02 アリスかぶれで中二病
銀河系内の勢力図はいかにして現在の形に至ったのか。ある銀河史学者はあくまで子供向けと但し書きした上で、童話風にこう語っている。
――昔々、銀河系の片隅に「地球」という惑星がありました。やがて、その惑星の住人たちは「地球連邦」という団体を勝手に作り、「地球」以外の惑星を勝手に地球化しながら、自分たちの縄張りを広げていきました。
ところが、あるとき連邦内で仲間割れが起き、最終的に連邦を飛び出した人々は、それぞれ「銀河帝国」、「銀河連合」を名乗るようになりました。ちなみに、このとき「地球連邦」はこっそり「銀河連邦」に改名しました。
みんな名前に「銀河」がつくので――正確には「銀河系」なのですが、いつかは他の銀河にも進出したいという野望を抱いていたのでしょう――以降は単に「連邦」、「帝国」、「連合」と呼ばれるようになりましたが、もともと喧嘩別れした間柄のため、その仲は非常に悪く、特に「連邦」と「帝国」はしょっちゅう戦争をしていました。
もう一つの「連合」はというと、時と場合と金によって、「連邦」についたり「帝国」についたりしていました。そのため、実は「連邦」にも「帝国」にも嫌われていましたが、「連合」は別に気にしていませんでした。
しかし、そんな「連合」の中から、さらに損得勘定で動く巨大団体が出現しました。武器商人組合を母体とする「銀河商業同盟」略して「同盟」です。基本的に彼らは中立の立場をとっていましたが、どちらかというと「帝国」寄りでした。「連邦」や「連合」とは違い、直接交戦したことがなかったからいうのもありましたが、「帝国」は彼らよりも金払いがよかったのです。
そんなわけで、銀河系内は「連邦」と「帝国」と「連合」の三すくみ状態――実際は「連邦」と「帝国」の睨み合い状態――が長らく続いていましたが、銀河暦にして三年前、その関係に変化をもたらすある事件が起きました。
「連邦」の巡宙艦が、「帝国」でも「連合」でもはたまた「同盟」のものでもない〝何か〟に襲撃され、あっというまに破壊されてしまったのです。
突然現れ突然消えたこの〝何か〟が何か、「連邦」内ではすぐに調査が開始されましたが、ほどなく、「帝国」も「連合」も「同盟」も同じ調査をすることになりました。
それぞれの所有する軍艦が、それぞれの管轄する宙域で、やはり〝何か〟に攻撃され沈められてしまったからです。しかも、それは一度きりではなく、何度も連続して起きました。
この前代未聞の事態に、さすがに「連邦」をはじめとする四陣営も協力して事に当たったほうがいいのではないかと考えたとき、この〝何か〟への対抗策を提案した人がいました。
その人は、かつての「地球連邦」に唯一加盟しなかった「トリニティ公国」略して「公国」に属していましたが、そのことよりも〝万能の天才〟としてすでに銀河系中に知られていました。どれくらい天才だったかというと、特許使用料だけで惑星を何個も買えてしまったくらいです。彼のおかげで「公国」は「同盟」に匹敵するくらいの財力を短期間で得ました。
そんな天才の言うことですから、「連邦」も「帝国」も「連合」も「同盟」も素直に聞こうという気にもなります。その人は各陣営の代表者たちを公国領内にある惑星に招集すると、その〝何か〟の正体とそれを駆逐する方法を一から教えました。
結論から先に言うと、その人にも〝何か〟の名前はわかりませんでした。
ただ、〝何か〟は私たちがいるこの宇宙よりもさらに高次の宇宙で生まれた生物であり、だからこそ神出鬼没で、既存の兵器では倒せないのだと熱弁をふるいました。ちなみに、この熱弁自体も高次すぎて、代表者のほとんどは理解できなかったそうです。
――では、我々はどうすれば?
辟易した代表者の一人に問われたその人は、にっこり笑ってこう答えました。
――対抗できる兵器はすでに私が作りました。あなた方はそれらを動かす人間を四人、私にお貸しください。
その人は四人の条件はいくつか出しましたが――宇宙軍に属する男性で、心身ともに健康であること等々――各陣営から一人ずつ供出しろとは言いませんでした。が、彼らの間では暗黙のうちにそういうことになっていました。
候補者は片っ端からその兵器があるという惑星グリフォンに送りこまれ、わずか一月ほどで各陣営の希望どおりに一人ずつ決定されました。
――だが、銀河系内の各所に気まぐれに出現するあの〝何か〟に、たった四人でどう対抗するのか?
おそらく、銀河系中の人々が抱いたその疑問を、その人はとんでもない方法で解決しました。
〝何か〟の出現ポイントを、人為的にグリフォン周辺に集中させたのです。
メカニズムは不明です。しかし、これでどの陣営の軍艦も〝何か〟に破壊されることはなくなりました。
同時に、各陣営が争いあうこともなくなりました。もしそんなことが起こったら自分はあの兵器を貸与しない。そうその人が宣言したからです。
つまり、今の銀河系内がかつてないほど安定しているのは、その人――エドウィン・ナイトリー博士のおかげなのです。
ナイトリー博士、万歳!
「短い平和だったな」
自分専用の管制室に入る直前、カガミは顔をしかめてぼやいた。
「あいつが死んだら、何もかももうおしまいだ」
「とりあえず、それは今は考えないでおきましょう」
そのすぐ斜め後ろからテイラーが囁き返す。
「さっき大尉がおっしゃったとおり、あれを消せるのは大尉たちだけなんですから」
「よう、カガミのダンナ。今日は遅かったね」
管制室の自動扉が開いた瞬間、部屋の中央にあるデスクの後ろに立っていた中年男――タケダ室長が振り返り、にやりと口角を上げた。
青い作業服を制服にしてしまっている彼は、カガミと同じ日系だが所属は公国である。彼に限らず、この基地にいるパイロットとその副官以外の人間はすべて公国人だ。公国人のナイトリーの部下なのだから何の不思議もないが、タケダをカガミの担当にしたのはナイトリーの配慮ではないかとテイラーは思っている。見た目は無精髭を生やした肉体労働者のような男だが、察しがよくて仕事もできる。カガミの腕の中にダイナがいてももちろん無問題だ。
「ああ、そうか。今の時間だったら、ちょうどお茶会してたね」
テイラーが言い訳する前に、自分で気づいて肉厚の両手を叩く。
「向こうはこっちの都合なんておかまいなしだからね。お茶会だったら、博士もここに来たがったんじゃないのかい?」
一瞬、テイラーは息を呑んだ。が、カガミはまったく表情を変えずに「却下した」とすげなく答えた。今はまだナイトリーが死んだことは明かさないほうがいいと彼も判断したのだろう。非常時ほどカガミは嘘をつくのがうまくなる。
「相変わらず、博士には強気だね」
タケダは呆れたように笑ったが、すぐに表情を引き締めて、今まで見ていた正面のメインモニタに目を戻した。
「まあ、わざわざここに来なくても、情報は共有できるからね。……もう第五を突破されそうだよ。やっぱりⅠ型は攻撃がクレバーだ。ダンナによく似てる」
黒を基調としたこの管制室はさほど広くはない。自動扉から二十メートルほど先の壁一面にはメインモニタが、左手の壁には複数の小型モニタが設置されており、その前では黒いヘッドセットをつけたオペレータたち――タケダの趣味で彼らも青い作業服を着用させられている――が忙しげにコンソールを操作している。
メインモニタには、監視専用の人工衛星がとらえている映像が映し出されていた。さすがにもう驚きはしないが、生理的な不快感は今でも覚える。
〝何か〟は実は一種だけではなかった。現在確認されているだけで四種いる。
その中でもⅠ型は最も好戦的で、他の種が一、二隻破壊すれば満足して消えるのに対し、逃走した軍艦まで追いかけて一個艦隊を壊滅させたことすらある。この型を見た人間たちは例外なくこう言った。あれは黒い悪魔だったと。
その悪魔は今、出現時の〝ゆらぎ〟を感知すると自動的に攻撃モードに入る小惑星型無人砲撃機――通称〝白血球〟たちを嬉々として切り裂きつづけていた。
〝白血球〟はすさまじい速度で動き回ってあれにレーザー砲を放っているが、どれ一つとして当たることはない。しかし、当たったとしてもあれに傷一つつけられないことはすでにわかりきっている。あれはただ鬱陶しいから当たらないでいるだけなのだ。
レーザーを避けられる生物。それだけでもう絶望的だった。
「んじゃ、そろそろ行くか」
睨むようにメインモニタを見すえていたカガミは、ダイナを抱いていない右手で頭を掻くと、右手の壁の端にある搭乗者専用の出入口に向かって歩き出した。が、壁を上下に分断している横長の窓が視界に入ったとたん、ふと足を止めて独りごちた。
「何度見ても〝中二病〟だな」
「ダンナも見るたびそう言ってるね」
カガミを見送ろうとしていたタケダがいつものように苦笑いをこぼす。
「まあ、いいでしょ。いくら希代の天才でも、まだ十代の子供ですよ。あ、でも、今月二十歳になるんだったかな。余計な気は遣わせたくないからって日にちは伏せてるなんて、そこは子供らしくないよね」
無論、テイラーにもカガミが何を見て言ったのかはすぐにわかった。
ここからだと、ちょうど横顔が見えるのだ。
「アリスかぶれも十代だからか?」
「それは十代だけの病気じゃないね。『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』は〝聖典〟だよ。人によっては一生治らない」
「確かに治らなかったな」
思わずテイラーはカガミを見やった。だが、彼はその視線を避けるように再び歩を進めると、手動式の扉をいつものように自ら開けた。
扉の向こうには搭乗口直通の長いタラップがある。幸い、カガミもテイラーも高所恐怖症ではないが、もしそうだったとしたらここを渡るたびに心臓を衰弱させていただろう。
今回はここに来るまでに少々時間を食ったせいか、整備はすでに完了していた。眼下にも搭乗口の前にも整備士の姿はない。しかし、カガミは決して走らない。搭乗前に体力を無駄遣いしないために。
――〈烏〉じゃないよ。〈大鴉〉だよ。
二年前、あの若すぎる天才博士は何度もそう念押しした。
カガミは〈チェシャ猫〉に改名しろと何度も言っていたが、これは〈大鴉〉以外の何物でもないだろう。
体長約五十メートル。鳥のような両翼を持つ漆黒の機体。ただし、この機体には人間のような頭部と両腕と両足があり、今はカタパルトの上で直立していた。
――人のように動くものには人のようなものを。
中二病でアリスかぶれな少年は、その過剰な才能と財産を惜しげもなく使い、この〈大鴉〉を含む四体の人型兵器を作り上げてしまった。
「愚問だとは思いますが、今回もダイナは連れていくんですね?」
人型兵器の搭乗口はすべて背中側にある。いつでも搭乗できるよう開け放たれたままにされていたそこにカガミが右手をかけたとき、テイラーはいつもの決まり文句をいつものように口にした。
「もちろんだ。ダイナを道連れにしたくないからな」
カガミもいつものようにそう答え、目を細めてダイナの頭に頬擦りした。
第三者が聞いていたら矛盾したことを言っていると思うだろう。だが、これはダイナを道連れにしたくないから何があってもここに生きて帰るというカガミの決意表明なのだ。彼がこの世界で執着しているものはもう猫と猫の形をしているものしかない。
「ご武運を」
「おまえもな」
やはりいつものようにそう返し、ダイナと共に搭乗口の中に入る。数瞬後、搭乗口の扉が音を立てて閉まった。それを見届けてからテイラーは管制室に向かってタラップを疾走した。
――おまえもな。
最初は嫌味かと思っていた。おまえは安全な場所で安穏としていられていいなという。しかし、本気でカガミがそう言っているとわかったとき、テイラーは不覚にも少し泣きそうになった。
カガミにとっては人間の国で生きること、そのこと自体がもう戦いなのだ。自分が〈大鴉〉に乗ってあれと戦うように、おまえもそこで戦えと言っている。それはつまり、少しはカガミに仲間意識を持たれているということだ。猫にしか興味がないと言ってはばからない男が。
管制室に飛びこんで手動扉を閉める。それを待っていたかのように扉が自動的にロックされた。
完全防音されているので音は聞こえないが振動は伝わってくる。窓を覗けば、〈大鴉〉に架けられていたタラップが右方向に旋回して外されており、休眠モードから通常モードに移行した〈大鴉〉が両手を何度も開閉していた。カガミいわく、人型兵器を動かすのは夢の中で自分の体を動かすのと感覚的によく似ているそうだ。それでも、あの手の動かし方は現実のカガミそのものである。
「ダンナ! ハッチ開けるぜ! 準備いいか!」
オペレータと同じヘッドセットをつけたタケダが、窓から見える〈大鴉〉に向かって叫ぶ。他の三体と同様、〈大鴉〉の顔もシールドで覆われているのだが、タケダのような専門家でもやはりそこを見て話したくなるらしい。
『ああ、いいぞ。開けてくれ』
カガミの声が管制室内に響く。宇宙空間に出てもほぼタイムラグなしで交信できるが、あの人型兵器の仕様上、音声のみでしかやりとりはできない。〈大鴉〉のコクピット内の様子も通常モードに移行した後は見られないようになっている。パイロットのプライバシー保護のためかどうかはいまだ不明だ。
「よし、わかった! 六十秒後に射出する! 今回はめんどくさいからカウントダウンは省略!」
『ああ、それでいい。俺もめんどくさい』
――いいのか、それで。
タケダの横でテイラーは思ったが、パイロットがいいと言うならそれでいいのだろう。
〈大鴉〉のはるか前方に光が生じる。カタパルトの長さは約一キロメートル。ここで加速をつけて一気に大気圏外へと出る。
カガミによると、ダイナの座席は本来は飲食物用のボックスの中らしい。中身は取り出して毛布を敷きつめてあるそうだ。それでも本物の猫だったら死んでるよとタケダは笑っていたが、本物の猫だったらさすがにカガミもコクピットに同乗させたりはしなかっただろう。万が一壊れてもナイトリーに修理してもらえると思ったから無許可の持ちこみ厳禁という規則を破ったに違いない。
だが、これから先はどうだろう。ナイトリー以外の人間にもダイナは修理できるのだろうか。この〈大鴉〉をはじめとする人型兵器四体も。
カウントダウンはしないと言っていたが、タケダの前の窓ガラスにはいつのまにかオレンジ色のデジタル時計が表示されていて、残りの秒数をテイラーたちに教えてくれていた。
実はこの窓部分もモニタになる。きっとオペレータの誰かが気を利かせてこれを転送してくれたのだろう。そしてこれと同じものがカガミにも送信されているはずだ。
ハッチが完全に開ききった。〈大鴉〉が前傾姿勢をとる。あの人型兵器が動いてるのを見るたびに、テイラーは巨人がコスプレしているような錯覚にとらわれる。そう思えるほどに彼らの動きは自然で滑らかだ。
誰も何も言わなかった。しかし、残り三秒になったとき、突然カガミが叫んだ。
『行くぜ、ダイナ!』
にゃあ! とダイナが鳴いた。テイラーの頭の中で。
〇〇:〇〇になった瞬間、〈大鴉〉はテイラーたちの眼前から消え失せていた。
あの人型兵器のコクピットは従来のものとはまったく異なっている。適性がなければ発狂する。人型兵器の開発にも携わったというタケダは真顔でそう言った。
「Ⅰ型、第五防衛ライン突破しました!」
オペレータが自分の前のモニタから目を離さずに報告する。
「このままですと、約五十分後に第四防衛ラインに到達します!」
「まあ、第五はよく時間稼ぎしてくれたよ」
メインモニタに向き直ったタケダが溜め息を吐き出す。
「それだけあれが遊び好きだってことだが……まったく、いくら金があっても足りゃしねえ」
中央管制室の管理下にある〝白血球〟は、ナイトリーが二年前に買収した宇宙船専門の造船会社――三年ほど前には俗に〝F型エンジン〟と呼ばれる対消滅機関で一世を風靡した――によって大量生産されている。その造船施設はグリフォンの二つの衛星の一つニセウミガメ――命名者はもちろんナイトリー――にあり、完成しだいそこから各防衛ラインに送り出されていた。
ほぼオートメーション化されているが、少数ながら人もいる。ニセウミガメに空気はないため、施設はドーム内に建設されていた。輸送船はグリフォンだけでなく、このニセウミガメにも定期的に物資を運んでいる。
ちなみに、残りもう一つの衛星の名前はエビだ。命名者は言うまでもないが、ニセウミガメよりも小さいこの衛星には施設らしきものは何もない。
もっとも、帝国をはじめとする各陣営はこぞってナイトリーに資金提供をしている。自分たちの代わりにあれの駆逐を一手に引き受けてくれているのだ、当然と言えば当然のことだったが、その裏に彼を自分たちの陣営に引きこみたいという下心があることはまったく隠しきれていない。
「しかし、みんな型名か略称で呼んでいて、正確な名前では呼んでいませんね」
〈大鴉〉が無事宇宙空間に到達した後、以前から思っていたことをテイラーが話題にすると、タケダは太い眉尻を下げて笑った。
「カガミのダンナじゃないけど、さすがにそれは恥ずかしいよ。知識として知ってはいても、俺はアリスかぶれじゃないからね」
それはテイラーも同じだ。だが、ナイトリーがあの四体の人型兵器につけた名前は、すべて現実にも存在していた。うち一体は微妙だが、銀河系中を探せばたぶんいるだろう。
アリスかぶれの天才少年が、仮称として〝何か〟につけた名前は〝ジャバウォック〟。
それは『鏡の国のアリス』に登場する架空生物の一つの名前だった。




