空想の物語 旧陸軍軍人がオークキングに生まれたら
「誉れ高き我が甥、帝国陸軍小尉・久世晋一郎よ」
どんなに月日が流れてもその日のことは今も忘れない。
戦勝ムードに国中が活気立っていたある年のこと。
俺は突然の帰郷命令により、叔父の元へと呼び戻されていた。
あげくに知らぬ地下空洞にまで連れ込まれ、この世の終わりとも見れる尋常ならざる形相を目撃するはめになったのだ。
「この国は滅びる。東京は焼け野原となり唾棄すべき雌伏の時代が来るだろう。だが予言に曇ることはない、お前はこれより過去へと遡り歴史を改編するのだ。この[時の銅鐸]がお前を20年前へと導いてくれる」
俺にはとても信じられなかった。
国が、我が陸軍が戦いに負けるだなんて、あの美しき帝都が焼き払われるだなんて到底信じられなかった。
けれど叔父の願いは俺の願い。それで無辜の民が救われるなら狂言にだって付き合おう。
だからしがない陸軍小尉は、叔父の語る秘宝[時の銅鐸]の力を借りて現在の全てを捨てた。
過去へと遡り、亡国の未来を繋ぎ止めるがために。
転移さえ成功すれば、最悪の未来だけでも変えることが出来る。
……はずだった。
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「ホ、ホ、ホ……見ないうちにずいぶんでかくなったのぅ……息災であったか?」
「……はい、女王陛下」
ところが転移に失敗した。
どんな行き違いがそうさせたのか、俺という陸軍小尉が行き着いたのは過去ではなく別世界だった。
記憶を保持したままオークと呼ばれる亜種族の王子として生まれ落ち、生まれながらにして虜囚の憂き目に遭っていた。
「ホ、ホ、ホ、ホッ! 何を怯えておる。わらわのことを母と思ってくれて良いのだぞ、我が息子よ。アハハハハッ!」
そうだ、そのオークの小王国は人類に隷属していた。
誇りも何もない不名誉な植民地下にあった。
俺はこの人間の王城で育ちかれこれ今年で5つになる。
超早熟がオークの特性の一つであるため、もうすっかり外見は成人に等しい。
否、頭一つ分も大人のオークを超えていたようだ。
「陛下、私は惨めなオークにございます……お、お戯れを……」
「そう怯えるでない。わらわがそなたに厳しくしたのも、ひとえに母の愛であるぞぇ……ヒ、ヒ、ヒ!」
軽く事情に触れておく。
オーク族の雌は稀でその個体はクィーンと呼ばれる。
クィーンから生まれる子が次世代のオークキングであり、王子が一定の年齢に達すると若い雄を連れて新しい部族を作る。
それまでは雄がただ人間と交配して己の分身を増やし続ける、単細胞生物みたいな存在だ。
「そうじゃったな、本題に入ろう。お前を呼び出したのは他でもない。今日はお前に良い話を持ってきたぞぇ、ヒヒヒッ……」
そのオーク王国を征服したのが彼女、人間の女王。
妖艶で好色な性質の年増。だが恐ろしい女だ……。
「女王陛下……なにとぞ、なにとぞお情けを……私は恐ろしい、陛下が恐ろしいのです……」
「黙れ。その卑屈な物言いを止めよ。また鞭が欲しいのかぇ、拷問の準備をさせても良いぞ」
「も、申し訳ございません……っ」
女に平伏する。
白亜の石床に頭を擦り付けるのにも慣れきってしまった。
幸い彼女は気を良くしたようだった。
「よく聞くのだぞ愛しき我が息子よ。我が特別に、お前を、王にしてやろう……。お前はオークキング種、その資格があるのだからな」
「へ、陛下……っっ、それは……っっ、しかしっ」
俺という王子が焦り狼狽した。
また床へと額を押し付け身を震えさせる。
「アハハハッ、もう遅い……。ちょうど今し方、先王を処刑させたところぞぇ……。残されたオークどもは、本能的にお前を王と認定するであろうなぁ……。わらわの傀儡とも知らずにな、ヒッヒッヒッ!」
手段を選ばない女王だ。
そうだ、俺は彼らの植民地を運営するために育てられた。
彼らに都合の良い価値観で洗脳された。
「肉体こそ鬼神のごとく逞しいというのに、何とも愚かな生き物であろうか……哀れ過ぎて涙が出るぇ……ヒヒヒッ」
「あ、貴女に服従いたします……深く、深く、貴女の栄華のために尽くします……ですからなにとぞ、寛大なる心でお見守り下さい……っ」
ひどく怯えた声で返答を返す。
この女は恐ろしい。
強い男に対して憎悪と加虐心を抱いている。
「よかろう。再びわらわに忠誠を誓え、隷属のオークキング・トロイメライ《空想》よ」
空想、トロイ。我ながら空虚な名前を付けられたものだ。
「女王陛下に忠誠を誓います。今日まで生かしてくれた貴女のために、宗主国の繁栄に尽くして見せましょう……」
「おぅ、期待しておるぞぇ……わらわは気が短い、そこをゆめゆめ忘れるではないぞ」
逆らうなんて無意味だ。
人間の軍勢に勝てるはずがない。
震えながらたどたどしく忠誠を誓い直し、俺はオークの王国ヌル・ヴァへと移送されていった。
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その城は人間が建て直した石作りのもので、人類世界生まれの俺を安心させてくれた。
もうすぐバルコニーで戴冠式が行われる。
それまでは謁見の間で待機するようにと、俺の操縦役にあたる施政官殿に言い渡された。
オークの身体にしっくりくる巨大な玉座に腰を下ろし、その俺を見張りの兵士2個小隊が監視している。
軍人として評価させてもらえば、いつ殺されてもおかしくない、あまりにお粗末な油断っぷりだった。
「欧米列強……」
彼らに暗く眼孔を向けてつぶやく。
知らぬ言葉を耳にして、首を傾げつつも数人が寄ってくる。
「欧米列強、血で血を拭う修羅の時代……」
「おい、いきなり何を言っている? 気持ち悪いぞお前……」
「バカ王さんよ、気でもふれたか?」
さらに何人かが俺を取り囲んで相変わらず無警戒に人を愚弄した。
「いつ果てるとも知れぬ悪夢から、やっととき放たれたかと思えば……ここもまた修羅の世界であったか」
遠征隊のリーダーにあたる凶顔の重騎士ウェイン卿。
彼までもが愚劣にも傀儡のオークキングの前に立った。
いつだっておどおどと怯えていた暗愚の王子、それが剛胆な言葉尻で知性を見せたのだから驚くのも無理もない。
しかしそうだろう、もう暗愚のふりを続ける必要もなくなったのだ。
前王には魔法の枷が常にかけられていた。
オークキングの持つ力のほぼ全てが封じられていたそうだ。
ただ一つ残されたのが、オークキングと呼ばれる固有スキルだけ。
それは問答無用でオークのカリスマを生み出すらしく、だからこの小王国を支配する上で都合が良かった。
「5年か、長らく世話になったな」
「何を考えているトロイメライ……!」
警戒に重騎士ウェインが長剣に手をかける。
一方の俺は玉座から動かない。
「女王は慢心したのだ。己よりも猛々しき猛獣を飼い慣らしたと思い込んでしまったのだ。俺もそう勘違いするよう仕向けた。いかに忠犬といえど首輪と鎖くらいはかけるべきだったな……」
「まさか貴様っ! 陛下に逆らう気なのかっ?!」
ゆらりと立ち上がる。
オークキング種の巨体だ。武器など持たなくともその破壊力は絶大だとヤツらにだってわかる。
小隊含むヴェイン卿が後ろにたじろぎ、玉座の俺をまた取り囲んだ。
「逆らう……? 違うな、最初から服従などしていなかった。俺はあんな女より遙かに恐ろしい地獄を見てきたのだ。100万人単位のルール無き殺し合いを……地獄を!!」
「何を寝ぼけたことを言っている愚か者め! オークの癖に人間に逆らうなどっ、ギャッッ!!」
枷無き王者がその本性をさらけ出した。
一撃でヴェイン卿の顔面を殴り潰し、斬りかかり来る雑魚どもを刃を受けながらも殺戮する。
あっと言う間に謁見の間が生臭い血で染まり、誰も俺を止める者はいなくなった。
謁見の間より真っ直ぐバルコニーに出た。
眼下には国中のオークが集められ、けれどその周囲を人間の軍勢が厳めしく取り囲んでいる。
「すまんな叔父上……」
それが野蛮なオーク式。
もっとも効果的なやり方。
多少気がとがめるが、こう生まれてきてしまった以上は仕方ない。
ヴェイン卿と2名ほどの死体を引きずり、国民たちの前に新たなオークキングが姿を現す。
叔父上……もう貴方の願いを果たせそうもない……。
すまない、俺は目の前のこの国を救いたい。
叔父上、ここもまた列強の住まう修羅の時代だ。
強者が弱者を従え、血で血を洗う絶望の世界だ。
死が再び肉体から俺を解放するその日まで、俺は修羅の道を歩む!
さあ始めよう。
人類という列強から新しき我が祖国を救う戦いを。
修羅へと堕ちようではないか、それが鬼族であると言うのならば。
群衆がどよめく。
人間の軍勢が事態に気づき、入り口の狭い王城に攻め込んで来る。
だがオークたちは長い支配に怯え、戦いを始めようとはしなかった。
徹底的に弱者と強者が刻み付けられており、俺というキングの凶行に戸惑い混乱し、ただざわめく。
哀れである。
まるで故郷の貧乏人らを見ているようだ。
体制に支配され、苦しくても逆らうことすら出来ずにいる。鬼とは名ばかりの弱者の姿がそこにある。
哀れみと激情が沸き立ちそれが言葉に変わった。
「聞け、我が同胞、我が勇士たちよ! ……雌伏の時はついに終わった! 我はお前たちを救いに帰って来た! 我が母の面影を覚えているものがあれば、どうかこの顔をよく見てくれ! 我はお前たちの息子だっ、王だっ、人間から救う救世主だっ!」
徐々に群衆が熱を持ち始める。
けれどそれを人間の指揮官が恫喝した。
反乱すれば皆殺し、一匹一匹ずつ茨の鞭で虐め殺す。そう我が女王に命じられていると。
日常的な虐待が彼らの翻意を萎縮させた。
しかしまだ炎は灯っている、消えてはいない。
「しゃんとしろっ、背筋を伸ばせっ、それでも誇りある鬼族かっ! 悔しくはないのか! 勝ちたくはないのか! 我らの王は人間どもに殺されたのだぞ! 鬼としての誇りがあるのならば戦え! 修羅となれ! 鬼の王国から列強どもを追い払うのだ!!」
オークキングスキルと陸軍指揮官の経験が相乗効果を生む。
反乱の炎は確実に燃え上がり、長らく封じられた我々の本能が猛々しき勇気を生む。
「我はあえて言い放とう! 軟弱者はそこに座して死ね! 戦わぬ戦士に生きる価値など無い!! 我々は人間ではない、鬼だ!! 修羅となれぬ鬼に明日など来ぬとなぜわからぬか!!」
若い者から順番に凶暴化してゆく。
人間の剣など肉で受け止めて、武器を奪い叩き潰す。
「怒れ、殺せ、呪え!! 我々の王国から人間どもを追い払うのだっ!!」
もう後戻りは出来ない。
俺は己の中で鬼が目覚めてゆくのをぼんやりと悟った。
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怒濤の波となってオークたちの大反乱が勃発した。
決起はいともたやすく成功してヌル・ヴァの国が独立を宣言する。
ただちに怒れる女王が鎮圧部隊を派遣してきたが、指揮官を得た我が軍は精強にして最強。
近代戦術の偉大さというものを徹底的に叩き付けてやった。
快勝を続ける鬼の軍勢、その波紋は劣勢にあった他の亜種族にも伝播して大きなうねりを生み出してゆく。
やがてそれは一つに合流し、魔軍と呼ばれる枢軸国陣営を生み出していった。
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けれど……今になってふと思うことがある。
終わりの無い戦いに身を投じていると、充実感と共にときどき虚しさを抱く。
だからふと思ってしまう。
きっと罰があたったのだと。
ここはきっと修羅の地獄なのだと。
戦争で多くの人を殺め、時さえも歪めようとした愚か者に天罰が与えられたのだ。
鬼が鬼の住まう世界に堕ちた、ただそれだけの話。
鬼たちの、魔族の新王はその命尽きるまで戦いを止めないだろう。
なぜならそれこそが修羅の王なのだから。
戦いを放棄した鬼に未来などない。
その思想は俺の魂にまで染み着いて、果てのない戦乱で修羅の大地を燃やし尽くす。
人も鬼、我らも鬼。ならば我は魔王となって全てを灰燼に帰そう。
我は空想、果て無き夢を見る者。
どうか英雄よ、生まれいずりて悪へと堕ちた我を滅ぼしたまえ。
一年前の練習作です。
長編化するのもいいかなと思っていたのですが、短編でキレイに収まっちゃった気がして止めました。
代わりに都市生活をテーマにした錬金術モノに着手してみたらナニコレ作ってて楽しいっ!
って出来たのが現在連載中のやつになります。
旧軍部人間ってキリッ、ビシッ、喝ッッ! ってしてて大好きです。