03 天才は早死にする
ナイトリーの人型兵器のコクピットは、戦闘機のそれに歯医者の患者用シートを無理やり詰めこんだようである。
たいていのことには動じないカガミもこれにはさすがに面食らったが、パイロットはこのシートに横たわるようにして座り、黒いアイシェードつきのヘッドギアを装着して操縦するのだと説明されて、ようするに没入型バーチャルリアリティゲームをするようなものかと自己解釈した。
慣れればこれほど楽な操縦システムはない。考えただけで人型兵器を自分の体のように動かせるのだから。が、それは裏を返せば、明確な意志を持たないと指一本動かせないということになる。おまけに、ヘッドギア装着後は首から下の感覚はすべて人型兵器に持っていかれるため、まるで無重力空間に頭だけぽっかり浮いているような気分になる。
アイシェードはモニタも兼ねているので、人型兵器を動かしている間はこのコクピットの中も見ることができない。だから、カガミは管制室には自分の声が聞こえないよう通信設定を変更してから――これもそうしたいと思っただけでできる――自分のすぐそばのボックスの中にいるはずのダイナの名前を呼ぶ。普段はあまり鳴かないダイナは、このコクピットの中にいるときだけは律儀に返事をしてくれる。その声を聞くたびに、カガミは今自分がいるのは夢の中ではないと再確認することができるのだ。
「ダイナ、これからおまえのメンテ、どうしようなあ」
ダイナは少し間をおいてから、小さくにゃあと鳴いた。
実は、ナイトリーが死んだと聞かされた後の最大の懸念材料はこれだった。
テイラーに知られたら薄情すぎると誹られそうだが、カガミにとってナイトリーとはまったく別世界の人間で、それなのに必要以上に関わってこようとする厄介な存在だった。
周囲にはよくナイトリーにあんな態度がとれるものだと呆れられていたが、別に彼に気に入られたいとはこれっぽっちも思っていなかったからだ。確かにダイナは可愛いが、たとえパイロット職を解かれてグリフォンを離れることになったとしても仕方がないとあきらめられる。ナイトリーから買い取ることも考えないではなかったが、そのためにはダイナのメンテナンスができる人間の確保が必須条件だろう。はたして帝国内にそんな技術者がいるだろうか。
「まあ、タケダのおやっさんあたりならできなくもなさそうだけどなあ。でも、その前にグリフォンが今までどおりやっていけるかだよな」
ダイナの名前を出さなかったせいか、今度はダイナは鳴かなかった。
カガミの個人的な感情は抜きにして、やはりナイトリーは希有なカリスマ性を備えた天才だった。彼だったからこれまで帝国を含む四陣営の干渉をはねつけることができていたのだ。そのナイトリーが死んだと内外に知られれば、各陣営は目の色を変えてグリフォンに介入してこようとするだろう。もしかしたら、今度はグリフォンを巡って紛争が起きるかもしれない。
「まったく、死ぬならあいつらこっちに来られないようにしてから死ねよな……」
しかし、それならそれで、また元の混沌状態に戻るだけなのか。
我知らず溜め息をついたとき、視界の隅にⅠ型との接触予測時刻が表示された。戦闘前と戦闘中はなるべく人の声は聞きたくないので、必要な情報はほとんど文字と映像から得ている。Ⅰ型は今、第四防衛ラインの〝白血球〟と遊んでいた。
「向こうじゃ誰も一緒に遊んでくれないのかね……」
なるほど自分に似ているかもしれないと思いながら、カガミは〈大鴉〉を航行形態から人型形態に変化させた。
この形態変化もそうしたいと考えただけで簡単にできる。万が一に備えて手動操縦もできるようにされてはいるが、今のところカガミは訓練時以外にしたことはない。
Ⅰ型とはまだ〇・一光秒離れていた。だが、あちらは明らかにこちらを見て一瞬動きを止めた。俗に〝黒い悪魔〟と呼ばれているⅠ型の顔に相当する部分には、赤い両眼と大きな口がある。その口の両端が目元近くまで吊り上がった。と、Ⅰ型は〝白血球〟を弾き飛ばすようにしてこちらに向かって飛んできた。
Ⅰ型の背中には悪魔と称される理由の一つである蝙蝠のような翼が生えているが、あれで宇宙空間を飛んでいるわけではないことは経験上もうわかっている。〈大鴉〉の翼同様、シールド兼エネルギー変換器なのかもしれない。
これで尻に先の尖った尾があったら完璧に悪魔だったのだが、一部の人間たちにとっては残念なことにそれはなく、かわりにその両腕の先が刀剣状になっていた。
しかも、その形状は自由に変えられる。Ⅰ型はそれを対〝白血球〟用から対〈大鴉〉用に大きく変化させながら、一直線にこちらをめざしていた。
「〝別人〟のはずなのに、なぜかみんな同じ反応するよな」
それとも、あれがⅠ型の性なのだろうか。いつものようにそう思いつつも、カガミは左翼の内側から〈大鴉〉専用の武器を左手で取り外した。
右翼の内側にもこれと同型のものが装着されているが、そちらはあくまで予備だとカガミは思っている。たまにタイヤ交換のように左右を入れ替えることはあっても、戦闘中に彼が手にしているのは常に左翼にあったほうの武器だ。験担ぎでも何でもない。それがカガミにとって最善だからだ。〝白血球〟たちがⅠ型への攻撃を中止して、第三防衛ラインに合流しようとしているのと同じように。
眼前のモニタはカガミが欲しい情報だけを無音で伝える。今の彼はⅠ型の鮮明な映像しか欲していなかった。速度や時間や距離などどうでもいい。そんなもの、見ればわかる。
ナイトリーの人型兵器の体高は、このⅠ型を含むあちら――ナイトリーは便宜上〝ジャバウォック〟と命名したが、彼以外はもっぱら型名か略称の〝ジャバ〟を使用している――に合わせて五十メートル前後にされている。体格差は少ないほうがこちらが戦いやすいからだ。
Ⅰ型が大きく両腕を広げていた。まるで生き別れになっていた身内を抱きしめようとしているかのように。しかし、あの腕の刃は一振りで軍艦を真っ二つにできる。カガミは左手にある武器に右手を掛け、その瞬間を待った。
――その瞬間。
Ⅰ型はいつも何が起こったかわからないようにぽかんとした顔をする。
きっとあちらでは一度もこんな目にあったことはなかったのだろう。ましてやこちらでは。
痩せこけた右腰から左胸に、一本の白い直線が走っていた。
地上であれば、その上半身は右斜め下にずれ落ちていただろうが、ここは宇宙空間である。その線を境にして、上半身と下半身の間に隙間ができた。と、今度はⅠ型の脳天から股間にかけて、先ほどと同じ白い線がまっすぐに引かれる。
Ⅰ型にとってそれはありえないことだった。この世界にあるどんな兵器も、その黒いゴムのような体に傷一つつけることはできなかったのだから。
だが、一度ならず二度までもⅠ型の体を分断したのは、〈大鴉〉の右手に握られている三十メートルほどの長さの黒い刀だった。
一見、それは巨大化した日本刀のような形状をしている。ご丁寧に黒塗りの鞘までついていて、それは今〈大鴉〉の左手の中にある。
しかし、その刀身までもが黒いのは、そこにⅠ型の表皮細胞が植えつけられているからだ。
ナイトリーは目的のためなら手段を選ばない天才でもあった。こちらの世界のものが通用しないなら、あちらの世界のものを利用すればいい。そう考えた彼は、いったいどうやって入手したのか、Ⅰ型に襲撃された軍艦の残骸からⅠ型の細胞――ナイトリーによると〝垢〟――を採取、培養し、それを武器化してしまったのだった。
このことはもちろん外部には公表されていない。カガミたちパイロットおよびその副官は人型兵器の基礎知識の一つとして教えられはしたが、グリフォン基地外の人間には口外しないよう厳しく言い含められている。確かに〝ジャバ〟の細胞を今も基地内で培養しているなどと知られたら、意識だけはやたらと高い連中がやれ危険だの非道だのとぎゃあぎゃあ騒ぎ立てることだろう。自分たちは〝ジャバ〟への対抗策を何一つ考えられないくせに。
結局、Ⅰ型を切れるのはⅠ型だけなのだ。そして、この刀で切られたⅠ型はあっけないほど簡単に絶命する。もしかしたら、Ⅰ型の表皮があれほど堅固なのは、他の型にはある強力な再生能力がないからなのかもしれない。
四分割されたⅠ型は、切断面から放たれる白い光に焼かれるようにして消えていく。そのため、死体を研究材料としてグリフォンに持ち帰ることは不可能だ。これは他の型も同じである。
細胞を培養できるのだから、〝ジャバ〟もやはり生物なのだろう。だが、このような消滅の仕方を見ると、生物というより魔物と呼んだほうがふさわしいような気もする。
しかし、〝ジャバ〟の正体が何であれ、カガミの仕事は出現したら切る、ただそれだけだ。Ⅰ型が完全に消滅したのを見届けてから、Ⅰ型の細胞に覆われた刀を鞘に収めた。
細かい仕組みはわからないが、この鞘の中に入れられてる間、Ⅰ型の細胞は強制的に冬眠状態にさせられているそうだ。つまり、鞘から抜かれた瞬間に叩き起こされているわけだ。
非戦闘時に問題を起こされないようにするためにそのような設計にしたのだろうが、この〝妖刀〟を封じておくにはそれが最適だろうとカガミも思う。悔しいが、やはりナイトリーは天才だった。あの天才と同等、あるいはそれ以上の天才は、今この世界にいるのだろうか。
「天才は早死にするってほんとだったんだな……」
しみじみとそう呟いたとき、思ってもみなかった声に切り返された。
『無駄に長生きした天才もいるよ』
まだ管制室との通信回線は復帰させていなかった。カガミはアイシェードを上に引き上げ――これもそうしたいと思っただけでできる――自分の右隣に目を向けた。
そこには飲食物用の保管ボックスがあったが、蓋は切断されて後ろ半分ほどしかなく、その中身は別の場所に置かれていた。今そのボックスの中に入っているのは、緩衝材がわりの毛布とカガミにとっては飲食物以上に大切なものだ。
いつもなら、カガミが出てもいいと言うまでボックスの中で香箱座りをしているはずのそれは、今は蓋の隙間から上半身を伸ばし、ボックスの縁に小さな前足を置いていた。が、カガミが自分を見ていることに気づくと、あわててその前足を二本とも上げた。
『ニャ……ニャア?』
言いたいことはいくらでもあった。しかし、カガミがとっさに言えたのはこの一言だけだった。
「ダイナの声はもっと超絶可愛い」
* * *
エドウィン・ナイトリー博士は、顔だけがかろうじて見える状態で、冷凍カプセルという名の白い棺の中にいた。
栗色の髪と今やまったく血の気のない白い肌。もう二度と見ることができない瞳は、赤みがかった紫色をしていたはずだ。
こうして間近で見てみると、本当に若かったのだなと改めてルイスは痛ましく思う。いつも白衣を着ていて、自分より大人びた口調で話していたから、年齢のことなどほとんど気にしたことがなかった。
「なぜ、これほど早く冷凍保存を?」
やはり腑に落ちないのか、テニエルがナイトリーの死を知らせにきたあの老人――ナイトリーの第一秘書アシュトンを振り返り、同じ質問を繰り返す。
薄暗い常夜灯が光源のこの霊安室――ナイトリーの冷凍カプセル以外には何も置かれていない灰色の箱のような小部屋――に来る前は曖昧に笑ってごまかしていたアシュトンだったが、この場にいるのが自分と目の前のパイロット三人だけであることを再確認すると、「ご遺体の劣化を少しでも遅らせるためです」と端的に答えた。
「途中で投げ出してしまわれましたが、実は博士は死体蘇生の研究もされておられました。ただ、整理より研究を優先されていたので、どこにその資料があるのか研究班でもさっぱりわからず……とにかく時間がかかりそうなので、それまでこの中でお待ちいただくことにいたしました」
「死体蘇生……そんな研究まで」
半ば呆れたようにクロフトが呟く。と、アシュトンは少し得意げに微笑んだ。
「はい、ありとあらゆるものを研究されておられました。ここ以外にも研究拠点はいくつもございます。それだけにどこに何があるのか……」
「博士の死因は特定できたのですか?」
遠い目をして現実逃避しかけたアシュトンを、テニエルが容赦なく現実に引き戻す。アシュトンはすぐに我に返ってテニエルに向き直った。
「いえ、できませんでした。唯一確認できたのは、お体のどこにも異常はなかったということだけです」
「異常はなかった?」
テニエルだけでなく、ルイスもクロフトも復唱してしまった。
テニエルとクロフトは気まずそうに互いの顔を見合わせたが、ルイスは気づかず続けて言った。
「異常はなかったって……なら、博士はどうして?」
アシュトンは苦く笑って首を横に振った。普段のアシュトンならこんな表情も仕草もルイスたちには絶対見せなかっただろう。一見、冷静さを取り戻したようだが、実はまだ混乱しているのかもしれない。
「それは私どもも知りたいと心の底から思っております。いったい何が原因で博士の心臓は鼓動を打つのをやめてしまわれたのか。血液も採取させていただきましたが、原因になりそうなものは何も発見されませんでした。しかし、それゆえにある一つの可能性も考えられるのです」
「可能性?」
またしても三人声がそろってしまったが、テニエルとクロフトは今度は一瞥しただけでそのような事実はなかったことにした。
「はい。私はそんなことはないと信じたいのですが。……博士は死体から検出できない毒薬を何種か試作されたことがございます」
沈黙が落ちた。
ナイトリーの冷凍カプセルだけが、変わらず低い唸りを上げている。
「それは……つまり」
覚悟を決めたように、そう口を切ったのはテニエルだった。
「博士はその毒薬で自殺された可能性がある……ということでしょうか?」
うなずくかわりにアシュトンは、自分の右側にある冷凍カプセルに目を巡らせた。
「あくまで可能性の一つです。今のところ、その毒薬も遺書のようなものも発見されてはおりません。そもそも、あの方が自殺などされるはずがないのです。今ご自分が亡くなられたらこの銀河系内はどうなるか、あの方がいちばんよくわかっていらっしゃったはずなのですから」
アシュトンのその言葉で、ルイスたちも今まで忘れていた現実を思い出した。
ナイトリーが死んだ。ルイスたちが所属する四陣営の抗争を人型兵器の貸与を条件に中断させていたナイトリーが。
死因はどうあれ、彼が死んだと知れば、四陣営の上層部は人型兵器を自分たちのものにしようと画策しはじめるだろう。現時点で〝ジャバ〟に対抗できる唯一の武器はあの人型兵器だけだ。それを独占できれば他陣営に対しても優位に立てる。実に皮肉だが、これまで銀河系内の戦争の抑止力となっていた人型兵器が、今度はその戦争の火種となってしまうかもしれないのだ。
「そこで、あなた方にお願いがあるのです」
アシュトンがそう言ったとき、それぞれの思いに沈んでいたルイスたちははっと顔を上げた。
冷凍カプセルに向けられていたアシュトンの青い目は、今は三人のパイロットたちを鋭く見すえていた。
「本日博士が亡くなられたことは、当分の間、グリフォン内部の極秘情報として守秘していただきたい。幸い、博士は二年前からここに引きこもっておられて、外部の人間とも直接会われていませんでした。よほどの非常事態が起こらないかぎり、博士のご不在は隠し通せるはずです」
確かにそれが現時点では最善策だろう。心の中でルイスは首肯する。この霊安室にルイスたちを案内する条件として、ルイスたちの副官はあの会議室で待機しているよう命じさせたのも、彼らがナイトリー死亡の件を外部に漏らさないようにするための予防策だったに違いない。きっとあそこには監視カメラも盗聴マイクも当然のように仕掛けられているはずだ。
「当分の間って、具体的にはどれくらい?」
クロフトが飄々と訊ねる。粗暴そうな見かけによらず、この男は常に理性的で現実的だ。
「それはまだわかりません。状況しだいでございます。ですが、生前博士があなた方にお約束していたことは、必ず守らせていただきます」
「ああ、あの人型兵器から解放して元の場所に帰してやるってやつか」
すぐにそう応じてから、暗い天井を見上げて独語する。
「元の場所ねえ。……複雑だな」
気持ちは同じだったが、ルイスは言葉にはしなかった。
この基地での生活は制約も多いが、戦う相手は〝ジャバ〟のみという気楽さもある。元の場所に戻れば、敵もまた自分と同じ人間に戻るだろう。
「承知しました。博士を蘇生できる可能性があるのなら、私も沈黙を守りましょう」
テニエルが胸元に右手を置き、あくまで冷凍カプセルに向かって一礼する。
まったくもって気障ったらしいが、それがまた様になっているのが腹立たしい。
「しかし、博士がここにおられる間、この基地の最高責任者はどなたが代行されるのですか? 確か、次席の方もいらっしゃらなかったように記憶しておりますが」
ナイトリーの第一秘書の機嫌は損ねたくないのか、テニエルの口調はどこまでも慇懃である。この現金男めがと冷ややかな視線を送っていると、なぜかアシュトンが口元をゆるめた。
「実は代行はいたのです。しかし、博士がまったく活動できなくなった場合に備えての代行でしたので、あなた方だけでなくこの基地の人間にも公表はしておりませんでした。代行の初仕事は明日のお茶会の主催になるでしょう」
「え、これからもお茶会するんですか?」
てっきりもうなくなるものと思いこんでいたルイスは弾んだ声を上げたが、テニエルとクロフトはあっけにとられて口を開けていた。
「もちろんですとも。博士の代行ですから、研究以外のことはすべていたします」
アシュトンはルイスに対してにこりと笑うと、冷凍カプセルのコンソールを操作して、唯一中身が見えていた部分にもシャッターを下ろした。
「申し訳ありませんが、人工光も博士のお体に障りますので」
不満そうに眉をひそめたテニエルも、こう言われてしまったら返す言葉がない。彼はナイトリーがこの体で生き返ってくれることを本気で望んでいるのだ。
もちろん、ルイスも生き返らせることができるのならそうしてほしいと思ってはいる。が、たとえその死体蘇生の研究資料とやらを発掘できたとしても、ナイトリー本人がいなければ実現できないのではないだろうか。
――とにかく、あとはその代行って人しだいだな。
そんな人物がいたとはまったく知らなかったが、あのナイトリーが決めた代行なら間違いはないだろう。とりあえず今はそう信じることにして、ルイスは他の四人と共に霊安室を後にした。




