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真相

「私は準備のために部屋に一旦戻る。いつ奴が襲ってくるとも限らんから注意してくれ。君の部屋の前で五分後に落ち合おう」


 最大戦力と少しの時間とはいえ別れるのは非常に不安になる。


「そんな顔をするな。別について来てもいいぞ?ただの着替えだ」


 その言葉を聞くなりミコトに腕を力強く握られてしまった。これは、絶対に放してくれそうも無い。僕らは九十九ミトを見送りしばしの時を過ごす。


「ねぇ、恭介」

「ん?不安ならミコトはここで待っててくれてもいいんだよ?きっと命の危険が……」

「それはどこに居ても一緒だよ。だったら僕は恭介の傍で添い遂げたい」


 いや、再三言っていますが、僕にも選ぶ権利を下さい。


「……まあ、正直恭介が僕のことあまり女の子として見てないってのは知ってるけどさ」


 自覚があったのか(驚愕)


「でも、ちょっとさ、ちょっとはさ。僕貢献したと思うのよね。だから一つだけお願い聞いてくれる?」

「結婚はしません」

「違うよ!あのね、デート、して?」

「ええー!?」

「だってさ!ひどいじゃん。僕の番が来る前に話が終わりかけているし!」


 余りにも子供っぽい反応を返すものだから邪険にもし辛い。しょうがないなあ。


「じゃあ、今日全てが終わって、あと三時間もしたらルーレットが出るから、そこでミコトが出たら、ね」

「本当!?わーい!」


 すっかり決まった気でいるし。果たして彼女の思い通りに行くかな?ルーレットの残りは九十九ミトと天照ミコトだけ。確率は二分の一。仮にミコトになってもまあ、諦めはつく程度の賭けだ。他に誰かいればもう少し有利になるんだけど……。

 その瞬間、何か言い知れぬ不安が、急に僕の中に降りてきた。あれ、今僕は何を閃いたんだ?他に誰か居れば―――その言葉を言った時に何か閃いたのだが……一瞬すぎて思い出せない。

僕らはもしかして何かとても大事な事を見落としているのではないだろうか?


「待たせたな。行こうか」


 その時、動き易そうな黒い上下のスウェットに身を包んだ九十九ミトが扉から現れた。

 その言葉に僕らは頷き、管理室へと向かった。

 道中冷蔵庫に入るあたりで一人ミコトがはしゃいでいたが、これから殺人鬼と対峙しなければならないというのにまだ遠足気分が抜けてないらしい。困ったもんだ。

 そしてついに僕らは、おそらく、最後の決戦の場へ到着した。管理室前の扉で、そのモニタが点くのを待った。―――そして、その時は来た。


「やっほー!恭介君。元気でしたか?」


 相変わらずの軽快で軽薄な声で甚助が答える。


「……まあ、ね」

「いやあ、こっちはそろそろ扉が開くはずなんすがまだトラブルで遅れてるんすよね。いやー困った困った」

「あのね、甚助。いや……」


 どう言うべきか躊躇う。僕が口を開こうとした時、モニタの甚助から機先を制するように口が開かれた。


「ははっその顔は、知ってる顔っすね」

「甚……助」


 やはり、やはりそうなのか?お前が……。


「こんな時に、傍に居れなくて、本当にすいません。恭介君」


 予想外の言葉が、甚助から飛んできた。驚き、言葉を失う。


「今まで喋り方も作ってきたから、違和感ありますよね?こっちが本来なので、まあそのうち慣れて下さい。でもずっと、傍に仕えていて、こんなに離れたこともなかったですから、本当に焦っています。いつも貴方を護ることを第一義に考えていました。だから……そこから離れるのは本当に難しい判断でした。そこを突かれてしまったのは、本当に僕の落ち度です。すいません」


 甚助が、普通の言葉遣いで、僕に謝っている。それ自体も衝撃的なことだったのかもしれないが、しかしそれよりも重要なのは―――甚助はもしかして間違いなく……。


「一秒でも早く戻るつもりでしたけど、九十九ミトとお母様の会話を聞いて安心しました。彼女なら任せてみてもいいかもしれないと、長年の直感ですけど、そう感じることが出来たんです」

「じ、甚助……あ、あの……」

「恭介……君?」


 そこで初めて甚助の顔に焦りの色が生まれた。

 後ろで、ドサッと何かが倒れる音がした。僕が振り返ると―――。


「そう、任せてくれたまえ」


 九十九ミトが僕に拳を向けていた。



 床に倒れている天照ミコト。僕に拳を向ける九十九ミト。

 ここに来て、僕は違和感の正体にようやく辿り着いた。そして、自身の決定的なミスにも気が付くことが出来た。しかし未だ分からないことが多すぎる。この上はもう、絶望的な状況ながらも、こいつと対話するしか残された道はなかった。


「恭介君!?くそっ……早く開けえええええええええええええ!」


 甚助の絶叫が空しく木霊する。


「ふん、お前を閉じ込めるのが一番やっかいだったんだ。もう少しその中に居たまえ」

「百目……顎、だな?」

「やあ、初めまして……いや違うな。もう何度目ましてだか思い出せないが、そう、僕が百目顎だ。宜しく。弟切恭介君」


 僕は奴の目から目を逸らさずに対峙する。勿論、とても怖い。だけど、大丈夫だ。自分が痛いのは平気だから。こいつから逃げ出して、失う者のほうが、もっと怖い。そしてそれが実現しかけている事実にも。


「ほう、驚かないようだな。僕が百目顎だというのに。思ったより胆力があるのか、それともやはり、ただの間抜けか」


 深呼吸をする。今こいつと戦えるのは(戦うというか、まあ時間稼ぎにしかならないだろうけど)僕だけなんだと、心を落ち着かせる。さあ、行くぞ。


「……君が九十九ミトなら、ね」


 相手の眼見据え、そう言い放った。


「……これは驚いた。どうやらボンクラではなさそうだ。面白い誤算だ」

「本物の九十九ミトはどうした?……いや、多分そう、さっき部屋に入った時―――」

「またまた正解だ。宜しい。君の評価を改めよう。ゴミから、虫に」


 せめて通信簿的な5段階評価にしてくれないだろうか。


「そう、本物は自分の部屋で今頃苦しんで、死んでいる頃合いかな?」


 やはり―――そうか。


「あの女は僕より自分が強いと勘違いしているようだが、その前提がそもそも間違っていることに気が付かない。やはりまだ、子供だったな。そもそも個人的な戦闘力の強さなど、意味は無いのに」


 百目顎が僕ににじり寄ってくる。


「さて、お前を確保し私の任務は終了だ。大人しくついてくれば殺しはしない。というより、殺す必要もないのだが。まあ殺してもいいが、撫子にとってはまだ利用価値がありそうだからな」

「百目ええええ!貴様!」


 モニタの甚助が猛る。


「おやおや、僕の目的はもうほぼ達成された。ただ単に後は帰りたいだけさ。特に誰を殺すこともしない。弟切恭介の命と引き換えに、僕を無事地上へ帰してくれないかな?」


 モニタの甚助が更に何事かを口にしようとした時、向こうの壁から、トレードマークの丁髷を揺らしながら一台のロボットが現れた。そう、Sだ。


『まったく、貴方は恐ろしい人ね。百目顎』


 動かしているのは母だ。


「やあ撫子。ゲームは僕の勝ち、だろ?」

『ゲーム?本当に貴方はどうしようもない人。いえ、人と呼ぶのも私には憚られるのだけど』

「おいおい。同じ研究室に居た仲じゃないか。僕も人間らしいところはあるだろう?ちゃんとご飯を食べるところとかさ」

『生物は何でもそうするわ。でも、貴方は見境無く、食べたい物を食べるだけ。衰えず、朽ちず、ただ貪る。人ですらただの捕食対象。貴方が人と呼べるものか、私には分からない』

「でも、それが僕という形だからね。しょうがない」


 二人は昔からの知り合いなのか?とすれば百目顎は結構な歳のはずだが……。


『百目顎、昔私が居た研究機関で名付けられた特殊実験用試験管ベビーの一人。もう、その機関はないわ。こいつが潰したから』

「じゃあ何?こいつも何か……おかしな能力でも持ってるの?」


 百目顎が手でSを制した。


「そこから先は僕が話そうか」


 百目顎が僕に向き直る。


「それを話す前に、答え合わせと行こうか。さて、君はどうして、気付いたんだね?」

「……簡単なことだ。人数が、合わないから。沢山の人が死んだ。だけど、お前は一体『誰に成りすまして』ここに入ってきたんだ?」


 百目顎は口元に笑みを浮かべ僕の話を聞いている。


「最初に綺堂命が死んだ。そして貫木蝶子が死んだ。九十九ミトが此花散を殺した。甚助も母もミコトもこうしてここにいる。そして、九十九ミトは……おそらく部屋で、お前に殺された。一体お前は誰なんだ?そう考えたら、違和感の正体が分かった」


 もう、百目顎の目は笑っていなかった。


「今すぐ全部の死体を捜して並べれば、すぐに分かる。必ず一人足りない人物がいるはずだ、それは―――」


 おそらく、彼女しか、いない。

 唇を噛み締める。悔しさと、悲しさと、そして自分のことなのにも関わらず、激しい怒りが湧いて来た。僕はその名を告げた。


「綺堂命。それがお前がここに来たときの、名前だ」

 

 一瞬の沈黙と静寂。それを破ったのは―――。


「ひゃくめえええええええええええ!」

 

 九十九―――ミトだった。

 

 梯子の上から百目顎に向かって飛び掛ったのだ。しかし、奴は優雅に身を捻り、鮮やかにそれを避ける。


「ミトさん!?」

「ぐ……はぁ……げ」


 攻撃を避けられた九十九ミトは汗だくで床に膝を着いて喘いでいた。彼女の様子は見るからにおかしかった。土気色の顔に、まるで吐き気を堪えるかのような症状で―――そうだ、あれは僕が受けた毒と同じ……。


「よく、動けますねえ。完全に致死量だったというのに」

「き、鍛えているものでな……。あの程度で、私が……」


 そこまで言って彼女は床に思いっきり吐いた。


「本当に、素晴らしい。やはり君は、僕に殺されるべき人間だ」


 百目顎はそう言うとおもむろに九十九ミトの横腹を蹴り飛ばす。彼女は避けることも叶わず、壁に激突して崩れ落ちる。


「ミトさん!」

「さて、役者は揃った」


 気が付くと音も無く百目顎が僕の横に立っていた。僕はそのまま首を押さえられ、捕まってしまった。


「さて、話の続きをしましょうか。そう、僕は綺堂命として、ここ来た」

「ほ、本物は……本物の綺堂命さんはどうした?」

「殺したよ?ここに来る直前に、ちゃんとね」


 こいつ……。


「そんな顔をしなさんな。彼女もれっきとした暗殺者だったんだから君が心を痛める必要なんてないよ」


 と、いうことは僕とデートしたのは間違いなく……。


「いやあ、君の言葉には涙が出そうになったよ。可笑しくて。『やりたいことをやればいい。時間は、命は有限だから』?何を当たり前のことを偉そうに言ってるんだろうってね。やはり、人より死に難い体質というのはそういった当たり前のことを偉そうに人に説く精神を育むのかと思ったよ」


 目頭が熱くなる。そして、何も言い返せない自分が恥ずかしくてしょうがなかった。


「そうして、君に綺堂命が用意していた毒を注射した。そして、もう一人の暗殺者をそこで待った。そう、此花散を」


 やはり……そうか。


「そこで僕は此花散を待った。その間に君からある物を採取するのを忘れずにね」

「?」

「これさ」


 そう言って百目顎は何か注射器のようなものを取り出した。


「これはLOST-Cと言って、今まで君の暗殺に用いたデータやそこから分析して僕が作り上げた、君の持つLIFE-Cの効力を一回だけ吸い上げて使うことが出来る道具さ。」

「え!?」

「まさか……LIFE-Cは恭介以外のDNAにしか反応しないはずよ。どうやってそんな……」


 母は驚きの声を上げた。


「そう、それが問題だったんだ。だけどね、僕はこのDNAの持つ二重螺旋を一時的にしろ誤魔化したり変異させれないかと研究していた。それをついに、完成させるに至ったんだ。まあまだ僕の体でしか成功してないんだけどね」


 まさかそんなものまで……あれ、今こいつは何て言った?確か『効力を一回だけ吸い上げる』と言わなかったか?つまりもう―――僕の命の残弾はゼロということに……。


「さて、そして私は部屋の扉の近くに隠れ此花散を待った。部屋に入ってから一時間後が私から彼女へ指定した暗殺時刻だったからな。彼女は部屋に入ってきて君の首を切り飛ばし出て行こうとした―――そこで僕は此花散を殺した」

「殺……した!?」

「ああ、元よりそうするつもりだったからな。九十九ミトへの対抗心を煽り対決させてやると連れて来たが、まさか僕に殺されるとは露ほども思ってなかっただろう。そして、その死体の首を切り、綺堂命の服を着せ床に転がした。そして僕は、此花散になった」

「―――結局は、自分以外信用していない……そういう訳か」


 九十九ミトが苦しげに呻く。


「そう、君達を全て喰い尽すことが僕の目的なのだからそれをしなければ本末転倒だろう?そこの虫のことなどおまけもいいところさ」

「おまけの割りには、ちゃんと利用してるじゃないか」

「ははは。落ちてるものは使わないと、勿体無いだろう?」


 くそ、ああ言えばこう言う。僕の一番嫌いなタイプだ。


「そして、貫木蝶子を殺し、此花の頭を被って、九十九ミトの前に現れた。君の動揺を誘う言葉は喋っていて楽しかったよ。そして、見事に君は僕を殺した。しかし―――」

「そのLOST-Cで奪った薬の効果で、生き返ったっていう訳か」

「大正解。花丸を上げよう」


 そんなものいらない。それなら貴重な僕の命を一つ返して欲しい。


「後は君が知っているだろう?九十九ミト」


 悔しげな、そして苦しげな顔で彼女は呻く。


「ありがとう。頭を君が潰してくれたお陰で疑われる証拠も一つ途中で消せた。死ぬという貴重な経験も出来た。しかし残念だ。君が僕の予想を超える働きは出来なかったようだね。しかも原因は、この虫と来た」


 百目顎が僕の首を右手で掴みぎりぎりと締め付ける。く、苦しい。本当の意味で死んでしまう……。


「彼女が先程君のことで僕になんと言ったか分かるかね?」


 百目顎が僕に向かって詰問する。


「『護る』と言ったのだよ。友人として、な」


 僕の首を絞める手が一層力を増す。


「彼女はそういうものが自分を成長させると勘違いしているようだが、まったく持って理解し難い。本当に同じ種だというのに、まったく別の人間が生まれることに驚きを感じるよ」


 同じ……種?


「ぐ……貴様……私の顔を借りて偉そうな口を叩くな!ちゃんと己でもって……」


 おやおや、という風に百目顎は肩を竦める。


「君達は何か勘違いしているようだが、今の僕は別に変装などしていないのだよ?そういえばこれはミトも知らないことだったか」

「まさ……か」


 九十九ミトが蒼白の顔面を更に白くしたように見えた。


「君達複製暗殺者の元は、僕のDNAを操作して作られた。こう呼んでくれても構わないよ。お父さん、いや、お母さん、かな?」

「ヴオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 それを聞いた九十九ミトは、力の限り、吼えた。そして。


「コロ……ス」


 百目顎と僕に向かって、幽鬼の様に歩み寄って来た。


「おっと、いいのかな。近づいても」


 僕の体を盾にし、百目顎は後ずさる。

 九十九ミトはびくっと体を強張らせ、僕らの目の前で止まってしまう。


「ミト……さん」


 ミトさんの表情が般若のそれと今にも泣き出しそうな少女の間で揺れていた。勝ち誇るでもなく、淡々とした表情で百目顎は話し続ける。


「それが、迷いであり、弱さだ。暗殺者にはもっともいらない才能。君がそれを抱いていたのは分かっていた。僕ともっとも遠く、僕が決してもち得ない才。だから、興味があった。僕にもっとも近い殺しの腕を持ちながら、矛盾した心を持つ君に。そして、君と殺し合い、その感情を理解してみようとも思った。しかし―――」


 百目顎の手に力が篭り僕の首の骨が悲鳴を上げる。


「止めろ!」

「やはり、そんなものは、いらないね」


 僕の首がまさに折られようとして―――。

 その時、管理室の扉が開いた。

 まるで、疾風のような何かが凄い勢いで僕らにぶつかって来た。

 それは―――。


「甚助!」


 甚助は百目顎を吹き飛ばし、僕を奪還しお姫様抱っこの要領で抱え上げた……って何これ恥ずかしい。


「もう、放さないっすよ」

「勘弁してくれ、甚助」


 いつもの軽妙な口調で僕に話しかけてくる。僕を安心させるためだろうか。それが、すごく嬉しい。


「形勢、逆転ね。百目顎」


 Sが膝をつく百目顎の前にやってきてそう言った。


「まだ勝負はついてないよ。撫子」


 そう言うと、僕の体が、ぐんっ、と何かに引っ張られた。


「な!?」


 細いピアノ線のようなものが僕の体に巻きついていた。これは、此花散の……。

 僕は再び百目顎の元に引きずられてしまった。

 百目顎はそのまま勢いをつけて僕を壁までハンマー投げの要領で投げ飛ばす。


「恭介君!」


 激突する―――!


 ドガッ


 衝撃が―――こない。何かに受け止められた感触があった。目を開けると、九十九ミトと甚助が、僕を受け止めていた。しかし―――。


「しまっ……」


 前を見ると百目顎が管理室の扉を閉めるところだった。

 甚助が扉に取り付くが、時既に遅しだった。


「な、中には確か母さんが……」


 どうしよう!?しかも管理室を占拠されたら僕らは何も出来なくなってしまうのでは……。


「どけ、私が……」


 満身創痍の呈の九十九ミトがずいっと前に出る。しかし、構えたものの、すぐに膝から崩れ落ちた。


「だ、駄目ですよ。毒が回ってるんですから!安静に……」

「……しかし、それでは間に合わん!」


 揺れる膝を押さえつけ、彼女は無理やり立ち上がった。しかし、その構えた拳を、甚助が手で制した。


「やめておけ。それに、撫子様は大丈夫だ」


 また普通の口調に甚助が戻った。


「どういうこと?」

「撫子様の部屋は中から物理的にロックが掛けられるので大丈夫です。外側からはミサイルでもぶち当てないと開きませんから」


 よかった。それなら……。


「他の……地上へ行く船は、どこだ?」


 弱弱しい声で九十九ミトが訊ねる。


「いや、念の為に全て外部から自動の日数指定で来るようにしてあります。最初に来た日から一週間後に設定されているので……。


 そこまで言い掛けて甚助は口を手で押さえて黙り込んだ。


「……しかし、いや、まさかそこまで……」

「どうしたの?何かまずいことでもあるの?」

「……私達の知らない竜宮御殿の秘密がまだあるらしいな」

「……普段は使わない、というか何重にもロックを掛けてあるので使えないはずの機能があります。まさかとは思いますが……」


 その時、ゴゴゴ……と音を立て竜宮御殿全体が揺れだした。


「そんな……馬鹿な」

『その、まさかの様ね』

「母さん!何が起こってるの?」

『元々この竜宮御殿はどういう意図で作られたものか、分かるかしら?』

「……ただの保養施設、じゃないの?」

『馬鹿息子、兆単位の金を使って作るほどのものじゃないでしょう』


 すいません。


「……避難用シェルターの一つ、かとお見受けしましたが」

『さすがねミトさん。大筋は合っているわ。これは大規模な戦争時でも安全に生活できる施設として後々政府要人向けに提供されるものよ』


 莫大な総工費がかかっているとは思っていたけどちゃんと後ろ盾があったのか。よかった。「うちの別荘?」とか答えなくて。


「でも、この施設は場所さえ特定されてしまえば、あまり安全とは言えない……」

『そう、その通りよ。深深度用のミサイルを建造することは比較的容易よ。だから言うほどの優位はないの。でもね、この竜宮御殿は『船』なのよ』

「……もしかして、これ、動くの?」


 こんなに大きいのに?


『ええ、竜宮御殿は巨大な一個の船部分と受け皿の港部分で構成されているの。他にも世界各地に港部分は作られる予定で、ここはその最初の一つよ。私達が今いるのは港部分の施設で、ここから上に上がれば船部分に辿り着くわ』


 そんな構造になっていたのか。なんとも大掛かりなプロジェクトの割りに現在は僕らで貸し切り状態とは豪華な。


『勿論もっと人数を入れないと施設利用にも限界があるので今は最低限で回しているけどね。それにしてもミトさんはいつこれが船だと気がついたのかしら?』

「形状を把握した時からそんな気はしていました。それに、安全面を考えれば離発着できるほうが自然です」

『……なら、百目が見抜くのも訳はないわね。つまり今奴は船に乗って逃げ出そうとしている、ということ。それは、私達の死を意味しているわ』


 場所を把握されているから、か。逃げ切られれば、こちらに助けが来る前にミサイルを打ち込まれて終わりかねない。いや、それ以前に彼の協力者がここに大挙して押し寄せ、僕らを確保し、良いように嬲られるのが目に見えている。僕の確保など、後回しで十分なのだ。


「でも、どうやって止めるの?それに管理室は港側にあるんだからあいつもそこから出ないと移動出来ないよね?」

『区画まで移動するにはいくつかルートがあるわ。管理室の出口も一つじゃない。複数の出口が用意されている。どこから船側に移動するかは……』


 その時、けたたましい警告音が館内に鳴り響いた。


「緊急事態により、竜宮船を切り離します。乗員は十五分後までに移動して下さい。繰り返します……」


 自動音声による避難勧告だ。


「い、急いで僕らも脱出しようよ。船まで移動しないと……」

「そうね。行きましょう。みんな、急いで」


 そこまで言って、重大な事に気がつく。


「母さんは、どうするの?」


 沈黙。


「ねえ、甚助。どこから母さんを助けに行けばいいの?」


 甚助の沈痛そうな表情なんて、初めて見たかもしれない。ちょっと待ってくれ……もしかして……。


「外側からもロックは掛けられる。つまり、出られない。そうですね撫子さん?」

『おっしゃるとおりよ。百目顎はこの部屋の扉を閉じてしまった。それに、どうあがいても十五分じゃ扉を開けるのは不可能でしょう』


 なんということだ。これじゃあ、母を見殺しにしてしまうことになる。


『みんな逃げなさい。そして、必ず百目顎を倒すのよ』

「待ってよ!母さんを置いてなんか行けないよ!絶対みんなで生きて帰るんだから!」

『恭介、世の中には諦めることも大事よ。どちらかしか選べないこともある』

「嫌だ!それなら僕も残る!」

『ふざけないの!』


 あらん限りの大声で、母は叫んだ。


『ごほっ!がはっ』

「母さん!駄目だよ無茶しちゃ……」

『……ごめんなさい恭介。貴方には本当に小さい頃から母さんのせいで迷惑をかけたわ。何度も命を狙われて。LIFE-Cについても、結果的に余計に貴方を苦しめることになった。そして全てを清算しようとしたこの場所で、今貴方達の命を危険に晒している。これは全て、私の過ちよ。だから、責任を取らなきゃいけないの』

「違うよ!絶対違う!そんなの暗殺者が悪いに決まってるじゃないか!そりゃ利害関係はあるだろうけど命を奪う必要なんてない!」


 九十九ミトの顔にさっと翳が射した。僕ははっとして言いよどむ。


「……いや、君の言う事は正しい。私は常に、意味を求め、奪い、殺し、それで良いと思っていた。しかし、それは間違いだった」


 ぽつぽつと語る彼女に掛ける言葉が見つからなかった。彼女が抱える痛みや苦しみは、奪われる側の僕にはない苦悩だから。


「そう、奪いたい者―――捕食者は百目顎のような、殺人鬼だけで十分だったのだ。人は皆何かしら奪い合い、勝ち取り、時に分け合う。奪う意味を探して私は生きてきたと言ってもいい。しかし―――」


 彼女はそこで言葉を区切り、噛み締めるかのように次の言葉を吐き出した。


「奪うだけの人生など、私には必要なかった。私が求めたものは、本当は奪うことではなく、生み出すことで実現出来ることだったのだ。その事を気付かせてくれたのは、君だ。弟切恭介」


 不意に名を呼ばれ、僕は驚き、戸惑う。僕の何が彼女に影響を与えたというのだろう?


「君は私に言ったな。美しいと」


 思い出すと顔が真っ赤になる。


「そう、そうやって奪うことで私は自分を鍛え上げてきたと、そう思ってきた。しかし、そんなもので私は満たされたことなど、本当はなかったのだ。君がそれを―――口に出してくれるまでは」


 彼女は僕の目を見つめたまま、逸らさない。


「私はとんだ俗物だったのだ。自分の世界でだけ完結すればそれでよかったはずが、何よりも君の言葉で感動し、嬉しかったのだから」


 彼女の目から、涙が零れ落ちた。


「……私には、君が必要だ。弟切恭介。だから、私からもお願いする。生きてくれ」


 初めてかもしれない。ここまで、他人に必要とされたのは。激しく動揺し、鼓動が早くなる。


『……行きなさい恭介。このお嬢さんの言うように。ここに残った人間は、全て貴方が好きなのよ。貴方が生きていなければ、誰もが悲しむの』


「……卑怯だよ、こんなの」


 僕は涙を堪え、歯を食いしばる。


「僕は、僕のことなんてどうでもいいから……みんなに生きていて欲しい。僕だって……僕だって……」


 ――――みんながいなければ生きたいとは思わないのに。


『時間が無いわ。甚助』

「はい。分かっております」


 僕はひょいっと甚助に抱えられた。


「はっ放せ!甚助!僕は……」


 無言で九十九ミトはミコトを担いだ。


「……お元気で」

『貴方と恭介の結婚式、見たかったわ。残念ね』


 九十九ミトは何かを言いかけて、止めた。そして。


「はい。世界一の花嫁をお見せできなくて、残念です」

「最後に、恭介」

「か、母さん……」

『百目顎は、あれはあれで可哀相な生き物なのよ。でも、お互いは絶対に理解し合えない。立ち向かうときはそれを忘れないで』

「母――――」

『愛してるわ。恭介』


 その言葉を皮切りに、甚助と九十九ミトは何か合図でもしたのかのように、同時に僕らを抱えたまま梯子を凄い勢いで上りだした。

 あっという間に、視界から遠ざかるSを僕は鼻水と涙を垂れ流しながら見送る。いや、まだだ。まだ―――終わりじゃない。勝てばいいんだ。百目顎に。そして全てを間に合わせて、母も―――九十九ミトも、甚助も、ミコトも、全てを救うんだ。


「必ず――――迎えに来るっ!」


 もう、Sの姿は見えなかった。その言葉は果たして、母に届いただろうか?


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