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最初のお見合い

 僕は夢を見た。結婚して――子供を作り幸せに過ごしている夢だ。僕の傍らには赤子を抱きかかえた妻が寄り添っている。その妻の顔を見ようとするが霞がかかったかのように思い出せない。逆に、子供の顔ははっきりと分かる。これは、僕だ。子供の頃の僕―――何も知らず、ただ世界は自分を肯定してくれると思っていた頃の僕、しかし実際は―――。

 そんなことを考え、下を向く僕の手を妻が優しく握ってくる。


「いいのよ―――それでも」


 僕を肯定する彼女の声が耳元に響く。


「貴方は―――それでも居ていいの」

「誰が否定しても―――私が貴方を肯定するから」


 その言葉を聞いた瞬間に、僕は目が覚めた。

 ―――欲求不満、なんだろうか?

 今から家庭を持つ夢を見るなんてどうかしている。それに、なんだあの歯がゆい台詞は。

一つ大きな溜息をつき、僕は着替えて部屋を出る。さあ、とりあえずは今日だ。一つ一つ出来ることをするしかない。あわただしく朝食を終え、Mの案内により僕と綺堂さんは他区画へ移動する大扉の前に立った。


「ではお二人はこれから自由時間となります。まずはこのタッチパネルをお持ち下さい」


 そう言ってMは右手に収まるほどの液晶パッドを手渡してきた。


「分からないことがありましたらそれをお使い下さい。代わりに案内をしますので」


 画面を押してみると、フォン、という音と共にディスプレイに地図が現れた。ナビ代わり、というわけか。扉が開き僕らはMの後について中央の大きな通りを進む。結局昨日はこちら側を見ることはなかったが、廊下側もホールとほぼ同じ壁の色と床で構成されていた。中央通りから木の根のように道が枝分かれしており、そちらにいけば各施設で楽しめるのだろう。しかし僕らはそちらには目もくれずただひたすら前に向かう。ふと、隣にいる綺堂さんを見やると彼女と目が合った。


「……緊張しますね。私、年上だっていうのに、もう」


 そう言って顔を赤らめ下を向く。その仕草がとても可愛らしく感じる。僕も気恥ずかしくなりお互い黙ったまま進みエレベーター扉の前に着いた。


「私の案内はここまでです。本日のデートコースはこの先B2Fの地下庭園『乙姫の園』になります。ではごゆっくりお楽しみ下さい」


 Mがそういうとエレベーターの扉が開いた。僕らが乗り込むと扉が閉まりゆっくりとエレベーターは下がっていった。

 ついに二人きりになってしまった。彼女と何を話そう?何も思い浮かばない。そもそも二人きりで女性と話すのなんて母以外では久しぶりなのだ。思い返せばこんな機会は九十九ミト以来なのではないだろうか。


「すいません口下手で、その、あまり喋ることがなくて」


 つい正直に言ってしまった。くすっという笑い声が隣から聞こえてくる。


「いえ、それは私もですから。ちょっと、安心しました。似たもの同士みたいで」


 どうやらとっかかりの会話には成功したようだ。ほっと胸を撫で下ろす。


「あの、今日はよろしくお願い致します」

「こちらこそ。あの、弟切―――さんは」

「恭介―――君、とかでいいです」

「―――恭介さん、よろしくお願いします。私のことも命でいいですよ?」


 彼女は首をかしげ微笑む。


「あの何か私の顔に?」


 いけないいけない、ちょっと魅入ってしまった。彼女の発する雰囲気はやはり暗殺者のそれとは思えない。今日は予定通り、会話を楽しむことにしようじゃないか。

 そんなことを考えているとエレベータはすぐ止まった。そして、扉が開くとそこは―――。


 「わあ!素敵!」


 これは―――すごい。


 体育館ほどの空間―――そこを見渡す限りの花が埋め尽くし僕らを出迎えた。赤、青、黄、紫、桃、橙、中央にある道の横に所狭しと咲き乱れている色とりどりの花達。閉鎖空間にこれほどの庭園を作り上げるとは、やはり母は侮れない。奥はまだあるようで花の道が続いていた。


「すごい―――ですね」


 綺堂さんはキラキラと目を輝かせて僕に向き直る。


「ええ……本当に」


 月並みの台詞しか言えない。


「先に行ってみましょうか。他にも色々あるみたいですし」


 手元の液晶パッドには他にも庭園の区画があることが映し出されていた。

 彼女は満面の笑みで頷いた。


「はい―――喜んで」


そうして彼女は花を愛でながらスキップを踏むかのような軽い足取りで僕の横を歩く。


「私、好きなんです」


一瞬息が止まる。


「この―――花の香りが」


ま、まあそんなところだろう。


「私、自然が好きで子供の頃はよく図鑑を片手に野山を巡ったんです。大きくなったら花屋になりたい、なんて思ってたんですけど……」


一瞬だけ彼女の顔が曇るのを僕は見逃さなかった。


「やれば―――いいじゃないですか」

「え?でも―――」

「家のことなんて関係ないです。やりたいことをやればいいんですよ。命は―――いや時間は、有限なんですから」


 心にもない言葉を口にした。僕はその命も時間も大して重要だとは思っていなかったのにだ。命や時間など大したことじゃない。でも、彼女にとってそれをする意思があるなら、やるべきだと思ったからそう言ったまでで……。


「……あ、ありが……とう」


 彼女はそう言うと口を押さえ嗚咽を堪えるように俯いてしまった。


「ご、ごめんなさい。何か変なことを……その」


 頭を振って、彼女は目元を拭いこちらを向いた。


「いえ……とても立派なことを言っていると思います。そうですよね、私も出来ることを、出来るうちにやろうと思います」

「は、はぁ……そんな風に言われるとなんか気恥ずかしいですけど……」


 実際あまり人に褒められるような人物ではないと思う。単に投げやりなだけですって。


「私がお姉さんのはずなのに、情けないです。ご立派なご子息を持って母上様はお幸せですね」


 そう言って彼女はにかむ。これが単なるお見合いだったとしたらこの笑顔で有頂天にでもなっていただろうか?……まあそれはないな。

 それから僕らはこのエリアの隅々まで回り、楽しく時間を過ごした。会話も弾み後は戻るだけとなった。


「あーもうすっごく楽しかったー!」


 キラキラ顔を輝かせながら彼女は話しかけてくる。最初の緊張はどこへやら、はつらつとして顔の翳りも見られない。先刻までと同じ人物だとは思えない変わりようだ。やはり見た目じゃ分からないな、人は。


「よかったですね」

「あ!すいません私ばかりがはしゃいじゃって……」

「いえ、良いんですよ。僕も楽しかったです」


 彼女には暗殺者の不安を忘れて楽しいひと時を過ごせたことを本当に感謝したい。その時持っていた液晶パッドから音が鳴り響いた。


「お時間になりました。エレベーターまでお越し下さい。繰り返します、お時間になりました……」

「終わり……ですね」

「ええ、そうみたい、ですね」


 なんとなく名残惜しい雰囲気がお互いに流れる(気がした)。あれ?これまさか脈がある?いや……まさか……僕に女性が気があるとか迷信か空想か小説の中だけの出来事だろう。

 ほどなくして二人してエレベーターに乗り込んだ。さあ、あとは帰ってゆっくりと……。


「!?」


信じられないことが起き、一瞬我が目を疑った。彼女の身体が僕にそっと寄り添って来たのだ。


「あの……」

「は、はい」


 な、何だろう?体調でも崩したのだろうか、それで僕に寄りかかって……。


「もう少しお話しませんか?」

「え?」


 僕と話がしたい?ということはつまり……。


「この後、私の部屋にいらっしゃいませんか?」


 なん……ですと?

 彼女は顔を真っ赤にして俯く。


「あ、あの迷惑じゃなかったらですけど……そのもう少しお話したいなって思って……。確かお見合いの時は双方が合意すれば、その、夕食まではお部屋でご一緒しても構わないって……」


 いや、それは確かにそうですが、いいんでしょうか僕で。


「……変に思ってますか?」

「ええ、まあ、はい」


 思わず本音が出る。


「私……その今までこんな風に色々楽しめたことなかったんです。いつも、その指示されたことをこなすだけのつまらない人間で……。だから今日も指示されたことをこなそうと来ただけで。でも!」


彼女は僕の腕を強く掴む。若干爪が食い込んで痛い。すごく……情熱的です。


「そうじゃなくてもいいって言われたのは初めてなんです。だから、その初めて自分の意思で何かしてみようって!それで……」


彼女が―――綺堂命さんが潤んだ瞳で僕を上目遣いで見つめてきた。


「は、はいじゃあイキマショウカ……」


いけない。自身の処理能力では処理しきれなくなってきた。何か心臓がバクバクして頭がクラクラする。と、とりあえず早いところ彼女の部屋に移動しよう。


気が付くと僕はもう彼女の部屋に着いていた。熱に浮かされたような状態であるのか途中どうやって来たのかいまいち覚えていない。彼女は洗面所に行っているため、僕は一人椅子に腰掛けながら彼女を待っていた。手持ち無沙汰で周りを見渡す。部屋の配置はほぼ僕の部屋と一緒で、特に変わったところはない。

―――はぁ、しかし彼女から誘われるとは……まさか本当に僕のことを気に入ったのだろうか?だとしたら、本当に結婚を―――いや、待てそもそも僕は彼女のことがそこまで好きなのか?胸に手を当てるとドキドキと激しく脈打っている。これが―――恋?

後ろから洗面所のドアが開く音がした。

彼女が―――来る。

近づいてくる。

僕の心臓の音も激しさを増す。そして彼女は僕の後ろに立ち……。


「恭介―――さん」

そう呼びかけられた瞬間――――世界が暗転した。


身体の―――自由が利かない。目が覚めると、僕は椅子の肘掛にもたれ掛かり座らされていた。僕の体はまるで石になったかのように動かない。何で?どうして?……ここは?


「やあ弟切恭介君」


僕の頭の上の方から声がする。誰だ?誰が僕に話しかけているんだ?


「君を殺す為に、毒を用意した」


 ―――!こ、こいつが……暗殺者!?叫ぼうとするが僕の口はパクパクと動くだけで何も喋れない。


「ああ、無駄だよ?弛緩剤を打ったからね。後はこの致死量の砒素を君に打ち込んで、終わりさ」


 そして僕の後ろに立つ暗殺者は液体の入った注射を目の前にちらつかせた。どうしてこんなことに?―――そうだ、綺堂さんは、綺堂命さんは一体どこに……。


 「この毒の量をこれから君が摂取すれば、吐き気、嘔吐、下痢、激しい腹痛を起こしショック死する可能性が大だ。つまり、とても苦しい。頑張って生きて、そして死んでくれ。僕を楽しませるために」


 ―――サディストめ。くそ、お前みたいな殺人狂が僕は一番嫌いなんだ。しかし、抵抗しようにも僕の体はまったく動かない。為すがまま、注射の針が自分に差し込まれるのを見守るしかない。糞―――やめろ、やめてくれ。

 しかし、無情にもその願いは受け入れられることなく、僕の体に針は深々と打たれたのだった。僕は―――再び意識を失った。


 熱い―――体が熱い―――目が覚める。喉が、焼けるように乾いている。

―――生き返った……のだろうか?

 周りを見渡そうとするが、まだクラクラと焦点が定まらない。その時、後ろで何かが倒れる音がした。何だ?振り返ろうとする。しかし、その瞬間僕の目の前は真っ赤に染まった。


――――ここは、どこだ?


 暗い。

 どこまでも暗い闇の中、僕は目を覚ます。

 どこ―――なんだ?本当にここは……。僕はさっきまでどこにいた?

 そうだ、確か綺堂さんの部屋に来て―――それで……。

 僕はゆっくりと体を起こす。そこで手に、ぬるっと濡れるものが触れた。


「!?」


 何だ……今の?瞬間悪寒が背筋を走る。そう、気が付けばむせ返るような臭いも鼻をつく。そう、僕がよく嗅いだこの臭い―――間違いなくこれは……血の臭いだ。

 落ち着け―――落ち着くんだ。僕は息を整え、震える膝を押さえ込むようにして立ち上がる。どこかに、電灯のスイッチがあるはずだ。手探りで壁を弄る、そして僕は目的のものを見つけ、それを押した。

 

 世界は紅く染まっていた。


 目の前には血の海に沈む首の無い―――死体が一つ。しかし、それが誰かは、その良く見た服装で分かりすぎるほど分かっていた。先程まで僕と楽しそうに話していた女性―――綺堂命さんの変わり果てた姿がそこにあった。


(―――どうして?)


思わず目線を落とし、僕は嗚咽した。彼女の楽しそうな顔がぐるぐると僕の頭の中を回る。あんなに―――楽しそうにしていたのに。


(―――どうして?)


 瞼の裏に浮かぶ彼女の表情はそう僕に訴えかけてくる。


「くっそおおおおおおおお!」


 僕の命ならいくらでもくれてやるのに……。自分の痛みだけならいくらでも耐えられるのに……。何で僕だけを殺さない?何で彼女を殺す必要があったんだ?ふざけるなふざけるなふざけるな……。

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