メイク)に出くわす。


 少将の驚愕は魂消(たまげ)るまでの衝撃となった。

 (つんざ)くばかりの叫び声をあげて、後ろに飛び退(すさ)る。


「少将さま、どうかなさったの?」


 美夕姫はにっこりと笑った。

 少将の恐怖が、限界値を軽〜く更新する。


「ひっひっ、姫っ、ま、まろは急用をお、思い出しましたゆえに、ここ今宵はっ、これにてしっしっ失礼させて……」


 何とか告げて帰ろうとするが、いかんせん、腰が立たない。

「あひっ、あひっ」

 半泣きなのを両脇から支えた従者が板間を滑らせるように担いで車寄までひた走った。局の外に控えていた従者が鬼女(メイク)を見ていなかったのは幸いだった。




 翌朝、右近少将は使いの者にたくさんの手土産を持たせ、文を七条のとある屋敷に届けさせた。高価な料紙には署名もなく、


  いまはただ 想い絶えなんとばかりを

         人づてならで言うよしもがな


 と、道雅(みちまさ)どのの歌が書かれていたそうである。

 それから後、伊津良の右近少将の趣味の悪い頭絡をつけた牛を葵屋敷付近で見かけることはなくなったという。


 それにつけても、他人(ひと)さまの歌をよく使う男であった。











〈三〉玉葛──たまかづら──

  




またしても登場人物を改名してしまいました。美夕姫の乳母「佐久サク」さんです。元々は「開耶サクヤ」だったのですが古参クラスの女房どのに木花咲耶媛を連想させる名前だと色っぽすぎるかなぁと、落ち着かせてみました。


うん、HQで云うところのヒーローポジションのはずなのに、今回も小次郎は名前しか出てきてませんね。そのうち出張るはずです。…………たぶん。








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