〈十八〉追憶のひと
着替えるなり、水美はごろりと横になった。そして言った。
「美夕姫、おまえの知っていることを話せ」
状況的には素封家の妻女などが側付きの者に市井の噂話をねだるのに似ている。しかし、いきなりごろりは、いくらなんでもなかろう! 建だった頃の美夕姫でさえ、これはなかった。なぜか小雪の目つきが厳しいものになる。
「わたくし」
それでも口を開いた美夕姫に水美も身を起こし、座して言葉を待つ。
「残念なことに何も知らないわ」
「なに?」
期待を躱された水美は強い力で美夕姫の腕を引いた。
「何も知らないだと? あんな思わせぶりをしておいて?」
「ええ」
期待させたのは悪かったという気持ちから、抗わずに美夕姫はうなずく。
「嘘をつくな」
「嘘ではないわ」
至近距離からの注視。どちらも、目をそらさない。
「水美さま、美夕姫さまは嘘をおつきになるようなかたではありません。そのきょうというかたのお名前は、わたしもお聞きしたことはございません」
美夕姫個人の言動として、戦略的に嘘をつくことはあるというのが水美の観察だ。だが、自らの女房に嘘をつかせることはない、それは確かなことに思えた。
やっと腕を離すと、大げさにさする。
「おお痛。水美、あなた何をそう激しているの?」
とたんに熾火が爆ぜたように頬が熱くなる。そうか、自分はいま、感情を荒げている状態なのかと認識すると同時に皮肉な嗜虐的な欲求が彼女を操った。
「激している? わたしが?」
どうにかしてこの目の前の美しい女を傷つけたい、この身に荒れ狂う嵐をこの女の涼し気な心に移し、乱してやりたい──凍るように酷薄な気持ちがわいた。
「そうではあるまい。激しているのはおまえであろう美夕姫?」
「何のこと?」
「とぼけるなっ」
言いがかりをつけるような水美の様子に美夕姫は冷静になった。もとより、そこに彼女が拘泥するものなど存在しない。
「おまえは司王の妹ではなく、本当は妻なのであろう? きょうというのはあの男の愛人で、だからおまえは知らぬのだ」
「はあ?」
してやったりという顔に返されたのは間が抜けたようなぽかんとした表情。
「どうだ」
反論できまい、と、なぜか勝ち誇ったように胸をそらせた水美に、いやほんとマジで何をどうしたらそうなるのかと訊きたい美夕姫である。
こじれる。これは迂闊なことを言ったら余計にこじれてしまう。そしてそんな状態の水美は手負いの獣以上に危険で厄介に違いない。
「──くっ」
同病相憐れむ──大陸の書に記されていた言葉をふと思い出す。恋という名も知らず、胸を騒がせ浮かれ沈む感情に振り回されるのは美夕姫も同じだった。
「ふふ、うふっ、あはは!」
何とまあ可愛らしく、いとしいものなのか。
自分が周囲からそう見られていたであろうこっ恥ずかしさを笑う。しかし、それはそれで心の奥がくすぐったい気持ちがするのも事実だ。
「急に何を言い出すのかと思えば、わたくしが司王の妻! やめてよ水美、笑いすぎてお腹! お腹が痛い〰〰〰!」
「美夕姫さま、笑いすぎです」
そっと小雪が揺さぶるが、美夕姫はまだ肩を震わせている。
「では何だというのだ」
おかしい。妬心で夜叉にしてやるつもりが、なぜ笑う? 焦った水美は思いつくままに言葉を投げる。
「母か? 姉か? それとも従兄妹だとでも?」
「ええ、そうですわ」
小雪のおかげで改心した美夕姫は素直になった。
「わたくしの父の妹が司王の母にあたるひとですの」
「ああ?」
「あと、わたくしの母は司王の父宮の妹なので、従兄というよりは兄のようなものなのよ。まあ、お互いに親が身罷られてからは昔のように親しく行き来することもなくなってしまったのだけれど」
美夕姫の母が亡くなってからは火宮家からは牛車を出すこともなく、兄と馬に相乗りで一条宮家へ行くようになった。女親同士の語らい、女房同士の情報交換は途絶え、そして司王の母が亡くなり、美夕姫は裳着を迎え両家の交流はなくなった。そういえば、一度だけ何かの祝いで届け物があった。あのとき、兄はその理由を何と言ったか──。
「おまっ……いま、宮とか言ったか」
水美の声に、美夕姫の思索が途切れる。
「ええ。司王のおうちはそうよ。お祖母さまは内親王さまだし」
血筋のどこかにやんごとなきものが加わるのは公卿ではありがちなため、美夕姫はさらりと流す。
「どうかして?」
意外にも高い宮家という身分に、多分、水美は引いている。
「い、いや何でもない。都の男というのは、ああいうものなのか? 女のような顔をして」
兄弟のするような遊びしかしていなかった美夕姫には司王の認識はあくまでも兄=男だ。
「柔和なお顔つきが貴族的魅力なんですよ。まあ、中には例外もいらっしゃいますが」
意味ありげに美夕姫を見ながら小雪は通ぶって解説する。
「なあに、小雪? その目は」
「いえべつに〜。貴族さまの中にも武に長けて雄らしいかたはおいでですよ〜ねぇ美夕姫さま。たとえば小次郎さまとか〜」
「小雪っ」
女房のからかいに、珍しくも美夕姫が赤くなる。
「小次郎とは誰だ?」
「美夕姫さまのイイヒトです〜。ほら、あの太刀の君〜」
水美の傍に付くにあたり、これだけはと美夕姫が願い伊吹丸からの略奪品から抜き出されたものがある。小次郎の太刀である。実用的ではない重さに形見の品か何かの守りと見なし、特に警戒されることもなくそれは美夕姫の手に渡された。同様になぜか品質から上物と判断された司王らの太刀も美夕姫が預かっている。
「ああ、あれか」
正直、鬼熊や左源太でも扱いに難渋しそうな業物を振り回す貴族などいるのかと水美は疑問に思った。
「美夕姫よ、おまえの男は力士なのか」
「ちっ違います!」
水美の言葉は強い男への賛辞のようなものである。しかし、カラダだけの男と言われたように思い、恋する乙女は反駁した。
「小次郎さまはもっとこう、シュッとしてサッとしてパッとしたかたですわ! お顔だって凛々しくて、さっぱりとして、やさしくて」
「はいはいはい。お背の高いわりに重すぎることもなく、すっきり爽やかな美丈夫でいらっしゃいますよね〜」
既にのろけで何度も胸焼けに見舞われたことのある小雪がさっくりと片づける。
「お顔といえば」
思い出したように言った。
「水美さまは伯父君にあまり似ておられませんね。どことなく雅びた端正なお顔立ちで」
「誰かに似ていると思っていたけれど……」
漸くそれに思いあたり、美夕姫は驚いた。
「水美は……綾子さまに似ているわ」
「綾子さま?」
意外にも続けられた水美の言葉に、主従はさらに驚かされる。
「それは源の中納言家の三の姫のことか?」
「どうしてそれを?」
少し、水美は笑った。
「昔、わたしの母上が言った。母上の家は都の貴族で妹がふたりいたのだと。中の君の名は承子、末の君は綾子といって、とても美しい姫だったと」
「つまり、あなたは綾子さまの姪なのね」
うなずいて水美は続けた。
「わたしの父が年始の挨拶に、右大臣家へ行くところを間違えて中納言家へ行ってしまったのだ。どちらも源姓だからな。そこでふたりは出会って……」
「駆け落ちを?」
ずばっと小雪が言った。
「どうやらそうだったらしい」
物語のような恋愛だ。白玉かと問うた姫は鬼に喰われたとされるが実際は後を追った高位貴族の兄弟に連れ戻された。一の姫は……とりあえず、愛した男の子を生むことはできたようだ。
「立て続けに不幸があった頃のことで、はっきりと覚えていないのだけれど……一度だけ、慶事として一条宮家からの振舞をいただいたことがあるわ」
「ああ、あれは司王さまのお祝いだったのですね」
そういわれてみれば、小雪の記憶にも思い当たるものがある。
「先の式部卿宮さまの姫君に司王が通うことになったと聞いたわ。宮の北の方は中納言家の承子さまだから……姫は綾子さまに似ていたのかもしれない、水美、あなたがそうであるように」
美夕姫は従妹とは似ていないが、兄と司王のように似ている場合もあるだろう。
「でも……そのかたはすぐに亡くなってしまったの」
だから司王を煩わせず少し距離をおけと兄は言った。それもあって、彼が盗賊の頭になっていることすら知らずにいた。
「そうだ。先の式部卿の娘が響だ」
喜びも悲しみもない声が告げた。
何らやましいことなどないはずなのに、つい三人は口を閉ざし声がした方を見た。
なんということ! こんなにも存在感のある男がふたりも部屋に入り込んでいたのに気づかなかった。
そっと左源太が妻戸を閉める。
「おまえたち……」
後をつけてきたのかと訊こうとして、伊吹丸から女物の荷を届けさせていたことを水美は思い出した。
「まさかおまえが響の従姉だとはな」
畑の瓜や菜っ葉のできばえを確認するような視線だった。水美は気にくわず、顔をそむける。
「よくここがおわかりになりましたね」
場を取り繕うように美夕姫が言うと、
「伊吹丸の女物を必要とするのは美夕姫さまかそこな女賊、いずれかと踏んで」
左源太の言葉に、美夕姫は先刻から何となく騒々しかったわけを知った。
「あの、左源太さま」
水美の前でそれを訊くのもどうかとは思ったが、構わず美夕姫は尋ねた。
「由岐丸さまと隼は、いかがしておりましょう?」
「ふたりと一緒だったのでは?」
左源太の目が大きく見開かれる。
「いいえ、ここには小雪とわたくしだけで」
視線だけで美夕姫は水美を捉えた。
「水美?」
一瞬は目を合わせたものの、すぐに水美はそっぽを向いた。
「ふたりはどこにいるの?」
女の肩に手をかけ、無理矢理に自分を見させ静かに問う。
こわい女だ──美しい姿と華奢な体格に、つい、庇護が必要な儚さを当てはめて見ていたのだと左源太は気づいた。さすがは司王の従妹だ。
水美は頑なに話そうとしない。きつく下唇を噛んで目をそらす。
「教えなさいよ」
肩の手を頬に動かし、自分の顔を見させようとした美夕姫の手を、水美はぴしりと払い除けた。
「やめろ」
低く唸るような声で言った。
「わたしはおまえの下知など受けぬ。知りたいのならば手をつき頭を下げて頼め」
いつもの自信に満ちた笑みではなく、冷たくゆがんだ嗤いが浮かぶ。
「水美さまぁ、ちょっくら来てくっせえ!」
そのとき、西の対屋のどこやらから呼び声がした。水美は無言のまま立ち上がると、誰にも目もくれずに出ていった。
「どうなさったんでしょう、様子がおかしかったですよね?」
「そうね? 何だか急に、強情になったわよね?」
それまで見せていた朗らかで親しみやすい態度を改めたのは、同じ賊である左源太の前だからなのだろうか? 海賊の矜持だか面子だか知らないが、面倒くさいことだと美夕姫は思った。それよりも、いずれまた引き離されてしまうその前に──。
「左源太さま、お尋ねしたいことがございます」
気を取り直し、目の前の巨軀に向かい合う。何事かと左源太が美夕姫を見ると、いつもにも増して真剣な顔で女は切り出した。
「クマさんから伺ったのですが、修王さまの元に旅人と呼ばれるかたがおられるとか。そしてそのかたには、これまでの記憶というものが失われてしまっているのだと……?」
「旅人?」
なぜこの娘があの男のことを訊くのだろう? 左源太はまずそれを思った。そうして、訳ありだと司王が匂わせていた理由がこれなのだと思い至る。
「……最初に見たときは、司王なのだと思った。だが、太刀を使う癖が違うし、背に傷跡がなかったので、別人とわかった。自分の名すら思い出せぬと言うので旅人と呼ぶことにした」
「司王と似ているのですね? 本当に、生きて、修王さまのお傍に、おりますのね?」
美夕姫は身を乗り出し、左源太の手を取った。
「間違いなく。旅人は俺が助けて島へ連れていった」
それと聞き、美夕姫が左源太の手を握る力が強まる。男にしてみれば子猫が爪を立てているようなものだが、膝に乗り上げんばかりの勢いがまずい気がする。
「あなたが! 助けてくださったのですね」
子猫の爪が親猫のものに変わったところで左源太はびくともしない。今度は彼のほうから語った。
「旅人はなぜか“月華”と呼ぶ高麗の笛を持っている。自分の名すら覚えてはおらぬくせにな。それは見事な細工で、こう吹き口のところに大きな花が刻まれておるのだ」
美夕姫は聞きながらうなずく。その花は大陸の遥か西に咲くという話を、かつて父が家族の前でしてくれた。月華を得たからこそ、兄は小竜を妹に譲ってくれたのだ。
「旅人に心当たりが? 美夕姫さま?」
黒曜の目に透明な水の幕が張られるのがわかる。
「あと、奴はうなされて寝言に葵という名を口にしたことがあって。確か、必ず戻る、待っていてほしいそのようなことを言っていた」
「確かに? 葵と?」
美夕姫の手にさらに力がこもる。いまだかつて、想い人の手でさえ、彼女はそんな力で握ったことなどなかった。
「左源太、抜け駆けとは卑怯だぞ」
そこへ笑いを含んだ声がかかる。由岐丸であった。当然、隼もいる。
「まあ、おふたりとも」
小雪が抱きしめんばかりに喜ぶ。
「昼日中から美夕姫どのの手なぞ握りおって、存外おまえもすきものだったのだな」
相変わらずの口をきいて、一端の成人男子のように胡座をかく。
すきものといえば、京の都の二大勢力を思い出した美夕姫なのだが、どちらも漲るものは清々しい外見で巧く隠蔽していたように思う。
「ちょっと、そんな、ひとを飢えた野獣のように」
父親の配下の大人と男の会話を楽しむ由岐丸は、きっともう、ひとりの海賊として、群れを束ねる長として考え、動くはずだ。さればこそ、いまのこの敵地に囚われた状況も、現状打破の好機とし、さして気にしていないように見えた。
「だいたい、難波の港でもおまえ買わなかったではないか。島に決まった女もいないのにカタい奴だと思っていたが、何のことはない、面喰いだったのだな、この助平が」
酷い言われようである。さすがに気の毒に思い、主人に取りなしを願おうと隼は司王の顔を見上げたが、視線が合わない。
「羅王さま?」
「これは酷い」
「いや、そうであろう」
由岐丸と左源太は仲良くじゃれている。美夕姫と小雪は聞かなかった顔で、戸棚の干菓子などを出してやった。
「どうなさったんですか?」
ずっとあらぬ方を見てぼんやりしていた司王は、隼の言葉にはっとしたように少年を見つめ、
「あっ、ああ、隼か」
やっと彼を認識した。
「隼か、って……」
田舎から出てきて従者にしてもらい、以来ずっときりっとしてカッコよかった主の腑抜けた様子に、隼は急に不安になる。
美夕姫は、たぶん彼は響のことを思い出しているのだと察し、触れないほうがよいと判断した。そういう繊細さは放っておくのが優しさなのだと、かつての兄の恋愛事情で学んだ賢い妹である。
「何を考えている?」
だが、左源太は直截的だった。心に抱え込む悪いものは、吐き出してしまうほうが良いと信じている。兄の親友である男と同じだ。
「そういえば、さっきから一言も口をきいておられぬようだな」
何か策を練っていたのか、と期待する口調の由岐丸。ヘタレをいいように解釈しているな、と思わず美夕姫と小雪の視線が交差する。
「ああ、いや──」
司王が応えようとしたそのとき、突如として激しく鳴らされる銅鑼の音が聞こえてきた。最初は物見の櫓から。それに港からと思しきものが続く。
「父上の強襲か? いや、違うな」
島はひっそりと静まり返っている。襲撃を迎え撃つ様子ではない。
ただ銅鑼の音だけが、水島を覆うように鳴り渡っていた。
〈十八〉追憶のひと──ついおくのひと──
『追憶』を改め『追憶のひと』です。
どうも最近、転生悪役令嬢とか婚約破棄ものをよく読むようになったせいか、美夕姫の語尾が異世界の貴族令嬢になってしまう……(笑)
あと、同病相憐れむの由来は「 呉越春秋 ― 闔閭内伝」に引用された古い歌の一節で紀元前六世紀、春秋時代の中国でのことらしく、年代的に平安時代の人が知っていても大丈夫な内容と判断して使いました。遣隋使? 遣唐使? いいものをいっぱい持ち帰ってくれてありがとうございました。
そして……おかんネット? マダム情報網? というものは、21世紀の現代でも凄いです。侮れない!同級生の私でさえ知らない同級生の情報をきっちり捉えていたりします。地域に於いては各家庭の家族構成はおろかお勤め先までバッチリ把握、新任の駐在さんよりよっぽどの情報通で怖いくらいですよ……ヘ(゜∀゜ヘ)アヒャー
今回、あと2行で終わる、と思った瞬間、半分以上の文章どっかいっちゃいました。バックアップは前回したセーブまでしか復元できません……何でこまめに保存かけとかないかなぁ自分……_| ̄|○
リライトのリテイクでつい補足してしまった高麗笛“月華”。刻まれた花のイメージは月下美人なのですが、残念ながらこの花はメキシコ原産で日本に広まったのは昭和になってからだそうで。なので月華はペルシャとかトルコとか、シルクロードの西の国に咲く花として、あえて詳細な姿は明かさないことと致しました(*^^*)




