迷子のあおぞら
ナナは立ち止まってしまった。
どっちに行けばいいのか考えようと思ったのに、止まってみるとみるみる足下から不安が押し寄せてきて考えることなんてできなくなってしまった。
どうしよう。
ママたちに叱られるだろうな。
でもそれよりママたちに会えなかったらどうしよう。
このまま一生会えないとか。そうしたらナナは遊園地の子になっちゃうの?遊園地に置いて行かれた子は遊園地の子になるんだってユミちゃんが言っていた。そのときはユミちゃんが遊園地の子になりたいなんて言うからナナが必死で止めたっけ。
どうしよう、ナナは遊園地の子になっちゃうの?
不安はむくむくと膨らんですぐにナナの小さな体を押しつぶしそうになる。苦しくて苦しくて、泣きそうだった。ちょっぴりだけど涙も出た。
「ママ…」
ママを呼んでもだれも立ち止まってくれなかった。周りにいる大人はみんな知らない大人だった。
どうしよう。
キラキラしていたはずの遊園地は突然冷たい石のように固くなって、ナナの心をどんどん冷やしていった。耳元で音がぐるんぐるん回っている。知らない大人の知らない声。知らない声の知らない名前。だれもナナを見ていない。
ここにいるよ、ナナはここにいるんだよ。ねえ気付いてよ。
叫ぼうとしても空気がなくなったみたいに苦しくて、声は出なかった。
ママやみんなは次にどこに行くって言ってたっけ。そっちに行こう。
ナナは勇気を振り絞ってふたたび早足で歩き出した。最初の一歩を踏み出すのにものすごい力が必要だった。二歩目からはわき目もふらずずんずん歩いた。
あんまり前しか見ずに歩いたからズボンにチェーンのお兄さんにぶつかりそうになった。それでも気にしないでずんずん歩いた。
進んでも耳元でぐるんぐるんは消えなかった。歩くと足はどんどん進んだけれど自分がどこに向かっているのかはちっとも分からなかった。
そうしているうちに分かれ道に出た。そこでナナはふたたび立ち止まった。分かれ道はとてつもなく大きく見えて、その前に立ち止まっているナナはちっぽけだった。
みんなはどっちに行ったんだろう。
こっちかな。ううん、こっちかな。でもやっぱりこっちかもしれないし、でもやっぱり...
あっ!
一瞬、ママのスカートのすそが見えた気がして振り返った。
やった、これでもう大丈夫なんだ。
でも。
そこにママはいなかった。目を凝らしてみたけれどママはいなかった。パパもお姉ちゃんもいなかった。
やっぱりナナはひとりぼっちだった。悲しくなってナナは今度こそもう一歩も動くことができなくなってしまった。
もう、いやだ。
ナナは遊園地の子になっちゃうんだ。家に帰れずに。
やっとのことで道のわきの花だんまで行って花だんのれんがに座った。知らない大人と知らない子どもが楽しそうに歩いている。それを見ていたらじんわりと涙があふれてきて子どもの顔も大人の顔も涙でゆがんだ。もともと知らない顔、画面みたいにナナを見てくれない顔だから、見えても見えなくても一緒だった。みんなのっぺらぼうだ。のっぺらぼうの遊園地。ナナはほんとうにひとりぼっちになった。
どれくらいそうしていただろう。不思議と涙はそれ以上出て来なかったけれどナナの目の前はずっとうるんだままだった。泣くんじゃないやい、と言い聞かせても涙はひっこまなかった。
本当はすごく心細くて不安だったけれど、涙はそれ以上出てこなかった。
風が吹いてナナの髪の毛をさらさらとなでた。髪は今朝ママが結んでくれた。お気に入りの赤いボンボンのゴムをつけてくれた。
急に悲しくなって花だんの上で小さくなった。
小さくなってぎゅっと目をつむった。
「ナナ!」
お姉ちゃんの声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせいだと思った。そっと目をあけてぼんやりと地面を見つめた。涙がほっぺたを伝って落ちた。
「ナナってば!あんたこんなところにいたの?探したんだからね」
ふいに暗くなってナナは顔を上げた。顔を上げるとナナを見下ろしているお姉ちゃんと目があった。お姉ちゃんの頭でナナの頭上には影ができていた。
また涙が出て来た。お姉ちゃんの顔がにじんで、その向こうの空の真っ青な色が目に焼き付いた。
「ママ!ナナいたよ!」
向こうにはママとパパの姿も見えた。ママと目が合った。ママは困ったようなほっとしたような顔をしていた。
「もう、探したのよ。心配したんだから」
「はぐれるなって言ったでしょ」
「まあでも、見つかってよかったな」
ママとお姉ちゃんとパパが次々に言った。
「...うん!」
遊園地はキラキラしていなかったけれど、もう冷たくなかった。
ナナは立ち上がってママと手をつないだ。
ふわぁっと風が吹いた。
* * *
それから2年が経った。ナナは小学校に上がった。
あの遊園地は、今はもうない。
《終》
お読みいただきありがとうございました。