〈二十七〉知音
「……美夕姫」
司王が声をかけた。
「まだ怒っているのか?」
美夕姫は応えない。虫の垂れ衣もわざとらしさを感じる。
男はため息をついた。やれやれ、という気持ちが強い。なにしろ、貞高や小次郎に彼女を京へ連れ帰ってほしいと頼んだ後から、一っ言も口を利こうとしないのだ。小雪までもである。
「乳姉妹というのは、いらぬことまで似るものだ」
皮肉のつもりで言っても乗ってこない。
やがて、小次郎が来た。
「さ、美夕姫どの、小雪。船へ参らせよ」
美夕姫はうなずき、何事かを口にした。衣ごしに赤い唇が動くのが見えた。
「あ……?」
司王は己が耳を疑う。その視線を断ち切るように振り返り、美夕姫は告げた。
「司王、京で待っております。お早うお帰りを」
「美夕姫っ」
機嫌が直ったらしいことよりも、いまの声が気になった。
軽く頭を下げると、すぐに美夕姫は小次郎の後を追う。小雪もいくぶんかは主よりも深く傾いていたが、そそくさと行ってしまった。
「どうした?」
気づけば傍に左源太が立っていた。
「いまのは……美夕姫か?」
「はあ?」
壺装束に虫の垂れ衣、いかにもな貴人の旅姿が自分の従妹かと疑う男に、左源太が怪訝そうな顔をする。
「いや……何でもない」
さすがに苦笑する。
「左源太、美夕姫どのは──」
そこへ隼と共に由岐丸が現れ、司王は少し気を張った。
由岐丸はどちらかというと、というよりは明らかに美夕姫を京へ帰らせるのには反対のようだった。本心からか若気の至りからかは不明だが、彼女を異性として想いを寄せ口説こうとしていたのに、強引に司王は帰京を決めてしまった。
心ならずも、盟友の子息に負い目を感じるはめになってしまったのである。
もちろん、年若い彼の恋路を邪魔するつもりなど毛頭なく、司王はただ“女”を見たくなかっただけなのだ。島の女たちではない。有り体にいえば、美夕姫や小雪を見たくなかった。
見れば必ず、その面差しにあるひとのものが重なり、羅王たるべき自分がただの貴族の男──軟弱な感情に振り回されはらはらと涙をこぼしたり、ため息に息がつまり心が揺らぐ情けない生きもの──になってしまうのではないかとの危惧に苛まれた。だからこそ、彼は美夕姫主従を自分から遠ざけたのだ。貴族の姫君のお遊びにつきあうには潮時だという辛辣な評価もあった。
「……亮どの、どうなされた?」
じっと考え込んでいると、由岐丸が見上げてきた。まだその辺りをうろちょろしている雑兵らを警戒し、わざと司王を官名で呼ぶ。
「え……?」
少年はからかうような笑みに口角を上げている。それを司王は意外に思った。
「何を考えておられる? 姫君のことか?」
由岐丸が美夕姫のことを話題に出したので、司王は再び先刻の疑念を思い起こす。
黙っているのをどう解釈したのか、あっけらかんと少年は言った。
「わたしに負い目を感じておられるのならば、無用のことだ」
楽しげに、彼は笑う。
「此度はまだ機が至っていないだけのこと。京であれ、どこであれ、わたしは彼のひとを追うので、あなたが気にされることはない」
美夕姫の性格を思えば、いくら激しくとも熱情に流されることはないのだが……冷静に考えながら、司王はふとあることに思い当たった。
「しらぎく……白菊はどこに?」
そういえば、今日は姿を見ていない。いや、いつからだ?
「白菊? なぜそんなことを気になさるのか?」
急に真面目な顔で由岐丸が問い返す。
「いや、べつに」
さりげなさを装いつつ、司王は疑念を解く鍵が白菊にあることを確信した。
そのまま視線を隼に向けると、隼は心持ち青ざめ、消え入りそうな声で言った。
「白菊さんは……たぶん東の集落へ行ったんだと……」
「ああ、そういえば、白菊の伯母がそっちにいるとか言っておったな」
由岐丸の説明も、もはや司王の耳には入っていなかった。彼の考察は、由岐丸や隼が白菊の行方を隠そうとしていることで充分に肯定されていた。
「さぁて、我らも船出の用意をせねば。頭もさぞや待ちわびておられよう」
気を逸らすように左源太が言った。
「……そうだな」
仕方なく相槌を打つ。
「ところで左源太、俺の面を知らぬか?」
「めん? 面というと、あの、羅王の面か?」
「ああ。この島に連れられて来て以来、見ておらんのだ」
「隼、そなた知らぬか?」
身の回りのことは司王本人よりは近侍の者のほうが把握している。左源太が訊くと、少し考えてから少年は応えた。
「……美しい文箱に入っておりましたから、美夕姫さまのお道具と間違えて持っていかれたのでは?」
彼が間を置いた理由は、その美しい箱がどこに蒐集されていたのか──水美の宝箱にである──を頓着したからだ。
「いや、俺は官人らの手下が道具を運ぶところを見ていたが、それらしい物はなかった」
司王が否定すると、再び思慮深い少年は慎重に言った。
「では、この館の宝部屋にあるのでは?」
「あそこを捜すのか……?」
宝箱などという可愛らしい規模じゃない。容赦ない数々の略奪品に埋め尽くされていた一室を思い、司王はうんざりと息をつく。そんな彼の姿に微かに口元を笑みにゆがめ、左源太は言った。
「ならば司王、おまえは隼とあそこを捜しておれ。そのあいだに俺たちは船出の仕度をしておこう」
「ああ」
いかにも渋々と、司王はうなずいた。何といっても大切な面、捜し出さねば都合が悪い。
「隼、来い」
「はいっ」
元気よく応え、素直に隼は司王の後に従った。
「……左源太」
「は?」
ふたりの姿が見えなくなると、由岐丸が言った。
「あまりニヤつくなよ」
「由岐丸どのこそ、白菊の話が出たときは──」
互いの顔を見合わせて笑う。追捕使どもの船の出帆を知らせる銅鑼が聞こえてきた。
「……無事に着けばよいのだが」
常になく、由岐丸が何事かを案ずるように眉根を寄せる。
「まだ、彌勒王の残党は周辺に散っているのであろう?」
「取るに足らぬ小者どもですよ」
「ああ、それはわかっているが……」
なおも由岐丸の愁眉はつのる。が、それを払拭するように毅然と顔を上げ、
「よし、我らも帰るぞ、左源太」
言い置いてさっさと港の方へ歩き出した。左源太も、その後を追う。
その日の夕刻──。
司王はひとり砂浜に座り、沈みゆく太陽を見ていた。砂を踏む足音がし、背後に人の気配を感じる。
「あったか?」
予測どおり、左源太だ。
「ない」
「ないぃ?」
「ああ」
宝部屋のどこを捜しても羅王の面はなかった。
「それなら」
左源太はぽそっと言った。
「やはり美夕姫さまが持たれたのではないか」
「美夕姫が?」
それは彼女の思いを無視して無理を強いたことへの意趣返しなのだろうか? 司王にはさっぱりわけがわからなかった。
「さて、船に戻るとするか」
用は済んだとばかり、左源太は踵を返す。
「待て、左源太」
それを、司王が止めた。
「しばし、待て」
「何だ?」
すっとぼけるように無心な顔で近寄る友に、司王は訊く。
「おまえ、俺に何を隠している?」
「なっ何をおかしなことを言っているのだ。俺はおまえに隠しごとなど」
明後日の方を見ての弁明に真実味など、微塵もない。なのに左源太はそう言った。
「嘘をつくな!」
あからさまなのに言い張る男に、司王は拳を繰り出した。
「何をする!」
当然、反撃がくる。
「おまえこそ、何をする!」
「おまえこそっ!」
もとより力に差のあるふたりではない。対等なふたりの殴り合いは、続く。
これを、近くの岩陰から見ていたのは由岐丸と隼。
「ゆ、由岐丸さまぁ」
「うん?」
「止めなくていいんですか?」
どっかと腰を下ろし、腕組みして由岐丸は観戦の構えだ。
「ああ、いいんだ。見ろ、あのふたりの楽しげな顔」
そして、満足そうにふたりの応酬を眺めるのだった。
〈二十七〉知音──ちいん──
また今回もタイトル変更しました。
『同胞はらから』改め『知音ちいん』、ちょっと汗くさそうな友情のお話になっております。




