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一月 『雨の瞳』 ①

 この見ゆる

 雲はほびこりて

 との曇り

 雨も降らぬか

 心足()らひに



 ……――こうして見ている雲が広がって曇り、雨が降ってきてくれないものだろうか。満足できるまで。




一月 『雨の瞳』 ①



「三光、上がり」

「うわぁ、また負けたし!」

 友人の熊田(くまだ)(りょう)()が力なく椅子の背もたれに寄りかかった。

 またも僕の勝ちである。これで五連勝目だろうか。

 高校の昼休み。僕たちは机を合わせて花札をしていた。昼休みに花札をする高校生というのも珍しいだろうが、これが僕たちの日課なのである。

「本当に(ゆう)(すけ)は強いよな? イカサマでもしてんじゃねえのか?」

 花江と呼ばれた僕、花江(はなえ)(ゆう)(すけ)は、亮太から疑いの眼差しを向けられたが、軽く笑って答える。

「イカサマができるほど僕は器用じゃないでしょ?」

「確かに……お前って不器用だもんな。……なら超能力の域だろもう」

 超能力、というものは信じてないが、単に自分は運がある人間だと思う。いいタイミングで欲しい札が来て、ちょっと駄目かなと思った時でも何だかんだ上がれる。花札で賭博ができた時代に生まれていたら、これだけで生計が立てられたのではないだろうか、と時々思うほどである。

 亮太は負けた悔しみなんか忘れたように話を変える。

「ところで悠介は部活どうするんだ? この学校って部活に入るのが必須だろ?」

「そうだったね、五月までには入部届を出さないといけないよね?」

 僕らは、つい二週間ほど前この(みぞれ)高校に入学したばかりの一年生だ。あとせいぜい一週間かそこらで部活動を決めなくては、担任教師に無理やり部活を決められてしまうらしい。運動部とかにされたら、たまったものではない。早く決めてしまわねば。

「で、どうするんだ? この実力なら、花札部から重宝されるんじゃないかと思うんだが?」

「花札部? この学校って、そんな部もあるんだ」

 文化系の部活に力を注いでいる(みぞれ)高校。その霙高校には、普通の文化部はもちろん、世界に一つだけの部活もあると実しやかに噂されるほどだ。

 亮太は頷いて、机の上に広がる花札を集めながら詳細を話す。

「なんでも、つい一年前に完成した部活らしい。その存在感は薄くて、予算食うだけだから生徒会が必死に潰しにかかってるって聞いたことがある」

「廃部寸前じゃ意味がないじゃん。すぐにまた他の部活を選ばなきゃいけなくなるよ」

「そこを悠介が立て直すんだろ? なんか漫画みたいでカッケーじゃん」

「やだよ、そんな目立つようなこと。第一、強い人がいないんじゃ、入ってもつまらないよ」

「強い相手がいないかなんて判んないだろ。とにかく、今日の放課後見に行ってみたらどうだ?」

 えっ? と口の中で呟き、あたかも他人事のように提案してきた友人に訊く。

「亮太は行かないの?」

「あ、俺、もう部活決めたんだ」

 彼は机の中から一枚のプリントを取り出して見せる。

 その入部希望部活動名の欄に記入されていたのは――水泳部の三文字。

「亮太って、泳ぐの得意だったっけ?」

「水泳部にスゲー先輩がいんだよ。それ以外に理由はないぜ」

「すごい先輩ね……」

 すごい、の意味について深くは考えないようにしよう。この亮太の表情から察するに、あまり褒められた理由でない気がする。

 それはともかく、小中と同じ部活動を歩んできた友人は、てっきりまた僕と同じ部活を選んでくれるものかと思っていた。しかし、どうやら違ったらしい。幼馴染みが徐々に離れて行ってしまうような気がして、なんだか寂しい気持ちになった。

 運動部が相手じゃ、友の後を追って入部するのも難しい。僕は親友なしでも落ち着ける部活を選ばなくてはいけなくなったようだ。

「じゃあ僕も、放課後に花札部を見に行ってみようかな……」

 きっかけは、そんな事情だった。ただ、部活に入らなくてはいけない学校だからであり。ただ、自分の居場所を見つけなければいけないからであり。

 理由はともあれ、僕は花札部の門を叩くことになってしまった。

 そしてそれは、僕の高校生活を大きく変えてしまう出来事になってしまうとは、その頃思ってもみなかったのだった。




 放課後



 終礼を迎えると、二、三年生は部活動へと向かい、一年生のほとんどは部活動見学へと足を伸ばす。この日は僕も、もれなく大衆の動きと同じように部活動見学をするため、北棟三階という場所に来ていた。

 しかし、どういうわけか、僕の周りには誰もいなかった。確かに大多数の人間と同じ行動をとったはずだったのに、どうしてだろう。

 ちなみに、これは後に知ったことだが、問題はこの北棟三階の立地条件にあったらしい。そもそも、部活動をするために別棟が二棟もあるという話だ。その上、北棟三階には、生徒指導顧問である生物教諭の研究室があるらしい。つまり、人気(ひとけ)のない広大な土地を手に入れる代わりに鬼と闘うか、人口密度は高いが安全な土地に逃げるかの選択を迫られたらしい。文科系の部活をする者たちだ。無論、後者を選ぶに決まっている。

「まるで最果ての地だ……」

 そんなこともつゆ知らず、僕はひとりごちて、花札部の活動するN‐12教室の戸を叩いた。

 ――トントントン

「……」

 返事がない、ただの扉のようだ。……と、これはもう古いネタだな。心の中で呟いてから、次の行動を考える。

 どうしよう、これは誰もいないと見ていいのだろうか。いや、もしかしたら聞こえなかったのかもしれない。誰かいるのなら鍵が開いているだろうし、開けてみよう。

 戸に手をかけ、横に力を加える。扉はすんなりと開き、少し小さめの教室が姿を現した。

 よかった、鍵が開いているということは誰か……――

「――……いない……」

 そこには誰もいなかった。花札部員は不在のようである。

 花札部の内装は、なんとなく予想をしていたように狭かった。

 もともとは何らかの教科の準備室にでもなるはずの部屋だったのだろう。そこを無理矢理空けたという感じがした。

 中央には四つほどの机が島を作り、右の壁には黒板、左の壁には書架が構えていた。突き当りには窓があり、そこから色のない光が差し込んでいた。

 そこで気がついた。空は真っ白で、今にも軽く雨が降ってきそうなのである。

 朝は晴れていたから、僕は傘を持って来ていない。だから今日は早いとこ帰った方がいいかもしれないな。花札部も活動をしていないようだし、もう帰ろうか。

 戸を閉めて帰ろうとしたところで、ふとした疑問が頭に湧いた。

 だとしたら、何故この教室の鍵は開いていたんだろう? 誰もいないのに開いているのは、おかしいはずだ。

 疑問。他愛のない疑問。

 それが頭の隅から沸き上がり、あっという間に僕の頭蓋骨を満たした。

 きっとこのまま帰ってしまったら、今夜ずっと悶々とすることになってしまうだろう。この場でしっかりと疑問を吐き出してから帰らねば。

 戸を閉めようとしていた手を外し、教室の中へと入ってみた。そのまま机の島と黒板の間をずんずんと進んでいき、死角となっていた場所を覗き見る。すると死角となっていた場所――机の影には、予想だにしていなかった光景があった。

一畳の畳が敷かれ、その上に一人の少女がちょこんと正座をしていたのである。

 その少女は、さらさらセミロングの黒髪に、真っ白の肌、整った顔立ちをしている。いわゆる美少女と言うに相応しい容姿だ。けれど幼い顔立ちから、今のように霙高校の制服を着ていなければ、恐らく小学生か中学生と間違えてしまうことだろう。

 そして、僕が何よりも目を惹かれたのが、彼女の瞳である。太陽を隠す厚い雲のように、灰色の曇天のような色をしていたのだ。だが決して曇った目をしているというわけではない。まるで吸い込まれそうなほど深い色合いで、今にも雨が降りそうなほど潤いを感じた。

 よく見ると、その少女はただ正座をしているわけではないようだ。彼女の膝元には、手の平で握り隠せるほどの札が何枚も散らばっていた。よく見慣れた札だ。少なくとも毎日の昼休みには必ず見ている。

 もしかして、この子は……?

 そう、つまりこの少女は、一人で花札をやっていたのである。

 本来二人でゲームをするように作られたであろう遊びだが、確かに一人でできないこともない。僕だって練習として何度か一人でやったことがある。しかし、なぜこの学校の一室の端で、畳の上に正座をしてやっているのかは、謎で仕方がなかった。

 何秒経った後だっただろう。曇天の瞳の少女は、ようやく闖入者の存在に気が付いたように僕を見上げた。すると彼女はまん丸く目を見開き、一瞬だけ――彼女の瞳が青色に輝いた。雨を彷彿とさせる青に。

 ところが、すぐに彼女の瞳には厚い雲がかかってしまった。もしかしたら僕の見間違えだったのかもしれない。

 少女は灰色の瞳を下に向けると、ゆっくりとした手つきで花札を集め始めた。そして、それを僕の方へ差し出して口を開く。

「……こい?」

 この時、この瞬間より、僕らの季節の歯車がゆっくりと動き始めた。


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