01 頭にキのつくお茶の会
お茶会前のカガミ・レン大尉は、たいてい自分専用の待機室で黒い家具調コタツにあたっている。
より正確に言うなら、そのコタツに胸近くまで入って横になり、毛艶のいい黒猫を両腕で抱えこんでいる。
黒猫――ダイナは、カガミに生ぬるい視線を注いでいた褐色の髪の青年――テイラーに金の瞳を向けると、いつもすみませんねえとでも言うように小さくにゃあと鳴いた。
「いやいや、君は何も悪くはないよ」
この上官ほど度を超した猫好きではないが、動物は好きなテイラーは思わず緑色の目を細める。
「むしろ、こんな主人に飼われることになってしまって、心から同情している……と、カガミ大尉。いいかげん、たぬき寝入りはやめてください。どんなに嫌でも、ここにいるかぎり、あのお茶会への出席は必須なんですから」
ダイナに対するときとは打って変わり、きつい口調でそう言えば、カガミは瞼は閉じたまま眉間に深い皺を寄せた。
「今日は病欠だ。風邪を引いた」
「本当にそう報告したら、また医療班に拉致されますからね」
何しろ、あれに乗れるパイロットはこの猫キチ男一人しかいないのだ。他にパイロットは三人いるが、それぞれ自分専用のものしか操縦できない仕様になっている。
「それに、命令に従う条件として、そのダイナを作ってもらったんでしょう? 約束は守らないと」
「おお、ダイナ、おまえは宇宙一可愛いが、あいつは宇宙一大嫌いだ」
カガミはダイナの狭い額に頬擦りすると、枕がわりにしていた臙脂色の座椅子――コタツ布団もコタツの下に敷かれているカーペットも同系色――からようやく起き上がった。
カガミもテイラーも本来は帝国に属する軍人だ。公国領であるこの惑星グリフォンの基地内にはいるはずのない人間たちである。
しかし、二年前、カガミはあれのパイロットとして選抜されてしまい、以来、出向のような形でここにいる。
他の三人はパイロットに選ばれたことを名誉と思ったようだが、この男だけは違った。嫌々パイロットにはなったものの、ここには猫はもちろんのこと人間以外の動物はいっさいいない(ただし実験用のそれは除く)と知らされると、あんなもん作れるんなら猫だって簡単に作れるだろう、俺の精神安定のために猫を作って飼わせろと、何とあれの製作者に直接訴えたのだ。
世が世なら不敬罪で処分されてもおかしくはなかったが、猫キチでもカガミは貴重なパイロットの一人だった。製作者は驚くほどの短期間で精巧な猫型ロボット――ダイナを作り上げ、ここにいる間はこれで我慢しろと無償でカガミに与えたのだった。
天才は何を作らせても天才なのか、ダイナは本当によくできていた。体重も本物の猫とほとんど変わらず、しかも飲食も排泄もしないので世話いらず。一日数時間の充電と週一回のメンテナンスは欠かせないが、本物を飼うことに比べたら雲泥の差だろう。
カガミも製作者の悪口は毎日欠かさず言いつづけているが、このダイナに関してだけは手放しで絶賛している。自分で名前をつけられなかったのは不満だったようだが――〝クロ〟とつけたかったらしい。それを知ったとき、名前を指定してもらってよかったとテイラーは思った――朝も夜もダイナを連れ歩き、実はこっそりあれのコクピットの中にまで入れている。
そんなカガミを揶揄するパイロットもいるが、本人はまったく意にも介していない。本物と見まがうほど猫そっくりで、猫のように優雅にふるまっていれば、それはもうロボットではなく、人間より愛すべき猫なのだ。今もカガミは秀麗な顔をだらしなくゆるませてダイナの頭を撫でている。
姿形は猫でも頭の中身はそうではないらしいダイナは、しばらくそのままじっとしていたが、ふとその小さな右手を上げると、もういいかげんにしなさいとでも言うようにカガミの右手に触れた。
「わかったわかった」
自分のたった一人の部下の小言は聞き流しても、たった一匹の猫型ロボットの言葉なき苦言にならカガミは苦笑しながらも耳を貸す。ダイナを右腕に抱えたまま、実はこれも製作者が作ったコタツから勢いをつけて立ち上がった。
名前が示すとおり、日系の帝国人であるカガミは、黒髪黒瞳で顔立ちも東洋系だが、身長だけは日系の平均以上ある。
代々軍人の家系に生まれた彼は、本人いわく猫に愛情深く育てられたため、退役後は猫の国を作り、自分もそこに住まわせてもらう予定だそうだ。
初めてそれを聞かされたとき、テイラーは頭から冗談だと決めこんでいたが、その後の彼の言動を見ているうちに、猫に育てられた云々はともかく、本気で猫の国建国を考えていることだけは確信した。
カガミが軍を辞めてパイロットを辞退しなかったのも、本来の給金とは別に破格の手当が与えられると言われたからだ。いつになるかはわからないが、ここでの任務が終わったら、きっとすぐに除隊して念願の猫の国建国に邁進するだろう。
いつだったか、ダイナと一緒にタブレットを眺めながら、ダイナはどこに住みたい? と真顔で訊ねていたことがある。賢いダイナは言っている意味がわからないというように小首をかしげていたが。
さすがに上着は脱いで寝ていたカガミは、座椅子の背もたれに掛けていたそれを左手ですくい上げた。と、ダイナが心得たようにカーペットの上に飛び降りる。一瞬、カガミは寂しそうにダイナを見下ろしたが、軽く溜め息をついてから白いワイシャツの上に上着を羽織った。
帝国宇宙軍の軍服は基本的に黒だ。ダイナが黒猫なのはこの制服の色に合わせたわけではないだろうが、この色のおかげでダイナを抱いていてもあまり目立たずに済んでいるところはある。
「まったく、たいした用事もないのに毎日毎日……話だけならビデオ会議で充分だろうが」
息苦しくて嫌だという詰襟を指先で引っ張りながらいつものようにカガミが文句を垂れる。確かにテイラーもそう思わないでもないが、それがあの製作者の意向なのだ。彼にへそを曲げられたら、帝国を含む四陣営はにっちもさっちもいかなくなる。
「まあまあ。毎日必ず会えるから、週一のメンテ以外にダイナを診てもらえるメリットもあるでしょう」
この猫キチ男を説得するには、ダイナをダシに使うのがいちばん手っ取り早い。案の定、カガミは渋々うなずくと、足元でおとなしく待っていたダイナを恭しく抱き上げた。
「そうだな。逆に言うと、それ以外にメリットは何もないけどな。あー、ほんとにダイナは無茶苦茶可愛いが、作ったあいつは何を考えているんだか、いまだにさっぱりわからねえ」
――いくら優遇されても、やっぱりこの人にはわからないんだな。
ダイナの頭を撫でながら首をひねっているカガミを横目に、テイラーはまた今日も同じことを思う。おそらく、この基地にいるカガミ以外の人間は皆そう思っているはずだ。
あの製作者はその他大勢に要望されて犬型ロボットも五体作ったが、彼らには犬らしい毛並みも名前もいっさい与えなかった。
* * *
基地内定時報告会――通称〝お茶会〟の開始時刻は例外なく十五:〇〇である。
会場は基地の中央にある中規模会議室。天井も壁も床も丸テーブルも椅子もみな白一色なので、暗褐色中心の軍服姿の参加者たちは嫌でも浮き上がって見える。
毎度毎度カガミが往生際悪くごねるため、テイラーたちがここに来るのはだいたい十四:五〇くらいになってしまうのだが、これより遅く入室してきたパイロットたちはいまだかつていない。最初のうちはひどくばつが悪かったが、そのうち慣れてしまった。今でも不愉快そうに睨みつけてくるパイロットは、カガミの右斜め前に座っている銀髪碧眼の男一人だけだ。
この会議室に入室できるのは、主催たる製作者と給仕数人を除けば、カガミを含む四人のパイロットたちとその副官のみである。しかし、テイラーたち副官は同じテーブルに着くことは許されていない。お茶会が終わるまで、上官の背後の壁際にずっと立ちつづけていなければならない。
お茶会はたいてい一時間以内に終わるから、そのこと自体は別に苦ではない。むしろ、あのテーブルから離れていられる大義名分があってよかったとさえ思っている。確認したことはないが、他の三人の副官たちもそう思っているのではないか。きっとこのお茶会に喜んで参加しているのは、製作者とカガミ以外のごく一部のパイロットだけだ。
「ダイナちゃん、今日も可愛いね」
たぶん、このパイロットはそのごく一部に入るだろう。カガミの左隣が定位置の彼は、お茶会の間はカガミの腕の中でぬいぐるみのようにじっとしているダイナにいつも屈託なく話しかけてくる。
ロバート・ルイス。同盟所属のパイロットである。帝国は同盟とは通商条約を結んでいるため、他の二人よりはまだ気安い存在であると言える。ルイス自身も濃緑色の軍服を着てはいるが、パイロットというより有能な事務官のような風貌をしている。ふわふわとした明るい金髪と水色の瞳。これで搭乗するとあれだとは、まったく人は見かけによらないものだ。
「カガミはいいなあ。こんなに可愛い猫ちゃんもらえて。もう二度と作らない宣言されちゃったから、いくら欲しくても言えないよ」
分をわきまえているルイスは、物欲しそうな顔をしながらもダイナを抱かせてくれとは決して言わない。カガミも人目がなければ頭くらいは触らせてやったかもしれないが、ここで彼だけを特別扱いするわけにはいかなかった。
付かず離れず。それがこの基地にいるパイロットたちの不文律である。
「まあな。でも、猫と犬以外だったら作ってくれるかもしれないぞ」
自慢げにダイナを撫でながらカガミがそつなく答える。ダイナがいれば、彼もそれなりに人間とコミュニケーションはとれるのだ。
「猫と犬以外……兎?」
おそらく、ルイスには何の悪気もなかっただろう。が、例の銀髪男はあからさまに眉をひそめ、その右隣に座っていた赤毛の大柄な男はびくっと肩を震わせた。
――今日はこの人が地雷を踏んだか。
顔には出さなかったが、そう思ったのはきっとテイラーだけではなかったはずだ。
「兎かあ……まあ、嫌いじゃないけど、やっぱり猫のほうが……」
気づいているのかいないのか、ルイスだけはあっけらかんと話しつづける。もうそこでやめておけと言えるものなら言ってやりたかったが、この室内では副官は原則発言禁止とされている。もっとも、許されていたとしてもテイラーにはとてもそんな勇気は持てなかっただろう。
「兎で悪かったな」
案の定、銀髪男の赤い唇が地を這うような低い声を発した。
アーサー・テニエル。帝国の宿敵とも言える連邦所属のパイロットだ。
ルイス以上に軍人離れした美貌を誇るこの男は、一族のしきたりとやらで髪を切らずに一つに束ねているせいもあり、黙って座っていると濃紺の軍服姿の女性士官のようにも見える。
だが、見目麗しいのは顔だけだ。その顔の前で組まれた両手もまるで彫刻のように美しかったが、爪は手の甲に突き刺さっているような状態になっていた。
「しかし、おまえよりはましだ。私は三月だけの期間限定だからな」
これにはさすがにルイスも顔色を変えた。
しょせんは個体識別のための機体名じゃないかとテイラーたちは思っているのだが、テニエルやルイスにそう言えば、それは自分の機体名がそうじゃないから言えることだとそろって反論されるだろう。確かにそのとおりである。
「名前のことでからむの、もうやめてくれない?」
呆れたような笑みを浮かべてはいたが、ルイスが不快に思っていることは明白だった。
「仕方ないじゃない。博士がそうつけた機体に、たまたま僕らが適合しちゃったんだから。それに、名前のことを言うなら、クロフトがいちばんかわいそうだよ」
「言うなよ」
カーキ色の軍服を着ている赤毛の男――アイザック・クロフトが、俺まで巻きこむなと言わんばかりに琥珀色の目を見張る。ならず者集団と言われる連合所属のパイロットで、いかにも叩き上げの軍人らしいいかつい顔と体をしているが、実はこの男が四人の中でいちばん常識人なのかもしれないとテイラーはひそかに思っている。
「まあ、そうだな。鼠よりはましか」
「だから、鼠じゃねえって」
「でも、栗鼠とは別区分にしておきたいよね。一緒にしたら栗鼠がかわいそう」
「だから、栗鼠でもねえって」
両脇から好き勝手なことを言われても、クロフトは腕組みを解かずにうんざりしているだけだ。彼に限って言えば、あの機体名はむしろふさわしいのかもしれない。
この機体名問題ではカガミも愚痴っていたが、この三人からしてみれば『おまえが言うな』だろう。カガミもそう思っていたのか、黙ってダイナを撫でつづけていたが、ふと顔を上げて誰にともなく言った。
「なあ。もう三時過ぎてるよな?」
あわててカガミの視線の先――ちょうどルイスの背後の壁の上方に目をやれば、やはり白いアナログの丸時計が掛けられており、その長針は十二を少し過ぎていた。
「ほんとだ。……どうしたんだろ?」
一応自分の腕時計も確認してから、ルイスが不思議そうに首をかしげる。声には出さなかったが、カガミ以外の全員がルイスと同じ行動をし、おそらく同じことを思ったはずだ。
お茶会の開始は十五:〇〇ジャスト。この時刻になったと同時に呼び鈴のような音が三回響き、若い男の給仕たちがお茶と菓子を載せたワゴンを押して自動扉から入室してくる。菓子類は持ち帰りできるため、テイラーも何度か食べたことがあるが、種類豊富でかつ美味だった。
製作者が現れるのはセッティングがすべて完了した後である。彼の席も決まっていて、カガミの右隣かつテニエルの左隣。しかし、お茶会が終わる頃には、製作者の椅子はいつもカガミ寄りになっている。ダイナがいるからだとカガミは思っているようだが、ダイナを作らせる前からそうだったことを彼は覚えていないのだろうか。
「確かにこれは異常だな。内線で問い合わせてみるか」
テニエルが振り返り、背後に立っていた黒髪の男に指示しようとした、まさにそのとき。部屋の隅にある自動扉が開いた。
テイラーたちの目が一斉に集中する。だが、そこから飛び出してきたのは、給仕のワゴンでもなければ製作者でもなかった。
「ご、ご報告が遅くなってしまい、まことに申し訳ございません!」
いつも製作者のそばに泰然と控えている長身の老紳士――懐中時計は持っていないようだが、テイラーは勝手に〝白兎〟と呼んでいる――が、どこから走ってきたのか、白髪を乱して激しく息を切らせていた。
「まだ詳細は調査中ですが、先にこれだけお伝えしておきます!」
顔も目も赤くした老人は、まるでたった一人生還した負傷兵のように震えながら絶叫した。
「若――いえ、エドウィン・ナイトリー博士が……亡くなられました!」
エドウィン・ナイトリー。
それは、カガミたちの搭乗機の製作者にして、この基地の最高責任者兼代表でもある、天才博士の名前だった。
* * *
「いつ?」
窒息しそうな沈黙を破ったのは、意外なことにカガミの冷静な一声だった。
その一言で、老人もテイラーたちも、はっと我を取り戻した。
「医師の見立てによると、今から三十分以内に心肺停止されたようです……まだ死因は特定できていませんが、外傷は見つかっていません……本当に眠るようにデスクに座られていて……」
そこでナイトリーの死に様を思い出したのか、老人は口を覆って言葉を詰まらせた。
信じられない、というのがテイラーの率直な感想だ。
ナイトリーがこの老人のように高齢だったというならまだわかる。しかし、彼はおそらくこの基地内にいる人間たちの中で最も若く、虚弱体質とか持病があるとかいう話も今まで耳にしたことはなかった。
もっとも、持病に関しては、あったとしてもテイラーたちには隠していたかもしれない。だが、それならこの老人がこれほど取り乱すことはなかったのではないか。内線で知らせることも思いつけなかったほど、彼は今動転しているようである。
「とにかく……博士にお会いすることはできないだろうか……」
機体名に不満はあれど、ナイトリーには心酔していたテニエルが、自分の額に手をやりながら、独り言のように老人に言った。
この老人がこれほど悪質な嘘をつくはずがないと頭ではわかってはいても、まだナイトリーが死んだと認めたくなかったのだろう。
「それは……」
できかねます、と老人は続けたかったに違いない。
しかし、いついかなるときでも基地全体に鳴り響くように設定されているあの警報が、あっけなくそれを打ち消した。
「よりにもよってこんなときに!」
忌々しげにクロフトが舌打ちする。それはこの場にいる全員の総意でもあった。だが、警報システムはプログラムどおりに自分の職務を淡々とこなす。
『第四宙域にⅠ型が一体出現しました。現在、第五防衛ラインが応戦中。駆逐機の緊急発進を要請します』
人工音声とはとても思えない落ち着いた女性のアナウンス。表向きは超危険区域だからという理由で女性がいないこの基地では貴重な声だが、その声が一方的に伝える内容は常に不穏である。
「Ⅰ型……じゃ、俺か」
まったく普段どおりに呟いて、カガミがダイナを抱えたまま席を立ち、自動扉に向かって大股に歩き出す。と、椅子を蹴り飛ばすようにして立ち上がったテニエルが、カガミの左肩を乱暴につかんだ。
「貴様! 博士が亡くなったというのにその態度は何だ!」
カガミの後を追いかけていたテイラーも、テニエルの心情は理解できた。しかし、それに対してカガミがどんな反応を示すかもわかっていた。
「誰が死のうが生きようが、俺らは奴らが出たらすぐに消さなきゃならねえんだよ」
ぶっきらぼうにそう答えたカガミの手は、テニエルを殴るかわりにダイナの頭を撫でていた。
「泣くのはそこのじいさんにだってできるが、あれに乗れるのは俺らだけだ。俺らがそれを放棄したら、誰が奴らを消してくれるんだ?」
テニエルの白い手がカガミの黒い軍服から離れた。その隙にカガミは足早に自動扉の外に出た。
テイラーが最後に振り返ったとき、テニエルはカガミの肩をつかんでいた右手を強く握りしめていた。もしあれで誰かを殴りたいと思っているなら、それはカガミではなく自分自身だろう。
猫キチでも怠惰でも、カガミは優先順位だけは間違えない軍人なのだ。