08話。つまり
また数日、平和な日常が経ったある日。
光の天使ルミエールの生放送が始まる30分前。
パソコンの前で待機していると、ラピスラズベリーさんからダイレクトメッセージが届いた。
――突然のメッセージ、申し訳ございません。ご迷惑でなければ、生放送の配信テストにご協力頂けないでしょうか?――
とあり、URLと通話アプリのIDが貼ってある。
生放送の配信ページのURLと、通話アプリの方は光の天使ルミエール名義だ。
(どう言うことだ?)
少し迷ってから、俺はSNSの方にメッセージを返す。
――もしかして、おっとっととかタンバリンみたいなことをやれって?――
――いえ、配信前の音量の確認をお願いしたいのですが――
一瞬だけ、俺もサポート役でバーチャルアイドルデビューかなんて脳裏に浮かれた考えも過ったが、現実的に考えてそんなことまで手助けするような関係でもなければ、暇も能力もない。
いきなりそれはないかと思えば案の定なかった。だろうね。
音量の確認か。それくらいなら、まあ。
(いいけど……)
生放送で新しい企画なんかをやるときは気を使う所だろう。
配信中に調整して、軽くぐだっている人も多い。光の天使ルミエールもそうだったな。
見る側としては、そんなやり取りも面白いのであまり気にならないが、配信する側は気にする所のようだ。
企業所属でもないバーチャルアイドルは家族や友達に確認して貰っている人が多いと思うのだが、昨日今日会った猛禽類カフェの常連客に頼むようなことか?
――いいけど、友達とかいないの?――
――はい――
――そっか――
端的な返事に短く返す。すまん。
近所の喫茶店で話していたとき、そんな気配は感じていたが。
基本は内向的な性格なのに、好きな物を語るときは走りがちだなと。
まあオタクあるあるなのだが。
マイクの接続を確認して通話アプリを起動。ID検索。出た。
こちらのID認証を申請。承認される。例の保留音が鳴り、すぐに通話が繋がる。
同時に、URLから準備中というタイトルの、一般公開されていない生放送中の配信サイトへと飛べた。
画面の中では、光の天使ルミエールがいつものソファーに座って待機していて、BGMになにか聞き慣れない音楽が流れていた。
「もしもし、配信ページ見てるよ」
「ありがとー。今もうゲーム起動してるんだけど、音量はどうかしら?」
光の天使ルミエールは顔を上げ、カメラ目線、つまり、真っ直ぐこちらを見る。
目が合った。
「おっふお」
「どうしたの? 大きい?」
画面いっぱいに顔が映ってて、顔が大きく映っている。ガチ恋距離だ。
思わず大きいと答えようとしたが、いや、音量の話しか。
「ど、どどど、どう、え、あの、えと、あの……」
とある大きなオタク関連のイベントで、超大物バーチャルアイドルとディスプレイ越しで直接話が出来るイベントが好評だったそうだが、その時は大して興味も湧かず、どうせ東京のイベントで行けないしと斜に構えていたが。
(これは、凄いな……)
コメントを拾って貰えるだけでもテンションマックスなのに、光の天使ルミエールが俺を見て俺の言葉に応えてくれている。
俺、今、一対一でキャラクターと会話している。やばい。
語彙力が喪失するくらいやばい。
(あ、あれぇ?)
サンタクロースがいないことを早くに冷めた目で見ていたのに、同時期頃にヒーローショーの中の人は偽物だと気づいて斜に構え居たはずなのに、なんで今更こんなにも心がかき乱されるのか。
心拍数がマジでやばい。
「あの、口調、それ、普通に戻せない?」
「どうして? んぅ……無理。もうわたしはわたしだもの」
役に入り込んでいる状態と言うやつか。
役者の才能もあるのでは?
そう言う練習もしているのか、いや、今のこれが練習も兼ねているのか。
「大丈夫? なんだか……息、荒くないかしら?」
心配そうな表情になり、画面の中で少し身を乗り出して来る。
またガチ恋距離だ。
「ごっ、ごめん、ちょっと、ちょっと待ってくれ」
俺はマイクをミュートにする。
これ、VR配信で見てたら本当に心臓止まっていたのでは?
いつか起こり得るだろうと予想されているVR殺人の最初の手段として、これ本気であり得るんじゃないか?
絞殺、刺殺、のようなニュアンスで、萌殺、尊殺されそうだった。
(えぇ……なんだこの感覚)
照沢さんを知ってるからこそ、違いがはっきりとわかる。
光の天使ルミエールと照沢さんは完全に別人だった。
光の天使ルミエールと言う存在が、そこにいる。
(サンタクロースやヒーローショーと、なにがこんなにも違うんだ?)
いよいよ自分の感情やら認識がわからなくなり、説明がつかずに困惑する。
一体なんなんだこの感覚は?
画面の中では、光の天使ルミエールが不思議そうな表情をしている。
「大丈夫?」
言いながら、こちらに向かって手を振ってくれている。
益々やばい。
手早く済ませよう。
深呼吸一つして、ミュートを解除。
「うん、大丈夫。今かかってるBGMの音量のこと?」
「そう。今日やるゲームの音なの。どうかしら?」
「少し小さい気もするけど、声が良く聴こえた方が嬉しいからこのままでいいんじゃないかな」
「そう? そうね。ありがとう……っと、よし。これでいいわね」
なにか設定したのだろう、電子音が鳴ったのが聞こえた。
「ありがとう。それじゃ今日もこの後も23時から配信するから、良ければ見てね!」
「うん。それじゃあ……頑張って」
「うん。ありがとう。それじゃ、ばいばい」
通話が終わる。
大きく息を吐く。吸う。
穏やかな深呼吸を繰り返す。
(善き……人生だった)
おっと危ない、光の天使ルミエールが最後に残した満面の笑みで、文字通りの逝きかけてた。
ハッとなって身体を起こす。
その拍子に気づいた。
光の天使ルミエールはそこにいる。
でも、現実にはいない。
架空の存在だ。
バーチャルな存在だ。
だからこそ、こんなにも美しい。
(そんな綺麗な物が……存在して欲しいと、俺自身が願っているのか)
サンタクロースも、ヒーローも、実在しないと知ってしまったからこそ、バーチャルアイドルにはそこにいて欲しいと、俺自身が切に願っている。
夢をなくして寂しく思っていることに、大人になって気づいた。
なくしてしまって大切な宝物を、夢の存在を、今度こそなくさないようにと思っている。
架空な存在だとわかっていても、本気で騙されたいのだ。
(なるほど……)
自分自身が、光の天使ルミエールに存在して欲しいと願っているから、そこにいる。
否定してしまえば、簡単に消える儚い存在、だからこんなにも強く願っている。
(なるほど)
唐突に、自分の感情の整理が整った気がする。
リスナー達がみんな異様に優しくて民度が高いのも、こう言う気持ちが根底にあるのかも知れない。
皆この空間を大事にしたいのだ。
バーチャルアイドル界隈の空気をTRPGだと例える人もいるが、やったことがないのでピンと来ていなかった。
つまり、俺達リスナーもリスナー役として空想の世界に参加しているのだ。
(なるほどなぁ……)
人狼ゲームと例えてもいいかも知れない。自分もリスナー役としてその世界にいる。
作品の世界観に入り込むとは、漠然とわかっていたが、上手い人はそれを自然に引き込んでくれるのがバーチャルアイドルなのか。
自覚してようやく先人達の領域に追いつけた気がした。
そのままぼーっとディスプレイを眺めていると、生放送が始まった。
今日も光の天使ルミエールは元気で楽しそうだった。
だったのだが。
「これはー……これでも駄目な感じかしら?」
楽しそうなのは良かったのだが、少々機材トラブルがあった。
要約すると、自前の3DアバターがMODとして使えるビルドゲームで、アバターの認識はしていたのだが、ゲームとの同期が上手く行かなくてぐだぐだ放送だった。
「んぅー……そうね、その辺はじゃっかんわからない分野ね。VR配信に切り替える時期なのかしら……ええ、今度電気屋に行っていろいろ調べて見るわ。ごめんなさい、今日はこんな感じになっちゃって」
光の天使ルミエールが虚空を掴んでオブジェクトが動かしたり、扉から離れた場所で扉を開けるモーションをしたり、マップを歩いていると亜空間に落ちたりと変な動きが多く、終始慌てる光の天使ルミエールが可愛くて、うさぎ声が連発して聴けたりと、なかなかレアな放送だったので好評だったが。
こう言うトラブルなら生放送の面白さだ。俺も終始笑わせて貰った。
「それじゃ、今日はこの辺で。おつはれーしょーん」
コメント欄はいつもの挨拶、おつしょんで埋まっている。
(……)
生放送も終わり、色々とコメントされている機材のアドバイスなんかを見返しながら、俺は少しだけ考えてラピスラズベリーさんのSNSへメッセージを送る。
――俺もあんまり詳しくないけど、電機屋見に行くとき機材のアドバイスとかしようか?――
――お願いしていいですか?――
短い返信が届き、また事務的な返事をする。
淡々としたやり取りでお互い暇な日時の確認をしながら約束を取りつける。
「……」
スマフォを置く。
自分が今考えていることは、なんだろう。
最近感じていたもやもやについて、答えを見つけて整理がついたはずなのに、まだどこか心がもやもやしている気がするのは何故だろう。
深く考えない方がいい。そんな気もするので、考えないようにしよう。




