第七話 黒歴史
「恋水さん、いったい何やってるの?」
エプロン姿で、菜箸を胸の前に掲げている恋水さん。美味しそうな匂いも漂っていることから料理を作ってたってことは予想がつくけど、僕が言いたいのはそうじゃない。
「ごめんなさい。本当は響谷さんに許可を取ってからやるつもりだったのですが、邪魔をしてしまうのが嫌で無断でキッチンを使ってしまいました」
「持て余してたからキッチンは自由に使ってくれてかまわないんだけど……」
「では手料理が苦手でしたか……?」
俯いた恋水さんの視線の先には、丁寧に盛り付けられたサラダ。その横のコンロの上には――匂いからしてカレーだろうか、コトコトと煮立って湯気が昇っている。
「そんなわけないよ! ただ、ちょっと驚き過ぎて言葉が出なかったんだ」
「……そうなのですか?」
「当たり前じゃないか。現に空腹でお腹と背中とくっつきそうだよ」
僕は両手でお腹を抑えてみせる。へこみすぎて紙みたいにぺらぺらだ。
「実はわたしもそうなんです。ほらっ」
そう言って恋水さんもお腹に手を当てたけど、押さえつけられたせいでかえって別の部分が強調されてしまっていた。段差がものすごいことになっている。
恋水さんは気にした様子をみせずに無邪気に笑う。
「いっしょに食べましょう」
二人分の食器を引っ張り出してローテーブルに並べる。足りない食器は恋水さんが持参したもので補った。前に来たとき食器類が見当たらなかったのを覚えていて、用意しておいたらしい。
「その……美味しいですか?」
「とっても美味しいよ。長い間恋水さんを放ったらかしにしてたのに、ご飯まで作ってくれてありがとう」
「いえ。これは感謝の気持ちですから」
ジャンクフードでも美味しく食べれてしまう質だけど、この恋水さんの料理は格別の味だ。頬がほころんでニヤけてしまう。
一心不乱に手を動かし続けていると、ふと正面から恋水さんが両手で頬杖をついて僕を見ているのに気づいた。
「僕の顔になにか付いてる?」
「なにも付いていませんよ?」
仮に鼻先にカレーが付いたままだったら、この後でいくら一生懸命指導したところで笑い者にしかならない。僕は念のため何も付いていないことを確認してからまたスプーンを握った。
すると恋水さんも食べ進め出した。今のは何だったのだろうか。
完食した僕たちは食器洗いまでしっかりとやり終えた。
◇
「銭湯ですか?」
「うん。ここにもあるけど狭いし、他にも色々問題があるからそっちの方がいいと思って」
さすがに高校生ともなった男女がお風呂を共有するのはまずい。僕も一定の節度はわきまえているつもりだ。
恋水さんも賛成してくれるだろうと返答を待っていると、何故が彼女はフリーズした。
そして時が動き出すと同時に、情けない叫び声を上げた。
「わぁああああ!! 着替えの服を忘れたかもしれません」
キャリーバッグの中身を底からひっくり返していく恋水さん。
料理道具を用意することに気を取られて、着替えを忘れてしまったらしい。
「僕の服から恋水さんが着れそうなものを見繕ってくるよ」
「はい……お願いします」
僕は意気消沈している恋水さんをリビングに置いて、普段は物置にしているもう一つの部屋に入った。
さてこのスペースだけど、それこそASMRに使ったものから実家に置けなくなった私物まで多種多様な物が置いてある。
たしかこの辺りだったような……。
使う頻度が少なくなった服をまとめておいた場所があったはずだ。
「これかな」
がらくたの中から布製のボックスをどうにか発掘する。
どんな服が入っているのかな。ワクワクした気分でチャックを開けていく。
「あ」
開けて手に取った瞬間、付随する記憶が高速でフラッシュバックして脳の機能が停止してしまった。
後方で入り口のドアが開く音がする。
「響谷さん私にも手伝わせてください」
僕はこの瞬間チャックを閉じて知らんぷりをすればよかったのだろう。けど後悔先に立たず、ボックスの中身を恋水さんに見られてしまう。
「見つけてくれたのですね。私に見せてください」
今日という日ほど握力を鍛えていなかったことを悔やんだ日はない。僕の必死の抵抗は虚しく、手のひらをすり抜け、ついに恋水さんのもとに渡ってしまった。
「なんですかこれは」
体の前に広げた服を上から見下ろして、恋水さんは頭にはてなマークを浮かべた。
僕は失望される瞬間を見たくなくて、みっともなく両手で顔を覆う。
「セーラー服?」
しかたなかったんだ、と僕は叫びたい。
動画投稿を始めたばかりの頃、チャンネルが伸びなやんでいた僕は再生数を多くする方法を研究した。
判ったことをまとめれば『思わずクリックしちゃうようなサムネが正義』だということ。
ASMRチャンネルの動画一覧を眺めている内に、エロいサムネの動画が極端に再生数が多いことに僕は気づいた。
僕もやろうと思い立った。
妹から服を借りたり、コスプレ衣装を購入したりして試行錯誤した際の負の遺産がそれだ。
結局動画で使うことはなかったけど、どうにも捨てる気にはなれず取ってあったのを今この瞬間思い出した。
どうしよう。穴があったら入りたいとは、まさにこのことだ。
「せーらーふく! 可愛いですね。響谷さんは休日に着たりするのですか?」
ん? なんだかナチュラルに受け入れられてる? 驚くなり蔑むなりしてくれないと逆にこっちが否定しにくくなるんだけど。
「いやちがくて僕は――」
「気にする必要はありません。自分の好きな服を着て生きるのが一番ですよ!」
僕の事情説明の言葉は遮られ、恋水さんは力強く訴えてきた。渾身の力説に僕は口をはさむことができない。誰にも言えない悩みを抱える少年と、凄腕カウンセラーのドキュメンタリー番組みたいな構図だ。
「遠慮しないで着替えましょう。私が付き添いますから」
挙句の果てにセーラー服の着用を強要してきた。
「だからそういうのじゃないんだってばぁあ!」
服を脱がせようとしてくる恋水さんとそれを防ぐ僕の応酬が何度か行われ、最終的には誤解を解くことができた。