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一月 『雨の瞳』 ②

 一月 『雨の瞳』 ②



「……こい?」

 深い雲を思わせる瞳でじっと見つめられ、僕は時を停められたように動けなくなってしまった。

「……こい?」

「え……ッ?」

 再度少女が訊ねてきて、僕は戸惑ってしまった。なぜなら彼女の言っている「こい」を「恋」と聞き取ってしまったからである。それゆえに、異性から「恋?」と問われている妙な状況を勘違いしてしまったのだ。恋愛経験がない僕にとって、その状況はあまりにも異質すぎた。いや、そうでなくとも十二分に異質だが……。

 しかし、花札を向けてきていることから、すぐに別の解釈へと辿り着いた。

「もしかして……こいこいをしようって言ってるの?」

 確認すると、少女はこくりと頷いた。

「うぅ……」

 僕は頭を抱えた。

 言葉が少なすぎるでしょ、あまりにも……。こいこいすらまともに言えてないじゃないか……。もしや、この子が花札部員なのだろうか……? いや、リボンの色を見たところ一年生と推測されるから、僕と同じ花札部の見学者なのかもしれない。

 さて、今自分は花札の勝負を挑まれている。唐突に、いきなり、不意に、前触れなく、思いがけなく、である。だが、そんなこと僕には関係ない。花札を挑まれたのなら、受けるまでである。

 僕は靴を脱いで畳の上に上がり、少女の正面に正座をした。

「いいよ、やろうよ、こいこい」

 つい浮ついた声になってしまったが、少女は気にした様子もなく頷いて花札を切り始めた。

 僕は胸が高鳴っていた。と、いうのも、亮太以外の人と花札をするのは本当に久しぶりだったからである。もしかしたら小学校以来ではなかろうか。人の数だけ、花札のやり方がある。この少女がどんな手法で札を集めるのか、楽しみで仕方がない。

 それだから忘れそうになっていたが、初めてこいこいをする者同士でやっておかなければならないことがあるのだった。

「ちょっと待って!」

「……」

 慌てて声を上げると、少女は手を止めて僕を見た。無表情だから分からないけど、もしかしたら驚かせてしまったのかもしれない。

「ごめん」

 まずは謝って、それから安心させてやるように笑みを作って言う。

「始める前に、いくつかルールの確認をしておかないと」

「るぅーる?」

 まるで初めて聞いた単語を復唱するように発音した少女。

 もしかして、今までルールの確認もせずにゲームをしてきたというのだろうか。

 先ほど、花札には人の数だけやり方があると言ったが、まさしくその通りで、このゲームには人の数だけローカルルールというものが存在するのである。だから、初めてやる者同士は共通のルールを設定しておかなければ、無益な争いを生むこととなってしまうというわけだ。

 そのようなことを丁寧に説明してやると、少女は小さな首を縦に振って、

「お願い……」

 とだけ言って、また花札を切り始めた。

 どうやら、設定するルールの確認をするようにとお願いしたらしい。本当にこの少女は言葉が少なすぎる。これで本当に日常生活をこなせているのだろうか。日本語の日常会話をちゃんとこなすためには、最低一万語程度は必要だとか聞いたことがあるが、この無口な少女は確実にそれをクリアしていないのではないだろうか。

 と、いつまでも少女のことを心配していてもゲームは始まらない。僕はぱっと頭の中に、ローカルルールが関係しやすい定番の役を思い浮かべた。

「じゃあ、ルールの確認をするよ。まずは役からね。《月見(つきみ)(ざけ)》(月見で一杯)・《花見(はなみ)(ざけ)》(花見で一杯)は?」

「あり……」

「手札役は?」

「あり……」

「親権は?」

「あり……」

「それじゃあ次に、基本ルールの確認ね。場にある同じ月の札三枚を、その月の手札一枚で取れるルールは?」

「あり……」

「《雨流(あめなが)れ》《霧隠(きりがく)れ》は?」

「あり……」

「《コイ流れ》は?」

「あり……」

「賭けは?」

「あり……」

「じゃあ、って……え?」

「あり……」

「いや、ちょっと待って」

「……? あり?」

「じゃなくってっ」

「……?」

 少女は小首を傾げて疑問符を浮かべている。こんなボーっとした子だから、てっきり賭け事には興味ないものかと思っていたため、彼女の「あり」という返答は正直意外だった。

 僕は少女に訊ねる。

「賭けがありって、いったい何を賭けるの?」

 すると少女はか細い人差し指を僕の顔の前に出して答えた。

「あなたの入部……」

「入部って、この花札部に?」

 少女は僕から視線を離さずに頷いた。それはまるで、獲物が逃げないように見張る仔猫のようで、妙に愛らしかった。

 僕は目線を逸らして、どうしようかと考える。

 そもそも僕は部活見学に来ているのだから、花札部がいいところだったら入部するつもりでいた。ましてや、この少女が僕よりも強いということを証明してくれるのであれば、入部することは願ったり叶ったりだ。

「わかったよ、僕が負けたら花札部に入部する。でもそれじゃあ、君が負けたらどうするの?」

「……どうして?」

「どうしてって、それを決めなきゃフェアじゃないでしょ」

「……どうして?」

「いや、だから……」

「わたしは負けないわ。だから決める必要がない……」

「…………は?」

 戦う前から勝利宣言のようなことをされて、怒るとかどうとか以前に、唖然としてしまった。あたかも自分の勝利が自然の摂理とでもいうかのように彼女が言ってのけたからである。一体どこからそんな自信が生まれてくるのだろう。

 そもそも花札は運の要素が強いゲームだ。100パーセント勝利するなんて、ありえない話である。

 僕は仕切り直すように咳払いをして、子どもを相手にするときのように問いかける。

「だけど、もしもの時のために、一応決めておこっか?」

 少女はまたも疑問符を浮かべていたが、それが決まり事だと理解したのか、すぐに素直に頷いてくれた。

「じゃあ、もしも僕が勝ったら、君よりも強い人を紹介して」

 僕の言葉を聞くと、少女は目だけでなく眉まで曇らせた。

「いない……」

「見つけた時でいいからさ」

「……」

 不服そうに首を縦に振った少女に、僕は優しく笑みを向けた。

「ありがとう」

 と言ったところで、少女は花札の束をまとめ、畳の上に敷かれた布の上に置いた。

「引いて……」

 少女に言われ、山札の一番上を表にするようにして引くと、菖蒲の絵が描かれた五月のカス札(1点札)が現れた。少女も一枚表にすると、それは柳と傘をさした人の絵が描かれた十一月の光札(20点札)だった。

 花札をする場合、まずは一枚引いた札で親を決める。引いた札の点数は関係なく、早い月の札を引いた方が親、つまりは先攻となる。よってこの場合は僕の親からだ。

 親は随時勝った方へと権利が移されるが、このゲームは親の方が圧倒的に有利なため、最初に親になるかがゲームの勝敗を大きく左右する。

「あなたの親から……」

 しかし、不利になったにも関わらず、少女は目の中の雲色ひとつ変えずに札を集めて、また切り始めた。

 その間に、僕は自分のスクールバッグから得点表の書かれたノートを取り出す。

「この得点表使うけど、いいかな?」

 ノートには、一月から十二月までの十二の月と、そのそれぞれに得点のレイト、合計得点を書く欄がある。こいこいは普通、一月から十二月までの十二ゲームで勝敗を競う。また、こいこい一回につき得点のレイトが二倍になるため、レイト欄のメモは欠かせない。

「いい……」

 奇怪なものでも見るような目でノートをじっと見つめて、少女は頷いた。

さらにレイトについては、年末年始とプレイヤーの誕生月もレイトが二倍になる。

「ねえ、君の誕生日っていつかな?」

「……十二月三十一日……」

「オッケー、じゃあ、七月と十二月っと」

 僕は一月と七月のレイト欄に一つずつ、十二月に二つの二倍のマークを書いた。こんなもの自己申告だから、自分がレイトを上げたい月を選択すればいいのだが。

 それから各自八枚ずつ札が配られ、場に同じく八枚の札が表にされた。中央には24枚の山札。

 よし、これでゲームが開始できる。僕らは声を揃えて開戦の挨拶をした。

「お願いします」

「お願いします……」

 僕は手札と場の札を確認して、できる役を頭の中でサッと組み立てた。

 まずは速攻。手札から桜のタン札(5点札:短冊が描かれている)を出して場にある桜の光札に合わせ、山札から菊のタネ札(10点札)を引き当てて場にある菊のカス札に合わせた。今合わせた四枚の札すべてが僕の持ち札となる。このことにより、一つの役が成立した。

「《花見(はなみ)(ざけ)》」

 《桜に幕》と《菊に盃》と呼ばれる二枚の札から完成したこの役は、こいこいの中で唯一、一巡目で成立することができる。ちなみに、僕の一番のお気に入りの役でもある。

 このようにこいこいとは、手札と場の札、もしくは山札と場の札でペアを作って持ち札とし、それで役を作るゲームだ。

さて、ここで一つ役が成立したから、ここで一月のゲームを勝ち逃げすることもできるのだが、

「こいこい」

 こう宣言することでゲームの続行を可能にする。そして、再度僕が役を作って上がった際、僕の得点は二倍になる。

 少女はとくにこれといって目立った札は取らず、二巡目へ。もしかすると手札が悪かったのかもしれない。だが、僕は手を緩めることなく役を重ねていく。

 二巡目、菊のタネ札と(すすき)の光札《芒に月》で、

「《月見酒》、こいこい」

 三巡目、桜と芒と松の光札《松に鶴》で、

「《三光》、こいこい」

 四巡目、桜と松と梅のタン札で、

「《赤タン》、こいこい」

 五巡目、短冊の描かれた札を五枚揃えて、

「《タン》」

 得点21点にレイト32倍がかけられ、合計得点は672文。少女の得点から672点を奪った。これで672文対マイナス672文だ。こいこいは二ケタの得点のやりとりが普通だから、この上なく絶好調のスタートで始まったといえるだろう。

 このようにゲームは進んでいき、十一月になろうとしていた。つまりあと二回で勝敗が決まる。が、実のところもうすでに、勝敗は決まったようなものとなっていた。

 僕の得点は1470文、つまり少女の得点はマイナス1470文だ。ここまで彼女は、上がることは愚か、こいこいを言うことすら一度もなかった。一つも役を完成させらなかったのである。

 そして訪れた十一月のゲーム。手札が配られて早々、少女は手札を公開してしまった。

「……《手四(てし)》……」

 それは、手札に同じ月の札が四枚すべて揃ったときの役。今回彼女は、十一月、雨の札を四枚引き当てたようだ。

「えっと、本当にいいの?」

 僕は戸惑ってそう訊いてしまった。

 それも無理はない。何せ手札役の得点はたったの4文。なのに、こいこいの宣言ができないため、その月は流れてしまう。つまり、この得点差で手札役を唱えるなど、自殺行為でしかないのだ。

 ひょっとして諦めてしまったのだろうか。あれだけ自信たっぷりだったのに。

 少女は僕の目を見て答えた。

「いい……」

 その時一瞬だけ、彼女の目がまた青く輝いたように見えた。それと同時に、彼女の手札、特に雨の札四枚からただならぬ雰囲気が発せられてきた。それは部屋の天井を満たし、厚い厚い雲を作る。

 なんとなくとした感覚でしかなかったそれは、十二月のゲームが始まった瞬間、確かなものとなった。

な、なにこれ……ッ!

「わたしから……」

 雰囲気を発している張本人は、全く気にした素振りも見せず手札を一枚選び、場の札に合わせる。彼女が気付いた様子もないということは、気のせいなのだろうか……?

「《花見酒》……こいこい……」

 先ほどの僕の再現とでもいうように、少女は一巡目で役を完成させて、こいこいをかけた。

 一方の僕は、ようやく雰囲気に順応して手札を確認した。

「なっ⁉」

 なにもできない。

 そう、なにもできないのだ。ただ手札を捨てて、山札の引きに賭けるしかない。結局、僕は何もえることができずに順番を終えた。

 そのまま三巡目になると、少女はまた役を完成させた。

「《タン》《タネ》《(いの)鹿(しか)(ちょう)》……こいこい」

 短冊五枚、萩と紅葉と牡丹を含めたタネ札五枚を揃え、同時に三つの役を完成させたのだ。

 しかし、本当の脅威はそれからだったということを後に知る。

 四巡目と五巡目は、あれだけ調子のよかった少女も停滞状態となった。けれども、それはどことなく、嵐の前の静けさという気がしてならなかった。

 この少女は諦めてなかったのだろうか。

 花札を覆うようにしている少女の顔を覗き見た。すると――

「……っ⁉」

――彼女の瞳は雨の蒼に輝いていた。

 今度は確かな光だ。それも、ただの光ではない。湖面に雨粒が落ちたときの波紋のように、少女の目の中に波紋が広がっていたのだ。

彼女は、諦めてなんかいない。ずっと、雨を待っていたのだ。

 六巡目、予想通り少女の真の攻撃が始まった。

「《赤タン》……こいこい」

 七巡目、

「《三光》……」

 僕だったらここで終わる。というのも、僕の持ち札が《カス》という役を完成しそうだからである。あと一枚、カス札を集めるだけで《カス》が成り立ち、このゲームも勝負も僕の勝ちとなる。

 だが――

「……こいこい」

――彼女は止まらない。

 まだやる気なの⁉ 点数の計算がすぐにはできないから分からないけど、もう十分なんじゃないの……⁉

 ともあれ、僕の順番が来た。これでカス札を一枚でも集められれば――

「――こない」

 カス札は来なかった。僕の持ち札は、水を無くした砂漠のように潤いが感じられない。こんな感覚は初めてだ。

 ただし、次は八巡目。最後の順番だ。ここで少女が役を作れなかった場合、彼女は親権でこの十二月ゲームには勝っても、総合の勝負では負ける。こいこいをかけたのだから、上がれる計算があってのことだとは思うけど。

しかし少女は、雨の光札を場に捨てた。八枚目の手札は、あっけなく捨てられてしまったのだ。そして少女は、山札を一枚めくる。そのめくられる札は、なんとなく何がくるか分かった。

 ――――雨が、来る。

 セミロングの黒髪をなびかせ、青い瞳に大きな波紋を走らせ、少女は引いた。

「……《雨入四光(あめいりしこう)》」

 傘をさした人が雨の中佇む絵の札。雨の光札、柳の光札。それが三光に足されて、より上位の役、《雨入四光》になった。

 この部屋に立ち込めていた厚い雲。そこから雨が降ってきたように感じた。


 気が付けば、外でも雨が降っていた。


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