次来店した女性をデートに誘おうと思っていたら、元カノがやって来た件
とある日曜日。
俺・佐久間静は喫茶店のアルバイトに勤しんでいた。
知り合いのマスターが経営する小さな喫茶店で、レトロな雰囲気が地元の常連客から高い支持を得ている。
かく言う俺も元常連客の一人であり、この店のコーヒーの味に惚れ込んでアルバイトをしていた。
午前10時。
休日にもかかわらず、この日は開店直後から店内は殺風景だった。
いつもなら一組二組くらいお客さんがいる筈なのに、珍しいこともあるものだ。
客がいないからと何もしないで給料を貰うのは気が引けたので、俺は無駄にテーブルを水拭きしていた。
「一応仕事をしています。サボっていませんよ」アピールをしていると、ふと同じアルバイトの高倉智史が話しかけてくる。
「客、来ないな」
「あぁ」
「暇だな」
「そうだな。……だけど仕事をしなくて良いわけじゃないぞ? だからその手に持っているスマホはしまえ、バカ野郎」
俺と智史は高校のクラスメイトでもある。同僚という点を抜きにしても、非常に親密な関係性だ。
だからこうして、軽口を叩き合えるわけで。
「仕事中はスマホをいじらない。約束事はきちんと守れ」
「はいはい。……約束といえば、あの事忘れていないよな?」
「あの事?」
俺は首を傾げる。
とぼけているのではない。智史が何を言っているのか、本当にわかっていないのだ。
「期末テストの合計点が低かった方は、罰ゲームとして女の子をナンパすること。忘れたとは言わせないぞ?」
……そういや、そんな約束をしたな。
結果は10点差で俺の惜敗。自分に都合の悪い約束だったので、すっかり頭から抜けていた。
「因みに言っておくが、クラスの女子は対象外だぞ? そこそこ仲の良い子をお茶に誘っても、それはデートと呼ばないからな」
「……わかってるよ」
明日隣の席の奴でもランチに誘って、この罰ゲームを終わらせようと企んでいたわけだけど……どうやら俺の考えは、智史に見通されていたみたいだ。流石は親友。
……まぁ。罰ゲームの内容はあくまでナンパをすることであって、デートをすることじゃない。つまりナンパの成否は問わないのだ。
いつまでもその場のノリで決めたような罰ゲームに煩わされるのは嫌だし、早々に履行してしまうとするか。
そう考えた俺は、
「今日初めて来店した若い女性客を、ナンパする。それで良いだろ?」
「ナンパ宣言とは、男らしい。静のそういうところ、嫌いじゃないぞ」
俺も自分の割り切った性格は、案外気に入っていたりする。
今日初の若い女性客をナンパするとして、万が一にもそのナンパが成功する可能性も無きにしも非ずだ。
もしデートをすることになった場合、天文学的な確率で交際に発展する可能性だってある。
だからどうせなら、好みの女性が来てくれ。
そんな風に思っていると、早速若い女性客が来店した。
彼女は女性というより、少女と呼ぶ方が的確だった。
年齢は、丁度俺と同じだ。
外見はというと、正直俺の好みドンピシャだった。
だというのに、歓喜の感情をまるで抱けない。
なぜなら――店内に入ってきた彼女は、俺の元カノだったのだ。
◇
少女の名は、早瀬雫。
かつて俺と同じ中学に通っており、当時は恋人同士という間柄だった。
中3の頃、「一緒の高校に行こうね」と約束していたわけだけど、残念なことに俺だけ受験に失敗し、その結果今は別々の制服に身を包んでいるわけで。
通っている学校が違うという理由で段々と疎遠になっていき、およそ一年前に別れた。
そんな雫とこういう形で再会することになるなんて……偶然とは、実に恐ろしいものである。
「おい、静。何ボーッとしているんだよ? 早く注文を聞きに行け。そしてナンパもしてこい」
俺と智史は、高校に入学してからの付き合いだ。その為、智史は俺が雫と交際していた過去を知らない。
無知もまた、偶然同様恐ろしい。
智史は「早く行ってこい」と、俺にナンパを催促するのだった。
「今日初めて来店した若い女性客を、ナンパする」。そう宣言してしまった以上、今更「ナンパ出来ません」と前言撤回することなんて出来ない。
だから俺はこれから、元カノにナンパするというダサい行為に及ばなければならない。
……いや、待てよ。物は考えようだ。
雫相手にナンパをすれば、拒絶されるに決まっている。
結果がわかりきっているのだから、この上なく気楽だと言えるだろう。……多少は罵詈雑言を浴びせられるかもしれないけれど。
「行ってくる」
雫に「バカ! 死ね!」と罵られて、ビンタされて、それで罰ゲームも終わりだ。
俺は雫の前に、お冷やを置く。そしてニッコリ笑いかけながら、
「ご注文は、お決まりでしょうか?」
「えぇ。ブレンドコーヒーをお願い……って、あら。静じゃない」
「久しぶりね」と、雫は軽く手を上げる。
「お久しぶりです、お客様」
「敬語。気持ち悪いから、やめて」
「……わかったよ。別れた時以来だから、一年ぶりか?」
「別れた時も、メールでやり取りしただけで実際会ったわけじゃないでしょ? こうして顔を突き合わせるのは、一年半ぶりよ」
一年半。最後に会ってから、もうそんなに経つのか。
時の流れとは、早いものである。
「ブレンドだったよな? 砂糖は二つで良いか?」
「えぇ。あとミルクもお願い」
「わかってる」
だって元カレだもの。
注文を聞き終えた後で、俺は本当にさり気なく、さも他意はない風を装って、雫に尋ねた。
「あと、今度お茶でもしないか? その……二人だけで」
雫は一言、「は?」とだけ返した。
……まぁ、元カレからナンパされたら、普通そんな反応になるよね。
「いや、折角こうして再会したわけだし、これを機にまた交流を深めるのも良いのかなーって。だから、その、一緒にお茶するのも悪くないのかなーって」
「アハハハハハ」と、俺は愛想笑いを浮かべる。……ダメだ。さっきから雫のやつ、眉をひそめたままにしている。
「勘違いだったら悪いんだけど……それって要するに、私をナンパしているのよね?」
「……端的に言えば、そうなるな」
「確認の為、もう一度だけ聞くわ。元カノの私を、ナンパしているのよね?」
「……はい。そうです」
何なんだ、この拷問は?
殺すなら、とっとと俺を殺してくれ。
冷や汗をかきながら、俺は雫からの拒絶を待つ。
しかし……彼女の口から出たのは、予想外の言葉だった。
「良いわよ。一緒にお茶してあげる」
「……え?」
俺は驚きのあまり、一瞬固まってしまう。
「ナンパだとわかった上で、それでも俺の誘いを受けてくれるのか?」
「そうだって言ってるのよ。時間と場所については、また連絡するわ。連絡先、変わってないわよね?」
「あっ、あぁ」
それから半日後。
俺は実に一年ぶりに、雫からメッセージを受信するのだった。
◇
雫から指定された日にちは、翌週末。そして集合場所は俺たちの通っていた中学の前だった。
勿論、母校でティータイムを楽しむわけじゃない。
中学校を集合場所に指定したのは、互いの家から丁度良い距離にあるからだ。
そして理由は恐らく、もう一つある。……初デートの時の集合場所も、中学の前だった。
翌週の土曜日。
指定された時刻の5分前に中学校の前に行くと、既に雫は到着していた。
思えば高校生の雫とデートするのは、初めてかもしれない。厳密には高校に入学した直後に一度だけデートしたけれど、あの時は中学生らしさが多分に残っていたし、ノーカンだ。
何が言いたいのかというと、要するに大人に近づいた雫の姿に不覚にもドキドキしてしまったわけで。
……って、いかんいかん。あくまでこれは罰ゲームの延長線だということを忘れるな。
「悪い、待たせたな」
「集合時間はまだなわけだし、謝る必要はないわよ。それより、どこでお茶するのかは決まっているのかしら?」
「……」
決まっている筈もなかった。
思えば当時のデートも、基本的に雫がプランを考えてくれていたな。全く、情けない彼氏である。
元カノの雫は、当然俺の情けなさを熟知している。
彼女は「やっぱり」と呟きながら、一つため息を吐いた。
「静のことだから、どうせノープランだと思ったわ。……あなたを連れて行きたいところがあるの。ついてきてくれるかしら?」
「……おう」
雫に案内されてやって来たのは、広い公園だった。
休日ということもあり、家族連れや犬の散歩をしている人なんかも見受けられる。
カップルも少なからずいて、俺たちが二人で歩いていてもなんら違和感はなかった。
「ここ、覚えてる?」
「あぁ」
初めてのデートで来た場所が、この公園だ。
中学生だった俺たちは今ほどお金を持っておらず、その為お金のかからない公園をデート場所に選んだのだ。
確かあの時は……。
俺が当時のことを思い出していると、その記憶を更に呼び起こすように、雫が「はい」と直方体の箱を渡してきた。
「お弁当。懐かしいでしょ?」
……あの時も、こうして彼女の手作り弁当を食べたんだっけ。
中学校の前で集合し、公園にやって来て、彼女の手作り弁当を食べる。これまでの行動は、全て初デートの日を繰り返しているようだった。
そしてそれは偶然じゃない。雫は意図してやっている。
では、その意図とは何か? ……彼女が俺のナンパを拒絶しなかった背景を考えれば、自ずと答えは出てきた。
初デートの日、もう一つ重要なイベントがあった。
俺はあの日、雫に「好きだ」と伝えながら、ファーストキスをしたのだ。
過ぎ去ってしまった時間は、取り戻せない。だけど後悔している過去を、やり直すことなら出来る。
「同じ高校に通えなくて、ごめん」と素直に謝るべきだった。「違う学校に通うことになっても、変わらず彼女でいて欲しい」と伝えるべきだった。
この1年間、幾度となくそう思ったことか。
だけどもう一度チャンスが巡ってきた。他ならぬ、雫がチャンスをくれた。
ここまでお膳立てして貰ったんだ。動かなければ、男じゃない。
「好きだ」。そんな言葉じゃ、この一年積もりに積もった俺の想いは伝えきれない。
だから――
「雫、大好きだ。お前を誰よりも愛している」
「うん、私も」
初デートの時よりも、ずっと艶かしくなったその唇と、俺は久方ぶりの口付けを交わすのだった。