10話。鷲の爪
良くないな、とは思っている。
「渡辺さん」
「うん」
照沢さんは、白い猫を抱えて俺を見上げた。笑うと途端に可愛いんだよ、ほんとに。
笑ってるとき以外は不愛想さを覚えるくらいの根暗な雰囲気なのが、逆に笑顔の可愛さを際立たせている気がして困る。
今日は二人で猫カフェに来た。
俺との関係を老婆に話したところ、一度ちゃんと礼をしておけと、老婆の経営する系列店で使える金券をくれたそうだ。
うちの県内にある動物カフェは基本的に全て老婆が関わっていて、照沢さんもアルバイトでヘルプに入ることもあるとか。
(変な後押しとか、本気でいらないんだが……)
スキャンダルでも作らせて、アイドルを諦めさせたいのか?
そんな邪推もするが、照沢さんは楽しそうだし、俺もまあ楽しい。
色々と裏話も聞けた。
アバターのモデリングは美沢ひかるの大ファンだったモデラーに依頼して、かかった金額の話や、有名バーチャルアイドルのあの人からコラボの話が来ていたが、怖かったので断った等々。
丁寧口調は疲れないかと尋ねてみれば、綺麗な言葉遣いや立ち振る舞いはお金のかからないお洒落だと得意げに言っていた。
「それはお婆さんの教育?」
「いいえ、撮影現場の人が教えてくれました」
ジュニアアイドル時代は色々と大変な苦労もしたが、活動自体からは得る物もあったと捉えているとのこと。
(最近、本当に楽しいからはな……)
職場では趣味の合う話が出来る同僚が居て、仕事終わりに好きなコンテンツを楽しんで、休日には女の子と遊ぶ機会まである。
(うむ、楽しい)
猫カフェで、恥ずかしそうに踊りの練習中なので見て貰えないかと持ち掛けられたので、もちろん断るわけもなく、提案されるままカラオケ屋に行く。
小さなイベントルームを借りて歌と踊りを披露してくれた。
練習中とは言っていたが、ちゃんとしたアイドルの踊りになっていて、ひたすら賞賛するしかなかった。
「んぅー……褒め過ぎじゃないですか?」
「いやいや、本当凄い、凄い! やばい!」
汗を拭う照沢さんに、語彙力の吹き飛んだ脳味噌で賞賛を送る。
練習を見て欲しいとは名目で、たぶん今の自分の技術を全力で見せてくれたのだろう。
アイドルの卵が俺のためにソロライブなんて、半端なく貴重で贅沢な一時に俺のテンションも舞い上がりっぱなしだった。
正直、彼女がアイドル志望じゃなかったら素直に惚れていただろう。
正直、心惹かれているのは確かなのだろう。
だが、そこは弁える。
頑張っている人の足を引っ張るような真似はしたくない。
貴重な女友達が出来たことを、素直に喜んでおこう。
友達なら楽しいだけの関係でいられる。
それで十分だろう。深く考えるべきじゃない。
そう、頷く。
「マジ?」
「はい、ここです」
場所は変わり、駅ビルデパートの屋上へと向かうエレベーターの前。
昼間の猫カフェやカラオケは前哨戦であり、本命はここだったらしい。
時刻は夕方の6時半。
少し早目の夕食として、最上階レストランで食事が最初からの予定だったそうだ。
サプライズ的に知らされて腰が引ける。
「おばあちゃんがここにしろって言ってくれたので、遠慮しなくていいですよ」
誇らし気に言っている。
いやいや流石に遠慮すべきだろう。
こちとら普通の小市民なわけでって、あれ?
「あれ? 照沢さん、鞄は?」
「え?」
気づけば手ぶらだった。
「カラオケ屋かな、急いで戻ろう」
前払いの飲み放題システムだったので、帰りはカウンターにマイクを返すだけで良かった。
浮かれっぱなしだった俺達は二人共気づかなかったらしい。
「ごめんなさい……」
「ううん、行こう」
持ち前の天然ムーブかも知れないが、こういうとき小粋なジョークで滑って空気を重くすること程痛いこともないので、余計なことは言わず踵を返そうとした所に車が止まる。
飾り気のない社用車から降りて来たのは老婆だった。
「丁度良かったね」
「おばあちゃん」
「カラオケ屋の店長から電話があったよ。まったく、こんなことでアタシの手を煩わせるんじゃないよ」
ぶっきらぼうに突き出された鞄を照沢さんは受け取る。
「ごめんなさい……ありがとう」
「……ふん」
老婆は照沢さんの言葉は無視して、じっと俺を見ている。
邪推通り、変な後押しをしていたらしい。
その脅しかけるような目に、俺は剣呑な微笑で返す。
「夕食、ごちそうになります。ありがとうございます」
「……」
そのまま老婆と視線を交わす。
しばらくして、露骨に鼻息で失望を表し車へと戻って行った。
これでいいんだよ。
俺も小さく息を吐いてから、殊更明るく言う。
「行こっか」
「そうですね」
合わせて、明るく応えてくれた。
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レストランは非常にクオリティが高く、不満点など皆無で非常に満足したわけだが。
特に和牛のいいところを炭火で炙って、さっぱりとした赤ワインのソースで頂く一品は、俺が生きて来て食べた物の中で一番美味かったわけだが。
美味かったのだが、正直マンツーマンソロライブの方がインパクト強かったかな、と。
食後に運ばれて来た紅茶の香りを楽しみながら、一息ついている。
ふとスマフォを見ると、SNSページに新着通知が表示された。
ほとんど無意識で更新する。
光の天使ルミエールが、こうつぶやいていた。
――バーチャルアイドルなんて幼稚な物にハマってる連中は総じて発達障害だろ――
――馬鹿に大層な病名までつけてて笑える。賢いつもりの馬鹿が本当にやりたい放題だな――
……?
俺は一度、アカウントのアイコンと名前を確認する。
(なりすまし?)
いや、それならフォローなんてしてないし、新着の通知は来ない。
間違いなく光の天使ルミエールのSNSページで、そうつぶやかれている。
俺は顔を上げて照沢さんを見る。
照沢さんは静かにピアノの演奏に耳を傾けながら紅茶を飲んでいる。
視線をスマフォに戻せば、また新着の通知。
――馬鹿に媚を売るのは知能レベルを落として喋らないといけないから、逆に疲れる。いい加減辞めたいわ――
更新すれば、次のつぶやきが表示された。
「?」
首を傾げて、もう一度照沢さんの方を見る。
挙動不審な俺に気づいて、照沢さんも首を傾げた。
もう一度SNSページを見る。
更新は止まっていてるが、いいねが押されている。
「あの……なんか、これ更新されてるんだけど……?」
「?」
照沢さんにスマフォの画面を向ける。
二人で固まる。
どう言うことだ?
突然動き出した照沢さんは、飛び跳ねるようにして自分の鞄を探り――
「あのっ――クソババァ!」
ほとんど悲鳴に近い叫び声と共に立ち上がった。椅子が倒れる。俺も仰け反る。
ピアノの演奏が止まり、ウェイターや客の視線を一身に集めていたが、それ所ではない。
「渡辺さん、わたしのスマフォ、電話番号……これ、この番号に、電話……電話を」
じわじわと涙が浮かぶ目で、照沢さんは自分の電話番号を書こうとペンを探しているようだが、そんなまどろっこしいことはせず直接スマフォを照沢さんに渡す。
受け取り、素早く自分で自分のスマフォの番号にかけながら店から出て行った。
俺は店員や客達に頭を下げ、会計を済ませてから後を追う。
デパートの通路の、奥まった所で足を止め怒鳴っている。
声が反響していて、近寄り難い。
「おばあちゃんでしょ! やめて!」
――――
「やめてよっ、消して! 消しなさい!」
――――
「っ、今すぐよ!」
――――
「辞めないならっ、お婆ちゃんの夢だったカフェっ、全部無茶苦茶にして、鳥もぶっ殺すわよ!」
悲痛な叫び声。
……現実は綺麗なことばかりじゃない。
老婆が照沢さんのスマフォからSNSページにアクセスしてつぶやいたのだろう。
照沢さんは激昂して、老婆に怒声交じりの懇願を続ける。
俺は傍観することしか出来ない。
しばらく言い合いは続いたが。
「っ――」
照沢さんは前髪を握り締めて、壁にもたれかかった。
脱力して、項垂れる。
「……なんて?」
「出来もしないことで……脅すなって……あのっ……」
クソババァ、と俯いたまま小声が涙と共に零れ落ちた。
俺は力の抜けた照沢さんの手からスマフォを返して貰って耳に当てる。
「じゃあ、俺がやるよ」
「誰だい?」
スマフォのスピーカーから聴こえる、老婆の声。
「俺はー……俺ですよ。わかるだろ。鳥、全部焼き鳥にして食べましょうか?」
「犯罪行為だよ」
「あんたのやってることもそうだろ」
「外野が身内の話しに首突っ込むんじゃないよ。腰抜けが」
痛い所だった。確かに、俺は照沢さんとはただの友達だ。
だがな。
「は? こちとら光の天使ルミエールの大ファンだぞ。あんたこそ外野だろ」
「なにを言って――――」
「キャライメージ壊すようなことしやがって……赦さねぇぞ……」
本気の怒りが声籠る。
今、まさになにも知らないファンが、光の天使ルミエールがあんなつぶやきを見ているのだと思うと、俺がその立場だったらと思えば、怒りはいくらでも湧いて来る。
押し黙る気配。畳みかける。
「俺が腰抜けじゃない所が見たいか? 直接手を下す部分だけ俺がやってやる。責任は照沢さんが取る。それならいいだろ?」
怒りのまま脅しかける。
涙を零しながら、弱々しく首を振る照沢さん。
「しっかり頷いてる。やる気満々だ。そうだ、ライブ配信しましょうか。貴重な猛禽類の調理動画だ、さぞ伸びるだろうよ。フクロウを食べてみたとかタイトルでどうだ?」
「……警察沙汰になるよ」
「頭おかしいファンはなにするかわからんぞ。俺の生き甲斐をぶっ壊そうとしてんだからな。覚悟あるんだろう?」
もちろん、どこまでキレていてもやるわけはないが、脅しとしては十分だったようだ。
昭和のアイドルファンの怖さでも思い出したのか、万が一を考慮して老婆は応える。
「ふん、くだらないねぇ」
通話が切られた。
スマフォを耳から離して画面を凝視。更新。
SNSのつぶやきは消えていた。
それを照沢さんに見せる。
「……ありがとうございます」
涙を拭い、忌々し気に俺のスマフォを覗き込んで来て頭が近いが、そんなこともお互い気にならない。
それ所ではない。
照沢さんは俺以上に真っ青になっていて、唇が震えている。
「……」
「……」
どうなる。
============
重苦しい気分を抱えたまま、照沢さんを家の近くまで送ってから帰宅した。
その道中、二人共無言。
照沢さんは必死にこれからどうするか、考えているようだった。
――色々ストレス溜まってたんじゃね? 素直に辞めりゃいいのに――勝手な想像。
――中堅所が炎上商法必死だな――無責任なレッテル。
――裏垢の誤爆だろ、イメージ壊れたわ――悪意の憶測。
――ルミエールの言葉を信じろよアンチ共――無意味な攻撃。
――分析的な評論であってヘイトではない――的外れな擁護。
――真相はどうあれ言い訳が見苦しい。最低、見損なったわ――謎のアピール。誰だお前。真相が大事だろ。お前の意見なんて聞いてないから黙って一人で失望してくれ。
――むしろ良く言ってくれた、腹黒天使ルミエール路線で行くべき――ふざけているのか、独善的な提案。
昼間のSNSでのつぶやきに対し、ネットを巡回して見たが要約すればこんな意見が散見されている。
つぶやきは消したが、時すでに遅く。案の定拡散されていた。
光の天使ルミエールは事実として、身内がやったことだとSNSで釈明していたが、そのまま真に受けている人は、ネット上の意見ではあまりいないように見える。
コミュニティー人数も、ぱっと見でわかるくらい人数が抜けていた。
――いや、身内って線もあるだろ実際。スマフォのロック解除なんて指紋認証だけなら――
スマフォのロック解除の方法と一緒に、アカウントのパスワード解析の解説なんて物騒な話もされている。
ものの数十分で限界だった。ブラウザを閉じる。
よくある炎上だと言えば、そうなのだろう。
(こんな炎上、たまに見かけることはあった……)
アイドル声優や、普通のアイドルなんかで稀に見ることもあった。
でも、結局は危機管理の甘い自業自得だろ?
俺は傍観しながら、そんな風に考えて鼻で嗤っている人間だったし、そんな旨を無責任に書き込んだこともある。
もちろん突き詰めれば鞄を置き忘れた照沢さんの管理不足だなんて言い切ることだって出来るだろう。
きちんと保護者と話し合って、説得出来ていないのが悪いなんて言うことだって出来るのだろう。
(ふざけるなよ……)
出来るのだろう。が、今の俺には出来ない。
――――光の天使ルミエールも終わりでいいだろ。はやく消えて欲しい。最近似たようなタイプ増え過ぎ。淘汰もされないから拭き溜まる一方で検索妨害だわ――――
今の俺は、ネットに並んでいる無責任で身勝手なコメント全て今すぐ消せ、黙れ、黙ってくれと本気で願っている。
勝手な物だ。
(でもさ……)
こんなことあるかよ。
こんなことが、あるのかよ。
こんなこと、あっていいのかよ。
こんなことがある世界で、誰が幸せになれる?
自分の夢は早くに諦めた。夢は夢だと、早くに気づいていた。
夢に向かって突き進む人の熱量には、到底かなわないなと思い知った。
俺如きが夢を叶えるなんておこがましいと知った。
(それはいい……でもさ……)
確かな才能を持ち、夢に向かって情熱を燃やしている凄い連中の中で、自分も負けじと努力してる人が、 こんな不運一つで幸せになれないなんて、嘘だろう。
自分よりも優れていて、努力している人が報われない世界のどこに希望がある?
頑張っている人の足を引っ張ったって、自分はなにも救われない。
むしろ頑張っている人が報われない世界のどこに救いがある。
頑張っている人が報われない世界で、誰がどうすれば幸せになれる?
皆で不幸になるにしたって、真っ先にどん底味わうのは足引っ張ってる連中からだぞ?
どうすればいい。
こんな世界で、どうすれば人は幸せになれる?
(俺に、なにが出来る?)
なにも出来やしない。
なに一つ、出来ることなんてない。
勢い良く燃える炎にコップ一杯の水をかけた所で、文字通りの焼け石に水だ。
むしろ下手すれば燃料になりかねない。
なにもできない。
本当に無力でちっぽけな自分が泣けて来る。
「……どうか、たのむよ……」
いつしか呻くように祈っていた。
早くにサンタクロースなんていないことに気づいていた俺は、信心なんてこれっぽっちも持ってないなくて、むしろ神だのなんだのは弱い人が縋る物だと、無駄な物だと見下していた節さえある。
サンタクロースが居ないことを得意げに語る子供と、なんら変わりなかった。
身の程を弁え、ずっと無難さを選び、誰かに守って貰い続けて来たおかげで、こんな思いを知らずに生きて来た。
どうしようもない、自分の力ではどうしようもない現実に対し、人はただ祈ることしか出来ない。
皆、神様が居ないことなんて十も承知の上で祈っていた。
それしか出来ることがないから。
だから、ひたすら祈る。
だから、傍から見れば理解不能で、怖さを感じる程に祈っていた。
無駄だと知りつつも祈る。
胸の内に渦巻く不安は言葉に出来ない。
ただ、祈る。
どうか、どうか、と手を組んで心の中で繰り返すことしか出来ない自分が惨めで、また泣けて来た。




