〈二十五〉戦局
具体的にではありませんが、示唆的にあるものが晒されている記述があります。ご注意ください!
それから後は、判別のつかぬ夢ばかりを見た。
「……どの、美……どの」
次第に眠りは浅くなり、夢うつつに自分を呼ぶ声を聞いた。
「美夕姫どの」
男の声である。そう認識するなり、美夕姫は起きようとした。だが目は開かず、指一本、微動だにしない。
「美夕姫……」
そっと揺すぶられ、ようやっと目蓋が開かれた。
「! 何者っ?」
自分を起こそうとしていた者の顔が、自分の真上にあるのを知覚するなり美夕姫は相手を突き飛ばして跳ね起きた。
「あ……?」
驚きと喜びの入り混じった表情で彼女の様子を窺っている男に、一瞬、己が目を疑う。
すでに辺りは暗く、灯火に浮かび上がる姿を、呼吸すら忘れて美夕姫は見つめる。
「……や、あ」
つれなく押しやられながらも、目の前にいる娘が正しく自分を認めている嬉しさに男が口元に笑みを浮かべると
「小次郎さま……!」
小さな叫びが溢れた。
「やれ、やっとお目覚めか」
背後からの声に振り向くと、由岐丸である。
「由岐丸さま? 左源太さまも……どうして……」
小屋に引きこもっていたはずの彼らが美夕姫の傍にいるということは、それを阻む者がいないということだ。それは、つまり──確認するように、美夕姫は小次郎を見た。
「まさか?」
男の口元が厳しげに引き締められる。美夕姫は立ち上がりながら室外へ出ようとしたため、まろび出てしまった。したたかに膝を打ち、それでも何とか上半身を伸ばして外に目を向ける。
「美夕姫さま、ご無理はいけません」
小雪の手を借りながら姿勢を確保し、少しずつ前に進む。
寝殿の前庭が煌々と照らし出されている。わいわいがやがやと、大勢が騒ぐ気配、調子外れの楽の音──。
「あれは……」
対屋の角まで出て、酒宴に興じる男たちと、篝火に影をなす掲げられたそれを視認した。
「あれは鬼熊だ。彌勒王の首級は急ぎ京へと送られた」
由岐丸の声には、それがいまここにないことを残念がる様子が感じられた。たぶん、彼の父修王に見せてやりたかったのだろう。
「では……戦は、終わったのですね」
局に戻り内部を見回す。
「……水美は?」
小次郎が首を振る。そうであった、美夕姫にはわかっていた。
「白菊は?」
小雪の硬い声が応える。
「隣の局に」
「そう」
「お待ちくださいませ」
隣室へ向かおうとする主を女房は止めた。
「なに?」
「白菊は眠っております」
縛って押し込めたならともかく、眠っているとは意外だった。
「……自害しようとしていたので、左源太さまが当て身を」
「……司王は?」
わからない、と小雪は首を横に振った。左源太に視線を移すと
「どこに行ったやら、さっきから姿が見えませんな」
捜しに行ったのだと思った。
「小雪、被きを」
室内の者たちが思案げな目を向ける。主人の言葉どおりに小雪が美夕姫に衣を羽織らせると
「大事ありません、すぐに戻ります」
誰の介入も拒む勢いで、美夕姫は西の対屋から抜け出ていった。
だいたいの見当はついている。
独りになれる場所ならば、皆が屋敷にいるなら逆に小屋か、或いはあの見晴らしのきく山頂だ。
小屋はもぬけの殻だった。囲炉裏の火を消してかなりの時を無人のままだったらしく、しんと冷え静まっている。
ひとつ息をつき、美夕姫が山道を登っていくと、どこからか笛の音が聞こえてきた。彼の母の指南となる節回しだ。
やはり、司王はそこにいた。切り株に腰を下ろして笛を吹いているが、心がそこにないことは定められた回数より多く繰り返される旋律や前後の繋がりの滅茶苦茶ぶりから察せられた。
「くっ……!」
どこを吹いているのかわからなくなり、司王は龍笛を背後に放り投げた。乾いた音を立てて笛は美夕姫の足元まで転がってきた。
「水美……」
笛の行方を見ようともせず、司王は俯き、吐き出すように言った。
「……水美は響さまではないわよ」
龍笛を拾い上げ、美夕姫は冷然と告げた。
「美夕姫か。それはどういう意味だ?」
司王が振り向く。その傍へ歩み寄りつつ、美夕姫は
続けた。
「亡くなられた響さまの面影で水美を見て、感傷にひたるなということ」
「愚かなことを。俺がいつ、あの女に響の面影なんぞを」
「重ねてないと断言できますか?」
「当たり前だ!」
美夕姫は思わず笑みを浮かべたが、すぐにそれをひっこめた。
「何だ?」
「いえ……。白菊が、自害しようとしたらしいの」
「白菊が?」
もとより暗かった男の表情に更に暗く影がさす。
「あなたは……そのようなこと、しないでしょうね?」
「俺が? なぜ俺が自害などせねばならんのだ?」
言い終わる前に美夕姫の平手が司王の顔面を捉え、ついでに彼は舌を噛んだ。
「いま、あなたを打ったのはわたくしではありません。響さまと、水美の代わりと思し召しなさりますように」
「響と水美の代わり?」
「女心というものは、自らが死にゆくときには愛しい男に長く、自分の分も生きていてほしいと願う反面、いまこのときに自分の後を黄泉路までも追ってほしいとも思うものなのよ」
「そうか………………え?」
らしくもない乙女心を吐露してしまい、美夕姫は赤面している。それが小次郎に対する彼女の正直な気持ちなのだと、従兄は気づいていない。
「いまのはどういうことだ? 響はともかく、水美の代わりとは何だ?」
「それをわからないとおっしゃるのであれば、わたくしはあなたをもっと打ってさしあげますわ」
美夕姫は平手ではなく拳を握りしめる。
「言ってくれ」
司王が無理に自分の方を向かせたので、仕方なく話す。
「水美は、あなたのことを意識していました」
「本当か? それは」
美夕姫はいつぞやの鏡のことを教えた。
「あなたも……水美のことを想うようになっていたのでしょう?」
「……ああ」
思わず、美夕姫は訊いてしまった。
「なぜ? 水美は響さまとは違うのに」
「ああ確かに違う。だから……違うからこそ、俺は、水美を……」
司王は美夕姫に背を向けた。肩先や握りこんだ拳が震えていた。
切り株に笛を置き、黙って美夕姫は山道を下り始めた。
西の対に戻り、美夕姫は白菊の様子を見にいった。小雪が付き添っていた。
日没後、島に追捕使の船が着き、いちはやく美夕姫のもとへ参じた小次郎が小雪と司王たちに状況を説明しているのを聞いて、短剣で喉を突こうとしたのだという。幸い、刃が喉に達する寸前に小次郎が刃物をもぎ取り、左源太が落としたので命に別状はなかった。
「なぜ白菊は死のうとしたのかしら?」
大将である貞高や小次郎を仇として短剣を向けるほうが彼女らしい気がする。
「さあ、わたしにはわかりませんわ。ですが……」
「ですが?」
美夕姫は乳姉妹の顔を見た。
「いいえ、何でもありません」
小雪はごまかすように少し笑った。
「白菊はわたしが見ておりますから、美夕姫さまは局でお休みくださいな」
「うん」
意外と小雪は頑固なので、大人しく美夕姫は従う。
すぐ隣の部屋に移ると、司王が戻っていた。
「白菊はいかがで?」
「ええ」
左源太の問いに曖昧な応えを返しつつ、空けられていた座に正座する。
「小雪がついておりますから」
「……時に、美夕姫」
司王が口を開いたとき、本殿の辺りが何やら騒がしくなった。おおかたは酔っている雑色どものざわめきや、あわてて武具を引っ掴み構えるような音が聞き取れた。
「様子を見てこよう」
小次郎が座を立つ。
「何でしょう?」
「彌勒王の亡霊でも出たかな」
由岐丸が美夕姫をからかう。
「まさか」
信じてはいないが、この世ならざるものが在ることを知る美夕姫である。少々、寒気がした。
「そ、そういえば司王、わたくしが何か?」
気を取り直すように話題を転ずる。
「あ、いや、明日話そう。今夜はもうよそう」
「木立の小屋へ戻るの?」
「いや、東北の対に隼が支度をしている」
おそらく美夕姫が出かけているあいだに話がまとまるなり、何なりしたのだろう。
「では美夕姫どの、明日また」
小次郎を意識してか、由岐丸は貴公子然とした態度をしているようだ。あっさりと、左源太と共に局を出ていった。
「あ、お休みなさいませ」
続いて出ようとする司王に美夕姫は言った。
「水美のこと、考えすぎるのもよくないと思うわ」
つまりは程々に考えろということである。
「わかっている」
響を失ったとき、司王がどうだったのかを美夕姫は知らない。しかし彼は、昔と変わらぬ誠実さと強さで自分を支えてくれる“兄”なのだ。けっして弱い男ではない。
「美夕姫どの」
そこへ忠犬のごとく小次郎が帰ってきた。
「侍従どの、しっかりな」
言い残すと司王は行ってしまった。
「えっ? な……?」
何のことかわからず、きょとんとする小次郎とひとり頬を染めている美夕姫が取り残される。
「それはそうと、美夕姫どの」
まるで兄といるときのように打ち解けた表情をしていた恋人に、きりりと切り出す。
「実はいま、叔父上のところに刺客が現れたのだが」
「刺客が?」
「それが──」
うなずいて小次郎は美夕姫の耳に囁いた。
「え……真にごさいますか? 無事で、生きておりましょうね?」
「もちろんです。美夕姫どのとの約束が守れたと、叔父上も喜んでおります」
「それは、良うこざいました」
美夕姫がとても嬉しそうに笑む。
「でも、このことはまだ他のどなたにも、おっしゃらないでいてくださいましょうね?」
男はそれに微笑みを返した。
〈二十五〉戦局──せんきょく──
犬か、犬なのか……U^ェ^U




