接吻
名も知らぬ、森の中の古びたチャペルの扉の前に僕は居た。
―――ああ、これは夢か。
この扉の向こうに僕を待つ花嫁がいる。それが直感的に伝わってきた。
夢の中ならば全て僕の思い通りなのだから、この先に待つのは僕の理想としている伴侶に違いない。
確信はある。彼女の顔を思い浮かべる。夢の中なのに妙に手が汗ばむ気がする。この扉を開ければ、きっと望む答えがそこにある。
深呼吸を一つ―――僕は意を決して扉を、ゆっくりと押し―――。
ぽよん。
―――押し……あれ?
これは、絶対に扉を押し開ける時の感触じゃないような……。
何回も押してみる。
ぽよん、ぐにん。
おかしいな。どうすれば開くん……。
「目を開けろ。弟切恭介」
はっとして僕は目覚めた。目覚めると、目の前には僕の手があり、何か黒い布が被さった柔らかく、弾力のあるものを触っている。
「人の胸をあまり触るな。くすぐったい」
その声で一気に血の気が引き、僕はベッドから飛び降りた。
五点投地の要領でそのまま土下座の体勢に移行する。
「す、すみませんでしたあああああああああああああああ!」
「いや、気にはしてない。顔を上げてくれ」
恐る恐る上を向くと、ベッドの上で黒いシャツ一枚にパンティ姿の九十九ミトが寝そべっていた。
「え、えっと、何をなさっているので?」
「いや、ここで仮眠を取らせて貰っていただけだが」
「えっと、つまり一緒に寝てた、と?」
「まあそういうことになる。すまんな、驚かせて」
大抵のことでは動じないですが、本気で心臓が飛び出しそうになりましたよ?
「結局自室に戻るのも面倒でな。さて、着替えをせねばならんし、いい加減戻るとしよう。後でまたな」
そう言って彼女はそのままの姿で部屋の外に出て行こうとする。
「あ、いやその格好じゃ……」
「ん?ああ、服は切り裂かれてもう着れないうえに血も付いているのでな。処分した。ちゃんと部屋で着替えてくるから気にするな」
いや、そういうことを懸念したわけではなくて……。
彼女が部屋から出て行こうと扉を開いた―――その時。
「おっはよー!恭介!」
扉の前には天照ミコトが満面の笑みで待ち構えていた。
一瞬の静寂。全員の時が止まり―――そして。
「恭介のばかあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
ミコトは部屋の中に居た僕に、正確にドロップキックをぶちかました。ひでぶっ。
「ばかばかばかばか!僕というスーパーウルトラグレートデリシャスワンダフル嫁がありながら浮気するなんて、この人でなしーーーー!」
そのままマウントポジションでたこ殴りにされる。
ちょ、ギブ、ギブ、イタイイタイ。このままじゃ殺されてしまう。貴重な一回をこんなところで消費するわけには……。
本当に天国への扉が見えてきかけたところで、救いの手が差し伸べられた。急に僕の体を押さえつけていたミコトの重さが無くなったのだ。見ると九十九ミトが左手で軽々とミコトを持ち上げていた。
「その辺にしてやれ。別に一緒に寝ただけだ」
「んなっ!?ちょ、ちょっとふざけんなてめええええええええええええええ!」
ミコト君が切れすぎて怖い。あと、火に油を注ぐのは止めて下さい、ミトさん。
「恭介!あんた一緒に寝たってどういうことよ!?何したのー!?」
「な、何もしてない!起きたら彼女が横に寝ててだね……」
「ああ、それで、胸を揉まれたな」
「死ねえええええええええええ恭介―――――!」
「ミ、ミトさん何でそんな余計なことを……」
「なんだ、胸だけじゃ不満か」
「へ?」
そう言うと彼女は跪き僕の顔に両手を当て、ぐいっと引き付け―――。
「―――――」
「!!!!!!!」
「ぷはっ」
接吻を、した。
「見ての通りだが、まだ何か言うことがあるか?」
そうミコトに向かって言い放った。
「~~~~~~~~~~~~」
顔を赤から始まり青に至るまで七色に変化させミコトは僕と九十九ミトを睨みつけ。
「うわーーーん!愛人ポジションは嫌だよーーー!」
と、泣きながら自室に逃げて行った。いや、愛人ポジションも断る。それはそうとして……。
「あ、あの……な、なんでそのキス、なんて」
「ん?ああ、これで今日は自由に動けるからな」
「え、もしかして、ミコトが……」
「彼女が居たのでは間違いなくちょっかいを出してくることは分かりきっているからな。排除させて貰っただけだ」
―――少し、期待したのだけど、もしかして今の今まで起きた夢のような出来事は全て……。
「これが一番、手っ取り早いだろう?」
男の夢も希望もなにもない酷いキスだと思ったが、抗議はきっと受け入れられないだろう。
「いえ、はい。了解です」
「さあ、飯を食べたら今日の探索だ。よろしくな、相棒」
そう言って彼女は僕に向かってウインクした。不覚にも心臓が高鳴った。本当に彼女は悪魔だと思う。
朝食が終わってもミコトは部屋から出てこなかった。すまない。あとでご飯はSに届けさせよう。
「で、今日はどうするんですか?」
「百目顎を殺す」
「――――」
急展開である。
「策を弄するのが大好きな奴だ。時間が経てば経つほどあいつが有利だろう。一気に追い詰め、仕留める」
「それはいいですけど、目星はついているんですか?」
「その確認をするために、これから行くんじゃないか」
彼女と僕は連れ立ってホールの大扉から出た。
「百目顎を捜すんですか?」
「近いが、違う」
「それじゃ一体何を?」
「死体、もしくはそれに類する、何かだ」
「?」
「ひとつ、確認しておこう。今のところ死んだのは何人だ?」
「えーと、綺堂命、貫木蝶子、それと此花散の三人です」
「そうだ。しかし、まだいるかもしれない」
「どういうことですか?」
「百目顎は変装の天才だが、化ける時の手法は独特だ。死んだ人間の顔の皮を剥ぎ、自身の顔に当て、骨格ごと、こう、めきょ、っと変えながら化けるんだ」
「……グロいですね」
「そんなことしなくてもよさそうなものなのにこれ以外の手段は取らない。奴なりの美学かこだわりなんだろう。しかし、そうなると疑問が残る」
「何ですか?」
「甚助は私の顔をした奴に襲われたと言ったな。それは、誰だ?」
「え?それは―――」
それは、九十九ミトしかありえない―――。いや、此花散もなぜか同じ顔をしていた―――そんな馬鹿な。
「で、でもミトさんの顔もその、変装なんですよ、ね?」
無言。嫌な汗が噴出してくる。何かとてつもなく嫌なことを言われそうな―――そんな予感。
「言わねばならんな。そう、私が―――九十九ミト―――本人だ」
暗い、そして広い部屋に幾人かの人影が椅子に座り一つの円卓に着いていた。
そのうちの一つの影が口を開く。
「百目君と言ったか。君の提案を受けよう」
「ありがとうございます」
また、別の影が口を開く。
「ふん、まあ我々にも楽しみは必要だ、というわけか。それにしてもよくこんな技術を開発しましたねえ。しかし良いんですか?我々にもその技術の恩恵を与えてしまって。ねぇ九十九さん」
九十九―――と呼ばれた影が口を開いた。
「良いんですよ。こういう有用な技術はシェアしないと。独り占めしてはみなさんが何をお考えになるか不安でしてね」
「はっきり言えよ。死にたくねぇってよ。このチキンが、ハハハハ!」
百目顎が再び口を開く。
「今日は記念すべき日です。ほぼ全ての武器商人がこうして集まり『クローン人間』技術の研究の共同開発に着手するのですから」
百目顎の目の前には一つの資料が置かれていた。
『クローン人間製造計画及び育成の軍事転用について』
平たく言えば、ここにいる戦争企業の力を借り、まったく同じクローン人間を育てるという計画書である。
一つの優秀なDNAを持つまったく同じ人間を複数育て、それぞれの企業間で、F1のように競い、争わせる。武器の扱いでも、肉体強化でも、様々な殺しの知識を与えるでも、それは構わない。企業には十人分の胚を与えた。これを使って彼女らには頑張って殺し合って貰おう。
そして生き残ったところがこの計画の最終的な利益を得る。そういう取り決めである。
暴力で奪い合っては消耗戦になる。お互いに利がない。しかしこれならまあ長く楽しめる余興と、自身の企業の自尊心を満たすことが同時に叶う―――そう思う屑が多数賛同してくれてこの計画は実行へと移されることになった。
元々このクローン技術の核になる部分は九十九家が開発していたのだが、九十九家の当主はあまりそれに乗り気ではなかった。第一に育てるコストがかかり過ぎる。鶏のように量産してすぐに戦場に送れるならたいしたものだが、そう簡単にはことは進まないだろうと思っていたからだ。そこに、悪魔の様に這い寄ったのが僕―――百目顎である。
「一つ―――情報があります。このクローン技術を有用に出来る、方法が」
九十九家は食いついた。そしてその為の絵は僕が描き、今まさに、それは実現しようとしている。ここまで十数年かかったが、そろそろ完成が近い。積み上げていく作業も、崩すのは一瞬だ。ああ、早く、殺したいよ君を。
別件の校正作業していたら更新遅れました。コツコツ更新していきます。




