〈二十八〉舟路
あっ!
微妙にスプラッタ!
…………苦手なかたは、そこんとこは目を閉じて走り抜けてくださいm(_ _)m
左源太は舷側に寄りかかっていた。ぼうっと彼方を見ているだけのようだが、自然と潮を読んでいる。体のあちらこちらに鈍痛が残り、身じろぎひとつですら避けたいくらいなのだが、心は不思議と晴々としていた。
「……つ」
頬に当てた布切れを押さえていた手に少し力が入り、思わず呻吟が漏れる。
「左源太はん、替えの布はどうでっか」
配下のクマがひょっこりとやってきて、冷ました薬湯で絞ったばかりの布を差し出す。形はでかいうえに剛毛な髭もじゃ、力も人の二倍はあろうかという鬼まがいの見てくれのわりに存外まめで、面倒見のよい男である。
「おう」
左源太が温くなったものを渡そうとすると、その顔をじっくりと見て、クマは言った。
「ああ、こらぁいいトコ当ててはりますなぁ。おふたりの殴り合い、さぞやええ見物でしたろわいなぁ」
「どこが」
毒づきながら、左源太は冷たい布切れを受け取って頬にそっと当てる。
「こっちの拳が当たるのはいいが、当てられるのは堪らんもんだぞ」
「そらそうでんな」
ふたりして笑う。引き攣れた頬が痛んだが、笑い出した以上、どうしようもない。
「ほんなら、わてはこれで」
ひとしきり笑うと、クマは離れていった。
「左源太、どんな様子だ?」
船尾の方から由岐丸が寄ってきた。
「由岐丸どの、まあ、こんな感じで」
引き攣りを駆使して何とか苦笑して見せると、彼もまたじぃーっと左源太の顔面を観察した。
「うん、勝負は引き分けだな。どちらも見事な打撃が入っておる。まあ、こんなもの、美女の手厚い世話があれば、すぐにも癒えようが」
「え?」
少年はによによと笑みを浮かべている。
「羅王どのにそう言うたら、怖い顔をされたぞ。姫君を帰さなければよかったのだとも、彼の人にならばわたしも手当てをされてみたいものだとも言っておらんのになぁ」
「由岐丸どの」
左源太の顔色を読み、由岐丸は真顔で続けた。
「わかっている。まだ機ではないというのであろう?」
無言で左源太はうなずく。
「ヘマはやらんさ」
ふ、と由岐丸の目が船首へと向けられる。
「左源太」
船首の物見が報告のために左源太のもとへやってくるのと、その声は同時だった。
「由岐丸どものご一緒か」
隼を伴って甲板に上がってきた司王だが、物見の話を聞こうと口をつぐみ男に注視した。
「漂流者です、三人」
「ほぅ?」
聞くなり由岐丸がにやりと笑う。船尾の舵取り役に合図して伊吹丸を寄せるように伝える。
当然、拾うよな?
確認するまでもない。彌勒王の海賊船の残党だ。
「しかし、三人か」
しょぼすぎる。が、それでもまた追来働きをしようとするとは、意欲的といえるか。追捕使の船ではなくこちらに来るのも、よく見ているということだ。
だが、こちらも海賊なのだ。
「さて、見にゆくか」
せいぜい、由岐丸の退屈しのぎといったところか──すっかり乾いてしまった端切れを懐にねじ込み、左源太は立ち上がると主の嫡男の後を追った。
「漂流者というのはそなたらか」
由岐丸のかけた言葉は、確認ではなく相手への役付けである。そう割り振れば、そやつらはそのように行動する。
「へっへえ。このとおりの漁師ですだや。小舟で漁に出て、うっかり潮に流されちまって」
垢まみれの男は落ち着かぬ様子で筋書きを語る。あとのふたりはうなだれている。
「それでそのぉ、こちらの船はどっこへ行くんじゃろうかのぉ」
「ん?」
「あっ、いやー、わしらそこらで島に降ろされると、後が難儀ですじゃに」
「ああ、伊予の国に入ったら適当なとこで降ろしてやるよ」
そう言って由岐丸が男たちに背を向けた瞬間──
いままで卑屈にもあわれを訴えていた垢まみれの男が、信じられない速さで立ち上がり、どこからか取り出した小刀で少年の背後から襲いかかった。
それをわかっていた由岐丸は、迷いなく抜刀して応戦するが、同時に、別々の方角からも男らに跳びかかられてしまい、それらを受けた隙に最初の男から目を離してしまった。
「しまった」
左源太が臍を噛む。
「へっ、だっせぇな」
首筋に当てられた刃物に抵抗をやめ、由岐丸は軽口を叩いた。できることなら、こんな場面、見られたくなかった。だがこれだけの騒ぎだ、当然、何事かと確認に来ているはずだ。
「このガキの命が惜しいなら、武器を捨てなぁ」
小刀を突きつけている男が指図する。
「捨てるな!」
間髪を入れず由岐丸は叫んだ。
「たかが小刀に臆したとなれば、我が名折れ。そんな恥をかくくらいなら、死んだほうがましだ! 誰かこやつを殺れっ!」
しかし、少年の望みに反して誰も動こうとしない。
「ご大層な心がけだが、ガキぃ、誰も動かないぜぇ」
「くっ……」
男の嘲りに唇を噛み締め、由岐丸は毅然と前を見据えている。
「さぁよぉ、早いとこ武器捨てなぁよ」
言葉に合わせて男が刃物を振る、その切っ先がわずかばかり由岐丸の肌から離れると同時に、伊吹丸の甲板を何にも遮られることなく何かが飛んだ。
「あ、がっ!」
男の手から小刀が落ちた。右手の甲から手のひらにかけて、矢が突き抜けている。
左手で傷ついた手を押さえ苦しむ男は、たちまち、由岐丸により首を刎ねられていた。他の者らも同様、間をおかず斬り捨てられた。
「由岐丸どの、怪我は?」
太刀を鞘に収めながら左源太が訊くと、
「ない」
由岐丸は即答した。
そちらには無反応で太刀をしまい、司王は無言のまま船倉へと降りてゆく。
「死体を片づけておいてくれ」
下知を残すと左源太は由岐丸と共に司王を追った。互いにあまり望ましい状況でないことを、司王の様子から感じている。だがしかし、ここでついていかないと、事態はもっとずっと暗黒化しそうで、どうなるかもわからなかった。
船倉の奥深く、船尾の手前になる位置に、なぜか増えている寄せ集められた几帳の奥に向けて司王は言った。
「いいかげんに出てきたらどうだ? 美夕姫」
普段と変わった風でもなく、怒ってもいないようなのだが、それでも何だか辺りがうすら寒いような気がしてくる。
「……ただいま、着替えをしております。しばし、お待ちを」
由岐丸と左源太もこの声を訊いた。明らかに美夕姫のものだ。目を見交わし、ばつの悪い顔になる。皮肉な笑みを浮かべ、司王は言った。
「知らなかったのは船中で俺ひとり、か」
「弁解はいたさぬ」
苦笑した少年を、美しい声音がとりなす。
「どうかおふたりをお責めになりませんように。司王、わたくしが無理にお願いしたのです」
袿姿で、美夕姫が現れた。
「なぜ帰らなかった?」
「一刻も早く、兄上にお会いしたいからですわ」
「ふ、ん? では、身代わりになった女は誰だ?」
「あれは、白菊と」
一瞬、美夕姫が言いよどむ。
「白菊と?」
「……東の集落にいた白菊のいとことやらでございます。世話をするようにと佐久への文を持たせましたし、小次郎さまにもお願いをしておきましたの」
司王は黙って聞いている。
「それにしても、司王、よくわたくしだとおわかりになりましたこと。ばれないよう、気をつけておりましたのに」
何事かを思索しだしている司王の思考を妨げるかのように美夕姫が連続して話しかけると、
「透かしもないのに、高鳴りする矢を放ち水干を着る女が、世にどれほどいると思っている?」
多分、水島の女船にはそんな女性しか乗り組んでいなかったのでは? 思いつつ、美夕姫は沈黙を守る。
「そういえば、おまえ、俺の面を持ち出しているな? どこにある?」
「ああ、あれは──小雪、持っていらっしゃい」
手土産に、白菊に持たせなかったのはいい判断だった、と、つい口角がにんまり上がる。
「はい」
いましがた、美夕姫が出てきた辺りから文箱を手にした小雪が現れる。
「どうしてわたくしが持っているのか、お知りになりたい?」
意味ありげに自分を見上げて言う従妹に、男は心とは真逆のことを言った。
「そんなことはどうでもいいことだ」
冷たい言葉に、いつかのように少女の手が翻り男の頬を打つか、という瞬間、司王の手は美夕姫の手を制していた。
「そう何度も俺が平手を喰らうと思うか?」
唇を噛み締めて、美夕姫は手の力を抜いた。そこで司王もその手を放してやる。
「何はともあれ、これが無事でよかった。その点では礼を言うぞ、美夕姫」
美夕姫はぷいっ、とそっぽを向く。
仕方ないなと、息をつき、小雪から箱を受け取って司王は言った。
「左源太」
「ん、ああ、何か?」
「悪いがまた、美夕姫を几帳で囲ってやってくれんか?」
「まあ、帰れとおっしゃいませんのね」
背けていた顔を真っ直ぐに向け、美夕姫は確かめる。
「いまさら、追捕使どもを追うわけにもいくまい?」
上手くいった──そう思った者らの数を、司王は知らない……。
〈二十八〉舟路──ふなじ──
初稿では美夕姫、羅王の面をかけて姿を誤魔化していましたが、夜にそんな格好してたら矢なんて射れないよね、ということに気づき、カットしちゃいました。
いくらイトコでも異性が顔に着けたものを被るの抵抗あるだろうし。




