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劣等

「結構、深刻じゃないの?これ」

『そうね』


 母から聞いた内容は思いのほか大ごとだった。

 竜宮御殿は現在メインシステムがダウン。監視モニタは動いているがいくつかの部屋のカメラは止まってしまっている。原因は昨晩ここに侵入されたこと。進入経路は不明、現在調査中。気がついた甚助が何とか撃退に成功するも排除装置を使ったために現在セーフティーモードに移行、管理室は隔離状態に。その際母が負傷、現在管理室備え付けの治療ルームで休息中。


『予め仕込んであったプログラムだけはスケジュール通りに動くようになっているから今はそれだけが頼りな状態ね』


 大体九十九ミトの予想と変わりがなかった。なんという慧眼だろう。


『ところで、恭介、何回死んだのかしら?』


 え、それ聞いちゃいます?


『知っておいて貰った方がいいわ。どちらにしろこのままじゃ勝ち目は無いのだし。彼女が貴方の状態を正確に把握しておかないと致命傷になりかねない』

「君の身体の秘密か?本当は自分で調べたいのであまり知りたくはないが……しょうがないか」

「……みたいですね」


 僕は手短に僕の体に纏わることを話し終えた。


「なるほど。夢の薬だな、君にしか効かないことを除けば」

「今現在で四回死んでいるので、後一回しか死ねませんけどね……」

「なるほど、無敵にはほど遠いな、それでは。しかし、そうか……ふむ、ほう……」


 彼女は一人、うんうんと頷いているけど、一体何に納得しているんだろう?


『では今後ですけど、最優先事項は……』

「百目顎の発見及び拘束または殺害。此花散も同様に、で宜しいか?」

『ええ、本当に優秀なお嬢さんね。是非、息子の嫁に欲しいわ』


 母の発言に思わず九十九ミトと目線が合ってしまった。僕は気恥ずかしくて慌てて視線を逸らす。


「ご冗談を。お褒めに預かり恐悦ですが、私には些か荷が勝ちすぎていると思われます」

『あら、そう言わず検討してみて。あの子は馬鹿だけれど、貴方みたいな人にはきっと必要な人間だと思うわ』


 母のずうずうしい発言にドキドキしながら九十九ミトの様子を窺っていたが、彼女は一瞬苦虫を噛み潰したようなとても複雑そうな表情を浮かべていた。しかし数瞬後、すぐに元の表情に戻っていた。


「ご忠告、感謝します。それでは私は仕事に戻ります」

『施設内のロックは機関部以外は開ける様に調整します。貴方の指紋も通るようにするわね。ただ少し時間が掛かるかもしれないけど』

「分かりました。では、先に戻り安全の確認をして参りますので」


 そこまで聞くと九十九ミトは元の梯子を上っていった。


『つ……っは……恭介』


 母は辛そうな声で僕に呼びかけてきた。


「大丈夫母さん?無理してたんじゃ……」

『……いいえ、自分の蒔いた種でもあるんだから、いいのよ。それより恭介、一つだけいいかしら?』

「何?母さん」

『死なないでね』


 今日一番の冗談だ。僕は笑い返し、九十九ミトの後を追った。

 梯子を上ると、九十九ミトがベッドに腰掛けて待っていた。


「……食えない女性だな、君の母は」

「ええ、そう思います。すいません、あの冗談は気にしないで下さい」

「あれは冗談ではなかろう。本気で私に結婚を勧めていたぞ」

「え!?」

「仮にそんなことになったらお笑い草だな。命を奪う者と命を再生する者、か。案外相性は良いかもしれんな」


 バイオレンスな家庭を築けそうだなあ(遠い目)


「……もう遅い、今日は休むとしよう」


 そう言うと彼女は甚助のベッドに横になった。


「あれ、ここで寝るんですか?自室じゃなくて」

「君の部屋を警護するには最適の場所じゃないか。何、多少朝早く出ればミコトにも見つかるまい」

「は、はぁ……」


 お互いが通じ合った部屋で一晩を過ごす……こんな状況じゃなければ天にも昇る気持ちになるかもしれないんだけど。


「じゃあ、戻ります。おやすみなさ……」


 そう言って僕が冷蔵庫を開けた瞬間だった。

 シュッ!

 中から何かが凄い勢いで飛び出した――――と思った刹那、僕は凄い勢いで横に突き飛ばされた。頭を強かに打ち、視界が揺れる。その中で、激しくぶつかり合う影が二つ僕の前で嵐を起こしていた。

 ガンッ ザシュッ ギンッ ボグッ

 打撃音と空気を切り裂くような音が交互に入り混じり、時には同時に弾ける。な、何が起きたんだ!?

 ドゴンッ!

 一際大きな打撃音が鳴り響き、もう一方の影が壁面に吹っ飛んだ。


「恭介、大丈夫か?」

「な、何とか……」


 ガクガクする膝を押さえながらなんとか起き上がる。すると……。


「――――劣等種の割りに、やるじゃないか」


 壁際からすっくと立ち上がった人物、それは―――。僕はその顔を見て、激しく混乱した。これは、どういうことだ?

 九十九ミトと……九十九ミト?同じ顔が二つ、そこにあった。


「百目……顎?」


 変装の達人だという百目顎の、これが変装だというのだろうか?あまりにも瓜二つで僕の頭は混乱する。


「お前は……」


 九十九ミトが言い掛けたところで再び百目(仮)は彼女に襲い掛かった。目にも留まらないとはまさにこの事だった。辺り一面に血飛沫が上がる。何か鋭利な武器でもって攻撃しているのは分かるのだが、何を使っているのかはまったく見えない。


「ミトさんっ!」


 どうしよう、このままじゃ彼女が―――。

 ドンッ

 ズシッという音と共に双方の動きが止まった。そして、片方が―――地面に這いつくばっていた。


「ぐ……あ……」


 押さえつけられた方の九十九ミトが喘ぐ。片やもう一方の九十九ミトは服を切り刻まれ、無数の切り傷を身体につけられながらも、見下ろすように仁王立ちしていた。あっちが―――本物の九十九ミトか?よくよく見ると仁王立ちしながら、足で何か光るものを踏みつけていた。


「なるほど、アラミドコートを毛髪に混ぜ武器として使用していたのか。伸縮自在の鋭利な糸―――やはり貴様、此花散か」


 まさか!?顔も違うし、何よりあの長かった髪が腰までになっていた。しかし、確かに良く見れば……。


「此花タングステン―――金属メーカーらしい暗器だな。貫木蝶子も医療器具メーカーだったこその、仕込み義手。……とことん反吐が出るな」


 彼女は一体何のことを言っているんだ?


「だ……まれ……っ、お前ごとき劣等種が……私を見下すんじゃないっ!」

「……悲しいな。そのような言葉でしか、己を確立出来ない、貴様が」

「黙れ……」


 唸るような、低く重い声。


「貴様こそ、百目顎に使われているだけの、劣等種ではないか」

「黙れえええええええええええええええええ!」


 グシャッ!


 ―――沈黙が降りた。

 九十九ミトが此花散と思しき人物の頭を足で踏み潰したのだ。


「恨むなら己の未熟さと―――殺す理由を百目に委ねた自分を、恨め」


 言いようの無い憎悪が未だに空間に漂っている―――そんな気がして非常に息苦しい。

 そんな重い空気の中、乾いた口を開き、僕はなんとか言葉を出そうともがいた。


「あ……あう、あ」


 九十九ミトは険しい表情で直立不動を貫いている。


「あ、あの!……彼女は、その本当に此花散なん……でしょう、か?」


 何とか言葉を紡ぎ出し、聞きたかったことを訊ねた。


「……」


 沈黙。


「で、でも顔も違ったし、その髪も短くてですね、あれは……」

「顔は変装、髪も切った。それだけだ」


 短く、だが強い口調で断定すると彼女はそれ以上話す気はない、といった態度で僕から顔を背けてしまった。その背中からは何者も寄せ付けようとしない、圧倒的な冷気が噴出しているかのようだった。

……怖い。これが暗殺者の彼女の本性なのだろうか。風呂場で見せたようなあの表情こそが嘘で、こちらが本当の彼女なのか、それとも―――。


「……部屋に、戻りますね」


 彼女は反応しない。ただ、立ち尽くしているだけだった。

 僕は九十九ミトを残し冷蔵庫の隠し扉から自室に戻った。このまま寝てしまおうか、いや……。僕は思い返し棚を少し漁ってみた。しばらくして目的の物を見つけ、僕は冷蔵庫へと向かった。

 九十九ミトは、まだ先ほどの位置に立っていた。入ってきた僕を一瞥し、またすぐに視線を逸らす。


「あの……さしでがましいようですが……これ、使って下さい」


 僕はベッドのサイドテーブルに備品として部屋にあった薬箱を置いた。


「軽い怪我でも雑菌が入ると腫れちゃいますし、それに、顔に傷が残るのはその……」

「……暗殺者の心配など、するな」


 ようやく彼女は重い口を開いた。


「これは私の戦いだ。一時的な共闘はありえても、仲間や友人ではないんだ。そんな感情は捨てるんだな」


 圧倒的な拒絶を感じ、怯みかける。でも……。


「だから、です。パートナーには最高のコンディションで臨んで貰いたいんです。今のミトさんは、普通の状態じゃない」


 彼女に思いっきり睨みつけられる。


「……ような気がします、はい。いや、やっぱり気のせいかも……」

「……傷は問題ない」

「いえ、そっちじゃなくて……」

「何だ?何がおかしい!?私のどこが異常だ?胸か?頭か?腕か?足か?言ってみろ!いいか、私は劣ってなどいない。いや、劣っていないはずだ!そのために私は……私は……」


 明らかにおかしい。僕は初めて彼女の動揺する姿を目の当たりにしていた。激しく狼狽し、怒り、感情を露にしている。恐らく此花散が言った台詞が、彼女の心に傷をつけたのだ。とても、深い傷を。

僕には彼女を到底理解出来ない。出来ようはずもない。でも、何か出来るはずだ。僕には「痛み」だけは、きっと理解出来るから。


「貴方は、素敵ですよ」

「世辞など言うな!お前に私の何が……」

「そうです。貴方の内面なんて理解出来ません。だから、思ったことだけを言います」

「何を馬鹿な……」


僕は心を落ち着けるためと、これから言う台詞を反芻するために、大きく深呼吸を一つする。そして―――。


「確かに僕は貴方の外見しか見ていない。それでも分かることがあります。貴方はとっても美しい。それはスタイルとか顔とかだけの話ではありません。どう美しいかというと『動き』が美しいんです。今まで出会ったどんな人間よりも流麗です。一言で言えば、無駄が無い。それだけの動きが出来るのは修練の賜物でしょう。誰よりも努力し、研鑽を積み、それでも驕らず、積み上げた。人の命を奪うためのものかもしれません、必要の無い技術かもしれません。それでも貴方は積み上げ、誰よりも努力した。だからこそ、手を血に染めても貴方はとても魅力的で美しく僕の目に映るんです。もう一度言います。貴方は誰よりも美しい」


 ここまでを一息で言い終えた。言い終えて、一息つく。僕は彼女の―――九十九ミトの反応を窺った。すると彼女は歯軋りをしながら、何かに耐えるように、僕を鬼のような形相で睨みつけ―――。


「ぷっ……ははははははははは!」


 大きく、笑い声を上げた。


「あーっははははははははは……いや、はは、すまん……ぷっ」


 何か物凄く変なことを言ったのだろうか。めっさ笑われてるんですけど。


「あ、あの美しいっていうのは外見的なものもそうですけど、その努力してる姿勢というか、えーと、今まで僕が出会った暗殺者の中でも間違いなくミトさんが一番です!」

「ほ、ほう、それで?」


 笑いをかみ殺すようにしながら彼女は僕に訊ねる。


「一番その、正々堂々としているところ、とか」

「はぁ?」

「今まで僕を暗殺に来た人はみんな武器や罠を仕掛けて僕を狙ってきましたけど、ミトさんだけは違います。己の肉体だけで挑んできたのは貴方が初めてです!貴方が一番、誠実な殺し屋だったと思います!」

「あーーーーーーーーはははははははははははははははははははははははははははは!」

もう耐え切れないとばかりに彼女は腹を抱えて爆笑しだした。

「せ、正々堂々……せ、誠実……こ、殺し屋は正義の味方か何かなのか?いや、それはおかしいって……だ、駄目だ。あんまり、その、変なことを言うな、ぐっ……」


 彼女は床に膝をついて笑い続けている。え、えーと僕は一世一代の覚悟で思いのたけを吐き出したのだけれど……。

 ひとしきり笑った後―――大体五分くらいだろうか―――彼女はようやく身を起こし、こちらに向き直って口を開いた。


「そうか……君にはそう見えたのか」


 彼女は未だにくすくすとしている。さすがにちょっと傷ついた。


「いや、すまん。正直な気持ちを伝えてくれようとしたことはよく分かった。感謝する」

「……なら、よかったですけど」

「いや、内容はどうあれ……嬉しかったぞ。なるほど、私の囚われていたものも、おかげで見えてきたしな」

「囚われていたもの?」

「私も結局は、百目顎の評価を気にしていただけの小物だということさ。しかし、君の言葉で気付かされた。私は私のやり方で、『九十九ミト』を証明する。それで、いいのだということに」


 彼女は憑き物が取れたかのような、さっぱりとした顔をしていた。先程までの近寄りがたいオーラはもう出ていない。


「それで、いいと思います」

「ここは片付けておく。君は早く寝たまえ」


 上機嫌(そうに見える)彼女を部屋に残し、僕は冷蔵庫へと取って返した。

 何はともあれ、伝えてよかった……と思ったのだが、僕は何か違和感を感じていた。そう、明らかに変な言い方を彼女はしていた。どうして『九十九ミト』を証明するのだろう?彼女は偽者のはずだ。いや―――しかし。

 とりあえず今は寝よう。休んで、明日また考えよう。今日は、本当に疲れた。

僕は部屋に帰るなりベッドに倒れこみ、すぐに意識を失った。



 さて、ここまでは大体計画通りだった。九十九ミトの裏切りを含め、予想の範囲を超えていない。若干貫木蝶子の暴走が早かったが十分修正の範囲だった。ただ一つの不安要素は先程解決した。案ずるより生むが易しとはこの事だろう。

 さて、問題は九十九ミトだ。彼女は此花散を殺したことでより強く、または脆く、危うく、色んな意味で成長しているはずである。

 最強の敵を配置した上で、さらにそれを成長させ、狩る。もう、待ちきれない。

しかし、逸ってはいけない。そう、僕の、いや僕だけの計画は順調だが、本来の目的をおろそかにしてはいけないからだ。気が進まないがそちらを片付けてしまうとしよう。



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