二月 『花札部防衛戦争』 ②
二月 『花札部防衛戦争』②
「まずは、花合わせの基本ルールについてもう一度確認しておくよ」
僕と雨宮さんが立って見守る中、三浦先輩の正面に座った島室先輩は、花札を切りながら口を動かす。
「花合わせは、《こいこい》とほとんど同じゲームだよ。昔は役が無くて馬鹿でもできたから、《ばかっ花》なんて名前でも呼ばれるよね。そういえば、少しでも三浦くんが覚えやすいように、今回は馬鹿な方のルールで遊ぶってことになっていたね~」
馬鹿でもできる、ね……。そのルールを覚えるのに一年もかかった人がここにいるんですが……。
ちらりと三浦先輩の方に目を遣ったが、特に気にした素振りもないようだ。僕は島室先輩のルール説明に耳を傾け直す。
「基本として、このゲームは三人でするものだけど、それじゃあ不公平になっちゃうから、アタシと三浦くんの二人でやるね。それぞれの手札と、表にして置かれる場の札が八枚ずつ。先攻からスタートで、手札を一枚場に出して、その札が場にある札と同じ月のものであれば、その二枚が持ち札になる。そのまま山札を一枚めくって場に出し、それが場にある札の中に同じ月のものがあれば、それもまた二枚とも持ち札になる。この流れを先攻後攻続けていき、互いの手札が無くなった時点での持ち札の得点の合計で勝負するゲームだね」
全部で五枚しかない光札は一枚当たり20点、九枚ある動物の札は10点、十枚入っている短冊の札は5点、二十四枚もあるカス札が1点で計算をする。数こそ少ないが得点の高い光札や、数は比較的多く得点もまあまあな動物や短冊の札などを集めることが、このゲームの勝敗を決する。頑張っても、一回の勝負でせいぜい十二、三枚そこそこしか集めることのできないカス札は、集めてもほとんど意味がない。
「じゃあ、ここからはローカルルールというか、この花札部だけのルールね」
島室先輩は、切った花札を自分と三浦先輩、そして場の札の分とに配り始めた。
「ゲームは全部で五回。そのゲームでの得点がそのまま持ち点になる。……と、この二つだけかな。何か質問ある?」
「何も問題はない」
三浦先輩が首を横に振ってそう答えると、島室先輩の目がギラリと輝いたような気がした。まるで、彼女の闘志に火が灯ったかのように。
と、ちょうどそこで、島室先輩が札を配り終えたようだ。彼女は三浦先輩に手を向けて言う。
「オッケー、じゃあ先攻は三浦くんでいいよ、始めよ」
「わかった」
花札部の机に向かい合って座るふたりが、一斉に頭を下げる。
「お願いします」
「お願いします!」
すぐさま手札を確認するふたり。
三浦先輩はほぼノータイムで手札を選択し、メンコを叩き付けるように桜のカス札を場に出して桜の光札である《桜に幕》を取りにかかった。
「そりゃ! ふん!」
そして山札からめくった札は柳の光札の《柳に雨》。それは場にある柳の短冊札と対になり、先の札と合わせて四枚、合計46点が三浦先輩の持ち点となった。
これは最高のスタートと言えるだろう。
対して島室先輩は、手札を眺めたままかなり長い時間考えてから手札を出した。芒の光札である《芒に月》を出して芒の動物札を取り、めくった山札は空振りに終わった。これでも合計得点は30点。まだまだ挽回できる点差である。
その後もゲームは進み、一回戦目が終わった時の点数は、次のようになった。三浦先輩91点、島室先輩87点。ほぼ互角に見えるが、これからどうなるかまだまだ分からない。それこそ、役がない故に、余計に運の要素が大きくなったゲームだ。何が起こるかまるで予想できない。
二回戦目は、一回戦目で点数を多く獲得した三浦先輩からの手順となる。
ふたりの戦いを見守っていると、雨宮さんがちょんちょんと服を引っ張ってきた。
「悠介……どうしてこの人を無視しなかったの……?」
雨宮さんの目は、少しムスッとしたように細められて三浦先輩に向けられていた。花札部を潰しに来たやつなのだから、島室先輩のように無視していれば良かった。きっとそう言いたいのだろう。
「約束したのに逃げるような真似は何か嫌でしょ。それに……」
「……それに?」
「島室先輩は、絶対に負けない」
そう、僕には、島室先輩が絶対に負けないという確信があった。それは、対戦相手がこの三浦先輩だからということもあるが、それだけではない。実は以前、島室先輩とは何度か花札をしたことがあるのだが、その時に感じた彼女ならではのセンスは、花合わせというゲームにおいて最大限に効果を発揮すると見たからだ。
しかし、三浦先輩はそう一筋縄で倒せる相手ではないことを僕は思い知ることになるのだった。
流れが変わったのは早かった。
二回戦五巡目が終わった時のことである。三浦先輩は光札二枚に動物札二枚、短冊札三枚、カス札五枚の合計80点。それに対して島室先輩は光札二枚、動物札三枚、短冊札二枚、カス札六枚の合計86点だった。
わずかながら、島室先輩が優勢に見える。だがやはり、ほぼ互角だ。
このまま流れが変わらずにゲームが終わるものかと思った矢先。
「そんなものか、島室亜衣!」
六巡目の三浦先輩の手番で、突然彼が怒鳴るようにして言った。
「そんなものだというのならば、完璧に打ちのめしてくれる! 俺の本気はここからだ!」
まだ三浦先輩は本気を出していなかったのか。それでも十分ゲーム内では最善手を取っているように見えたが。
もしかすると、三浦先輩の本気というものは、僕が思っているよりも相当高いものなのかもしれない。
三浦先輩が札を切った。この手番は二枚だけ手に入れて終わったようだ。
島室先輩の番だ。――が、――
――動けない……ッ⁉
そう、今の三浦先輩の手番で、島室先輩の取れるはずだった札が取られてしまったのだ。
偶然だろうか? 確かに、三浦先輩にとって、今の一手は最善手だった。
しかし、次の七巡目。それが偶然でなかったと気付かされる。
六巡目で島室先輩が出しておいた、彼女自身が取れる札。その札を、三浦先輩が取りにかかったのである。三浦先輩には、もっと高い点の札が取れた。しかし、あえてそれを後回しにし、島室先輩が唯一取れる札を潰したのだ。
三回戦も六巡目になった途端、ぴたりと島室先輩の手が止まった。三浦先輩が島室先輩の取れる札を次々と消し去ってしまったのである。
どうやら偶然ではない。三浦先輩は故意でもって、島室先輩の手を潰しにかかっているのだ。
これが三浦先輩の本気。さすがは一年間充電をしてきただけはある。相手の手の内を見抜き、それに対応した行動をする。長年花札を嗜んできた者でも、なかなかできない芸当である。
このようにして、三浦先輩が圧倒的に優勢な状況を維持したまま四回戦が始まる。
「どうだ、島室亜衣、俺の本気は?」
早くも勝ち誇った笑みを向ける三浦先輩に、島室先輩も余裕の笑みを見せた。
「別に~」
「どうして六巡目から手が止まるか、知りたいか?」
「別――」
「そうか知りたいか! なら教えてやろう!」
「別に~」
適当に受け流す島室先輩を意に介さず、三浦先輩は自らの強さの秘密を明かし始めた。
「俺はな、この一年間ただルールを覚えてきたわけではない。この状況で相手がどういう手札になるか、それをイメージしながら覚えてきたのだ! 実は俺も一回戦目の時に気が付いたのだが、五巡目が終わった時、ほぼ完璧に相手の手札が分かるようになったのだ! そう、残り三枚の手札が、な!」
やはりそうだったか。
だが、自分の手札が勝手に読まれるのだ。対処のしようがない。もし読まれまいと無理をすれば、自らの首を絞める行為に繋がり得ない。きっと三浦先輩も、それが分かっていて種を明かしたのだろう。
しかし、いつもの島室先輩ならば、こんな状況どうってことないだろうに。まさか、今日は調子が悪いのだろうか。だとしたら本当にまずい。このまま花札部が廃部になるなんて事態に陥ったら、三浦先輩を無視しなかった僕が後悔してもしきれない。
四回戦目が終わると、二人の点差は大きく広がってしまっていた。三浦先輩396点に、島室先輩321点である。実に75点差。丸々1ゲーム分の点数にも匹敵する。
いよいよ僕は焦ってきた。
「ちょ、ちょっと島室先輩っ」
島室先輩に耳打ちすると、彼女は陽気な声で返してきた。
「ん、なに?」
「なんか負けそうなんですが、調子悪いんですか……?」
「ふふん、だいじょぶだいじょぶ~」
このまま鼻歌でも歌い出しそうな調子の声だ。一体何が彼女をそこまで安心させたままにできるのだろう。
まだ一週間しか過ごしていないが、この花札部が消えるのは嫌である。だから島室先輩には意地でも勝ってもらわないと困るのだが、どうも心配だ……。
そしてついに、運命の五回戦目が始まってしまった。
僕はそっと島室先輩の手札を覗き見る。
「……っ⁉」
なんと、彼女のすべての手札がカス札だったのである。一部のローカルルールでは、手札がすべてカス札のとき役が付くのだが、このゲームには――役がない。
まずいな……。
これではうまくいっても、得られる札の最低25パーセントがカス札に決定したことになる。
一方の三浦先輩の手札を見ると、こっちも驚愕の手札をしていた。ただし、こっちはこっちで別の意味の驚きを見せてくれた。
光札が四枚もあったのである。その他の札も、動物札や短冊札が占めている。
良すぎる。イカサマでもしたのではないかと思わせるほど良い手札だった。全体で五枚しかない光札が四枚もあり、半分を占めるカス札が一枚も入っていないのである。しかし、前の手順で点数が高かったのは三浦先輩のほうのため、札を切ったのは島室先輩だ。イカサマができる余地などなかった。
しかし、この状況下で島室先輩はにやりと笑って見せた。
「そんなものなの、三浦明!」
彼女はどこか聞き覚えのあるようなセリフを大声で叫ぶ。
「そんなものだというなら、ギッタンギッタンのグッタングッタンに打ちのめしちゃうよ! アタシの本気はここからだよ!」
三浦先輩は呆然としていた。僕も唖然である。
二人の点差は歴然だ。けれども、こんな状況で、まさかの打ちのめしちゃう宣言である。あまつさえ、本気はここからだ、ときた。それはつまり、今まで本気ではなかったという意味である。花札部存亡の危機の中であるのにも関わらず、だ。本当にまったく、この人は何を考えているのかまるでわからない。
五秒の後、三浦先輩はようやく我を取り戻して声を荒げる。
「や、やれるものならやってみろ!」
そう言いながら札を叩き付けて、五回戦目の開始となった。
三浦先輩の一手目、紅葉の動物札を使って短冊札を手に入れ、山札から芒の動物札を引いたが、これは場に残る結果となった。島室先輩はこの札を芒のカス札を使って即座に回収した。
出た。島室先輩の手筋だ。
今の手順、島室先輩は11点を獲得する結果となったが、本当は場にある柳の光札と手札のカス札を持ち札にできる21点獲得の手があった。だが、あえて低い方の手を取ったのだ。
二巡目。またも彼女は、三浦先輩が山札から落とした桐のカス札を同じくカス札で拾った。もちろん、さっきもできたはずの高い点を狙う手はあった。それでも彼女はカス札を二枚取ったのである。
三巡目になってようやく、島室先輩は場にある柳の光札を取った。だが山札の引きは悪く、うまく札を得ることはできない。
そして四巡目が終わったところで、
「塞がった……」
と、そこで、ずっと口を閉ざして勝負を見守っていた雨宮さんが呟いた。
そう、塞がったのだ。――三浦先輩の手が。
三浦先輩の手札は松、桜、芒、桐の四枚の光札。だが、場にはそのどれとも対になる札がない。したがって彼は、五巡目にてどれか一枚光札を捨てなければならないのである。そして、そのどれを捨てても島室先輩は――それを取ることのできる札を持っている。
偶然この状況が生まれたわけではない。島室先輩は、これを狙ってやったのである。
島室先輩は僕と初めて花札をした時に言った。
『なんかね、自分の手札や場の札、相手の表情とあと相手の一手目から、だいたい分かっちゃうんだよね~――――相手の手札が』
にこりとして言ったその言葉を、僕は最初信じることができなかった。だが、何度か勝負をし、外野から彼女の手を見た今、改めて信じることができた。
――島室亜紀は、一手目の時点で相手の手札が見えてしまう。
だからあえて、このゲームで彼女は三浦先輩の取れる札ばかりを消しにかかったのである。そして今、三浦先輩は動けなくなった。
きっと、六巡目から相手の手札が見えるという三浦先輩には、この状況は予想できないだろう。けれども、自分の手が塞がってしまったということには気付いたかもしれない。
ここからの勝負は島室先輩の独壇場だった。
三浦先輩が捨てた光札を、端から島室先輩が拾う。運が悪かったこともあり、三浦先輩は一枚たりとも札を得ることができなかった。もちろん、島室先輩が五枚の光札すべてを手に入れた。
終わってみれば、五回戦目は、三浦先輩82点に島室先輩160点。全体で見ても、478点対481点と、ぎりぎりではあるが花札部の勝利だった。
とりあえずは防衛成功である。僕は静かに安堵のため息を吐いた。
一手目で、相手の手札が大体分かっちゃうことって、たまにありますよね。
とくに、相手が手三や光札ばかりの時って、本当に分かりやすいと思います。