4話
ここから昨夜いた森を見る。大した距離じゃない。アイツらも今は近くにいないようだが、それも時間の問題だ。何よりあんな化け物の巣にこれ以上いたくない。だが、目立つ行動をしたら追いかけられるかもしれない。僕は駆け出したい衝動を堪え、そろそろと穴から這い出た。
急ぎながら、しかし目立つことなく暗い穴から暗い森の中へ、太陽から逃れるように歩みを進める。なるほど、僕は日陰者だからな。つまらない自虐が頭に浮かぶ。
決して長くはない道のりだったが、森の前まで来るまでは永遠のようだった。
ジメジメとした森の空気が辺りを包む。昨日あんなに鬱陶しかったのになぜか安心してしまう。ふと死にに来たはずの自分の行動が矛盾し続けていることが滑稽に思えて、笑い出しそうになった。
そうだ、その気になれば僕は生きていけるのだ。これまでとは違った普通の人生を。
一年前に受けた試験的な手術は成功し、僕はもう普通の人間と同じ暮らしができるようになった。首都の研究施設で散々データを取られてようやく解放されたのが半年前、それから僕は母さんと生まれ故郷へ帰るつもりだった。
しかし、それは叶わなかった。長年僕に付き添って森のマナを浴び続けた母さんの体はいつのまにか悪性腫瘍に蝕まれていたからだった。それから半年の間に別人のように痩せ衰えた母さんは逝ってしまった。僕の病気が治った途端に役目は終わったとばかりに笑って逝ってしまった。
僕は生きるべきなのだろう。それなのに今こうして森をさまよっているのは何に迷いがあるのだろうか。
きっと人間が嫌いだからだ。人間の本性を知ってしまったからだ。アイツらに混ざって表面では笑顔で取り繕い、徒党を組んで弱者をいたぶり、他人の苦しむ様を嘲笑しながら生きていくのは吐き気がする。僕に力があれば、魔物のような力があれば、そんなことに屈することなく、何もかもを壊してしまえるのに。
思考を止めたのは何かが近寄って来る物音が聞こえたからだ。鬱蒼と茂る草むらをかき分け、重量のある何かがこちらにやって来る。またか。先ほどのような恐怖はなかった。何かが吹っ切れてしまっていた。
向こうもこちらの存在に気づいたようで獲物を逃すまいと飛び出して来た。その姿を認め、
「どいつもこいつも邪魔しやがって!僕に従え!」
思わず叫んだ言葉にソイツはビクリと反応し、様子を一変させ頭部を地につけその場にとどまった。
逆に僕の方が驚いてしまった。ふとさっきの穴での出来事を思い出した。あの時に去っていったことが偶然ではなかったとしたら……?
もしかしたら、僕にはこの魔物を従える能力があるということだろうか。試しに命令してみる。
「僕から離れろ」
またも魔物は痙攣するかのような反応をして、そろそろと距離をとった。
とうとう確信した。僕はこいつらを操れる。
だが一体なぜだ?これまで森で何度も小型の魔物には出会ったことがあるが、こんなことは今までになかった。
魔物は高濃度のマナに晒されて突然変異を起こし、環境適応した生物種のはずだ。僕らの暮らす領域内の生物よりはるかに強靭な身体能力と生命力を持つが、それは体内のマナキャパシティの差によるものだ。基本的な生態は変わらない。
それが人の命令を聞くだなんて。蟲にそんな知能があるのだろうか。
色々と思いを巡らせていたが、ふと先ほど自分が考えていたことを思い出す。
もしこいつら全てを操ることができるなら、世界征服することも夢ではないかもしれない。
自分を拒絶したこの世界に、大いなる厄災を振りまくことができるかもしれない。
そんな暗い思いが浮かんでいた。