04 ダイナは死んだ
〝ジャバ〟との戦闘を終えた人型兵器は、グリフォン基地郊外に着陸すると、そこからその機体専用の格納庫まで歩いて帰ってくる。
そう。歩いてくるのだ。
さすがにハッチは管制室が開けるが、行きは超高速で通過したカタパルトを歩いて戻り、最終的に出撃前と同じようにハッチに正面を向けた体勢で停止する。
初めてこれを見たときテイラーはある種の衝撃を受けたが、ナイトリーの人型兵器は地上でも人間のように動けるのだから、二本の足で歩かせてしまったほうが合理的かつ経済的である。しかし、頭ではそうとわかっていても、決して広くはないカタパルトの中央をモデル歩きで戻ってくる〈大鴉〉を見ていると、やはり複雑な思いに駆られてしまう。
その〈大鴉〉のパイロットであるカガミは、この帰還方法については特に文句は言っていない。たぶん、これも仕事の一部だと割り切っているのだろう。
だが、いつものように〈大鴉〉を定位置に戻して搭乗口から降りてきたカガミの顔は、タラップで待っていたテイラーが思わず声をかけるのをためらってしまったほど殺気立っていた。
ダイナと搭乗するようになってからカガミがこんな表情を見せたことはない。そのダイナはというと、これもまたありえないことに、体全体をショッキングピンクのミニ毛布にくるまれてカガミの小脇に抱えられていた。
もしかしてついに故障させてしまったのかとも思ったが、それなら両腕でしっかり抱えこんで狼狽しまくっているはずだ。いや、それならここに戻る前にダイナを診てくれとタケダに泣きついていただろう。
今のカガミのダイナに対する扱い方を見ていると、まるでクリーニングに出す毛布を持ち歩いているかのようである。明らかに異常だった。異常すぎた。
カガミは一瞬テイラーを見た。が、何も言わずにその前を通り過ぎ、競歩のような速さで管制室に向かって歩いていった。
「大尉! 何かあったんですか!」
ほとんど小走り状態で追いかけながら叫ぶ。この〝何か〟の中にⅠ型駆逐はもちろん含まれていない。
しかし、カガミはテイラーの問いを無視して歩きつづけ、管制室に入った瞬間、タケダに向かってこう言い放った。
「待機室にいる。でも、明日の朝まで誰も来させるな。電話もなしだ」
「え……」
いつものように労いの言葉をかけようとしていたタケダは目を丸くしたが、カガミはそれも無視して管制室から出ていってしまった。
「ダンナ、何かあったのかい?」
自分も待機室に行くべきか行かざるべきかと迷っていたテイラーに、タケダは奇しくもさっき彼がカガミに言ったのと同じことを口にした。
「たぶん。でも、何も話してくれないので俺にもわかりません。ただ、あの様子だと……」
ダイナ関係で何かあったのではないかと言いかけたとき、いったん閉まった自動扉がまた開いた。
「テイラー! おまえは来い! 俺の副官だろ!」
一方的にそう叫んで、カガミは再び自動扉の向こうに消えた。
やれやれ。こういうときだけ副官か。
心の中でぼやいてから、苦笑いしてタケダを振り返る。
「というわけで、直属の上官がああ申しておりますので失礼させていただきます」
「ああ、いいよいいよ。ここはいいから早く行ってあげなよ」
タケダがにやにやしながら右の人差指で自動扉を指す。
「ダンナのお守りはあんたにしかできない大事なお仕事だ」
「お守り……」
反論したい気持ちもあるが、ここで自分がしてきた仕事の九割以上はそれだろう。おそらく、他の三人の副官たちもテイラーと似たり寄ったりに違いない。
ナイトリーはパイロットたちに一人だけ副官をつけることを許したが、その条件の中にはパイロットと面識がないこと、家事スキルが高いことも含まれていた。
ナイトリーの真の意図は不明だが、少なくとも後者の条件によって血統自慢の連中はほぼ対象外となった。テイラーは主に経済的理由から軍人となった由緒正しき平民である。
「とにかくまあ、行ってきます」
と、テイラーは肩をすくめて管制室を出たが、実は待機室は自動扉を出て数歩歩いた右手側にある。ちなみに、その右隣はカガミの私室、そのさらに右隣はテイラーのそれだ。もちろん防音もセキュリティもしっかり施されているが、はっきり言ってプライベートはないに等しい。
「大尉、入りますよ」
一応インターフォンで断ってから、テイラーは認証装置に右手を置いて待機室の自動扉を開けた。
原則、パイロットは二十四時間待機状態のため、待機室は待機室と呼ぶのが申し訳なく思えるほど快適に作られている。コンドミニアムとまでは言えないが、待機室内だけで普通に暮らしていけるだろう。
だが、この待機室は他のパイロットたちのそれとはかなり異質なはずだ。その原因となったのは間違いなくカガミだが、一応副官として弁護するならば、彼が欲していたのはあくまで猫であり、コタツのほうはその猫と一緒に過ごすのにあったらいいな程度の要望だった。
しかし、ナイトリーはコタツと言われただけでそれが何か理解したばかりか(テイラーにはわからなかった)、ただのコタツではなく家具調コタツ(とテイラーはカガミに説明されて知った)を自ら製作、おまけにそれを置くためだけに待機室の中に〝和室〟なる小部屋を部下たちに命じて作らせてしまった。
俺はそこまで頼んでねえとカガミはぼやいていたが、この基地の最高責任者に逆らえる者は誰もいない。工事をしていた約三日間、カガミの私室――待機室より広いがそれだけに殺風景である――が臨時の待機室となった。
和室は待機室の隅に作られたため、壁と接していない二方には木枠と白い紙とで作られた〝障子〟なる扉兼壁がある。その床には〝畳〟なる長方形のマットがパズルのようにはめこまれていた。
それまでテイラーはそんな部屋を見たことがなかったが、その中央に置かれたコタツもこのとき初めて目にした。
日本の伝統的暖房器具であると同時に家具でもあるというコタツは、一言で言うなら巨大な木製のローテーブルだった。ただし、分厚い天板は取り外せるようになっていて、コタツ本体の中央部分にはスイッチを入れると温風を吹き出す薄型の機械が取りつけられている。足を温める暖房器具として使用する際には、天板と本体との間にコタツ布団と呼ばれる特別製の布団を挟みこみ、コタツの下には厚手のカーペットを敷く。
ナイトリーはこのコタツ布団やカーペットだけでなく〝座椅子〟なるものまでオプションとしてつけた。乱暴に言うなら、車の座席から取り外してきたシートだ。コタツに入るときはこれに座ると寄りかかることができて楽らしい。
何でこんなことまで知っているんだとカガミは呆然としていたが、さらにオプションとして籠に入った小ぶりなオレンジを渡されたときには、天才はやっぱりこええとわりと本気で怯えていた。暖房器具としてのコタツの天板の上には、それを置くのが様式美となっているそうだ。
いずれにせよ、そこまでされてもカガミのナイトリーに対する好感度は上がらず、逆にダダ下がりした。対カガミに関するかぎり、ナイトリーは空回りの天才だった。
だが、ダイナと同様、カガミはコタツも和室もそのオプションも気に入ってはいた。つくづく恩知らずとしか言いようがないが、彼の中ではそれとこれとは話は別らしい。
ナイトリーによってテラフォーミングされたというこの惑星グリフォンは、カガミいわく万年晩秋のため、待機中の彼はもっぱらコタツにあたりながらダイナといちゃいちゃ……いや、だらだらしていた。
今もカガミは障子が全開になっている和室の中にいたが、その体勢はいつもとはまるで異なっていた。かける言葉を失い、その場に立ちつくす。
カガミはちょうどテイラーに背中を向ける形でいわゆる正座をしていた。そのこと自体滅多にないが、見ている方向は自分の座椅子が置いてあるコタツの右端――身長の都合上、彼は長方形のコタツの短辺のほうに座っていた――である。あのショッキングピンクの毛布が使用済みの包装紙のように和室の隅に置かれているのを見れば、その座椅子の上に今何がいるのかは自ずと想像がつく。
本当にいったい何があったのか。改めてそう思ったとき、カガミが座椅子に向かって重々しく言った。
「怒らないから正直に答えなさい。……あなたは誰ですか?」
――やばい! 大尉が丁寧語で話してる!
あわててテイラーは和室に向かって走った。
床より一段高く作られている和室には靴を脱がないと入れない。相当あせっていたのか、いつもならすぐに履ける状態にして置かれているカガミのパイロット用の黒いブーツは、和室とはかなり離れた場所に転がっていた。脱いだと同時に放り投げたのだろう。
できればテイラーもそうしたかったが、すぐには入りたくない気持ちもあり、和室の端に腰を下ろして靴を脱いだ。
『ええと』
困惑しきったようなその声を聞いたとき、テイラーは心臓が止まりそうになった。いや、たぶん本当に一瞬止まった。
初めて聞く声ではない。しかし、今ではここどころか、どこでも聞けるはずのない若い男の声だった。
『君はいつもダイナに対してそんな口調で話しているのかい?』
ついにテイラーも上官を見ならって靴を放り出した。四つん這いで和室の中へと進入する。
予想どおり、座椅子の上にはダイナがいた。前足を腹の前でそろえて座っていて、じっとカガミを見つめている。その様子を見るかぎり、まったく普段どおりのダイナだった。が。
「そんなわけないでしょう」
真顔でカガミはダイナに言った。こちらは異常確定である。
「ダイナじゃないから誰ですかって訊いているんじゃないですか。ちゃんと質問に答えなさい」
ダイナは小さな口を動かしたが、そこから出たのは可愛らしい鳴き声ではなかった。
『答えなさいって……君、大丈夫?』
「えーと。横からすみません」
迷ったが、このままではまずいと思ったテイラーはおそるおそる割って入った。ダイナとカガミが無言でテイラーに顔を向ける。
「本人を前にして言うのも何ですが、カガミ大尉はパニックに陥ると妙に礼儀正しくなるんです。たぶん今はマックスです。会話はまともにできないかと」
何となく自分もカガミのように正座して丁寧語で説明すると、ダイナの姿をした何かは金色の瞳を丸くした。
『え? そうなのかい? 今、パニック状態なのかい? とてもそうは見えないけど』
「はい。とてもそうは見えませんがパニック状態です。べらんめえで怒鳴っているときのほうがまだ冷静です」
『へー、面白いねー。いやー、ここに来ていきなり別人みたいに話し出したからびっくりしたよ』
「お言葉を返すようですが、たぶん今、それ以上に俺たちのほうが驚いています。俺たちの知っているダイナは『にゃあ』としか言いませんでしたから」
『ああ、そうか。それは確かに驚くね。私もきっと驚くよ』
「でも、そのことよりも、あなたのその声のほうにもっと驚いています」
『声? どこかおかしいかな? 発声装置は正常に作動しているようだが』
「いえ、声自体はおかしくありません。ただ、その声が今日亡くなったと聞かされたばかりの人の声にあまりにもよく似ているので」
ついでに言うなら、話し方もよく似ていた。おっとりとした、少々年寄りくさい言い回し。彼ならきっとこんなふうに話す。いや、話したはずだ。
一方、カガミはテイラーから目を離し、人語を話すようになってしまった猫型ロボットを無表情に凝視していた。
彼が今何を考えているのかはテイラーにもわからない。
だが、手袋をつけていないその大きな両手は、ずっと自分の両膝を強く握りしめていた。
「俺もあなたに訊きたいです」
それを横目で見ながらテイラーは言った。
「あなたはいったい誰ですか? まさか……本当にエドウィン・ナイトリー博士ではないですよね?」
ダイナだったはずのものは黙祷でもするかのように目を閉じた。が、すぐに目を開き、再びテイラーに視線を戻す。
『確かに君の言うとおり、私はエドウィン・ナイトリーではない。しかし、彼とまったく無関係というわけでもない。端的に言うなら、私は彼の疑似人格だ』
機械仕掛けの黒猫の回答は本当に端的だった。むしろ、端的すぎて理解するのに時間がかかった。
「疑似人格って……なぜそんなものがダイナの中に……?」
完全にフリーズしてしまったカガミの代わりに、おそらく彼も知りたいだろうことを黒猫に訊ねる。
黒猫は少し困ったような顔をした。心なしか、ダイナと呼ばれていた頃よりも表情が豊かになった気がする。
『その説明をしだすと本当に長くなるんだが……その前に、私の名前を決めてもらえないだろうか?』
「え? 名前ですか?」
『そう。今の私は体はダイナだが中身はもちろんダイナではないし、かと言ってその中身もエドウィン・ナイトリーとは言いがたい。これから私の存在を説明するのに疑似人格ではあまりにも味気ないから、何か適当な名前をつけてもらいたいんだが』
「その理屈っぽいところはまさしくナイトリー博士だと思いますが。うーん……名前ですか。急にそんなことを言われても……」
「ダイナはどこに行ったんだ?」
テイラーも黒猫も弾かれたようにカガミに目を向けた。だが、彼は相変わらず感情のつかめない顔で、〈大鴉〉に搭乗する前はあれほど可愛がっていた愛猫を見下ろしている。
『よかった。正気に戻ったんだね。……申し訳ないが、君が知っているダイナの人格――いや、猫格は消えてしまった。上書きされたようなものだから、復元はまず不可能だ』
「それってつまり、ダイナは死んだってことか?」
『そうだね。より正確に言うなら、ダイナは私に殺された』
そのとたん、カガミが立ち上がった。まさかこの黒猫を蹴り飛ばすのではないかとテイラーはとっさに手でかばったが、カガミは自分の足元から例の毛布を拾い上げると、それを持って和室の反対側の隅に移動した。そこでこちらを向いてあぐらをかき、持参した毛布を頭から引っ被る。
「テイラー。あとはおまえ一人で聞け。俺にはもう無理だ」
毛布の下からそう叫んだ、それきりカガミは再び沈黙した。
『本当にダイナは愛されていたんだね』
そんなカガミをしばらく眺めてから、いかにも羨ましげに黒猫は言った。
『カガミにはもちろん、ジョン・テイラー少尉、君にも』
「え、俺の名前も知ってるんですか?」
意外に思って問い返すと、得意そうに目を細める。
『もちろん知っているよ。大切なパイロットの副官だからね。ところで、私をどう呼ぶかは君が決めてくれないかな。あの様子だとカガミと相談はできなそうだよ』
「そうですね……」
カガミは毛布を被ったまま微動だにしていない。ここから見ていると、戯れに子供に毛布を被せられた蝋人形のようである。何も知らない者があれを見たらさぞかし驚くことだろう。
「では、〝チェシャ〟はどうでしょう?」
カガミを見ていて、ふとその名前を思い出した。あの〈大鴉〉につけろと彼が何度もしつこく言っていた名前。
『君もアリスが好きなのかい?』
「いえ、俺はそうでもないですが。でも、この基地にいる唯一の猫なら、本来はダイナではなくチェシャ猫でしょう」
『なるほど。一理ある』
テイラーの後づけは自称ナイトリーの疑似人格のお気に召したようだ。それこそ本当にチェシャ猫のようににやにやする。猫が笑うのをテイラーはこのとき初めて見たが、正直言って不気味だった。
『それでは、これから私のことは〝チェシャ〟と呼んでくれ。さて、まずはなぜ私がダイナの中にいるかという君の疑問から答えようか』
これでやっと本題に入れる。テイラーは内心嘆息したが、ほどなく今度は生前のナイトリーが自虐的に言っていたことを思い出した。
――よく言われるんだ。私は説得はうまいが説明は下手だって。
* * *
「つまり、こういうことですか?」
そもそも正座する必要はまったくなかったのだが、これ以上続けられないとコタツに入る許可を得たテイラーは、ダイナ改めチェシャの説明を右手を上げて強引に遮った。
「ナイトリー博士は人格のダウンロードに興味があって、試験的に自分の記憶をダイナにこっそり移植していたと。その移植は週に一回、ダイナのメンテナンスをするときに行っていたと。そういう認識でよろしいでしょうか?」
『君、要約するのがうまいね』
感心したようにそう答えたチェシャは、やはり人間の疑似人格だからか長時間猫のように座りつづけるのはつらいらしく、今は座椅子に寄りかかって大股を広げている。
ダイナという女名前はつけられていたが、性器はないので実はメスでもオスでもない。しかし、その腹にはしっかり乳首が作られていた。ナイトリー的にそこは省略できなかったようだ。天才のこだわりポイントは凡人のテイラーには理解不能である。
『そう、ナイトリーは毎週金曜日のお茶会のときに君たちからダイナを預かり、メンテナンスついでにダウンロードをして、翌日土曜日のお茶会のときにまた君たちに返していた。ゆえに、今の私の中にあるナイトリーの記憶は先週の土曜午後二時くらいまでの分しかない。それから今日まで四日間、彼が何を考え何をしたのかは私にもわからないんだ』
「ナイトリー博士に持病や障害のようなものはなかったんですか?」
『欠点は数々あれど、突然死の原因になりそうなものはなかったように思うがね。でも、人間でもそれ以外でも、いつ何が原因で死ぬかはわからないよ』
「確かに、それはそうですね」
『だから、ナイトリーが自分の人格をダイナにダウンロードしていたのは、実験と同時に保険でもあったんだ。この基地の存続のためには、ナイトリーの存在は必要不可欠だろう?』
「そうですが……でも、それだけじゃ……」
『テイラー少尉、君は優しいね。でも、私に嘘はつかなくていいんだよ。私はナイトリーであってナイトリーではないから。そもそも、人格の完全ダウンロードは不可能だと最初からわかっていたんだ。ナイトリーが知りたかったのは、何をどの程度までダウンロードすれば、身近な人間でもナイトリーだと誤認させられる疑似人格を作れるかだった。……テイラー少尉。君には私がエドウィン・ナイトリーのように思えるかい?』
「はい。まったくご本人以外の何者でもないように思えます」
『そうか。なら、基地外の人間なら問題なく騙せるかな』
「声だけでしたらたぶん。しかし、なぜよりにもよってダイナにダウンロードを? それに、いつからダイナはダイナでなくなっていたんですか? 少なくとも〈大鴉〉に搭乗する前まではいつものダイナのように見えましたが」
――やっと自分がいちばん訊きたかったことが訊けた。
ここまでの道のりを振り返り、テイラーは深い溜め息を吐き出しそうになったが、すんでのところでそれをこらえた。
それまでチェシャはほとんど間をおかずに回答していた。が、このときはしばらく黙りこんでいた。チェシャにとっては答えにくい質問だったらしい。
『理由はいくつかあるが、ここがいちばん安全だったからかな』
テイラーがさりげなく自分の腕時計を見て今日の夕飯はどうするかを考えはじめたとき、チェシャが天板の側面を見つめながら独り言のように言った。
『まさか、猫型ロボットの中にナイトリーの疑似人格が隠されているなんて、誰も夢にも思わないだろう?』
「ええ、本当に。夢見たこともありませんでした」
『あとはいつから切り替わったか、か。……実はね。ダイナがあるキーワードを聞いたら私が主体になるようにプログラミングしてあったんだ』
「キーワード?」
『正確にはキーワードというより情報かな。……〝エドウィン・ナイトリーが死んだ〟』
「じゃあ……」
だらしなく座椅子に座っている黒猫にテイラーは驚愕の目を向ける。
「まさか、あのお茶会のときにはもう?」
『いや、すぐには切り替えられなかった。書き替えや再構築に思いのほか時間がかかってね。作業が完了したのはカガミが〝ジャバウォック〟を切った直後くらいかな』
「なら、それまではダイナだったのか?」
まったく想定外の割りこみだった。思わず肩を震わせて和室の隅を見やる。
そこで座像と化していたはずのカガミは、いつのまにか毛布を取ってこちらに真剣な眼差しを向けていた。離脱宣言しつつもチェシャとの会話はしっかり聞いていたようだ。それはテイラーもわかってはいたが、まさかここでそんな確認をしてくるとは思わなかった。
テイラーと同様、チェシャもカガミの復帰に驚いたようだったが、座椅子から跳ね起きはしなかった。カガミの突き刺すような視線から目をそらすことも。
『ダイナにとってどうだったかは私にはわからないけれど、私は自分がダイナになった夢を見ているような気がしたよ。で、夢から覚めたら本当にダイナになっていた』
「本当に、ダイナはもうどこにもいないのか?」
すがるような声だった。チェシャは少し考えてから『そうだね』と言った。
『もしかしたら私の中に記憶は残っているかもしれないね。〈大鴉〉の中で君に名前を呼ばれたら必ず答えてあげなきゃいけないって私は知っているからね』




