九十九三十との回想
僕は中学生にして日々を無味乾燥だと感じるようになっていた。まあ理由は色々あるのだが、生きる意味とか自分の境遇とか―――そういうものに絶望していたんじゃないかと思う。そんな時、九十九ミトは僕のクラスに転校して来た。
同じような境遇―――まあ僕と彼女では容姿と学力に天と地ほどの差があったが―――そんな彼女は僕以上に学校には居場所がなかった。男子からは羨望を、女子からは嫉妬を、その周囲の反応の中彼女は自然と孤立していった。誰とも関わらず、一人で坦々と生活をしている(ように見えた)。そんな彼女―――九十九ミトと放課後、偶然にも二人きりで話す機会があった。僕は教室で一人席に着き佇む彼女を見かけ、ふと何気なしに声をかけた。
「生きてて、楽しい?」
今思い返せばなんという愚かな質問をしたのだろう。
「―――おかしなことを聞くのね」
唐突に変な質問をされても淡々と冷静な声で彼女は返答する。
「いや―――その、僕ってさ、クラスでは友達もいないし、誰も僕を必要としてないし、それに実際それ以外にも辛いことが沢山あって……そんな僕がこれから先も生きてる意味とかあるのかなって―――そんなことを考えることがあるんだ」
「それをなぜ、私に聞くの?」
「え―――その、それは」
「同じだと―――思っているから?」
ふいに図星をつかれ、気まずい雰囲気が流れる。
「あ、いや……うん」
次の瞬間彼女は物凄い勢いで机を叩いた。
「ご、ごめん!そ、そうだよね!同じだ何てそんな……」
「今、私は蚊を殺したわ」
「え?」
そう言って彼女は手のひらを僕に見せ、潰した蚊を取り出したティッシュで拭い去る。
「これに、意味は有るの?」
真顔で聞かれ、僕は答えに詰まった。
「い、いや……意味は無い……かな?」
「そうね。つまり、そういうことよ」
ど、どういうこと?狐につままれたような顔をして彼女をまじまじと見る。
「意味なんてものは、自分で決めるの」
そう、はっきりと彼女は言い切った。
「殺す意味も、生きている意味も、人間しか考えない。人は自分の主観でしかそれを測れない。命の重み―――意味は人それぞれ違うのよ。あなたにとって意味のある死もあれば、意味のない死もある。それだけのことよ」
頭をガツンと鈍器で殴られたような衝撃。当たり前の答えなのかもしれないが、僕はその言葉に感銘を受けた。
他人に聞くようなものじゃない―――意味は自分で考えるしかない。
「だから、貴方と私は同じじゃない」
強い口調で断言し彼女は席を立った。それが怒っているのか自分に言い聞かせているのか、その判断は僕には出来なかった。
「じゃ、じゃあ君は―――自分には、生きている意味が……」
「―――私は、自分に生きる意味があると思っている。生きることにも殺すことにも意味があると思っている。これまでもそういう風にしてきたし、これからもそうするわ。」
確かに、彼女と僕は違うと思った。彼女はちゃんと『決めている』のだから。
「あ、ありがとう。べ、勉強になったよ」
彼女は一瞥もせずに教室から出て行こうとドアを開ける。
「ま、待って!その―――最後に一つだけ聞いていいかい?」
彼女はこちらに振り返らずに立ち止まる。
「あ、あの――君にとって、僕は―――僕のことは、意味があるかい?」
彼女はゆっくりと首だけを動かして振り返り、そして
「ないわ」
クレオパトラが現代に居たら、きっとこんな笑顔で人を魅了したに違いない。そんな美しい笑みを浮かべ、彼女はそのまま去っていった。
その時僕は、顔が紅潮し、動悸が早くなった。そして、今まで感じたことのない一つの感情が、自分の中で渦巻いているのを感じた。
―――彼女に意味を持たせたい。僕の中にも、そして、彼女の中にも。
二学期になったら、彼女に、九十九ミトに、また声をかけよう。次は、意味のある存在になるために。その気持ちが恋であることに気が付くのは、二学期の初めのホームルームで彼女が転校したと知らされた瞬間だった。
九十九―――ミト。壁を一枚隔てた場所に彼女はいる。果たして僕のことを覚えているのか、それとも―――。そんなことを考えていた時、不意に部屋の照明が、落ちた。