11 今は逃げて
『第四宙域にⅡ型が一体出現しました。現在、第五防衛ラインが応戦中。駆逐機の緊急発進を要請します』
アリスの代行就任から一ヶ月弱。すっかり価値が目減りした女声のアナウンスが流れたとき、テイラーは待機室のキッチンで〝お好み焼き〟なるものをカガミに作らされていた。
「くそ! 何でこんなときに来やがる! 空気読め!」
テーブルで待機していたカガミは例によってスピーカーに向かって怒鳴ったが、そもそもお茶会帰りで小腹が空いたと間食しようとするほうがどうかしている。
もっとも、最近お茶会に出される菓子類はなぜか甘さ控えめではなくなっているので(とテイラーはお持ち帰りした菓子類を食べて知っている)、以前よりもいっそうカガミの口には合わなくなっているのだろう。
「まあ、とにかく管制室に行きましょう。たぶん、出撃するのはテニエル大尉だけでしょうけど」
まだフライパンで焼く前でよかったと思いながら――本来はホットプレートで自分で焼くのが定番らしいが、面倒くさがりのカガミはもちろんそれを無視した――お好み焼きの〝タネ〟とやらが入ったボウルにラップをかけて冷蔵庫にしまう。
と、今度はあのチャイムが鳴り、基地内の一部(もしかしたら大部)に大人気の幼い少女の声が響き渡った。
『ごきげんよう。アリスよ。テニエル氏、出撃。残りの三人は人型兵器のコクピットの中でいつでも出撃できるように待機していて。以上!』
「またコクピットの中か」
基本、アリスの命令には文句は言わないカガミだが、さすがに怪訝そうに眉をひそめる。
「最近、管制室じゃなくてコクピットで待機させるようになったよな。まあ、もともとそれが〝正解〟なんだが。何かあったとき管制室じゃ、やっぱりすぐには出られねえ」
一見、猫以外のことはどうでもよさそうでいて、実は常に不測の事態のことも考えているのがカガミのカガミたるゆえんだ。そこは素直に評価するが、その両腕はしっかりチェシャを抱えこんでいるのを見ると、どうしても薄笑いを浮かべたくなる。
『何か食べたいなら、コクピットの中で食べたら?』
カガミの腕の中でチェシャが現実的なことを言う。カガミに全身を撫でられまくるのも何とか慣れたようで、今ではベッドで一緒に寝てもいるらしい。
ただし、扱いはぬいぐるみか抱き枕。中身がナイトリーの疑似人格だということを考えると複雑な気分になるが――おそらくはチェシャも――カガミの中ではそれよりも猫に触りたいという欲求のほうが勝ったようだ。まさに体目当てである。
「あれ、うまくねえんだよな。でもまあ、しょうがないか」
カガミは嘆息すると、チェシャを抱えたまま椅子から立ち上がった。
* * *
「おう、ダンナ。またコクピット待機だね」
管制室では、タケダがいつものように笑いながらカガミたちを出迎えてくれた。
「Ⅱ型一体なら〝ピョン介〟さん一人で対処できると思うけどねえ。お嬢は博士より堅実だ」
「堅実っていうか、それが当たり前だろ。本当は全機出してもいいくらいだ」
「ま、そりゃそうだがね。人型兵器一回飛ばすだけでも結構経費がかかるから。人型してるけど軍艦みたいなもんだからね、あれ」
〝ジャバ〟四種の中で、まさに〝ジャバウォック〟と評されるⅡ型の外観は、あの『鏡の国のアリス』の挿絵に描かれたそれと酷似していた。唯一の大きな違いは、その背中に蝙蝠のような翼はなかったことか。あれはⅠ型だけのものらしい。
Ⅱ型は、一言で言うなら、無翼の青黒いドラゴンだ。
顔はドラゴンというより魚類系だが、その巨大な口からドラゴンのように赤い火の玉のようなものを吐き出して攻撃する。しかも、この火の玉は追尾型で、狙った〝白血球〟を破壊するまでしつこく追いかけ回す。だが、〝白血球〟のレーザー攻撃は必ず避けることでもわかるとおり――そう、この〝ジャバ〟も避けられるのだ――Ⅰ型ほど外皮は強固でなく、Ⅳ型ほど再生能力も高くない。
このⅡ型もまた〈大鴉〉の刀で切れる。しかし、あの火の玉攻撃が厄介なため、Ⅱ型が出たらテニエルということになっていた。
テニエルはすでに出撃している。第五防衛ラインの〝白血球〟たちは、今回もレーザー砲でⅡ型を牽制しつつ火の玉から逃げつづけて時間稼ぎをしてくれるだろう。擬人化したら健気すぎて泣いてしまいそうだ。
「んじゃ、コクピットで待機してるわ」
カガミはそう言い残すと、右腕にチェシャを抱いたまま、〈大鴉〉へと通じる手動扉を開けた。
その後ろ姿をテイラーは管制室内から見送った。きちんと申し合わせたわけではないのだが、今回のようにコクピットで待機する場合には、搭乗口まで見送りにはいかないことにいつのまにかなっていた。
「ダンナ、落ち着いてきたみたいだね」
カガミが手動扉の向こうに消えてから、タケダが少しだけ声をひそめてテイラーに話しかけてきた。
「一時はどうなることかと思ったけど、わりとうまくやってるみたいじゃない」
もちろん、カガミとチェシャのことだ。いまだナイトリーが死んだことを知らされていないオペレータたちのいるこの管制室でうかつなことは口にできない。テイラーはタケダと同じくらいの声量で「おかげさまで」と答えた。
「個人的には、もうこのままでいいんじゃないかと思っているんですが。充電も自分でしてくれるし」
「ああ、充電ね。あれは俺でもきついわ」
「タケダさんでもですか?」
「いや、ダイナならまだいいけど……ねえ?」
ナイトリーの名前を言えないタケダは苦笑いしてごまかした。同じ理由でテイラーも苦笑で応じる。
「ですね。大尉は最初から放棄してました」
グリフォンから第五防衛ラインまで、人型兵器なら一時間強。〈大鴉〉だったら一時間切るかもしれない。
これほどの短時間で行けるのも、グリフォンの公転に合わせて防衛ラインも移動させているからだ。つまり、防衛ラインを敷いた宙域に必ず〝ジャバ〟は出現している。だから、今の時期は第四宙域にしか〝ジャバ〟は現れていない。
なぜそんなことができるのか。ナイトリーはその理屈は語らなかった。タケダや他の管制室長たちは知っているのかもしれないが、やはりテイラーたちには話していない。
余計なことは知ってはならない。それがこのグリフォン基地でテイラーたちが平穏に暮らすための不文律だ。それはきっと自分たちが知ってもどうにもできないことなのだから。
「おう、〝ピョン介〟さんが跳んできたよ」
タケダがおどけたようにそう言ったのは、テイラーたちがこの管制室の自動扉を開けてから約一時間後のことだった。
メインモニタの中ではまだⅡ型が元気に火の玉を吐きまくっている。他の型でも思うが、いったいどういう身体構造をしているのだろうか。いや、そもそもあの火の玉の正体は何だ。考え出すときりがない。
Ⅱ型がまた大きく口を開いた。喉の奥から赤い光がせり上がってくる。と、その光を白い光が押し戻した。そのままⅡ型の後頭部を突き破る。
Ⅱ型への対処方法は他のどの型よりも単純だ。ほとんど唯一の武器であるあの火の玉を噴き出す口を、とにかく封じてしまえばいい。実は両手足に生えている爪は一撃で軍艦に穴を開けられる程度の破壊力は持っているのだが、厄介さではあの追尾型火の玉の比ではない。
Ⅱ型の探知可能範囲の半径は約〇・〇七光秒。〝ピョン介〟ことテニエルは、そのぎりぎりのところからⅡ型の口をレーザー砲で〝狙撃〟したのだった。
テニエルが操縦している人型兵器は、本人の前では〈三月〉と呼ばれている(ただしルイスは除く)。だが、そのデザインを見れば誰でも正式名称で呼びたくなるだろう。すなわち〈三月兎〉と。
基本カラーこそ青緑だが――なぜ管制室と同じく青にはしなかったのかは、たぶんナイトリーにしかわからない――頭の両脇から後方に伸びているものは、どう見ても兎の耳である。タケダによると、あそこからもレーザー砲を照射することができるらしいが、テイラーは今まで見たことがない。
しかし、〈三月兎〉はやはり物騒な兎である。〈帽子屋〉のレーザー砲が両手の指先にあるのに対し、〈三月兎〉のそれは、両肩・両腕・両腰・両足にまであり、とどめに、カガミいわく〝木刀を二本×印にしてくっつけたような〟レーザー砲列を背中に負っている。安定の中二病仕様である。
これだけあったらどこを使ってもよさそうなものだが、〈三月兎〉はいつも右腕を伸ばしてⅡ型を狙撃している。今回もまたそうだった。
だが、Ⅱ型は頭を打ち抜かれたくらいではまだ消滅しない。むしろ、痛みからか怒りからか、もともと赤かった両眼を吐き出せなくなった火の玉よりも赤く燃え上がらせ、〈三月兎〉めざしてまっすぐに飛んでくる。
しかし、それこそ〈三月兎〉の思う壺である。基本、光は直進するのだ。〈三月兎〉は全身のレーザー砲をフル稼働させて(ただし両耳は除く)Ⅱ型を集中攻撃する。
ちなみに、この状態のときの〈三月兎〉を、ルイスは〝電気兎〟、カガミは〝全身花火(よい子は真似するな)〟と評している。テイラーは初めて見たとき〝エレクトリカル・パレード〟と思ったが、誰の賛同も得られなそうなので、今も胸のうちに留めている。
通常状態のⅡ型でも避けつづけられるかどうかという怒濤のレーザー攻撃だ、頭に風穴を開けられている状態ではなすすべもない。Ⅱ型は〈三月兎〉に爪痕一つつけることもできないまま、レーザーと自らの発する白い光に包まれて宇宙空間から消滅した。
管制室がほっと安堵の溜め息で満たされる。二年前から何度も同じことを繰り返してきているが、やはり〝ジャバ〟が完全に消滅するまでは楽観はできない。
「Ⅱ型、消滅しました……」
オペレータの一人が高らかにそう宣言したが、その語尾が不自然に弱まった。
その周囲にいたオペレータたちも、いったんモニタから目を離して、互いの顔を見合わせている。
「何だ、どうした?」
部下たちの異変を察知したタケダが、そう問いながら自分のデスクのモニタに目を落とし、一瞬固まった。
カガミほどではないにしろ、テニエルも必要最小限の交信しかしない。だが、そのときテニエルはルイスのように全回線を開放して叫んだ。
『そんな馬鹿な!』
「Ⅰ型、出現しました……〈三月兎〉との距離、約〇・〇九光秒……」
そう言って振り返ったオペレータの顔は、死人のように蒼白だった。
* * *
テニエルを正気に戻したのは、マクミランではなくカガミの声だった。
『テニエル! 撤退しろ! 〝白血球〟盾にして全速力で逃げろ!』
それに被せるようにアリスの声が響く。
『〝白血球〟は一つ残らず第五に投入! テニエル氏は撤退! カガミ氏は出撃! ルイス氏、クロフト氏は引き続き待機! 勝手に出撃してカガミ氏の邪魔をしないでちょうだい!』
こんなときでも〝氏〟をつけてくれるのか。テニエルは少し笑いたくなったが、すぐに唇を引き結んだ。
カガミとアリス、二人が下した判断は正しい。まったくもって正しい。
レーザー砲が主力のこの〈三月兎〉とレーザー砲がまったく通用しないⅠ型との相性は最高に悪い。いや、そもそもⅠ型はカガミの〈大鴉〉でしか駆逐できない特別な〝ジャバ〟なのだ。クロフトの〈ヤマネ〉なら、もしかしたら組みつけるかもしれないが、消滅まではさせられないだろう。
だが、〈大鴉〉が駆逐できるのはⅠ型だけではない。ごく初期に、他の人型兵器と一緒に出撃して、Ⅰ型以外の〝ジャバ〟も切れるかどうか実地調査したことがあった。その気になれば〈大鴉〉は、四種の〝ジャバ〟すべてを消滅させられるのだ。
適性の問題だと頭ではわかっている。しかし、今こそ痛切に思う。やはり自分は〈大鴉〉のパイロットになりたかった。確かに、単独ではⅡ型はてこずるだろう。だが、カガミならあの火の玉をすべて切り捨てることもできるはずだ。
と、テニエルは我に返って自嘲する。――何だ、おまえはもう〈大鴉〉のパイロットにはカガミがふさわしいと認めているじゃないか。
約〇・〇九光秒先に出現したⅠ型は、まだこちらには気づいていないようだ。しかし、先ほどのⅡ型との戦闘で、この第五防衛ラインにいた〝白血球〟はほぼ〝死滅〟してしまった。盾にしたくともその盾がない。
今ここから全速力で撤退したとしても、おそらくⅠ型はすぐに気がついて追いかけてくるだろう。Ⅰ型は猟犬によく似ている。逃げるものを追って追って追いつめて殺す。
だが、見方を変えれば、それは〈大鴉〉のⅠ型との接触時刻を早めることに他ならない。それならば、このままただ撤退するのではなく、今ここでⅠ型の注意をこちらに向けたほうがいいのではないか……
――駄目だよ。
黒いアイシェードの下で、テニエルは目を見張った。
――私は〈大鴉〉の捨て駒にするために〈三月兎〉を作ったわけじゃない。大丈夫。〝白血球〟は本気出せば〈大鴉〉より速いんだよ。余計なことは考えないで、とにかく今は逃げて。
「博士!?」
思わず声に出してしまったその瞬間、勝手に〈三月兎〉が反転した。と、人型形態から航行形態に変化して急発進する。
(馬鹿な! 私はそんなことは考えていない!)
頭の中でそう叫んだが、〈三月兎〉はグリフォンに向かって最高速度で疾走している。
暴走か。それとも、とうとう自分も狂ってしまったのか。三月兎のように。
テニエルは自嘲の笑みを口元に刻んだ。ナイトリーの声の幻聴が聞こえてしまうくらいだ、きっとそうだろう。
しかし、そのときテニエルは、信じがたい光景をモニタの中で見た。
〝白血球〟が魚群のようにこちらに押し寄せてきている。
おそらく、第四防衛ラインにいた〝白血球〟たちだろう。だとしても、この到着時間は早すぎる。幸い、動力系以外はまだ自分の意志どおりに動かせるようで、〈三月兎〉の人工知能は一瞬で彼らの現在の航行速度を表示した。――本当に〈大鴉〉の最高速度よりも速かった。
では、あの懐かしい声は幻聴ではなかったのか? テニエルがそう思ったときには、彼らは〈三月兎〉に道を譲ってすり抜けていき、あのⅠ型のいる座標へと飛び去っていった。
(いったい、何がどうなっているんだ……)
テニエルは頭を抱えたくなったが、これだけははっきりわかっていた。
あの〝白血球〟たちはⅠ型に殺されるのだ。不甲斐ない自分の代わりに。
* * *
「くそ! 何でよりにもよってⅡ型の後に時間差で来やがる!」
いつものように、コクピット内の音声はどこにも流れないように回線を切り替えてからカガミは喚き散らした。
「来るんだったらⅡ型と一緒に来い! そしたら俺も出撃したのに!」
『ああ、そういえば、テニエルと一緒に出撃したこともあったね』
懐かしそうにチェシャが言う。人型兵器関連の記憶はほぼ入力したという言葉に偽りはないようだ。断片的にしかナイトリーの過去を知らないカガミには、それだけで充分ナイトリー本人に思えてしまう。
『じゃあ、カガミ。もし今日出る順番が逆だったら、君はどうしてた?』
「出る順番?」
『先にⅠ型が出て、後からⅡ型が出てたらどうしてたかってこと』
宇宙空間を移動中の人型兵器は基本的に軍艦と同じで、〝ジャバ〟を確認できるまでパイロットは特にすることがない。カガミは少し考えて真面目に返答した。
「たぶん、テニエル待ってられねえからⅡ型も俺が切ってたな」
『そうだね。君ならそうするね。切れるとわかっているものを切らないでいることは君にはできない』
こういう言い回しも実にナイトリーだ。冷静にカガミは思う。
生前も彼の話し方自体は嫌いではなかった。ただ人型兵器とダイナ関連以外の話はしたくなかっただけだ。
今は諸事情によりほとんどの時間を一緒に過ごすことになってしまったから、何となくそれ以外のこともぽつぽつ話しているが。
『ああ、そうだ。言おうと思って言いそびれていたことがあったんだ』
ぼんやりそんなことを考えていると、チェシャがいかにも今思い出したというように口を切った。
『〈キティ〉へのアップロード、もう完了しているよ』
完全に不意打ちだった。これまでチェシャが〝ジャバ〟との戦闘中に話しかけてきたことは一度もないが、もしそうされていたら操作を誤っていたかもしれない。
「それ、今言うことか」
自分が動揺したということを勘づかれたくなくて、とっさにそんな文句を言ったが、チェシャは飄々と『あれ、今言っちゃまずかったかな』と受け流した。
『たまたま今思い出したから、今言ったほうがいいかと思ったんだけど。君も一分一秒でも早くダイナに会いたいだろう?』
確かにチェシャの言うとおりだった。この一ヶ月弱というもの、毎日このコクピットにチェシャを連れてきて〈大鴉〉とつなげていたのも、一分一秒でも早く彼の複製を〈キティ〉内に作成させ、ダイナの体から消去するためだったはずだ。
だが、その複製作成が完了したと知らされたときカガミが覚えたのは、嬉しさよりも戸惑いだった。
ダイナの中からチェシャを抹消しても、その複製は〈キティ〉の中にあるのだから――と言われても、確認したわけではないからカガミにはピンと来ないが――ダイナのように〝死ぬ〟わけではない。
しかし、今ダイナの中にいる彼と〈キティ〉の中にいるという彼は、本当に同一の存在なのだろうか。
「おまえはそれでいいのか?」
思わずそう問い返してしまった。しばらく間があって、『いいも悪いもないよ』と穏やかにチェシャが答える。
『むしろ、ダイナや君に申し訳ないことをしてしまったと深く反省している。私が最初から〈キティ〉のほうに落としておけば、何の問題も面倒も起こらなかったわけだからね。少なくとも、ダイナを私の実験台にしてはいけなかった。ダイナは君の大事な猫だったのに』
「おい。それをしたのは博士であっておまえじゃないだろ」
何となく苛立って、カガミはついさっきまでの自分が考えていたこと――チェシャはやはりナイトリー本人なのではないか――と矛盾したことを口走った。
「おまえが謝るなよ。おまえだって、ある意味ナイトリーの被害者なんじゃないのか」
『被害者ねえ……私にはどうしてもそうは思えないけど。でも、君がそう言ってくれるとは思わなかったよ。ありがとう』
「本当に消えるつもりでいるのか?」
『そのつもりだよ。〈キティ〉の中にいる私が自分で自分のバックアップもするだろうから、私にはもうバックアップとしての価値もない』
チェシャの声には悲観も卑下もない。だが、今どんな顔をしてこのセリフを口にしているのだろうとカガミは思った。ダイナにもそれなりに表情はあったが、チェシャは人間のように豊かで、だから平気で嘘もつく。
「チェシャ。俺があのⅠ型切ったら、おまえが隠してること、全部話せ」
モニタでⅠ型と〈三月兎〉の位置を確認しながら、カガミはぶっきらぼうに言った。
今、Ⅰ型は第五防衛ラインで〝白血球〟の大群に取り囲まれている。テニエルは無事離脱できたようだ。あの男のことだから、〈三月兎〉でⅠ型に挑もうとするのではないかと危惧していたが、さすがにそこまで愚かではなかったようだ。
『そうだね。もう消えるんだから話してもいいね。でも、話すのはグリフォンに戻ってからでいいかな』
「ああ。今話されてもテイラーがいないから俺には把握しきれない」
『うん。私もテイラー少尉なしにうまく話せる自信がないよ』
今回、なぜⅠ型がⅡ型消滅直後に現れたのかはわからない。
ただの偶然かもしれないし、故意に出現したのかもしれない。
いずれにせよ、カガミの今の仕事はただ一つ、こちらに出現した〝ジャバ〟を一分一秒でも早く切り捨てることだ。
「〝白血球〟、待たせたな。もういいぞ、下がってろ」
淡々とカガミは呟くと、〈大鴉〉を人型形態に変化させた。