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初恋の君はわたくしの双子の兄にご執心のようです。   作者: 高峰 玲


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〈二十二〉戦雲





 左源太(さげんた)は雑木林を抜けて山道を登った。以前、司王(つかさおう)水美(みなみ)と行き合った小山だ。裾野や中腹に程よい枝が落ちているが、山頂付近には木がほとんどない。

 さして高い山でもなく、左源太は難なく頂上に出た。見上げれば晴れ渡る大空が、視線を下げれば大海原が、青く広がっている。

 水平線の彼方に、おぼろに見える黒い島影をながめ、さて如何ように逃げようかといつもは思案するのだが、彼は遠くの島には目もくれず眼下の港に目をやった。

 出帆準備の官兵らのざわめきが、風に乗って聞こえてくる。それほど離れているわけでもなく、人にも増して左源太は目が良い。すぐに彼は偉丈夫の姿を見つけた──小次郎(こじろう)である。

 左源太は、小次郎が見たかったのだ。

 なるほど、あの太刀を持つだけの膂力を備え持つ器量があるのは見て判る。背丈、肩幅、おそらくは重量も自分と同じくらいはありそうだ──冷静に観察する背後で枝を踏み折った音がした。

「誰だ!」

 誰何し、鎌を構えて振り向くと驚きの色も露わに美夕姫(みゆき)が立っていた。こちらは懐剣に手をかけている。

「美夕姫さま? その恰好は」

 鎌を下ろして左源太は言った。被衣の下に着ているのは女房装束ではなく、水美や白菊(しらぎく)、女船の者らのような動きやすさを重視した粗末な衣類だ。

「水美に借りました」

 視野を広く取るためか、美夕姫は被衣を解く。

「なぜここへ?」

 訊いてから左源太は理由に気づき、はっと息を飲む。美夕姫は自分と同じ目的のためにここへ来たのだ。

 ほんのり甘い笑みで美夕姫は応える。

「ここから港がよく見えると、水美が教えてくれたのです」

「──美夕姫さま」

 左源太は小次郎のことを訊きたい衝動に駆られた。

「はい?」

「あ、いや……船が、出たようだ」

 自分自身がやってしまったことに驚く。なぜ、質問を思い止めたのか、わからなかった。

「左源太さま」

 夢見るようなまなざしで船を見送る美夕姫が呼びかける。

「何か? 美夕姫さま」

 振り返って、左源太は眩しさに目を細めた。美夕姫の向こうに広がるように見える海原に陽光が反射していた。

 そして気がつけば、美夕姫は左源太を真っすぐに見つめていた。彼がその視線を認識したとわかると少し笑い、それからゆっくりと目をそらした。

「前に旅人(たびと)というかたのことを話してくださいましたよね」

「あ、ああ」

「そのかたが寝言に“あおい”という名を呼ぶことも、記憶がないということも」

「それが何か?」

 なぜいまここで旅人の話なのか? 思いがけない話題に、つい警戒してしまう。

 しかし、(ひる)まずに美夕姫は再び左源太の目を見つめてきた。

「記憶というものは、一度なくしてしまった後にまた、取り戻せるものなのでしょうか」

「え? や、なにをいったい、急に?」

 一瞬とまどうが、もしや美夕姫は旅人の素性について思い当たることがあるのではないかと思った。

「あなたはひょっとして旅人のことを、何か知っておられるのではないか?」

 美夕姫はうなずいた。

「わたくしには兄がひとりおります。当年とって二十一になりますが、従兄弟の司王と姿形が良く似ております」

「名は?」

火宮(ひのみや)……(さとる)と申します」

「さとる……では“あおい”というのは?」

「おそらくは、わたくしのことかと。わたくしの名を知らぬ人は七条の葵御前(あおいごぜん)などと呼ばれますので」

「そういえば」

 左源太はあることを思い出した。

 彼が自分の妹がやんちゃで困る、とこぼしたことがあった。そのとき旅人が「俺の妹にくらべればまだ淑やかだぞ。俺の妹は幼名を(たける)といって」と言ったのだ。直後に急用が入り、その続きを聞くことはなかった。

「まさか女の子に“たける”という名はつけまいと思ったので、俺の妹を気遣ってそんな話をしたのだと取ったのだが」

「それは本当のことですわ。わたくしは十五の裳着まで建と呼ばれておりました」

「まさか」

 左源太は苦笑いしたが、美夕姫が真顔のままなので笑いをひっこめた。

「初めてお会いしたとき、わたくしは何と名告りましたか?」

「あ」

 左源太は納得した。




 美夕姫が左源太とそんなやりとりをしてからだいぶ月日が過ぎ、年が明けた。

「水美よ、いいかげんにわたしたちを離してくれぬか?」

 簀子縁に出て日向ぼっこをしていた水美に由岐丸(ゆきまる)が言った。

「ん〜? なぜだ?」

 伸びをして水美が訊くと、

「年が明けてわたしは十五歳になった。十五になれば元服させてくれると、父上が言ったのだ」

「元服?」

 怪訝そうな顔をするので由岐丸はつい、訊いてしまった。 

「知らないのか?」

「いや……男の裳着のことだな?」

 ずるっ、と少年がこける。そこへくすくす笑いながら奥から小雪(こゆき)が出てきた。

「小雪か」

 あからさまにほっとする由岐丸を小雪がからかう。

「美夕姫さまじゃなくて残念でした?」

「それはどういう意味だ?」

 むっとしたように由岐丸が言っているところに

「水美さま、大変です!」

 血相を変えた白菊が走ってきた。

「ん、どうした白菊?」

「先日船出した夜素(やそ)の船が帰ってきました」

 水美が意外そうな顔になる。

「ほう、早いな? よほど良いカモがかかったようだな?」

「違います! 夜素が重傷を負い、あとは手下八人を残すのみで戻ったのです」

「何っ?」

 たちまち、水美の双眸が野性味を帯びる。

「相手は修王(すおう)の奴ばらか?」

「修王の者どもならば船は戻りません」

 だんだんと、白菊の声が涙声になっていく。

「船戦で負けたことなぞない我らが……っ」

「美夕姫をここへ」

 思ったよりも冷静な自分の声が、そう小雪に指図するのを水美は聞いた。

「ご用は何かしら、水美?」

 屈託なく上臈の娘は笑いかけたが、水美の暗い表情と白菊の様子に、すぐに(おもて)を改めた。

「何があったの?」

「……夜素の船がやられた」

 吐き出すような水美の言葉にすべてを察し、美夕姫は口元を袖で覆った。

「おまえは知っていて……!」

 激しい怒りが込み上げ、水美は美夕姫の手首を握りぐいと強く引いた。目を閉じて美夕姫はされるがままになる。

「なぜわたしに話さなかった」

「……わたくしがあなたに話せば、あなたは彌勒王(みろくおう)に話さないわけにはいかないでしょう?」

「美夕姫……」

 水美が手を離す。

「知っているのに知らないことにするなんて、あなたにはできないでしょ? でも、知らなければそんなことに煩わせられることはない」

「おまえ、わたしのために?」

 不本意ながら、美夕姫は認めてうなずいた。水美が一瞬だけ、嬉しそうに微笑む。が、それはすぐに消え、ともすればぞっとするほど冷酷そうな笑みに取って代わった。

「っはは、はははっ」

 急に哄笑があふれた。

「水美?」

「情けは無用ぞ、美夕姫。わたしは彌勒王が姪、女船の水美だ。(いくさ)の中で命を落とすも、また本望だ」

 続けて水美は再び笑おうとしたが、自分を見つめる美夕姫のまなざしに、どうにも笑えなくなった。

「……っ、白菊、伯父上のところへ行くぞ」

 その場を逃れるように立ち去ろうとする背に、美夕姫は言った。

「水美、あなたは都人の血をひく姫でもあるのよ。そういう生き方もあること、考えてほしい」

 わずかに水美はたじろいだ。だが、振り返らなかった。


 その夜遅く、伊吹丸と女船が水島を出ていった。

 明け方近くなって戻ってきたのは女船だけだった。











〈二十二〉戦雲──せんうん──

 





そういえば、リライトで左源太さんからの美夕姫の呼称が「美夕姫どの」から「美夕姫さま」に変更になっています。小次郎と差をつけたかったのと、元国守の家の私兵が公卿の娘を呼ぶのに適切ではないと思ったからなのですが……うん、違和感なく呼べているようです。






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