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犯人探し

―――九十九ミトの語った内容は、衝撃的だった。


「私も、貫木も、此花も、同じDNAを持つクローン人間だ。育ちは違うがな」


今思い返してみると確かに此花散は化粧や変装を施した九十九ミト、で通用するような気はする。しかし、貫木蝶子は九十九ミトより背が低く幼い印象を受けたのだが……。

あれ?しかしそういうことなら、もしかして中学の時のあれはやっぱり―――。


「あの、覚えてませんか?」


顔を少し前に出してアピールしてみた、が。


「何のことだ?」


 さっぱり分からない、という面持ちであっさりと否定されてしまったのだった。がっくり。

 九十九ミトは何も気にしてない様子で話を続けた。


「生まれた時期も、環境も違う。また整形も施してある可能性が高いからな。特に身体成長を弄る薬を多数投与された者も多いと聞く。特に何もされなかった私は運が良かった方だろうな。特に貫木などは骨格から何から何まで改造されたまるで人造人間だったようだし」

「そ、そんな酷いことを計画した奴っていうのが……百目顎っていう……」

「そうだ。私達の生みの親みたいなものだな。教官やアドバイザーとして企業に提供された『九十九ミト』を指導し、また手を加えて楽しんでいた。あれは正真正銘の、下種だ」


 彼女が殺したい相手だというのも頷ける話だった。自分の楽しみの為に、彼女達の人生のレールを敷き、その命を軽々しく摘み取り、愉悦に浸る。そんな気持ちはまったく理解出来ない。


「つまり、みんな基本は同じ顔、なんですか?」

「その筈だ。百目が私に化けたというなら誰かの死体を使って忍び込んでいるに違いないのだが……あの時点ではまだ貫木も此花も生きていたはずだな」

「えーと、他に可能性があるとしたら、此花か貫木が甚助を襲った、ということも考えられませんか?」

「それもあるだろうな。だが、もう一つの可能性がある」


 もう一つの可能性―――?


「その暗殺者の手引きがあれば、事前に管理室に忍び込むことは可能になっていたはずだ。君が死んでいる間に指紋を借り、扉を開けれただろう。そいつの首も見つかってないようだし―――」

「それって―――」


 嫌な―――本当に背筋に思い切り、怖気が走るほどの、嫌悪と、怒気を含みそうな―――そんな―――。


「綺堂命。彼女も私の複製暗殺者だった可能性がある」


 九十九ミトの言葉が遠くに聞こえている。馬鹿な―――だって、彼女は―――。


「み、見つからないのは甚助が片付けたからで―――それに、彼女はそんな人じゃ……」

「それは体の部分だろう?あのあと寝る前に甚助に話を聞いたが彼女の死体は、首がなかったそうじゃないか。そちらはまだ、見つかっていない筈だ。それを利用して百目は管理室を襲ったと、私は考えているのだが」


 そこから先は言われなくても分かっていた。僕がいくら反論しても、その根拠は僕の中にある綺堂命への良い印象でしかない。しかし―――まさかそんな。

 しかしそう考えると綺堂命さんの言葉や態度も、僕の考えていたものとまったく違う様相を呈していることに気がついた。

 家に縛られていてやりたいことをやれないと言った彼女の翳りも―――やりたいことをやればいいと僕が言った時の彼女の歓喜も、もしかしてもっと後ろ暗いところから発せられたものだとしたら?


「―――君にとっては、信じたくないことなのだろうな。彼女が暗殺者だということは」

「―――はい、でも、何故か納得はいきます……」


 そう、考えてみればそれがもっとも自然なのだ。僕が最初に毒殺されたあの状況では。

 そもそも僕ら以外が部屋の中に入るにはマスターキーが必要だし、特にその前に怪しい出来事は起きていなかった。中に誰かが居て、先回り出来るようなことはかなり難しかったはずだ。しかし、そうなると―――。


「綺堂命は、僕を毒殺した暗殺者―――ということになります」

「それが、論理の帰結というものだな。しかし」

「ええ、その後に彼女を殺したのは、誰でしょうか?」

「首を落とし、心臓を一突きにした暗殺者、か」


 そうだ。僕が意識を失っていた間に一体何があったのだろう?


「それは―――考えても答えは出ないだろうな」

「―――でも」

「答えを知っているのは百目だけだろう。あの男を見つけたら、それを聞くといい」

「―――はい。そうします」


 そうだ。聞かねばならない。綺堂命は多分、暗殺者だ。でも、何が真実なのかを決めるには、全てが早すぎる。僕は深く心に誓った。


「で、どこへ、何を探すんですか?」

「ふふ、目に光が戻ったようだな。さすが私を説教しただけのことはあるな」

「褒めても捜索に関しては何も出来ませんけどね!」

「はは、いいよ。君は傍に、居てくれれば」


 そう言って彼女ははにかむ。心なしか、今日の彼女は笑い顔が多い気がする。しかも、とても可愛い顔で。


「さて、我々が探すものだが、それは貫木蝶子の死体及び、誰かの死体だ」

「え?貫木は……」

「甚助にも確認は取った。貫木蝶子の死体は誰も片付けていない。しかし、どこにも見当たらないのだ」


「じゃ、じゃあ百目がどこかに?」

「ありうる。というかそれしかあるまい」


 しかし、気になるのはもう一つの―――。


「誰かの死体、って」

「おそらく奴が化けている人間の、抜け殻だ」


 直感的に寒気が走る。今、なんて。


「奴はおそらく、今もこの竜宮御殿で、生きている誰かに化けて楽しんでいるに違いない。私はそう踏んでいる」


 そんな―――馬鹿な。それじゃあそれは―――。


「監視カメラはいくつか死んだとはいえ全てをかわすのは困難だろう。誰かに化けて移動するほうが得策だ」

「ま、待って下さい!それは、それじゃあもう……」

「言いたい事は分かっている。しかし私にも確証がない。だから、捜すのだ」


 信じたくない。あいつが、あいつが―――。


「天照ミコトの死体を捜さねばならない」


 その言葉は僕に、今日再びの絶望を与えたのだった。

 

 捜索を開始してから三時間ほどが経過していた。

 ほぼ全ての施設を回ったのだが、何一つ、発見することは出来なかった。何も見つからない反面、見つからないことに若干の安堵を覚えていたのも事実だ。しかし。


「では、本丸へと行くとしようか」


 そう、残っているところが後一つ、ある。


「ミコトの―――部屋ですね?」

「ああそうだ」

「ですけど、どうやって開けるんですか?彼女に化けているとしたら、簡単には入れないでしょう?」

「今日のルーレットでミコトが出れば簡単なんだがな。しかしそれは相手も予見しているだろうな。おそらく、その前に動いてくるだろう。確認する方法は、一つしかない。力を貸してくれるか?」

「何ですか?僕に出来ることがあるなら……」


 そこまで言いかけて、凄く、嫌な予感が―――。


「……後一回、死んでくれるか?」


 的中した。


 数分後、僕はミコトの部屋の前に立っていた。九十九ミトはといえば中央テーブルの影に隠れてその様子を見ている。


「彼女の様子を探るなら君が適任だ。本人でも、偽者でも、君を部屋に招き入れる可能性は高い。それを断るのは彼女のメンタリティ的に不自然だ。そういう素振りを見せたらすぐに私が踏み込む。だから君は、囮になって彼女をおびき出してくれ」


 先程九十九ミトにはそのように頼まれた。


「当然救助が間に合わなくて君が危険に晒されることは十分にありうる。嫌ならば無理強いはしないが」


 たしかにそれはとても痛いし危険なことだというのは分かっていた。しかし僕はミコトの安否が気になって仕方が無かった。そう、友達を失うのは、やはりどんな傷よりも痛く、辛いから。それを確かめるためなら、僕はどんな危険でも冒す覚悟は出来ていた。

 僕はその覚悟を携え、今、天照ミコトの部屋の前に立っていた。呼び出しのボタンを押す。さあ、この天岩戸は開くのか?


 ガー。


 あっさり、開いた。


「……恭介?」


 そこには超仏頂面の天照ミコトがいた。


「や、やあミコト、さん」


 無言で睨みつけられる。これは、仮に彼女が本物だとしても、部屋になんて入れて貰えないんじゃあ……。


「きょ、ヒッグッ……恭介~~~~~~!」


 目に大粒の涙を溜め、ミコトは僕に抱きついてきた。


「ちょ!?ミ、ミコトさん!?」

「やっとあの性悪女のことを諦めて僕のところに帰ってきてくれたんだね~~~~」

「はぁ?」

「僕は君がたとえ非童貞でも気にしないよ!そりゃあちょっとはショックだけど、でも、最終的に君が収まる鞘は僕だけだって、分かってくれてるんだよね!」


 いや、まったく分かりません。


「さあ!その君の刀を早速僕の鞘に仕舞おうじゃないか!ささ、中に入って……」


 え?っと思う間もなく僕は手を掴まれ部屋の中に引き込まれる。いや、まじで助けてミトさん!

 僕の視界の隅に物凄い勢いで駆け寄ってくる九十九ミトが見えた。

 しかし、僕の願いも空しく、僕のすぐ後ろで扉は閉まったのだった。


 まずい。この状況は……。


 ドンッという扉を叩く音が遠くに聞こえる。九十九ミトが扉を殴ったのだろう。しかし分厚いこの扉をぶち抜ける訳もない。


「はーっははははははは!」


 ミコトの高笑いが部屋に響いた。


「ふん、甘いねえあの女……」


 彼女は舌なめずりをし、まるで蛇が獲物を狙うかのような、邪悪な顔を僕に向けた。掴まれた腕を更に痛いほど、彼女は握ってくる。


「は、放せ、この……」


 絶望の二文字が僕の頭を過ぎる。くそっこんなところで……。


「恭介~~~~~~!」

「!?」

「本当に寂しかったよ~~~~ばかばかばか!」


 思いっきり左右からローキックを足に叩き込まれる。ちょ、痛い痛い!


「な、何するんだ!やめ……」

「夫が浮気したら足を叩き折るのがうちの家訓だい!」


 何それ怖い。


「ちょ、ちょっと待って。別に僕は浮気なんてしてないって……」

「本当?」


 ぱぁっとミコトの顔が明るくなる。すかさず僕は何回も頷く。


「嘘つきいいいいいいいい!」


 今度は頭突きが飛んできた。


「へぶっ」


 叩き落とされた蝿のように僕はそのまま仰向けに床に転がった。


「あの状況でよくもまあそんなこと言えたわね!でもまあ、今ので許してあげる」


 し、死ぬかと思った。というか鼻が無茶苦茶痛いんですけど。

 しかし、ここまで来て、ようやく変だと思えてきた。おかしい。これは、いつものミコトだ。


「……ひゃ、百目顎?」

「誰それ?」


 きょとんとした顔を僕に返してくる。ここまでが演技なのか?それとも……。

 意を決し、起き上がり、僕はミコトに近づいた。


「な、何よ。いきなり……」


 僕は彼女の頭を両手で押さえる。


「え、ちょ」


 彼女は驚いた眼差しで僕を凝視したあと、目を瞑ってしまう。


「ミコト……」

「は、初めてなんだからねっ……や、やさしくして……」


 唇を突き出し、キスの体勢をとる。僕はそのまま……。


 むぎゅ。


「んぐっ!?」


 唇を親指と人差し指で摘んだ。


「……やっぱり、本物だ」


 伸ばしたり、引っ張ったりしてみたが、取れる気配はない。


「何すんだ――――!」


 僕は朝青龍もびっくりな平手打ちで吹っ飛ばされた。


 それと同時に―――。


 ドゴオオオオオオオオオオオオンッ!


 何が起こったか一瞬分からなかった。僕の近くに、ひしゃげた扉が飛んでくるまでは。


「無事か、恭介!?」


 九十九ミトが正拳突きのポーズでこちらを見ている。あの、もしかして、あの扉を素手でぶち破ったの?

 さしものミコトも口をあんぐりと開けて呆然としていた。それはそうだ。僕も信じられない。

 九十九ミトはつかつかとミコトに歩み寄る。


「貴様……あの程度で私を出し抜けると思ったか!今すぐ冥土に送ってやるぞ。百目顎!」


 まずっ。そこで僕は正気に戻り、彼女達の間に割って入った。


「ち、違います!彼女は、百目顎じゃありません!」


 九十九ミトは振り上げた拳を僕の眼前でピタリと止めた。


「何?」

「間違いありません。ちゃんと顔を触って確かめました。ですから……」


 その言葉で九十九ミトは拳を下げ、ミコトを睨みつける。


「な、何よ!?こんなことまでして……一体何の目的で……」

「私も確かめよう」

「きゃー!?」


 そう言うと九十九ミトはおもむろにミコトを押さえつけ、顔を撫で回し、胸を触り、というか全身をくまなく弄り始めた。


「ちょっ……はっ、いやん、だめー!」


 後ろ、向いていよう。


 ―――数分後。


「確かに、本物のようだな」

「だから!君達は一体何を言ってるんだ!?ちゃんと説明しろー!」


 半裸まで剥かれた状態でミコトは抗議の声を上げた。


「ご、ごめん。説明するよ……いいですよね?」


 九十九ミトのほうを見ると彼女も軽く頷いた。


 ―――さらに、数十分経過。


「何それ!そんな危険が危ないことになってたの!?」


 その言葉遣いも日本語として結構危ない。


「で、このミコトちゃんが君達の探している殺人鬼だって思ったわけね」

「まあ、平たく言えば」

「甘く見てもらっちゃ困るね!このミコト様がそんな簡単に殺人鬼に遅れを取ると思ったか!来たらこうやって、こうやってこうで……」


スペシ○ム光線のポーズを取っても多分勝てないと思うけど……。


「でも、よかった……」


 これは偽らざる本心だった。本当にミコトが死んでいたとしたら、きっと物凄く、痛かったろう。


「恭介……」


 あれ?ミコトさんがなんか潤んだ瞳でこっちを見ていらっしゃる。

 僕は何かを予見して、一呼吸してちょっと左に避けた。


「恭介―!って避けんなあああ!」


 彼女は僕に抱き付こうとして失敗した。


「しかし……ということは一体誰に化けているんだ。奴は?」


 当然の疑問を九十九ミトは呈する。

 僕と彼女は俯き考え込む。すると―――。


「そんなの、簡単じゃん」


 意外なことにミコトが口を開いた。


「お前ごときに分かったというのか?」

「いやいや冗談はよそうよ。こっちは真剣なんだし」


 ここで彼女の話を聞いても時間の無駄であろう。無視無視。


「何失礼なこと言ってんの!?絶対間違いないのに!」


 僕と九十九ミトが顔を合わせる。


「……一応聞こうか」

「よし!聞いて驚くなよ!」

「もったいぶらなくていい」


 放っておいたら自分でドラムロールでも口ずさみそうな気がしたので釘を刺しておく。


「ケチ。えーとね。それ甚助君だと思う」

「何言ってんだ?そんな訳―――」


 何を馬鹿な―――と九十九ミトに目配せをしようとすると、彼女は真剣な顔をして考えているようだった。


「それは……消去法的に考えたのか?それとも……」

「それもあるけど、それよりもさ。僕なんか違和感があるのよね」

「違和感?」

「私いつも恭介のこと見つめているじゃない?穴の開くほど」


 ストーカー一歩手前じゃないですか。


「でね、甚助君てさ、いつも恭介の傍にいるじゃない?」

「それはまあ、ボディーガードなんだし……」


 まったく仕事をしない奴だけど、とは言わないでおこう。


「学校とかでも時折見かけてたんだけど、甚助君て僕よりよく恭介を見てるのよね。私の先回りしていることも多々だし。さすがボディーガードだなあって関心したんだけど」

「そんなことがあったの?でも、とてもそんな風には……」


 そうだ。あいつはいつも僕を護ってなんかいなかったはずだ。でも、ミコトの証言はそれと真っ向から食い違っている。これは、どういうことだ?


「……おそらく、周囲の警戒と何かの時のルート確保、そんなところだろうな。続けてくれ」

「でね、やっぱりおかしいと思うんだ」

「だからそれは何が……」

「甚助君が、ここに居ないこと」

「……それはおかしくないだろ?だって管理室に閉じ込められてるんだから……」

「ううん、絶対おかしい。お母さんを護る為と、甚助君を護る為だったら、彼は間違いなく君を選ぶはず。そこに閉じ込められる事自体が、すっごく不自然なんだよ」


 予想外の、とんでもない意見に僕は鼻白む。


「そんな訳ないよ。あいつは僕を護ったことなんてほとんどないし……。大体根拠は何さ?」

「女の勘」


 盛大にずっこける。やっぱり彼女の話を聞くのは時間の無駄―――。


「なるほど。筋は通っている」


 九十九ミトの同意に僕は口をあんぐりと開けて固まった。


「……え、いや、聞いてなかったんですか?あの、甚助は……」

「尼崎甚助は『ボディーガード』だったな」

「そうですよ。でも僕を殺されずに護りきれた事なんてほとんど……」

「しかし、君はここにいる」

「どういう、意味ですか?僕が生きているのはLIFE-Cのおかげで……」

「それはただ、死なないだけだ。私が言っている意味がまだ分からないか?」


 少し考えるがまったく分からない。僕は首を横に振った。


「君は名だたる暗殺者に何年も命を狙われ続けた。その中にはあの、百目顎も含まれている。恐ろしい面子を相手にしてもなお、尼崎甚助はやり抜いた。これは凄まじいことだ」

「言っている意味が、よく……」

「君の体は何年も狙われたにも関わらず、誰一人、奪い、持ち去ることが出来なかったんだ。そう、尼崎甚助が護り通したから」


 巨大なハンマーで頭をぐちゃぐちゃに潰されたかのような衝撃が僕を襲った。


「な、え、まさか……」

「君を殺されないで済ますということは不可能に近い相手だということは君も理解出来ているだろう?だが、死体さえ奪われなければ、君は必ず蘇ってくれる。だから、それのみに絞って尼崎甚助は君を警護していたんだ。まさに『ボディ』ガードだったというわけさ」


 ―――甚助が、僕を?


「……そんな、あいつは……」


 あいつは、駄目なボディーガードで……いつも軽薄な態度で……。


「ここからは、私の想像だ」

 そう前置きをして九十九ミトは語りだした。

 「最初に円卓で会った時の甚助は態度とは裏腹に、実際は油断も隙も微塵も感じられなかった。軽薄な態度も、君から信用され過ぎないためのものだと思ったよ。たとえ殺されても、必ず体は護らなければならない。だから精神的に距離を置かせ、仕事に徹するための、彼なりの努力だったような気がする」

 そんな、そんなことって……。


「私が挑んでも恐らく互角か、それ以上。そう感じた男が、確かにここにいないはずがない。何かあったに違いない。迂闊なことにそれに気がつかないとは……」

「そ、それじゃあ甚助は……」


 それ以上の言葉は出てこなかった。


「貫木が皆を襲う日の前までは本物の甚助だったろう。しかし、今は―――」


 視界が歪む。涙が止め処なく、僕の目から溢れ出ていた。瞼を閉じても甚助のあの軽薄そうな笑い顔が鮮明に脳裏に描き出されてくる。

 あれは全部演技で、その裏で一体どんな気持ちで僕を護っていたのだろうか?それを想像するだけで、心が、軋むんだ。


「うああああああああああああああああああああああああああ――――」


 どれくらいの間、泣いていただろう。泣き止まぬ僕の肩に、手が当てられる。


「甚助のことを想うなら、ここから無事出てからにしよう。感傷に浸る暇はどうやらないほどに、事態は切迫している」


 顔を上げると九十九ミトが真っ直ぐに僕を見つめていた。


「ひっぐ……でも、じ、甚助が……」

「あれ程の男だ。ただでは死んでいないかもしれない。確かめに行こう」

「そうだよ!恭介、ここで挫けてたら、甚助君に笑われちゃうよ?それにここじゃ僕との結婚式も出来ないし」


 ……最後の一文が余計だ。しかし、その言葉でようやく僕は自分を取り戻した。


「分かった。行こう。管理室へ」


 全てを知る男、百目顎に会う為に―――。


 しかし、この時僕らは非常に重要なことを見逃していた。そのことでこの後僕らは、最悪の事態に陥る事になるのだが―――。


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