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第九話 就寝前のひとコマ

 

 部屋まで戻った僕たちは、脱衣所に交代で入って寝巻きに着替えた。


 僕は愛用している上下セットのパジャマ。

 恋水さんは僕が中学生のときに使っていた体操着だ。


 幸いと言っていいのか分からなけど、僕と恋水さんに身長差はほとんどない。おかげで問題なく着ることができたようだ。


「どうですか~」


 手のひらを胴体に垂直の方向へ伸ばしながら、くるくると回転をする恋水さん。はしゃいでいる。そのうち裾を踏みつけそうで心配になる。


「僕の体操着を恋水さんが着ている。なんか違和感がすごい」


 当然ながら彼女の胸元には僕の名字が刺繍されている。しかも男子仕様の体操着だから余計に見慣れない感じだ。


「よっと。他のクラスの方に体操着を借りるとこんな感じなんでしょうか」


 器用に僕の正面でストップした恋水さんは、軽く引っ張りながら、僕がさっき漏らした言葉に自らの感想を付け足した。


「高校は体操着を借りる行為が禁止されているみたいだから、やるとしても同じ苗字の人からしか無理っぽいよ」


 一度やらかして起こられた生徒を見た。何を隠そう優太のことだ。


「では私の場合は難しそうですね」


 確かにマイナーな名字だと学校内に同じ苗字の人がいない可能性が高い。それに恋水さんの場合、リスクを顧みず借りようとしても、恐れ多いと思われて断られそうだ。


「なので隅々まで堪能することにします」


 恋水さんはなぞの宣言をする。

 何を堪能するのか分からないけどまあいいや。

 僕は時計を見て言った。


「今日はもう明日に備えて寝よう。睡眠不足は体に良くないし」


「練習はいいのですか? てっきり徹夜する気でいたのですが」


「うん。今日の成果は明日見せてもらうことにするよ。詰め込みすぎても良くないし、睡眠によって覚えたことを整理する時間も必要だ」


 それに元はと言えば、僕が時間を忘れて作業に没頭したせいで時間が少なくなってしまった。


「分かりました。明日は、朝一番から頑張ります」


 手を握りしめて意気込む恋水さん。意気込むのはいいけど、その所為で寝付けなくなったら本末転倒だ。

 ……最悪ASMRで寝かせるという手もあるか。


 寝床の用意をしていると、恋水さんに話しかけられた。


「ところで響谷さん」


「どうしたの?」


 恋水さんは小首を傾げて言った。


「私、どこで寝ればいいのでしょう」


 ふむ。


「……僕も考えていたところだ」


 嘘だ。いま思い当たった。

 突発的に開催されたためか、この度の合宿には行き当たりばったりな部分が多すぎる。さっきの銭湯での一件もそうだ。


 僕一人なら何一つ問題はなかったが、そこに知り合って間もない女子が追加されただけで難解な問題と化している。


 考え抜いて導き出した答えを伝える。


「まず恋水さこの布団を使うんだ」


「ふんふん」


「で、僕が適当なクッションを枕にしてその辺で寝る。これでどう?」


 我ながら最善択を選択できた。

 前提として、この家に布団やソファー代わりになるものはなく、寝る際に下に敷けるものはこの敷布団のみだ。同じ布団で寝ることができない以上、どちらかが床で寝るしかない。さすがに客人を硬い床で寝かせるのははばかられ、こういう形に落ち着いたのだ。


 加えて僕にはある特技がある。


「僕はASMRさえあればどんな環境でも寝れる。だから恋水さんが気にする必要はないよ」


「同じ布団で寝るのはだめなんですか?」


「だめだ」


 僕は即答する。

 穢れのない純粋無垢な瞳で問われたとしてもダメなものはダメだ。


「どうしてですか?」


「どうしてって、そりゃあ……」


 倫理的に考えてありえないとしか言いようがない。

 曲がりなりにも、男女が同じ空間に二人で居るのである。間違いが起こらない可能性がないとは言えない。

 しかしそれをどう伝えたものだろう。


「僕は……一人で寝るのが好きなんだ」


 単純明快な答えがあった。

 これなら恋水さんも何も言えないはずだ。


「……それは私が信用できないからですか?」


「そんなわけないよ!」


 顔を伏せて物悲しげに呟いた恋水さんに、思わず否という言葉が飛び出ていた。


「とんだ勘違いだよ。ただ僕は……女の子と寝るのが気恥ずかしいんだ」


 後に引けなくなって、僕は絞り出すようにして言う。

 たった一言なのに顔から火が出そうだ。

 ゆっくりと恋水の様子を伺うと――なにやら嬉しそうにしている。


「良かったです。イヤホンを付ければ解決ですね!」


「どうしてそうなるの!?」


「ASMRさえあればどのような環境でも寝れるとおっしゃっていたじゃないですか」


 なるほど。確かに僕はそのようなことを言った。


「けど、それとこれとでは話が別で……」


「私のこと、嫌いなんですか?」


 ズルすぎる。

 僕は恋水さんを男子の情緒を弄ぶ小悪魔に育てた覚えはない。


「はぁ。今回だけだよ」


「はい。嬉しいです!」


 僕は学校で彼女のこの一面が現れたら大変なことになりそうだと漠然と思った。


 ◇


 僕はまるで子どもを迎え入れるかのように寝そべって掛け布団を持ち上げる恋水さんの誘いを拒絶し、予備の掛け布団を持参して頭から被った。


「……」


 この敷布団は一人用を想定している。ゆえに、いくら端によっても体温と息づかいが伝わってくる。僕は彼女に背中をみせるように横向き寝をした。せめてもの抵抗だ。


「おやすみ」


「おやすみなさい」


 僕は枕元のリモコンを操作して照明を消した。

 普段は常夜灯派だけど、今日に限ってはこっちの方がいい。


「……」


 五分くらい経っただろうか。

 全く眠れる気がしない。

 やっぱりASMRのお力を借りるべきか。


「響谷さん起きてますか?」


 用意しておいた有線イヤホンに手を伸ばしかけたとき、後ろから声がかかる。

 声の響き方からして恋水さんも反対向きに寝ているようだ。

 呼びかけに答える。


「起きてるよ」


「少しお話を聞いてくれませんか?」


 お話するではなく、聞いてほしい。


 僕は耳を傾ける。

 その雰囲気を感じ取ったのだろう、恋水さんはポツリと語り始めた。


 ◯


 私は空っぽな人間でした。


 小学校の頃の私はいわゆるお利口さんでした。先生や親の言う事を聞いて、なんの疑問も抱かずに従って、ただそれだけの日々でした。


 中学校に上がって、身も心も成長して、周りの人たちはどんどん個性を発揮していきました。私はといえば変わらないままでした。でも焦燥感のようなものを感じていました。優等生であること以外に何も取り柄のないことに劣等感を抱いていたのだと思います。


 高校に入学してからも同じでした。同じどころかもっと悪化していきました。これといって誇れるものはないのに崇められるようになったんです。誰かは言います、勉強ができると。でも私は言われたからやっているだけで、別段やりたいわけではないんです。それに学校内にも上はたくさんいます。決して優等生という部類を出ることはありません


 そして気付きました。私には感情というものが人並みに存在していなかったんです。感情はいわば原動力です。それが足りない私はこの現状を打破しようとする気さえ起こらなかったんです。


 何もかも諦めて周りに身を任せて生きていた、そんな折。

 私は響谷さんに声をかけられました。

 廊下に連れ出されました。

 告白されました。


 響谷さんは良い意味で私のことを見ていませんでした。


 本当に私の『声』にしか興味がないようでした。


 本来なら忌避すべきことなのかもしれませんが、誰もが同じ目で私を見てくる中で、その瞬間だけは色が点っていたんです。真に私自身を見てくれていたんです。色眼鏡なしで私を見てくれました。


 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ◯


 衣擦れの音がする。

 恋水さんがこちら向きになったのが分かった。


「だから響谷さんには感謝しています。何者でもなかった私に取り柄を与えてくれて……」


 恋水さんはそのまま寝息を立て始めた。

 言うだけ言って自分はリラックスして寝るとか身勝手すぎやしないだろうか。

 僕は心のなかで恋水さんに文句を言う。


 再び僕はイヤホンに手を伸ばしかけて――やめた。


 不用意に動くと背中にくっつく恋水さんを起こしてしまいそうだ。

 僕はASMRに頼れない夜を過ごした。


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